52.大魔女グラヴィス
「私はグラヴィス。ブルスターナの魔女よ」
急に押しかけてきた漆黒のドレスを着た女性は、ソファの上でふんぞり返ってそう言い放った。ゾーイと私は顔を見合わせる。やはり知らない人だ。
グラヴィスと名乗った赤毛の女性は、不可解そうな顔をした。
「あれ、もしかしてポーリから紹介されてないかしら?」
「ポーリから? ……あっ! もしかして、ポーリの師匠?」
「いかにも! ポーリは私の149番目の弟子よ」
グラヴィスと名乗った女性の答えに、私は少し驚いた。
(ポーリの魔法の師匠っていうから、てっきりヨボヨボのおじいちゃんかと……)
私にオルスタで魔法を教えていたポーリよりも若そうに見える。傍らのゾーイが拍子抜けしたような顔をした。
「あらあら、それはそれは。ようこそお越しくださいました。来週エリナ様がグラヴィス様の研究所にお伺いする予定でしたが、偉大な魔女様自らお越しになるなんて」
「たまたま近くを通ったから、来てみたのよ。それにしても、オタクの執事、このブルスターナに住んでいながら、私のこと知らなかったわよ! 教育がなっていないわ。この大魔法使いグラヴィスに名乗らせようとするなんて、ホント信じられない」
頬を膨らませて失礼しちゃうわ、と呟く魔女に、私はとりあえず頭を下げる。
「わが家の執事の無礼をどうぞお許しください」
「いいでしょう。大魔法使いは寛大ですから、許しましょう」
グラヴィスはそう言って、うんうん、と頷く。そんなグラヴィスを見て、足下のオスカーが怯えたように私の後ろに隠れた。グラヴィスは目敏く私の影に隠れるオスカーを見つけ、軽く睨めつける。
「さっきから気になっていたけど、そこの犬、なぜこんなところにいるの?」
「えっ、オスカーがなにか……」
グラヴィスに睨まれたオスカーは、怯えたようにヒンヒン鳴きながら後退りをする。ちょうどその時、ティーワゴンにお茶とお菓子の類を載せて持ってきたミミィが部屋のドアを開けたため、オスカーはするりとミミィの足の間から部屋から出ていってしまった。
ミミィは訝しげな顔をして近づき、そっと小声で私に話しかける。
「……お嬢様、この人は……?」
「グラヴィス様よ。シルヴァ様関係のご令嬢じゃないから安心して」
「あ、なーんだ! シルヴァ様をめぐって早速修羅場が始まるとドギマギしていたんですが、違ったんですね!」
ミミィはホッとしたように胸をなでおろす。声が大きいわよ、と注意しながら私は苦笑した。
「ミミィ、お茶の準備はゾーイに任せて、外に出てしまったオスカーを探しに行ってくれる? 多分、そう遠くには行っていないはずだから。それから、しばらくオスカーと外を散歩してほしいの。グラヴィス様は、多分、あんまり犬が好きじゃないみたいだから……」
「あっ、はい!」
ミミィは持ってきたワゴンを置いて、足早に部屋を去った。ゾーイが手早くお茶の準備をし始めたため、私は椅子に座る。
私は改めてグラヴィスに向かい合い、頭を下げた。
「失礼しました。犬はお嫌いでしたか?」
「いいえ、好きでも嫌いでもないわ」
「えっ?」
「あの犬のことは追々話しましょう。それより、アナタのことよ。私の愛弟子が『当代一の魔法使いになるかもしれない』なんて手紙をよこすから、気になってたの」
「ポーリが、私のことを? あの、私は自分の属性もわからないへっぽこ魔法使いです。きっと人違いされていると思うのですが……」
「まあ、私の記憶を疑うっていうの? おあいにく様、齢70を過ぎたあたりからちょっと足腰は怪しいけど、まだ頭はまだしっかりしてるわ。失礼しちゃう!」
「えっ、グラヴィス様は70歳を過ぎてらっしゃるんですか?」
「……オッホン、ポーリは他人を過大評価しがちな子なの。大げさに褒めるのはいつものこと」
私の年齢への問いは見事に無視された。どうやら触れてはいけなかったらしい。
それに、とグラヴィスは続ける。
「当代一、いえ、史上最高にして賢くて美しく、偉大なるブルスターナの大魔法使いは、この私! グラヴィスだから!」
「そ、そうですか」
「そうよ。アナタはブルスターナの至高の魔女と会えたのだから、もっと喜びに打ちひしがれて涙を流しても良いのよ!?」
