54.研究所へようこそ(1)
「ああ、この寒さ、冬って感じがする~!」
そう言いながら、鏡台の前で身体を震わせると、ミミィが気をきかせてひざ掛けを渡してくれた。
ここ最近のブルスターナは、急に朝晩が寒くなってきている。私の足にもたれかかってきたオスカーの体温が心地良い。
「お嬢様、今日はどんな髪型にします?」
「今日は動きやすいように一つにまとめてもらえない? グラヴィスちゃんのところに行くから」
ミミィは分かりました、と頷くと、手早く私の癖のある銀髪をまとめながら楽しそうにお喋りを始める。
「今日はあのゾーイ様を激怒させた大魔女様に会う日なんですね。ということは、前回大魔女様がこのタウンハウスに来てからもう1週間経っているんですか。早いですね」
「本当に! ブルスターナに来てから日々があっという間に過ぎていっちゃう」
「なんだかんだで、お嬢様も忙しいですからね~。オルスタにいた時と大違い!」
私はミミィの言葉に頷く。
オルスタのアイゼンテール家の城にいた時は、用事なんて1週間に3回あれば多いほうだった。暇を持て余した私は厨房に行っては料理教室を開いたり、姉のルルリアと恋愛小説の読書会をしたりしたものだ。
しかし、ブルスターナにいる今は、何かと忙しい日々が続いている。
私は今後のスケジュールを思い出して、指折り数え始める。
「評判のいいお医者様の診察に、貴族たちへの挨拶回り、はてまたルルリアお姉さまのおつかいに、お茶会、非公式のパーティー……」
「昨日はお医者様をはしごしましたし、こうも毎日予定があるとさすがに疲れていませんか? ブルスターナにはお嬢様は療養に来られたはずだったのに、療養どころか慌ただしく動かれていて、ミミィはまたお嬢様がお体を壊さないか心配ですよ」
鏡越しに目が合ったミミィは、気づかわしげな顔をした。春に私が体調を崩して寝込んで以来、楽観的なミミィも、私の健康面だけは何かと心配性になってしまった。
私は微笑んで首を振る。
「ううん、身体のほうは大丈夫。ゾーイもうまく調整してくれてるから。それに、私はオルスタにいるより、ずっと楽しいわ」
「良かったぁ! 実は、私もそう思ってました!」
明るい笑顔でミミィは素直にそう答え、私もつられて微笑んだ。
ミミィは生まれてからずっとオルスタから出たことがなかったのだ。薔薇の街ブルスターナの全てが、好奇心旺盛なミミィの大きな瞳には新鮮に映るらしい。
おしゃべり好きのミミィが、それにしても、と言葉を繋いだ。
「大魔女様がタウンハウスに来た日からずっと、ゾーイ様が不機嫌だと思いません? なんとなくここ最近上の空ですし、よっぽど大魔女様はゾーイ様を怒らせちゃったんでしょうね」
「そうねえ。部屋をめちゃめちゃにした罪悪感もあるだろうし……」
「ああ、そうですよね。ゾーイ様が魔法使うくらいだから、よっぽど腹を立てちゃったんですよ。でも、ミミィだってお嬢様の悪口を言われるのを聞いたら絶対ゾーイ様みたいに怒ります!」
「ふふふ、ミミィが怒っても怖くなさそう」
「そうですよね~。うーん、ミミィも魔法が使えたらよかったのに」
ミミィが頬を膨らませた時、部屋の扉が開いた。ゾーイが扉の隙間から顔を覗かせる。
「エリナ様、馬車の準備ができましたよ。そろそろ出発いたします」
「はぁい!」
私はミミィが髪結い終わっていることを確認して立ち上がった。足元で寝ていたオスカーを私は抱える。
オスカーは一瞬私の腕から逃げようとしたものの、私がじっとするように頼むと、甲高い声で一声鳴いて大人しくなった。
「今日はオスカーも連れていくね。じゃあ、行ってきます!」
「はぁい、お気をつけて」
ミミィに見送られて、軽い足取りで私はタウンハウスを出る。玄関前のポーチには、馬車とゾーイが待っていた。
私はゾーイがさっと私の全身をチェックして、軽く頷く。
「今日も変わらず、可愛らしいですわ」
「うふふ、ありがとう」
「あの、お嬢様にはこれを……」
