60.騎士たち
先ほどまで熱闘が繰り広げられていた競技場は、夕日に照らされていた。すでに騎士たちは帰路についたらしく、人もまばらだ。
私は小さくあくびを漏らした。
(なんだか、今日はいろいろあったなあ……)
ブルスターナの大魔女、グラヴィスの指摘でついに私の魔法の属性が分かった。それは、「虚の魔法」。夜の国の魔物たちの使う魔法と同じ属性だ。
本来は自分の属性が分かったのは喜ぶべきことだが、事情が特殊すぎて喜ぶに喜べない。夜の国は、この国では忌み嫌われている。現に、姿を暴かれたオスカーは、その正体が夜の国の魔物だとわかった途端、ユフディに排除されかけた。
しかも、ひょんなことからシルヴァの過去まで知ってしまったわけで――……
「ああ、もう、なんかパンクしそう……」
順に今日の出来事を思い返するのをやめて、私は空を見上げた。空は赤く染まっている。太陽も、もう少しで沈みそうだ。
お腹をみせて寝ていたオスカーが、私が動いたのに気づいてむくりと頭をあげた。抱き上げてほしそうに鼻を鳴らすので、そっと抱き上げる。オスカーは嬉しそうに尻尾を振り、私の肩に顎をのせ、ふー、と息をはいた。
私はオスカーだけにしか聞こえない声でささやく。
「ちょっと、前々から思ってたけど、その仕草すごい人間……、っていうか、おじさんっぽいからやめたほうが良いわよ。正体がバレちゃったらどうするの?」
「…………ヤ、ダ……! ダ、ダレモ、……ゥ……キヅイテ……ナイ……」
「ヤダじゃないの!」
私が小声でしかりつけたのを、オスカーは「わん」と言ったきり無視した。ただの普通の犬だと思って喋っていた時は特に気にしなかったけれど、話が通じるとわかるとなんとなく子憎たらしい。
オスカーに文句の一つでも言ってやろうと思ったその時、競技場に私を呼ぶ声が響いた。振り返ると、見慣れた姿がこちらに手を振りながら優雅に歩いてくる。
「シルヴァ様、お疲れ様です」
「俺の活躍、見ていてくれたか?」
「ええ、すごかったです」
「お褒めに預かり光栄の至り。待たせてすまなかったな」
「いえ、見学できて楽しかったですよ」
私は立ちあがろうとすると、シルヴァはおっと、と言って私を再び座らせた。怪訝そうな顔をする私に、シルヴァが苦笑してみせる。
「いま競技場に出ると、俺の仲間たちに囲まれるぞ。あいつら、エリナに興味津々なんだ。もう少しここで時間を潰そう。むさくるしい野郎どもに囲まれてからかわれるのも不本意だろう」
「なるほど、わかりました」
「すまないな。理解が早くて助かるよ」
そう言って、シルヴァは私の隣に座った。しばらくここでしゃべって時間を潰すことになりそうだ。
「なあ、エリナは騎士団長とずっと二人で話していたな。どんな話をしていたんだ?」
「うーん、いろいろと。婚約パーティーのお礼をやっと言えました。それから、シルヴァ様のこと、騎士団長はたくさん褒めてらっしゃいましたよ」
「ええっ、団長が!? 俺のことを褒めた!? なんだそれ、ちょっと怖いな……。明日には雪、いや、槍でも弓でも降るんじゃないか?」
シルヴァは若干不安そうな顔をして腕をさする。私は微笑んだ。
「騎士団長はすごく良い方ですね」
「うーん、まあな。俺はなんだかんだで、あの人に頭が上がらない。あの人は俺が小さい頃から俺を知っているからな」
「……あの、騎士団長からニーアマン伯はシルヴァ様を長らく不当な扱いをしていたと聞きました。私は、そのことを知らずに何か失礼な物言いをしてしまったりしていませんか?」
「エリナは律儀だな。しかし、そういったことをエリナに言われた覚えはないし、言ったとしても気にしなくていい。俺が話していなかっただけだ」
「でも……」
「母親は早くに亡くしたし、父親は確かに冷たかったが、年の離れた二人の兄上は常に俺を気にかけてくれたし、優しかった。それだけで俺は十分。だから、心配ご無用だ」
私を見つめるシルヴァの漆黒の瞳は、穏やかだった。取り繕ったり嘘をついたりしている様子はない。とりあえず、私はホッとする。
「私、団長と話していて、シルヴァ様のことなにも知らないんだなって気づきました。今度からは、色々教えてくださいね」
「お、やっと俺に興味を持ってくれたな」
「そんな、私がシルヴァ様に興味がなかったみたいな言い方やめ……」
そこまで言って、私は話をやめる。シルヴァのちょうど後ろの物陰に隠れて、こちらを覗きみる騎士たちと目が合ってしまった。騎士たちの目は好奇心でらんらんと輝いている。私は咳払いしてシルヴから少し距離を置く。
私が挙動不審になったことに気づいたシルヴァが、訝しげに振り向いてすっとんきょうな声をあげた。
「お、お前ら、なにやってんだよ!!」
騎士たちに気づいたシルヴァは立ち上がる。物陰にいた騎士たちがわらわらと出てきた。あの狭い物陰によくもこんなにも、というほど大量の騎士が現れて、私は言葉を失う。バレては仕方ない、とばかりに、騎士たちは一斉にはやし立てた。
「もどかしいな! 手くらい繋げよ!」
「いや、キスだろここは!」
「いやいや、見つめあって喋ってる姿もなかなか……」
