53.不穏な雰囲気
「本当に本当に本当に、申し訳ございませんでした……」
悲鳴のようなゾーイの声が屋敷中に響いた。セバスチャンが呆れた顔であちこち焦げた部屋を見渡し、傷んだ場所を素早くメモし始める。修繕に必要な費用を算出しなければいけないらしい。
「壁紙は3か所、絨毯は焦げた場所が14か所、それから、ソファは一つ丸々買い替え、ティーセットも……、ふむ、これも買い替えですな」
「あの、セバスチャン、ひとこと言わせてほしいのだけど、ゾーイは悪くないわ。お客様がちょっと変わった人で、ゾーイは私を守ろうとしてくれたの」
「このように室内で魔法を使って、部屋をめちゃめちゃにしなければお嬢様は守れなかったのですか?」
冷静に回答されて、私は言葉に詰まった。確かに、大魔女グラヴィスという大変厄介な相手だったけれど、ここまでしなくても、言葉で退出を促せば従ってくれた気もする。
(まあ、あのままグラヴィスちゃんに喋らせとけば、ゾーイは間違いなく憤死しちゃってただろうしなぁ……)
ゾーイのアイゼンテール家への忠誠心は並々ならぬものがあった。だから、グラヴィスがローラハム公を侮辱し、私をアイゼンテール家の駒呼ばわりしたことに耐えられなかったのだ。
セバスチャンは鼻眼鏡をちょい、と上げる。
「急に来訪したレディの粘り強さに根負けしてこの部屋に通してしまったこのセバスチャンにも非はあります。ローラハム公にはうまく言っておきましょう。修繕の日は職人に問い合わせておきますが、この冬いっぱいかかるでしょうな。お嬢様は別の部屋を使用してください。すでに準備はできております」
「ありがとう、セバスチャン」
「どういたしまして、お嬢様。部屋の修繕にあたり、もし何かご要望がこのセバスチャンにあればなんなりと。この際この部屋の模様替えをしてもよろしいかと。それでは、失礼します」
そう言って、セバスチャンは踵を返して去っていった。ゾーイがセバスチャンの後ろ姿を恨めしそうに見送る。
「セバスチャンはあの忌々しい大魔女と会わずにすんで幸運でしたわ。あのローラハム公への数々の侮辱を聞けば、セバスチャンだって私と同じように、いえ、私以上に怒り狂っていたに違いないのに」
「ゾーイ、グラヴィスちゃんの一件はあまり気にしないで」
「……エリナ様」
「それより、すごいじゃない! すごい魔法が使えるのね」
ゾーイは私の言葉に自嘲するように笑う。
「貴族ですから、魔法は一通り使えます。とは言っても、私も未熟者ですから、力がまったくコントロールできないので、実生活では役に立ったことは一度もないのですけど。役に立つ場面といえば夫婦喧嘩くらいですわ」
「なんというか、ずいぶん派手な夫婦喧嘩ね……」
私が苦笑すると、ゾーイはつられて微笑んだ。
「昔は夫婦喧嘩以外にも、私たち貴族たちはもっと魔法を頻繁に使っていたのです。私の祖母もよく魔法に失敗して、かまどに火をいれようとして台所を吹き飛ばしていたと聞いています」
「台所を吹き飛ばす!? それは大変ね。……でも今は、そんな話聞かないわ。貴族たちが魔法を使う機会ってほとんどないわよね」
「ええ、今は魔術具が普及しましたから、魔法を使わずとも生活できます。便利な時代になりましたわ」
「ああ、それ、ポーリの授業でも少し聞いたわ」
ゾーイがグラヴィスに向かって使ったような「魔法」は人間が感情から生まれるエネルギーと魔力を使って行使する力であるのに対して、「魔術」とは契約や呪術によって魔力をほとんど使うことなく行使される力のことを指す。
このカウカシア王国は、魔法使いによって建国された国だ。そのため、魔法を使える魔法使いたちが貴族になり、あらゆる特権を得てきた。しかし、この100年で魔術がすさまじい勢いで発展し、状況が変わってきている。魔術を利用した道具は魔術具と呼ばれ、魔術の発展とともに魔術具もどんどん便利になっていった。今では魔力をほとんど持たない平民でも魔術具の使用は可能なほどだ。
そして、同時に、魔術具が便利になり、大衆に受け入れられれば受け入れられるほど、一定量の訓練が必要な魔法は廃れていく一方なのだという。貴族の特権は形骸化しつつある。
「このまま魔術具が発達すれば、いつか魔法は必要なくなる未来が来るのかもしれないわね。そしたら、魔法が使えるからって貴族は今みたいに偉ぶれなくなっちゃう」
「さすがエリナ様、鋭いですね。現に、今は資金にモノを言わせて貴族になった、魔法の使えない商人上がりの成り上がり貴族たちも増えていますから……。嘆かわしいことに、魔法によって栄えたこのカウカシア王国の伝統は、段々崩れつつありますわ」