そう言って、ゾーイは私の胸に赤色の薔薇のコサージュをつけた。花弁の中心には、きれいな琥珀色の石があしらってある。
今日の服は淡いピンク色の簡易的なドレスのため、妙にコサージュの赤色が浮いてしまう気がして、私は首をかしげる。
「あの、ゾーイ、このコサージュは今日の服には少し派手すぎるように見えるけど」
「これは、その、……お守りのようなもの、だと思うのですが……」
妙に歯切れの悪いゾーイの一言に、私は首を傾げた。
「そうなの? ありがとう」
私はとりあえず頷くと、ゾーイが急かすように私の背中を押して馬車にのせた。私は馬車の中で首を傾げる。ゾーイは心配性だから、何が何でもグラヴィスの研究所に行くのは止めるかと思ってた。
(なんか、ゾーイがおかしかったような……)
気のせいかな、と独り言ちてみたものの、やがて馬車が走り出すとオスカーがなぜか怯えたように鳴きだしたため、私の胸からその疑問はすぐに消えてなくなってしまった。
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「ここが、研究所……?」
ポーリの手紙に書いてあった住所を訪れた私は、少し首をかしげた。
ブルスターナの繁華街からは少し離れていて、閑静な住宅地のような場所だった。そして、指定された住所に鎮座する建物も、研究所というよりはむしろ、普通の古い石造りの住居のように見える。
落ち着かない様子でオスカーが私の足元をグルグル回った。
「オスカー、さっきから怯えてどうしたの? もしかして、グラヴィスちゃんが怖い?」
前回アイゼンテール家のタウンハウスにグラヴィスが来訪した時も、オスカーはひどく怯えていた。私は仕方なく、腕を伸ばしてオスカーを抱きかかえる。オスカーは私の肩に頭を置いて、フー、とため息のような深い鼻息をついた。
ドアベルを鳴らすと、すぐに慌ただしく建物の中から足音がこちらに向かってやってきて、すぐに扉が開いた。
「やあ、いらっしゃい、エリナ君。ヴィーフ研究所によく来なさった。儂はユフディ・ヴィーフだ。ポーリから話はかねがね聞いておる」
ユフディと名乗った恰幅の良い老人は、ニコニコ笑いながら私に手を差し出してきた。ライオンのような金髪と白髪が混じったボサボサの髪の毛に、立派な口ひげをたくわえている。
私は思わず驚いて硬直した。
「あっ、あれ、グラヴィスちゃんじゃない……!?」
「んんん? なぜ、大魔女グラヴィスの名前が出たのかな?」
お互い不可解な顔で見つめあったその時、家の奥から誰かが心底おかしそうに笑う声がした。そのとたん、ユフディは苦い顔をする。
「外は寒いじゃろう。とりあえず入っておくれ。その可愛いワンちゃんも大歓迎じゃ。しかし、儂の師匠が迷惑をかけたようじゃな」
「……え、師匠?」
「おうおう、グラヴィスちゃんは儂の師匠じゃ」
どういうこと、と首をかしげながら、促されるままに私は建物の中に入る。ドアは音もなく勝手に閉まった。オスカーが私の腕の中で様子を伺うようにキョロキョロしている。
招き入れられた建物の中は、古い本と乾いた枯れ木の匂いがまじりあったような少し不思議な匂いがした。壁面には所狭しとばかりに本が並んでいる。よくわからない器具が床に置かれ、散らばっていた。控えめに言って、整頓されているとは言い難い部屋だけど、奇妙な居心地の良さがある。
部屋の隅で年老いたヨボヨボのおばあちゃんが、クッションに埋もれるように座っていた。オスカーが一声唸ったが、すぐに静かになる。
老婆は私の視線に気づいたのか、片目を開けた。
「よく来たわね、エリナ。その忌々しい黒犬もちゃんと連れてきて、感心感心」
「えっ、その声は、グラヴィスちゃん……?」
「そうよ」
そう言うと、老婆はゆっくりと立ち上がり、ヨタヨタ歩きながら、奥にある薄暗い部屋に消えていった。
すみません、あまりに長かったので考え直して二つに分けました!