やんややんやと好き勝手に言いまくる騎士に、シルヴァは苦い顔をしてこめかみを抑える。そんな中、アッシュブラウンの髪をポニーテールにしたグラマラスな女性騎士が私の近くにツカツカと寄ってきて私の隣に座った。何とも言えない清涼感のある匂いがふわりと鼻孔をくすぐる。
「いいじゃない、シルヴァ。あんたがどうしても急用ができて抜けるって言うから、試合の順番変わってあげたのに」
「……今度奢る。これで借りはなし、という話だっただろ」
「そうもいかないわよ。こんなかわいい子を連れてきちゃったんだから」
女性騎士は悩ましいためいきをつく。動作の一つ一つが妖艶で、同性の私でも見惚れてしまう。
「大変ね、お嬢ちゃんも。シルヴァは、どうでもいいと思ってる子の扱いはうまいけど、本命の子には不器用になるタイプなのよ。ゆっくり付き合ってやってね。それより、これから暇? お姉さんと一緒にイイコトしない?」
「アンジェリカ、黙ってろ! 人の婚約者に手を出すな!」
「やーだー、私だってかわいい子としゃべりたぁい。あのアイゼンテール家のお姫様なんてなかなか会えないもの」
アンジェリカと呼ばれた女性騎士に抱き寄せられ、色気にあてられてクラクラする私を、シルヴァは無理やり引っぺがす。アンジェリカはそれでもなお、シルヴァにかばわれている私の頬を楽しそうにつついた。
「婚約パーティーでも思ったけど、本当にかわいい子ね。ねえ、ここはむさ苦しい場所だけど、貴族社会に息が詰まったらいつでも遊びにいらっしゃい? 入団も大歓迎よ。お姉さんと楽しい騎士団ライフ、どう?」
「馬鹿なことを言うな! エリナは身体が弱いんだぞ」
アンジェリカはシルヴァを無視し、妖艶な唇の両端をつりあげると、ひらひらと手を振ってさっさと去っていく。どうやら言いたいことは言い終わったらしい。ワイワイ外野でさわぐ騎士たちに、シルヴァはしっし、と手を振った。
「お前らも散れ! 俺の婚約者は見世物じゃないんだ!」
ブーイングが起こったものの、シルヴァが黙って一睨みすると、騎士たちは渋々といった様子で名残惜しそうに去っていく。何人かの騎士は、私に親しげに微笑んで手を振ってくれた。そんな騎士たちに控えめに手を振り返しつつ、全員の姿を見送ると、あたりは一瞬で静かになった。シルヴァは長いため息をつく。
「すまないな。アイツら、暇なのか……?」
「シルヴァ様のことを気にしているんですよ。……婚約パーティーの時にお会いした時は、なんだか近寄りがたい印象を受けましたが、本当は皆さん、気さくでいい人たちなんですね」
「エリナは優しすぎる。……さて、家に帰るか。俺がタウンハウスに送ってもいいが、馬車を呼ぶか? 疲れているだろう」
「……えっと、そうですね……」
私は一瞬言葉に詰まった。今の今まで忘れかけていたけれど、そういえばゾーイを通してローラハム公に渡されたコサージュに見せかけた盗聴器を壊してしまったのだ。シルヴァをすぐに研究所に送ってきたことを鑑みると、ローラハム公はすでに何か勘づいている。
(まあ、帰るのが遅かれ早かれローラハム公からの追及は免れないんだけど……)
家にすぐ帰るのは気が引けた。多少は言い訳を考えて帰ったほうが良い気がする。
シルヴァが訝しげな顔をした。
「どうした、馬車は嫌か?」
「……すみません、今日は帰りたくないんです」
とっさに口をついて出た私の言葉に、シルヴァは驚いたような顔をして固まった。一瞬気まずい沈黙が流れる。
私はしばらくして、貴族令嬢らしからぬ発言をしてしまったと気づく。時は夕刻、日が落ちようとしている中だ。これでは、「夜も一緒に過ごしませんか」というお誘いのセリフに他ならないわけで。
(や、やだ、私、無意識のうちに恥ずかしいこと言っちゃった!)
思い返せばこのセリフは、別の世界の少女漫画でも、この世界の恋愛小説でも読んだことがある。付き合いたての恋人たちが言いがちなセリフだ。
「あの、そういう意味ではなくて! あっ、そういう意味っていうのは、えっと!!」
私が慌てて言いわけをする前に、まるではかったようなタイミングで私のお腹が鳴った。しかも、かなり大きな音で。
あたりが一瞬静まりかえった。
固まっていたシルヴァが吹き出して笑う。
「ああ、俺の婚約者殿にしては珍しいこと言ったと思ったら、なるほどな」
「こ、これは! お昼ご飯を食べてないんです! 朝も軽食でしたし! それで……」
帰宅を遅らせたい言い訳として空腹であることは妥当かもしれないけれど、これではあまりに恥ずかしい。私が真っ赤になって言い訳しようとするのを、シルヴァは笑いながら遮った。
「俺がいきなりあの研究所から連れ去ったのが悪かったよ。……ッフ、フフ、すまなかったな」
「し、シルヴァ様、そんなに笑わないでください!」
私が憤然と食って掛かると、お腹が再度鳴る。忌々しいことに、私のお腹の虫は一度鳴り始めると止まらないタイプだ。シルヴァは私の鳴り続けるお腹の音に笑いを一瞬こらえたものの、耐えられずに笑い始める。
「いやあ、春には立ち上がることすらできなかったあのエリナが、こんなに元気になってくれてなによりだ。さあ、何が食べたい?」
「……すぐに食べられるもので」
「了解。俺はエリナと一緒にいられる時間が増えて嬉しいよ」
シルヴァは笑いすぎて涙目になった眼を優しく細めて、私の頭を軽くポンポンと叩いた。





