7.モブはモブらしく
ミミィに促され、自室に戻ると、ゾーイが朝食の準備をして待っていた。
部屋のぶ厚いカーテンは開いていて、部屋はもう明るい。大きな窓から見える空は昨日と変わらず吹雪いていた。雪が深い地域なのだろう。大地は厚く雪で覆われていて、しばらくこの城にこもりきりの生活になりそうだった。
「まあエリナ様、今日はとってもお顔色が良いですね。夢見がよかったかしら。良いことですわ」
ニコニコしながら、ゾーイは手早く私に準備していた萌黄色のフワフワしたドレスを着せる。
「そのドレス、お嬢様に一番似合うとおもうんです! あ、どんな服もお似合いですけど! なんならネグリジェ姿でもお嬢様はかわいらしいですけど!」
ミミィがゾーイの後ろで嬉しそうに私をチヤホヤしてくる。確かに、全体的にエリナは色素が薄いので、萌黄色の淡いドレスは似合っていた。ミミィに褒められて悪い気はしないけれど、ここまで褒められたことがなかなかないので、なんとなく気恥ずかしい。
黙って着替えさせられていた私は、ふいに自室の机いっぱいにずらっと並べられた朝ごはんにくぎ付けになった。
(さすがお嬢様。量がもはやちょっとした朝食バイキング状態じゃない……?)
パンやドロドロのお粥状のなにか、スープ、お魚やお肉もあるし、それに見目麗しいデザートのようなものまで、机に溢れんばかりにおいてある。
そして明らかに机の上の御飯は一人分の量ではないのに、用意してある椅子は一脚だけしかない。つまり、私のためだけにこの朝食は用意されたものらしかった。
着替えがすんで、流れるように私は用意された椅子に座すように促され、朝ごはんを口にする。
「エリナ様、今日の朝食は何を食べられますか?」
「えっと……」
「今日は、お好きそうなパンもいくつかありますのよ」
ゾーイがいくつか見繕って私の前にお皿を並べてくれる。私はそれを黙って口にしていく。
やはり、昨日の晩参会でも思ったけど、すべての料理がクタクタに煮てあるか、素材そのままの味かどちらか、という感じだ。ただ、昨日よりも緊張していないのでおいしく味わって食べる余裕がある。
(うーん、なんだろう。よく言えば優しい味といえないこともないんだけど……)
香辛料の味はかすかにするけれど、正直なところ、醤油が欲しくなる料理ばかりだ。塩味は偉大だと改めて思い知る。
それにしても、昨日より緊張せずに食べられているとは言え、乳母のゾーイとメイドのミミィが私が食べている様子をじっと見るのでソワソワしてしまう。ミミィは折をみて私のコップに飲み物を入れ、ゾーイは食べ物をよそってくれるけれど、ぶっちゃけそれくらい自分でやりたい。
「朝ごはんはいかがですか?」
「うーん、こんなにいらないかも」
私は素直にゾーイに思ったままのことを言った。
朝ごはんにしては豪華すぎるくらい豪華だけれど、さすがにこんなに私は食べられない。たぶん、この身体でここまで大食をしてしまうとお腹を壊してしまう。
「そんな、エリナ様!なにかご不満でしたか?」
慌てたゾーイが私の横でおろおろと手をさまよわせる。
「ううん、不満ってわけではないんだけど、私こんなに朝ごはん食べられないもの。もったいないし、もっと少なくていいわ。それとも、これってミミィとゾーイみんなで食べる量だったかしら? 三人分でも少し多い気がするんだけど……」
「いいえ、いいえ、エリナ様。私たちはもうお食事は済んでいます」
「そうなの?ならばなおさら、私はこんなにたくさん要らないわ」
「エリナ様がそうおっしゃるようであれば……」
「それから、嫌じゃなければ、ゾーイとミミィと一緒にご飯が食べたいな。一人で食べるのは、寂しいもの。二人は忙しいと思うし、朝ごはんが遅れてしまうのはすごく申し訳ないけど……」
「お嬢様……」
「ダメかしら?」
私の言うことに、ゾーイとミミィが大きな目をさらに丸くしていた。私がダメ押しで上目遣いでお願い、と手を合わせると、ゾーイとミミィはとたんにとろけるような笑顔になり、コクコクと頷く。
