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72.エリナの言い分

 シルヴァとの口論から一晩明け、私は重い瞼をなんとか開けて、ベッドから這いずり出た。ひどい気分だ。オスカーがのそのそこちらにやってきて、私の傍らに寄り添う。


「……ダイ、ジョー、ぶ?」

「大丈夫だよ。夜中に泣いてごめん。うるさかったでしょ」

「……ウン」


 素直なオスカーはコクリと頷く。どうやらよっぽどうるさかったらしい。私が苦笑すると、ぐう、とお腹の虫が鳴いた。

 昨日は、とても夕食を食べる気分でもなく、シルヴァが帰ってすぐ私は夕食を断ってベッドに入ったのだ。

 しかし、もちろんすんなり眠りにつけるわけもなく、年上の婚約者にあらぬ疑いをかけらたという困惑と、言ってはいけないことを言ってしまった後悔で一晩中わんわん泣いた。


(シルヴァ様のこと、信頼できるかもって思ってたのに……)


 まさかあんな突拍子もない疑いをかけられるほど、私への信用がないなんて思ってもいなかった。そのことが何より辛い。

 やがて、私が起きたのに気づいたゾーイとミミィが、騒々しく入ってきた。二人とも心の中では心配しているのがありありとわかるけれど、私を元気づけるために、努めて明るく振る舞ってくれているのだ。


「朝食をまず食べましょうね。お腹を空かせていると考えが暗くなりますから」

「お嬢様の好きなお茶も淹れましたよ!」


 そう言って、ゾーイとミミィは朝食をすすめてくる。私は黙って頷いてテーブルについた。二人はいつも通りに接してくれた。その気遣いがありがたい。お腹が空いていたせいで、あっと今にいつも以上の朝食を食べ終えてしまう。ゾーイとミミィはとりあえずホッとした顔をした。

 空腹を満たし、落ち着いた私の隣に、ゾーイはそっと腰を下ろした。


「さて、理由を聞きましょうか。シルヴァ様になにか言われましたか? それとも、なにか悲しいことがありましたか?」


 ゾーイが頭を撫でながら私をそっと抱く。私はゾーイに肩にもたれて、促されるままに理由を説明した。ミミィはせっせと私の涙を拭きながら、熱心に頷く。

 アベルのことまで言及した時、ゾーイとミミィは心配そうに顔を見合わせたものの、シルヴァとの言い合いにまで話が及ぶと、二人は同時に「ああ……」というため息に似た声をあげた。


「うーん……まあ、要するにお二人とも言葉足らずで喧嘩をされたんですね!」

「喧嘩、したのかなぁ……」

「それが喧嘩じゃなかったら、いったいなんだって言うんですか」


 優しく、そしてどこか生暖かい目でゾーイとミミィは私を見つめて、かわるがわる私を撫でる。


「私が悪い……?」


 戸惑いながらそう聞いてみれば、ゾーイはただ苦笑して私を諭した。


「エリナ様、男女の喧嘩というものは、どちらが悪い、なんて簡単な問題ではないんですよ」

「なにそれ……」


 私は不可解な顔をする。そんな私に、ゾーイとミミィはただただ優しい顔をしただけだった。


「まあ、なんにせよ、喧嘩なんてお二人が必ず通る道ですから。お二人で乗り越えなくてはいけません」

「私たちが出る幕はありませんね~」

「ミミィの言う通りです。ゾーイはいつも冷静で聡明なエリナ様が、やっと人間らしい悩みを持つようになったことが嬉しいですよ」


 ニコニコ笑いながら、ゾーイはいそいそと部屋を出た。ミミィも、いつも通り私を鏡の前に座らせ、長い髪を丁寧に櫛でまとめていく。気分は最悪だけど、今日もあいにくこなすべき来客の予定がある。

 私の髪を結びながら、ミミィは鏡越しに心配そうにこちらをじっと見つめてきた。


「わーお、お嬢様、改めて見るとだいぶ目が腫れてますねぇ……」

「大丈夫。明後日のパーティーまでには、なんとか気合で腫れた目くらい元通りにする。心配しないで」


 鏡に映った私は控えめに言って酷い。一晩中泣いたせいで目はパンパンに腫れ、翡翠色の瞳はほぼ見えないくらいだし、鼻の頭は真っ赤だ。

 腫れた目をどうにかしようと、とりあえず手の甲でごしごしと目をこすってみたものの、瞼は赤くなるばかりで、状況は分かりやすく悪化した。やがて、ゾーイが水にぬらしたタオルを持ってきて、優しく私の目に当てる。火照った瞼に気持ちがいい。


