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65.早朝の逃亡

「ここに、孤児院があったはずなのに……」


 私は困惑してあたりを見渡す。たしかに、エタ☆ラブではこの場所に孤児院が建っていたのだ。場所も、記憶違いではないはず。

 私は首を傾げつつ、廃墟のある敷地に足を踏み入れた。足元は悪く、草は伸び放題で、だいぶ荒れている。横を歩くオスカーが端正な顔をしかめて嫌そうな顔をする。


「ココ、キライ。……コゲた、ニオイ、……スル」

「焦げた臭い? 何かがここで焼けたってこと?」


 私は目の前の廃墟を見上げる。

 昇り始めた太陽の光にほのかに照らされる廃墟は、よくよく見ると、見覚えのある建物の形をしていた。


「……ねえ、これ、ボロボロで分からなかったけど、よく見たら孤児院だわ。でも、火事で燃えてしまったみたい……」


 見るも無残な姿になってはいるけれど、土台や特徴のある屋根は、ゲームで見た通りのジルの育った孤児院だ。ただ、どうやら火事にあったらしく、壁は煤で真っ黒に汚れ、焼け落ちた木製の骨組みがそのままになっている。


(どうしてこんなことに……)


 私はしばらく廃墟の前で立ちすくんだ。

 エタ☆ラブで、孤児院が火事になったという話は聞いたことがない。もしかしたら、この世界は、エタ☆ラブの世界だけれど、ゲームのストーリーはだいぶ変わってきているのかもしれない。

 それでもジルに関する手掛かりをどうにかして掴みたくて、私は意を決して廃墟を調べ始めた。あまりこの場に長くとどまりたくはないけれど、せっかくここまで来たのだから、手ぶらで帰りたくはない。

 廃墟の裏手に回ってみると、そこには土台と焼け落ちた建材や瓦の破片だけの、やけにがらんとした空間がひろがっていた。当然、ずっと探しているジルはおろか、他の孤児たちも、この場所に住んでいる様子はない。

 廃墟の壁にはすでにツタが生い茂り始めていて、火事があって廃墟になってから、それなりの年数が経ったことがうかがえた。そのせいか、この場所が孤児院だったころの痕跡はほぼ皆無で、あったとしても時々、割れた皿やビンの欠片が落ちている程度だ。ジルに関する手掛かりは、なにも掴めそうにない。

 私はモヤモヤした気持ちのまま、重いため息をついた。


「……そろそろ、帰ろう」


 帰りが遅くなってしまうと、ゾーイやミミィが私がいないことに気づいて大騒ぎになるに違いない。急がないといけないことは確かだ。

 諦めて帰ろうと踵を返した私の腕を、オスカーが突如掴む。


「ェ、……リナ!!! ダレ、カ……キタ!」


 私はハッとして反射的に身をかがめた。今していることは確実に不法侵入だ。誰かに見つかるとまずい。

 オスカーは、スン、とあたりの臭いを嗅いだあと、低く唸った。


「……チカ、イ」

「こんなところに人が来るなんて……。とりあえず、ここに隠れてやり過ごしましょう」

「……ゥ、ン」


 私たちはなるだけ目立たないように、壁際の暗がりに身をひそめる。

 オスカーの言った通り、やがて静かすぎる廃墟に誰かの足音が響いた。足音は一人分だ。時々金具の擦れる音がするから、この街の治安を守る憲兵かもしれない。見つかれば確実にしょっ引かれるだろう。

 警戒した私は壁際にいっそう身を寄せる。壁を触った私の指先に、違和感があった。


「……ん、あれ?」


 私は身を隠していた壁に目を向ける。そこは、消失を免れたらしい壁紙がそのまま残っており、他の場所よりも状態が良い。

 目を凝らすと、私が手をついていた場所に、子供が書いたような落書きがあった。

 

「これは……」


 消えかけてはいるものの、ぐにゃぐにゃの線で二人の男の子と女の子の絵が描かれている。

 そして、その下には、拙い字で名前が書いてあった。


「……ヘンリックと、ジル……!」


 私は思わず声を漏らす。ヘンリックは、エタ☆ラブの攻略キャラクターの一人で、孤児院で一緒に育ったジルの幼馴染だ。ジルは、もちろん私が探しているジルのことだろう。

 私は、思わず息をのんだ。


「やっぱり、ここにジルはいたんだわ! ジルは確かにこの世界にいる!」

 

 オスカーが驚いて反射的に私の口に手を当てたものの、一歩遅かった。

 案の定、私たちを追ってこの廃墟にやってきた誰かが、私の声にすぐに反応する。こちらに向かってくる足跡がどんどん近くなる。絶体絶命のピンチだ。


「そこにいるのは誰だ!」


 聞き覚えのある、低くよくとおる声。私はその声を聞いて一瞬ギクリと固まった。オスカーもあからさまに嫌そうな顔をする。


(まさか、このタイミングで……!?)


