73.シルヴァの言い分
「シルヴァ、ちょっとあんたの顔、ひどいわよ」
夜警の途中、アンジェリカに辛辣に指摘されて、俺は言葉に詰まった。通りかかった通りの窓を鏡にして、自分の顔をまじまじと見てみれば、確かにひどい顔だ。
思い当たる節は一つしかない。俺は本日何度目か分からないため息をつく。
「どうしちゃったんだよ。らしくもないな」
「そうか? 俺はいつも通りだ」
心配そうなフィンに、俺は嘘をついた。いつも通りなわけない。心の中は荒れに荒れている。2日前に、俺はうっかり婚約者と喧嘩をしてしまったのだ。
(はあ、らしくもないことをしてしまったな……)
お互いの不満が爆発した、と言ってしまえばそれまでだ。
それにしても、7つも年下の女の子にムキになって声を荒げるなんて本当に良くないことをした。もっと言い方があっただろうに、気づけば咎めるような口調で、相手の言い分も聞かずに一方的に話している自分がいた。
(思ったより余裕がないな……)
俺は思わず低く唸る。
余裕がないのももっともだ。なんせ、婚約者に恋をしているのがよりによってこの国の第二王子だ。婚約パーティーのときに察してはいたものの、まさか招待状を王子自ら渡しにいくなんて思ってもみなかった。
その上、たちの悪いことに、エリナは他人のことはよく気づくのに、自分のこととなると鈍感だ。この国の第二王子に寄せられた恋心に対して懐疑的、その上王子にはただ招待状を渡された「だけ」だと宣うではないか。まさかの対抗馬の出現に、俺はヒヤヒヤしっぱなしだというのに、当のエリナはこっちの気などまるでわかっていない様子だった。
しかし、悪いことはそれだけではない。
あまりに大人げない態度に怒ったエリナは、ついに俺の過去の女関係という弱いところを正確についてきた。売り言葉に買い言葉とはいえ、エリナの指摘はもっともだ。これまで責められなかったのが不思議なくらいである。
俺がぐるぐる考えながらアンジェリカとフィンの後ろを無言で歩いていると、大広場まで来たところで、フィンが振り返った。
「じゃあ、俺は別の隊と合流するな。あとのパトロールは任せた。調子は悪いようだったら、うまくごまかして休めよ? まあ、どうせお前の婚約者のことについて悩んでいるだけだろうから、心配はしてないけどさ」
そう言って俺の髪をぐしゃっとなぜると、フィンは二ッと八重歯を見せて手を振る。どうやら気づかれていたようだ。
俺が苦い顔でフィンの背中を見送ったのを見て、アンジェリカが忍び笑いを漏らした。
「私たちが気づいていないとでも思ったの? あんたが顔に出すまで思い悩むなんて、あの可愛いお嬢ちゃんに関することしかいないわ。ある意味分かりやすすぎるのよ」
「…………」
アンジェリカと俺の足音が、コツコツと夜のブルスターナに響く。不気味なほどに静かだった。
ここ最近は、夜な夜な魔物がうろつくようになってしまい、ブルスターナの住民たちは怯え、夜になると早々に家の明かりすら消してしまう。ブルスターナの夜は不気味なほど静まり返っていた。
ただ、いつものブルスターナなら、もう少し人々の往来もあるし、週末になると少ないながら夜店も並ぶ時もあるのだ。魔物騒ぎが終結すれば、ブルスターナも賑わいを取り戻すだろう。
(週末の夜店に連れてきたら、エリナは喜ぶだろうか)
ふと、婚約者のことを考えてしまい、俺は苦笑する。最近は万事この調子だ。
二日後にはエリナを伴ってダンスパーティーに参加する予定だが、エリナからの連絡はない。俺からも、何と声をかけていいかわからず、連絡していない。完全に手詰まりだ。
アンジェリカはあたりを見渡しながら、ふう、とため息をついた。
「まったく、二人組の男女は逃がすし、怪我するし、婚約者とは喧嘩するし、最近、シルヴァってばとことんツイてないわねえ……」
「本当にそうだな……」
「えっ、あのお嬢ちゃんと喧嘩したの!? マジ!?」
アンジェリカは驚きの声をあげる。俺は額に手を当てる。
「アンジェリカ、カマかけたな?」
「あっさりとひっかかってくれて、どうもありがと。だっていろいろ質問したってシルヴァは答えないもの」
「……うまくやってくれたな」
「それにしても、あのお嬢ちゃんと喧嘩!? まあ理由は薄々わかるけど~。どうせ昔付き合ってきた女の子たちのことでしょ」
「認めるのは悔しいが、半分あたり、半分はハズレってところだ」
「ふぅん、どうせだからお姉さんに全部話してごらんなさいよ。次の酒のつまみにするから」
「人の不幸は蜜の味ってか……」
「そうよ。人の失恋話でご飯を美味しく食べるオンナなの、私は」
「おい、勝手に失恋って決めつけるな!」
俺はとりあえず食って掛かったものの、観念してアンジェリカに事の次第を話し始める。なぜか入団当初から、アンジェリカに隠し事をできたためしがない。何かと勘が鋭い人物だった。
一度話始めると俺の話は止まらない。情けないことに、俺は誰かにこのことを話したかったようだ。本当は旧友であるギルベルトを頼るつもりだったが、あいにくお互いが多忙で都合がつかなかった。
俺の話を聞き終わり、アンジェリカは艶っぽい微笑みを浮かべる。
「痛快だわ。あんなに女の子を泣かせてきた天下のプレイボーイが、最終的に年下の女の子に本気になって、喧嘩までしちゃうんだもの」
「……俺だって大人げないことをしたと思っている」
「まあでも、一つだけ救いがあるとすれば……」
アンジェリカは迷ったように目を伏せ、「んー」と頬を長い指でなぞる。
「脈ありなんじゃない?」
「はあ? 俺の話をきいていたか? なんでそうなるんだ」
「まったく、本当に救いようがないほど鈍感。よく考えてごらんなさい。昔は『誰と付き合ってもかまわない』って言われてたわけでしょ? そんな彼女が、今じゃ自分に隠れて付き合ってる人がいるんじゃないかってやきもち焼いて、不機嫌になっちゃうのよ?」
「……あ」
そう言えばその通りだ。全く気づかなかった。俺は驚いて硬直する。
アンジェリカはコロコロと笑った。
「ま、男の嫉妬は情けないから、さっさと謝っちゃうことね。さあ、雑談はともかく、仕事の時間」
アンジェリカはスッと剣を抜いて前を指さす。大通り沿いのほの暗い路地裏に、二頸蛇を筆頭にした、うごめく有象無象が見える。夜の国の魔物たちが発する、すえた臭いが鼻についた。
俺はため息をつく。
「はあ、悩んでる暇もないってか」
俺の言葉より先に、アンジェリカが先に地面を蹴った。俺も遅れず続く。
今夜もまた、長い夜が始まる。