そう言って胸を張って高笑いするグラヴィスに、私は愛想笑いを浮かべて見せた。顔が引きつっていないか心配だ。
(またまた個性的な人が現れたわね……)
このカウカシア王国の首都ブルスターナの大魔女を名乗るとなれば、ここまで自信過剰でなければやっていけないのかもしれない。姉のルルリアも大概自信過剰なところがあるけれど、この魔女はもっとたちが悪そうだ。
ひとしきり高笑いをした後、グラヴィスはややあってゆったりと目を細めて、その蜂蜜色の目をこちらに向けた。
「エリナ・アイゼンテール、アイゼンテール家の謎の多い末娘。私のことは気軽にグラヴィスちゃんと呼んでちょうだいな」
「グラヴィスちゃん、ですか?」
「ええ、そうよ。グラヴィス師匠とか呼んだら承知しないからね! あ、それから、アナタは私の弟子のポーリの弟子なのだから、強制的に私の327番目の弟子になるわ。弟子の弟子は私の弟子でしょう? 光栄に思いなさいな! と、いうことで、私の弟子としてふさわしい振る舞いをして頂戴」
はあ、と私は肯く。全く予期せぬタイミングで大魔法使いの弟子になってしまった。
グラヴィスはゾーイから差し出された紅茶を受け取ると優雅な仕草で紅茶に口をつけながら、上目遣いで私の顔をじっと見つめる。
「ホント、初めて会った気がしないわねぇ。目の色以外は昔のソフィアに瓜二つじゃない。まるでありし日のソフィアに会っているみたい」
「ソフィア、というのは、私の母のソフィア・アイゼンテールのことですか?」
「ええ、そうよ。私の生徒だった時は、ソフィア・ウィルシャーだったけど」
急に母親の名前が出てきた私は驚いた。ソフィアは私の母だ。そうは言っても、春の婚約パーティー以来会っていない。ほとんど部屋から出てこないため、謎の多い人物だ。
「グラヴィスちゃんは、私の母の先生だったんですか?」
「そうよ。私は自分の魔法研究所を開く前、小銭稼ぎにアカデミーの講師をやっていたの。ソフィアとローラハムは、私の生徒だったのよね」
「えっ、ローラハム公も!?」
父と母の出会いがアカデミーだという事実にまず私は驚いた。この身体の持ち主のエリナの記憶にもなかった情報だ。
グラヴィスは昔を懐かしむように遠い目をした。
「ソフィアは私が知っている中で一番優秀な魔女だったわ。まあ、私には劣るけど、それでもこの私がすっごく期待してあげてたのよ?」
「へえ……」
「ソフィアの魔法の才能は目を見張るものがあった。特に夜の国の知識に関しては圧倒的で、この私ですら舌を巻いたわ。飛び級して、卒業後もアカデミーに残って魔法研究を続け、いずれは私のように自分の研究所を持ちたいと言っていたものだけど……」
「……けど?」
「アイゼンテール家に嫁いで、その道は閉ざされた。全く、魔法研究の大きな損失だとおもわない? ウィルシャー家が没落貴族だったことをいいことに、ローラハム・アイゼンテールがアイゼンテール家の権力を振りかざして、無理やり結婚を迫ったらしいじゃない。当然、ソフィアは断れなかった」
「……母のことは、優秀な魔法使いだとは聞いていましたが、本当に優秀な人だったんですね。知らなかった……」
私が思わずつぶやくと、横にいたゾーイが苦い顔をする。
「グラヴィス様、あまりそのような話をエリナ様にされるのは……」
「あら、ローラハムを恐れて庇っているの? あの凡才、大したことないわよ」
「そ、そんな、凡才だなんて! ローラハム公は偉大なお方ですわ!」
ゾーイの声色が怒気に染まる。しかし、グラヴィスは気色ばむゾーイをせせら笑った。
「フン、学生時代のローラハムを知らないのね。あの男は魔法貴族アイゼンテール家には相応しからぬ凡人だったわ。生まれ持った魔力もショボい、真面目なだけで才能もない男。微風一つ吹かせるだけで精一杯だったはずよ」
「グラヴィス様!」
「大魔法貴族の名をほしいままにしていたアイゼンテール家も堕ちたものね。権力欲しさに代々婚姻を結んだ結果、血中の魔力の質が落ちていったんでしょう。そしてその結果産まれたのが、あのローラハム・アイゼンテールという魔力なしの凡人よ。どうせソフィアと婚姻を迫ったのも、強力な魔法使いとしての血が必要だったからでしょう」