「このお城の他の方々には内緒ですからね」
ゾーイは困ったように人差し指を口につけてナイショ、のポーズをする。うすうす気づいていたけれど、この二人、なんだかんだでエリナに甘いようだ。
「それでは、さっそく椅子を2脚この部屋に増やしましょう。ミミィ、とりあえず、北の間の椅子が確か余っていたはずだから、持ってきてちょうだい。埃をかぶっているかもしれないから、きれいに拭いてね」
「わかりました!」
テキパキ指示するゾーイに、ミミィが元気よく頷いた。
「それから、これからの朝ご飯は、このパンと、サラダと、スープがいいな。ゾーイとミミィは好きなもので」
「承知いたしました」
私の言葉にゾーイが折り目正しく頷き、ミミィはニコニコと笑った。
「ゾーイ様、これで朝ごはんの準備がすごく楽になりますね! ミミィはお嬢様と同じメニューがいいです! できればお肉も食べたいな、とは思いますけど」
「こら、ミミィ、そういうことをエリナ様の前で言うのはやめなさい。はしたないですよ!」
「わー、私はまた言わなくてもいいこと言った感じですか!? 申し訳ございません!!」
「そうですよ、ミミィ。あなたはエリナ様に仕えているのですから、もっと自覚をもって……」
「ごめんなさぁい! 椅子持ってきます!」
「これ、話はまだ終わってませんよ」
ミミィがゾーイの話の途中であわただしく部屋を出ていき、ゾーイはまったく、とため息をついた。
「ミミィは明るくて素直な良い子なのですが、少ししゃべりすぎてしまうところがありますわね。あとでよーく言って聞かせなければ」
「あまり怒らないであげてね」
私がくすくす笑うと、ゾーイは少し黙った後、ちょっと困った顔で、善処しますわ、とだけ答えた。
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朝食が終わると、ゾーイとミミィが手際よく大量の朝食を片付け、「何かあったらベルでお呼びくださいね」と言って部屋から出て行ってしまった。途端に一人で使うにしては広すぎる部屋が静かになってしまう。
記憶をたぐると、どうやらエリナは、朝食を食べて、昼食を食べ、夕食を食べて寝て、食事の間は何もせずにぼーっとして日がな一日過ごし、たまに言われたことをこなす、といった何とも味気ない日々を過ごしていたようだった。
人間関係も希薄で、誰か年の近い友人がいるということもない。家庭教師は週に2,3回程度、午後に訪れる。教えられる科目は、基礎教養とマナー。今日は家庭教師が来ない日なので、つまり私は一日フリーだ。外は吹雪いているので、室内で時間をつぶさないといけない。
「ひ、暇だわーー!!」
思わず独り言ちた私は、ふわふわのベッドの上にコロンと転がった。こんなにやることがない日は久しぶりだ。社会人になってからは、否が応でも何かしらのタスクに常に追われていたし、週末は平日の疲れを癒すべく、泥のように寝ていた。
(エリナは大丈夫かしら)
エリナ・アイゼンテールは、佐藤恵里奈の身体で現代社会ライフを送っている。エリナの告げた通り私の3年前からやり直すのであれば、仕事の手順は私の頭の中に全部入っているし、たいてい大丈夫だとは思うものの、やはり多少は心配だった。
私の仕事は経理関係で、日々合わない帳簿と格闘し、ちょくちょく処理落ちする経理ソフトに頭を悩ませ、怪しげな雑費を経費で落とそうとする不届きモノをシメる、という日々が延々と続くはずだ。
職場の人間関係はいたってドライなお付き合いだったし、プライベートの話はほとんどしたこともなければ、どこかに飲みに行ったこともない。私の中身が多少変わっていようと怪しむ人間はそういないだろう。
そんなことより、世界を破滅から救う、という荒唐無稽な無理難題を押し付けられた私のほうが確実にピンチだ。
「さて、私、これからどうしようかしら」
ぼーっとしていても仕方ない。
