50.古い友人(2)
「おい、空気を読めよ。お前は立って食え」
シルヴァの不機嫌そうな声に取り合わず、ギルベルトと呼ばれた男性は、シルヴァの隣の席に遠慮なくドッカと腰を下ろし、私に微笑んだ。
「噂のシルヴァの婚約者のお嬢だな。俺はギルベルト・カーシス。カーシス商会で商人をやっている。今後良しなに」
「まあ、カーシス商会の!」
先ほどのブティックで、シルヴァが指名していた商人だと気づいて、私は微笑んだ。
「シルヴァ様とは仲がよろしいんですか?」
「まあ、悪友というやつさ。今日も今日とてうっかり出会ってしまったあたり、やはり腐れ縁というものはすごいな」
そういうと、ギルベルトは不敵にニヤリと笑った。シルヴァはますます苦い顔をする。
「初めまして、ギルベルト様。私はエリナ・アイゼンテールです。北の領土の……」
私が自己紹介をしようとすると、シルヴァは唸るような声で私の言葉を遮る。
「エリナ、この男は無視していい。というか、外のテラスに行こう。ブルスターナの街並みを見ながら、俺たちの将来について話し合おうじゃないか」
「残念だが、さっき俺が見た限りではテラスはいっぱいだったぞ」
席を立とうとしたシルヴァを、ギルベルトは鷹揚に笑いながら制した。シルヴァは悔しそうにギルベルトの隣に座りなおす。そのうちに注文していた料理が運ばれてきたため、シルヴァはますます席を外す機会を失ってしまう。
ギルベルトは遠慮なく運ばれてきた料理に手を付けた。
「そんなに俺を邪険に扱うなよ。そうだ、今日は二人の門出を祝って俺の奢りにさせてくれ」
「うるさい、お前にここで奢られる筋合いはない。しかもお前、商会の経費で落とすつもりだろう」
「フン、カネの出所がどこであろうが、奢るという事実に変わりはないじゃないか」
ギルベルトはそう言いつつ、自然に私の手をとり、上目遣いでこちらを見た。一瞬、ギルベルトの糸目の隙間から鮮やかな緋色の瞳がのぞく。
(珍しい目の色……)
この世界は様々な目の色があるものの、緋色の瞳をもつ人物に会ったのは初めてだ。私の無遠慮な視線を気にしていないのか、私の瞳を見つめたまま、ギルベルトは口を開く。
「いやあ、それにしても美しいお嬢だな。絹のような美しい髪に、宝石のようにきらめく瞳。こんな見目麗しい女の子と婚約できるなんて、シルヴァも果報者だ」
「おい、俺の婚約者の手を放せ。さもないとその手、叩き切ってやる」
ギルベルトは意味ありげにニヤリと微笑むと、私の手をぱっと離し、手をヒラヒラと振ってみせる。
私は微笑みながら少し身体をひいた。
「褒めていただいて光栄です」
「おっと、俺は褒めた覚えはない。ただお嬢について思ったことを言っただけだが、そう聞こえてしまったかな?」
「……いえ、私にはもったいない言葉をいただきましたから」
この馴れ馴れしさといい、歯の浮くような白々しいお世辞といい、会って間もないころのシルヴァにそっくりだ。かなり女性慣れしている様子がうかがえた。自称シルヴァの悪友というのも納得だ。
「それにしても、俺の悪友がいきなり婚約したと聞いたもんだからびっくりしたよ。しかも、俺は婚約パーティーに呼ばれないときた」
「お前なんか婚約パーティーに呼んだら、何を吹聴されるかたまったもんじゃないからな」
「フン、パーティーはせっかくの商談ができるチャンスなんだぞ。お前の過去なんてつまらない話、誰がわざわざするもんか。……まあ、場を和ませる程度には昔のお前のあんなことやこんなことは喋らせてもらうか」
「はあ、本当にお前を呼ばなくて正解だったな」
興味津々で頷く私を軽く制して、シルヴァは深いため息をつきながらこめかみをおさえた。
「ギルベルト、あまり調子に乗っていろいろ喋るなよ。エリナのドレスのアクセサリーを買うのに今回は
お前の商会を指名したが、次からは別の商会を指名してやるからな」
「おっと、アイゼンテール家との大事な商談をなくされては困る。謝ろう。これ以上は口をつぐむよ」
「なんだ、やけに大人しく引き下がったな」
シルヴァは疑わし気にギルベルトを一瞥してしばらくの間黙ったものの、一つため息をつくと、私に料理を食べるように言う。私は興味津々で二人の話を聞いていたため、食べるタイミングを逃していたのだ。
まだ話を聞いていたい気もしたけれど、さすがにお腹もすいていたので、私は目の前にあった魚を煮た料理にさっそく手を付ける。一口食べると、頭から骨まで食べられるほど柔らかい。
「わあ、おいしいですね」
「気に入ってくれて何よりだ。ここの料理屋は隣国のアモデルレ料理の味付けに近いんだ。エリナは舌が肥えているから、気に入ってもらえるかどうか少し不安だったんだけどな」
「なんだか複雑な味がしますね」
「ああ、アモデルレ料理は使っている香辛料が独特なんだよ」
「なるほど。あ、こっちはどんな料理なんですか?」
「これは近海でとれる魚の頭と秋に採れるのきのこ類を煮たものだと聞いている。骨が多いから気をつけろよ。それから、これも美味しいんだ」
シルヴァは少しホッとした顔で微笑んで違う皿を勧めてくる。その様子をみて、ギルベルトは意外そうな顔をした。
