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74.きまずい舞踏会の始まり

 ダンスパーティー当日。

 私はいつにもなくソワソワしていた。それもそのはず、喧嘩をしてしまったシルヴァと約一週間ぶりに会うのだ。

 約束した時間は刻一刻と迫っている。

 

(結局、一回も連絡することなくパーティーの当日になっちゃった……)


 いや、正しくは一度連絡をした。けれど、連絡と言ってもダンスパーティーに行くのかどうかの確認と、集合時間という、きわめて事務的な内容で、たいしたものでもない。

 本当はシルヴァは一緒にダンスパーティーに行きたくもないだろうけれど、あいにく私がこの国の王子から直接招待状を受け取ってしまった手前、行かないわけにはいかなかった。私一人だけで行く、と言ってみたものの、ダンスパーティーの類は婚約者と会場に向かい、最初だけでも一緒にいるのが慣例らしい。そのため、不本意ながらシルヴァに連絡を取った次第である。

 ソワソワする私に、私の髪に髪飾りをつけていたゾーイが微笑んだ。


「エリナ様、初めてのダンスパーティーで落ち着きませんか?」

「あっ、そうね……」

「婚約パーティーでエリナ様は社交デビューしたとはいえ、今回のダンスパーティーはブルスターナでの社交デビューのようなものですものね。大丈夫ですよ、今日のエリナ様は誰よりも素敵です」


 そう言って、ゾーイが鏡を私に向ける。


「わあ、綺麗!」


 私は思わず歓声をあげた。

 今日の装いは、ケイリーンブティックで仕上げた新作のドレスだ。ケイリーンは私の銀色の髪の毛によく合うように、ふんわりとした薄い紫色のドレスを仕立ててくれた。首元やドレスの裾にはふんわりとしたファーがふんだんにあしらってある。あちこちにしこまれているビジューが動くたびにきらきらと光った。

 ゾーイはうっとりとしたため息をつく。


「婚約パーティーの時のエリナ様のドレスも素敵でしたけれど、このドレスも本当に素敵ですね」

「そうね。さすがお姉さま御用達のブティックに仕立ててもらっただけあるわ」


 このドレスをデザインしたケイリーンはかなり変わっていたけれど、腕は確かなようだ。

 私が鏡の前で上機嫌でくるくると回っていると、控えめにドアがノックされ、セバスチャン扉の隙間から顔を出す。


「シルヴァ様がお見えです」


 私は一瞬硬直する。

 ゾーイはそんな私を見て苦笑した。


「さあ、お城に行く時間です。アベル王子から頂いた招待状は持っていますか?」

「う、うん」

「エリナ様、シルヴァ様とはよく話し合ってくださいな。早めにこういうのは解決しないと! 長引けば長引くほど厄介になりますよ」

「……そうだよね」


 私は頷いたけれど、シルヴァと仲直りできるような言葉を未だにみつけられていないのもまた事実だった。なんせ、今まで誰かとお付き合いしたことなんて一度もない。だから、喧嘩したときの「お作法」を私は全く知らなかった。話の切り出し方も、謝り方も。

 私はため息をつくと、重い足を奮い立たせて玄関に向かう。階段を下りて踊場から玄関をみると、シルヴァが私を待って所在なげに立っていた。

 今日のシルヴァは緑色の布地に黄金色の刺繍が入った軍服に、布地に合わせた落ち着いた緑色のマントを合わせている。青みがかった濡れガラス色の黒髪は、いつのもように後れ毛をひとつに無造作にまとめている。


(ああ、かっこいいな……)


 私はぼんやりとそういうことを考えたものの、慌てて首を振った。いまは見惚れている場合じゃない。

 私はシルヴァの前に立ち、王宮儀礼に則って丁寧にお辞儀をする。


「ごきげんよう、シルヴァ様。今日もご機嫌麗しゅう」

「……あ、ああ。今日も綺麗だな」


 シルヴァは私をちらりと見てそれから目をそらす。いつもは流れるように次から次へと褒めてくれるのに、今日はかなりそっけない。

 私たちはそれ以上何も言うこともなく、無言で待たせていた馬車に乗り込む。馬車は滑るように出発した。


(やっぱり、まだ怒ってるんだ……)