「泣いた後にはむやみに目をこすってはいけませんよ。こうやって、冷たいタオルと温かいタオルを交互にあてると、腫れはすぐに収まりますからね」

「知らなかったわ。ありがとう」


 私は大人しくゾーイに言われた通りに目を冷やす。こんな状態になるまで泣いたのは生まれて初めてだ。前世でも、ここまで泣いたことはない。

 少しぬるくなった冷たいタオルを温かいタオルに変えたゾーイが、私の肩に手をおいた。


「早くシルヴァ様とは仲直りできるといいですね。ダンスパーティーは最初だけでも婚約者の方と一緒に行くのが決まりですから、その時までにはなんとか解決なさらないと!」

「……うう、会いたくないなぁ。あんなこと言ってしまった手前、会うのは気まずいもの」

「ならば手紙はどうです? 文字にしたほうが、気持ちをうまく伝えられるかもしれませんよ」

「うーん、手紙かあ……」


 文字にしろ、実際会って謝るにしろ、現時点で自分の気持ちをうまく伝えられる自信がない。正直なところ、未だに自分の中で今回のシルヴァとの言い合いの件は心の中で整理がついていないのだ。

 ……というより、なんで私があんなことを言ってしまったのか、あんなに取り乱したのか、自分でもよくわからなかった。いつもの私なら、もっと落ち着いて話し合いができたはずだ。らしくもないことをしてしまった。


(出会ったばかりの時に、シルヴァ様が誰と付き合おうと気にしないって言ったのは私だったのに……)


 昨日は気付いたら、売り言葉に買い言葉で、シルヴァの女性関係を指摘してしまっていた。矛盾したことを言った自覚はある。

 そもそも、シルヴァの過去の女性関係を嗅ぎまわるような真似をしていた理由も、リスク管理のためだった。端的に言えば、シルヴァを想うご令嬢とめんどくさいことにならないように、できるだけ先んじて手を打っておきたいと思っていただけだ。決して昨日のようにシルヴァを傷つけるような言い方で、責めたかったわけじゃない。


(でも、そもそも喧嘩を売ってきたのはシルヴァ様だし。あんなことを言われたら、そりゃ誰だってムキになって反論すると思うけど……)


 こちらの言い分を聞かず、アベルと私がひそかに思い合っていると勝手に決めつけて、責められたのはどうしても許せない。こちらの気も知らないで、よくもまあペラペラと人を責めてくれたものだ。

 そこまで考えた私は、ふと首を傾げた。


(うん? ……あれ、『こちらの気も知らないで』ってどういう意味……? そもそも、私はシルヴァ様に対してはなんの感情も抱いてないはずだよ、ね……?)


 出会った当初は、軽薄で油断ならない人物だと思った。王子様のようなルックスに、紳士的な態度、そのどれも全てが胡散臭かった。だから、苦手だった。できれば、遠ざけたいと思った。

 しかし、時がたち、シルヴァを深く知るにつれ、少しずつ考えが変わっていったのだ。

 飄々としていて、物事に頓着しないように見せかけて、本当はすごく心配性で、世話焼きなところがある、年上の婚約者。私をサポートし、ピンチの時は命がけで守り、いつもそばで面白がったり焦ったりしながら、微笑んで見守ってくれる人。

 思い出と一緒に、シルヴァの表情を思い浮かべると、少し胸が苦しくなる気がするのは何故だろう。そして、普通なら受け流せる疑いの言葉に、あんなに傷ついてしまった理由は。

 明確な答えが見つからないまま、私はしばらくモヤモヤした感情の名前を探す。だけど、そのうちに、喧嘩した相手のことをなんでこんなに熱心に考えているんだ、と思わないわけでもないわけで――……


「っていうか、やっぱりシルヴァ様がまず謝るべきなんじゃないの!?」


 思わず口に出してしまった言葉に、


「どっちもどっちです」


 と、そばにいたゾーイとミミィにきっぱり断定され、私はがっくりと肩を落とした。

主人公が恋心を自覚するまであとどれくらいかかるんでしょうか!


10万pv突破しました。いつも読んでくださってありがとうございます!

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