グラヴィスのローラハム公への酷評を聞いて、私は不可思議な気持ちになる。この国は魔力を持つ貴族が権力を持つ。そして、ローラハム公は権力を持っていることは、この前の王宮に行った際、まったく政治について門外漢の私でもはっきりとわかった。なんせ皇帝ですら、実の娘を国の議会に連れて行くというローラハム公の常識から外れた行いをはっきり咎められなかったのだ。
それに、婚約パーティーでも確か魔法を使ったと聞いている。皆が目撃した類の魔法であれば、かなり大規模なものだろう。ローラハム公がグラヴィスが言うような魔法使いなら、おそらくそのような魔法は使えないはずだ。
私は首を傾げた。
「……私には、ローラハム公が魔法使いとしての才覚がないとは思えないのですが」
グラヴィスは私の一言に皮肉気に赤い唇をゆがめた。
「はたから見たら、そこそこの魔法使いに見えるでしょうよ。ローラハムは夜な夜な夜の国の魔獣たちを食べて、魔力を補給しているらしから。ああ、考えただけでも気持ち悪い! 忌々しいわ!」
「グラヴィス様! それは、根も葉もない噂ですわ」
横で黙っていたゾーイが一喝する。しかし、グラヴィスは怯むことなく肩を竦める。
「馬鹿げた噂だという人はいるけれど、この私が信じてしまうのだからある程度の真実味があるわ。そうでもしない限り、あの魔力量が著しく劣るローラハムは普通の魔法すら使えないのよ。あのね、エリナ、魔力の量っていうのは、生まれてからすでに決まっているの。訓練しても決して増えることはない」
「そう、なのですか」
「本当はね、エリナ。アナタに会うのも私は躊躇っていたの」
グラヴィスは音もなく立ち上がった。そして、おもむろに手を伸ばすと、私の額に長い指をあてた。抵抗する間もなく、指が当てられた場所からじんわりと熱くなり、頭の中がゾワゾワするような感覚に陥る。
「……ッ!」
「ふんふん、謎の多いアイゼンテール家の妖精嬢は、本当はローラハムが誰かに造らせた擬似人間なんじゃないかって、思ってたの。……だけど、違うみたいね。ま、夜の国の関係の魔力を持ってることは確かだわ。アナタもアイゼンテール家の駒の一つってわけね。弟子のポーリの頼みだから受けたけれど、嫌だわ、あんな男の一助になっちゃうなんて……」
グラヴィスがすべてを言い終わる前に、ゾーイが甲高い声を上げた。次の瞬間、グラヴィスの座っていたソファの上で、まばゆい光がさく裂する。グラヴィスはすんでのところで後ろに飛び上がって避けていた。
(えっ、火球!?)
状況を把握しきれずに呆然とする私をよそに、グラヴィスは楽しそうに笑う。グラヴィスの微笑みの先には、怒りで顔を真っ赤にしたゾーイが立っていた。
「あら、意外。アナタ、『怒』の魔法使いなのね。洗練されていないけど、いい魔力だわ。この大魔法使いグラヴィスの328番目の弟子になる? このグラヴィスがスカウトするなんて滅多にないのよ? 光栄に思ってちょうだいな」
「だまらっしゃい! グラヴィス様! 今すぐに出て行ってください! 今すぐに! ここはアイゼンテール家のタウンハウス、ローラハム公の所有物ですわ。少なくともこの家の中で、主人の悪口を述べることは許しません。そして、エリナ様への侮辱も、私は許しません!!」
「グラヴィスちゃんって呼んでって言ったじゃない!」
まぜっ返すグラヴィスの赤毛スレスレのところを、再び火球が飛んだ。ゾーイが放ったのだ。壁に当たってすぐに火球は眩しい光を放ちながら消える。
グラヴィスは肩を竦めた。
「それじゃエリナ、また来週。今度は犬と一緒にうちに来なさい。犬は嫌がると思うけど、どんなに嫌がっても連れてくること。このグラヴィスの命令なのだから、必ず守りなさい。いいこと?」
「え、待って……!」
「間違っても、その分からず屋の乳母なんて連れてこないでね」
それじゃ、と言って、グラヴィスは急にポン、と消えた。怒った顔のゾーイと、ところどころ焼け焦げた部屋を残して。
小説家になろうのシステムが全く持って分かっておらず、先ほど気づいたのですが、9月11日に誤字脱字を指摘したくださった方、ありがとうございました! 全て変更させていただきました。非常に助かります! 気づくのが遅れて申し訳ありません!