「伝統も、時代にあわなければ廃れていくのは当然だと思うけれど……」
「エリナ様はローラハム公と全く違うお考えをお持ちなのですね」
「ローラハム公の考え、ねえ。正直わかりあえる気がしないかな」
私がそう応えると、ゾーイはふいに険しい顔をしてこちらを見つめた。
「エリナ様、あのグラヴィスとかいう性悪の魔女が言ったことを、真に受けていませんか?」
「えっ……」
「昔はどうであれ、エリナ様のお父様であるローラハム公はたゆまぬ努力で貴族の伝統である魔法を守り続けていますわ。ほかの貴族たちと違い、魔術具の発展に甘受することなく魔法の求道に励むローラハム公こそ、このカウカシア王国の貴族のあるべき姿なのです」
ゾーイの頬がにわかに興奮で紅くなる。
「ローラハム公が夜な夜な魔獣を食べ、魔力を補充しているなどとあの魔女は言っていましたけれど、くだらない噂に過ぎません。エリナ様を傷つけるためにあらゆる嘘をついているに決まっていますわ」
「ゾーイ……」
「エリナ様、お願いですから、来週あの魔女と会うのはお止めになってください!」
懇願するゾーイに、私はあいまいな笑みを浮かべた。
「ローラハム公が魔獣を食べているっていう点については、ちょっと疑わしいけれど、グラヴィスちゃんは人を傷つけるために嘘をつくような人には見えなかったし……」
両親の過去を知る大魔女の言葉はとにかく辛辣だったけれど、それでも真実味があった。なにより、アイゼンテール家の城の中では決して知りえぬ情報だ。
(グラヴィスちゃんに師事すれば、私の正体もわかるかもしれない)
ソフィア・アイゼンテールが夜の国から連れ帰った謎の赤子、エリナ・アイゼンテール。恐ろしいほどの魔力を身体に秘めているとされながら、未だに魔力の属性もわからない、謎めいたアイゼンテール家の末娘。
それに、グラヴィスは私に触れたとき、『夜の国の関係の魔力を持ってる』とはっきりと告げたのだ。その言葉の真意を私は知りたい。ゾーイの心配はもっともだけど、アイゼンテール家の城に手ぶらで帰る気はさらさらなかった。
「エリナ様……」
もう一度、懇願するようにゾーイが私の手をとったその時、ミミィがグラヴィスに怯えて部屋から逃げたオスカーを連れて戻ってきた。オスカーはぐるりと部屋を見待たし、グラヴィスがいないとわかると嬉しそうに部屋を駆け回る。
私はさりげなくゾーイの手から逃れ、ミミィに向かって微笑んだ。
「ミミィ、おかえり!」
「ただいま戻りまし……、って、うわあ、これどうしちゃったんですか!? 部屋中真っ黒こげじゃないですか!」
「あっ、ミミィ聞いて!」
これ幸い、とばかりに私はグラヴィスのことについてミミィに話し始める。ミミィは目を輝かせて、興味深そうに身を乗り出した。あっという間に部屋は和やかな雰囲気に包まれる。
でも、ゾーイは私達の話を聞きながら、ずっと難しい顔をして黙っていた。
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その夜、アイゼンテール家に夜遅く帰ってきた主に、珍しくある人物が声をかけた。
「ローラハム公、お話が……」
夜の冷たい空気を纏ったローラハム・アイゼンテールはゆっくりと振り返る。
「手短に内容を話せ」
「エリナ様について、ご相談があるのです。どうかお時間をいただけませんか」
「あの娘の好きにさせればよい」
「……あっ、あの、エリナ様が夜の国についての知識を得てしまった時、報告しろと前言われましたので……」
「なにぃ?」
ローラハムの眉毛が吊り上がる。怯えたようにゾーイは身を硬くした。
「今日、大魔女グラヴィスと名乗る魔女がここへ来ました。大魔女は、あろうことか夜の国の話をエリナ様に……」
そう言って、ゾーイ・ガナダは深々と首を垂れた。ローラハムは眉間にしわを寄せる。
「大魔女グラヴィスだと? あの女、まだ生きていたのか。しかも、あの娘に夜の国の話を……」
「もちろん、止めようとしたのですよ!?」
「フン、大魔女グラヴィスはお前ごときではどうにもならん。しかし、あの娘が夜の国の知識を身に着けたとなると、油断ならぬな……。……まあ良い。あの娘はまだ利用価値はある。しかし、ある程度は状況を把握せねばならぬか……」
そうぶつぶつと呟いたローラハムは、ややあって胸元から何かを取り出して、ゾーイに渡した。
「これを、エリナへ」
「……これは?」
「この私に向かって無駄口を叩くな。お前はお前の仕事をしろ」
ピシャリと言うと、ローラハムは居丈高にその場を去っていった。その場には、渡された薔薇のコサージュを持って、困惑した顔のゾーイだけが取り残された。