私はベッドの上から起き上がって状況を整理すべく、机の上に紙とペンを用意して、ありったけのエタ☆ラブの情報を書き出して脳内を整理し始める。
「エターナル☆ラブストーリー〜魔法少女は世界破滅の夢をみる〜(通称エタ☆ラブ)」について。
この世界は魔法と魔術、2種類の異なる不思議な力がある。魔法は人間が魔力を使って行使する力であり、魔術とは契約や呪術によって魔力をほとんど使うことなく行使される力のことを指す。
魔法使いたちは「喜・怒・哀・楽」属性のどれか一つ、生まれつき得意な分野が存在する。属性を複数持つ魔法使いもいるのだが、かなり稀だ。ただ、皆共通して「愛」という属性を持ち合わせており、時には愛属性の魔法はすべての力を打ち砕く強力な力を持っている、とされている。
そして、もう一つ、魔力を持つものはこの世界では絶大な富と財産を手に入れるため、貴族たちはほぼ魔法使いと言っても過言ではない。貴族たちは魔力を保有して初めて平民たちを支配できるのだ。この国の厳格な身分制度は魔力によって成り立っている。
主人公は平民出身だが、平民には珍しく強い魔力を持っている。とある貴族にその強い魔力を見いだされ、その貴族の養子として、貴族だらけの聖ジョイラス学園に入学する。デフォルトネームは「ジル・ピピン」、ラストネームは養子に迎え入れた貴族である、ピピン家に由来するものだ。
攻略できるキャラクターは隠しキャラクターを入れて、5人。
カウカシア王国第一王子の、ラーウム・フォン・ルガーランス、カウカシア王国第二王子である、アベル・ドン・ルガーランス、有力貴族の嫡男であるロイ・アイゼンテール、騎士のシーザー・クラウス、そして隠しキャラである、幼馴染のヘンリック・デイ。
そして、エタ☆ラブ主人公のジルはそのうち一人の好感度をひたすら上げ、あわや世界滅亡という瞬間に、愛の力でカウカシア王国の滅亡をたくらむ夜の国の魔王をぶっ飛ばし、それぞれのエンディングを迎えるのだ。
ただし、アベル・ドン・ルガーランスを選んでしまうと自動的に世界が滅び、「一緒にこの国を一から作り直していこう」という後気味悪いエンドとなってしまう。
ちなみに、私がエタ☆ラブで攻略したたった一人のキャラクターとは、このアベル王子だった。アベル王子の見た目がとにかく好きだったので、夢中で攻略したけど、世界滅亡エンドは未だに少し納得いってない。
(……ん? ……あれ?)
私はふとあること思いついて、無心に情報を書き出していた手を止めた。
(ジルがアベル以外の攻略キャラとくっつけば、私が世界を救うことなく、自動的に世界って救われるのでは!? ってことは、この世界でジルを、アベル以外のキャラクターとのハッピーエンドに導くだけなのではーーー!?)
ジル・ピピンを味方につけてうまく操作すれば、あとは勝手にやってくれるだろう。
それに、ジルはとにかく聡明で明るく、正統派の乙女ゲームのヒロインだ。性格は折り紙つきだし、確実に悪役令嬢の取り巻きより、ジル・ピピンの友達になったほうが楽しい学園生活が待っているに違いない。
要はモブはモブらしく、黒子に徹すれば、あとは全部ジルがやってくれる。ただし、アベル王子とくっつくことがなければ。
(間違ってもジルとくっつかないように、私がエリナ・アイゼンテールとしてアベル王子を攻略すれば良いのよ! これはあくまで、ついでだけど!)
思わず鼻息が荒くなってしまった。まあ、アベル王子攻略はあくまで、ハッピーエンドへのためだ。断じて私の私利私欲のためだけではない。
攻略ルートはしっかり予習済みだし、アベル王子のハートの掴み方もしっかり知っているつもりだ。
(俄然、楽しみになってきたかも! 意外と世界を救うの、簡単かもしれないわけだし!)
……という感じで、今後の方針が決まってウキウキと怪しい小躍りしていた私は、この後どれほど自分の見通しが甘かったか思い知らされることになる。
でも、これはまた、別の話。
やだー主人公さんったら、そんな都合がいい話あるわけないじゃないですかー!!!