 居心地が良いとはとても言えない雰囲気の中、私は手袋をした手をぎゅっと握りしめた。鼻の奥がツンとする。

 そんな中、シルヴァが口を開いた。


「その、この前はすまなかった」


 いきなり謝られた私は驚いてしまい、とっさに返答ができなかった。まさか謝られるとは思っていなかったのだ。

 なんだか変な、ぎこちない沈黙が私たちの間に流れる。


「あっ、いえ……。こちらこそ、失礼なことを言ってしまってごめんなさい。女の子と私に隠れて付き合ってるって勝手に決めつけて……」


 私はしどろもどろで頭を下げる。

 次はシルヴァが沈黙する番だった。ややあって、戸惑ったような、困ったような表情でシルヴァがこちらを見る。


「こちらこそ、アベル王子の言付けを伝えないなんて、大人げないことをした自覚はある。すまなかったな」


 沈黙。


「い、いえ……」


 再び沈黙。


(き、気まずい……)


 私たちらしくない会話だ。

 普段なら、もっと流れるように話せるのに。万が一言葉選びを失敗してしまって、また怒らせてしまうんじゃないかと思うと、どうしても慎重になってしまう。

 結局、それから一言二言要領を得ない言葉を交わして、あろうことか会話が終了してしまった。


(ね、ねえ、せっかく話せたのに話が続かないってどういうことよ!)


 私はパニックになる。私だってこの一週間、シルヴァと仲直りしようと色々と考えたのに、いざ本人を目の当りにすると、全く言葉が出ない。


「エリナ、そろそろ到着するぞ」

「あっ、はい!」


 必死で話題を探している間に、馬車はいつの間にか王宮に到着していたらしい。私は声をかけてきたシルヴァの手をとる。馬車を下りる寸前に、シルヴァと至近距離で目が合った。

 シルヴァは微笑む。


「そのドレス、似合っているな。エリナは美人だ」


 いつものシルヴァの口調に、ほっとしてしまう自分がいる。遅れて、どうやら絶妙なタイミングでシルヴァにからかわれたことに気づく。


「も、もう、シルヴァ様、からかわないで下さ……、わあ!! すごい、すごいです!」


 シルヴァの手を借りて馬車を下りた私は、目の前の景色に思わず歓声をあげた。

 今宵のブルスターナの王宮は、いつもよりも華やかだった。すべてのシャンデリアに灯りがつき、貴族たちは装いも豪華にひしめき合っている。シャンデリアに照らされるタペストリーはカラフルで、会場に色どりを添えていた。

 シルヴァは素直に驚く私に、少し目を細める。


「驚いたか?」

「え、ええ、すごい! 人がこんなに!」

「今日は冬に一度だけのダンスパーティーだからな。ブルスターナ近辺の貴族たちはこぞってくるのさ。しかし、社交シーズンはもっと豪華だ」

「へえ、そうなんですね! こんなに人がいて、私はアリッサやザラを見つけられるんでしょうか……」


 私はキョロキョロとあたりを見渡した。今日は春の婚約パーティーで会って友達になったアリッサや、ザラとも会う約束をしているのだ。

 しかし、アリッサやザラを見つける前に、目ざとくシルヴァの姿を見つけた貴族令嬢たちが、黄色い悲鳴をあげながらわらわらと集まってきた。私たちの周りに、あっという間にシルヴァ狙いのご令嬢たちで人だかりができる。


「まあ、シルヴァ様! ごきげんよう」

「シルヴァ様、あまり最近はこういった場に姿を現してくださらないから、わたくし寂しかったのよ」

「シルヴァ様、ダンスのお相手はお決まりですか?」


 ご令嬢たちが次々と一気にかしましくシルヴァに話しかける。

 シルヴァはいつもの紳士然とした微笑みを浮かべた。その笑顔を見て、熱烈な悲鳴が上がる。


(うわあ、やっぱり、シルヴァ様ってモテるのね……)