 聞き間違えであるように祈りながら、私は顔を隠すためにフードを目深に被る。


「憲兵から、ここに誰かが入って行ったと通報があった! 誰かがいるのは分かっているんだ!」


 疑惑は確信に変わる。この声は聞き間違えようがない。


(あー、嘘でしょ……。なんでこんな時に……)


 私は頭を抱える。

 よりにもよって、ここに来たのは婚約者のシルヴァだった。

 誰にも告げずにここに来てしまった手前、ますます見つかるわけにはいかない。もし私がこんなところにいると知ってしまえば、私は大目玉を食らって理由を聞かれ、確実にめんどくさいことになる。間違いない。

 私はあたりを見渡した。迂闊なことに、退路はシルヴァのいる方向の一か所のみ。その上、今立ち上がれば確実に見つかってしまうだろう。このままじっとするにしろ、逃げるにしろ、シルヴァとはどのみち対峙することになる。

 緊迫した雰囲気のなか、オスカーが歯をむき出しにして唸った。


「コロス、か?」

「えっ、物騒なこと言わないでよ! ダメに決まってるでしょ!」


 私は慌ててオスカーのがっちりした肩を掴む。そうでもしないと、殺気立ったオスカーが一目散にシルヴァに向かって飛び出して行ってしまいそうだった。


「大人しく出てこい! さもなくば、どうなるかわかっているんだろうな!」


 シルヴァは、鋭い声で相変わらずこちらに警告し続けている。いくら聡明なシルヴァでも、暗がりに隠れているのがまさか自分の婚約者だとは思ってはいないはずだ。

 私は頭をフル回転させた。


(今はこの姿だし、一瞬すれ違うだけなら、シルヴァ様は私に気づかないはず)


 私はとっさに思いついたアイディアを、オスカーにだけ聞こえる声で伝える。あまり気乗りはしないけれど、とにかくやるしかない。


「いち、にぃ、さん――ッ! 行くわよ!」


 私は、オスカーに合図して、暗がりから転がり出た。

 すぐに、物音に気付いたシルヴァがこちらを向く。漆黒の瞳が、一瞬こちらを見て、驚いたように見開かれた。


(シルヴァ様、ごめんなさい!)


 私の思いついた作戦は、相手の意表をついて飛び出し、魔法をぶつけて驚かせた隙に正面突破する、という極めて単純シンプルなものだった。というか、それしか考えつかなかったのだ。

 成功するかどうかは、私がうまく魔法をつかえるかどうかにかかっている。私は、うまくいくように祈りながら、手にグっと力をこめた。

 一瞬、心の中がシン、と静かになって、すぐに手の中が温かくなる。そして、私は目の前で不自然に硬直するシルヴァに向かって風を放った。


「!?」


 私の魔法をまともに食らったシルヴァの身体が、後ろざまに吹き飛び、そのまま隣の家の植木につっこんでいった。私は悲鳴をあげる。


「えーーーッ、ちょっと待って、思ったより強かった!」

「ェリ、ナ!」


 慌ててシルヴァのもとに走り寄ろうとする私を、オスカーが無理やり肩に抱え、軽々と垂直に跳躍した。風で私の身に着けた天鵞絨のローブがバサバサとはためく。そして、視界が開けた時にはすでに、隣家の屋根の上だった。

 私はオスカーの肩の上で足をバタバタさせる。


「待って、オスカー! シルヴァ様が……!」

「……シンデ、ハ、ナカッタ」

「えっ、なら良かっ……。いや、良くないでしょ! だってめっちゃ吹き飛んだよ!?」


 騒ぐ私を無視して、オスカーは早朝のブルスターナの街の屋根から屋根へ、猛スピードで駆け抜ける。朝の鐘が鳴るころには、私たちはアイゼンテール家のタウンハウスにたどりついていた。

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