 確か、婚約パーティーでも全く同じような人だかりができた。シルヴァの人気は相変わらずのようだ。

 ご令嬢たちの目当てはシルヴァのため、私は完全に蚊帳の外だった。それどころか、ご令嬢たちのトゲトゲした視線が先ほどから痛い。私は作り笑いを浮かべつつ、ジリジリ後退りしたもの、それに気づいたシルヴァが私の腕をがっしりとつかんだ。どうやら婚約パーティーの時のように、隙をついて脱出する作戦は失敗に終わったらしい。

 シルヴァは、剣呑な視線をよこしてくるご令嬢たちに私を紹介した。


「紹介させてほしい。彼女はエリナ・アイゼンテール。俺の婚約者だ。今年の春に社交デビューしたばかりなんだ。仲良くしてほしい」


 堂々とみんなの前で婚約者、と紹介されて、顔が一瞬火照ったものの、すぐにそれどころではなくなる。


(こ、怖――っ!!)

 

 私の背中に冷たい汗がつたったのを感じた。

 それもそのはず、貴族令嬢たちは私に向かって一斉に微笑んだものの、目がまったく笑っていなかったのだ。隠しきれない嫉妬をあらわにするご令嬢もいる。

 しかし、シルヴァはそれからほかのご令嬢たちの言葉に一切取り合わず、さっさと私を連れて広間にむかった。

 背中に痛いほどの視線を感じながら、私はシルヴァを見上げた。


「あの、もう少しご令嬢たちとお話しなくてもいいんですか? あんなにすげない態度では、傷つくご令嬢もいるのでは……」

「あいつらにどう思われようと、俺はかまわない」

「あ、あいつらって、シルヴァ様、さすがにそれは……」

「おっと、口が悪かったな。しかし、ここまで言わないと俺の婚約者殿は俺にとって特別な人間だと分かってくれないから困ったもんだ」


 シルヴァはそこまで言うと一瞬口をつぐんだが、ややあってため息交じりに呟く。


「あの中にいたら、エリナも嫌だろう。そっちの方が、俺は困る」


 シルヴァの言葉に、私の心臓が大きくはねた。ぱっと見上げると、シルヴァの漆黒の眼がまっすぐこちらを見ていた。


「……なあ、エリナ。この際言っておくが、昔、俺は数えきれないほどのご令嬢たちと遊んできた」

「……ええ、知っています」

「そうだよな、知ってるよな……。困ったことに、俺の過去を面白おかしく語りそうなヤツらの心当たりが何人かいるんだよなぁ……。ギルベルトとか、騎士団長とか……」


 シルヴァが苦い顔をして肩を落としたので、私は苦笑して微笑む。確かに複数人にシルヴァの女遊びが激しかった過去の話はされている。まあ、それがなくても薄々察してはいたけれど。

 気を取り直すように、シルヴァは軽く咳払いをした。


「とにかく、これだけははっきり明言するが、今は違う。エリナだけしか眼中にない。しかし、信用できないとエリナが思うのももっともだ。だから、俺はエリナから信用を得るために、疑われるような行動をとらない。これからは一切のご令嬢と手を切る。なあ、……これで、少しは俺を信用できるか?」


 いつにない真剣な眼差しを、シルヴァが向ける。私はどぎまぎしながら頷いた。こんなに真剣なまなざしを向けられては、信じるしかない。

 シルヴァはホッとしたような微笑みを浮かべたあと、いつもの飄々とした口調で笑う。


「さて、今日はアベル王子とも会うんだろう? 俺は何を言われようと、エリナとずっと一緒にいるからな」

「えっ、なんでです……」


 私が理由を聞く前に、広間の大扉が開く。私の眼前に煌びやかな世界が広がった。

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