「お前はそんな女の子に対して世話焼きな野郎だったか、シルヴァ?」
「余計なお世話だ。お前は黙って食ってさっさと金を払って帰れ」
「おお、長年の友人に対してその仕打ちはひどいじゃないか」
ギルベルトは、わざとらしく泣きまねをして見せる。シルヴァは苦笑してギルベルトを小突いた。シルヴァの口調はキツいものの、本当に嫌がっているわけではなさそうだ。
私はおいしい食事を進めながら二人のやりとりを眺めた。
(二人とも本当に長年の友達って感じね)
二人のよどみないやりとりから、気心が知れていることは十分わかる。話の内容から、相当長い付き合いのようだった。もしかしたら、幼馴染なのかもしれない。
「あの、二人は……」
口を挟もうとしたとき、私は思わずハッと息を呑んだ。目の端でちょうど私達の机の横を通っていたウェイトレスと客がぶつかったのが見えたのだ。ウェイトレスはちょうど両手に料理を持っていて、皿と料理が空を舞い――……
「あっ――……」
「おっと」
予期していたような皿が割れる音はしなかった。ウェイトレスが持っていた皿を、シルヴァがそのすらりと長い手を伸ばし、すんでのところでキャッチしたのだ。遅れて、ウェイトレスが悲鳴のような声をあげた。
「お客様、すみません!」
ウェイトレスが慌ててシルヴァに近づく。ウェイトレスにぶつかった通行人も、心配そうにこちらを見ている
「お怪我はありませんか?」
「いや、大丈夫だ。皿が割れなくてよかったな」
「しかし、お召し物が……」
見れば、シルヴァの袖が料理で茶色く染まっている。皿をキャッチした際に、料理を少しかぶってしまったようだ。
「ああ、これは……」
「シルヴァ様、このままではシミになってしまいますよ」
私は思わず横から口を挟んだ。この類のシミは、時間が経つと落ちにくくなってしまう。
「エリナの言うとおりだな。しかし……」
「こんなに良いシャツをダメにしてしまうのはもったいないです! 私はいくらでも待ちますから、水場をかりて軽く汚れを落としては? こういう汚れは初動が大事なんですから。何だったら私が洗いに……」
私の言葉に、シルヴァは逡巡した後に頷く。
「いや、それはいい。俺がやる。……すまない、水場をかりられるか?」
「あっ、はい! こちらです!」
シルヴァは立ち上がると、私に向かって少し困った顔をする。
「初対面の男と二人きりにするのは気が引けるが、しばらく席を外す。それから、ギルベルト、お前は余計なことを話すなよ」
「わかってるさ。それよりも、もしそのシミが落ちなかったら新しいシャツはカーシス商会にお任せあれ。なに、ちょっとくらいは割引してやるよ」
ギルベルトの言葉にフン、と鼻を鳴らすと、シルヴァは踵を返してウェイトレスについていく。通行人も私達に申し訳なさそうに謝ってその場を去っていった。
二人きりになったとたん、ギルベルトは私に向かって二ッと笑う。
「シャツのシミの対処の仕方から察するに、意外にもお嬢は感覚が庶民的なんだな」
からかうようなギルベルトの言葉に、私はハッとする。
普通の貴族であれば、シミができてしまったシャツはメイドに洗わせて終わりだ。シミが残ったとしても、新しく買い替えればいい。
私は思わずため息をついた。
「ああ、また私ったら、貴族らしくないことを言ってしまいましたね」
「まあ、大貴族のお嬢がシャツ一枚のシミを気にするのは驚いたのは確かだが、モノを大事にする姿勢は、むしろ好ましい」
ギルベルトはふむ、と、興味深そうに顎の下を指で撫でる。
「それにしても、シルヴァの婚約者とはいつか二人きりで話してみたいと思ってはいたが、こんなにも早くチャンスが来るとはな」
私は少し困惑した。
「なぜ、私と話したいとお思いに? 私がアイゼンテール家の末娘だからですか? 先に言っておきますけど、私、ギルベルト様が期待していらっしゃるほど羽振りはよくありませんよ」
「ほう、お嬢は商人の俺にとっていいお客になりえないと言いたいのか?」
「ええ、ありていに言えばそうです。商談であれば、私より姉のルルリア・アイゼンテールに持ち掛けたほうが得策かと」
姉のルルリアならともかく、ローラハム公に冷遇されている私は、アイゼンテール家の資産を自らの意志で使うことはかなり稀だ。ドレスやアクセサリーの類もルルリアのお下がりがほとんどだし、私自身、この世界でほしいものもあまりないため、商人であるギルベルトにとって、私はメリットのある人物とはいいがたい。
私の回答に、ギルベルトは少し驚いた顔をした。
「いや、恐れ入ったな。アイゼンテール家の末娘であれば、甘やかされて自らの立場に驕ってもおかしくはないと高を括っていたが、どうやらお嬢はその年で自分の立場を理解しているらしい。シルヴァは末恐ろしいお嬢を婚約者にしたもんだ」
「それは、どうも……」
「まあ、お嬢が何と言おうと、北限の領土の大貴族、アイゼンテール家と繋がりができたことは我がカーシス商会にとって喜ばしいことだ。しかし、俺は個人的にお嬢に興味があったのさ。シルヴァの年下の婚約者はちょっと面白い子だと聞いていたもんでね」
緋色の目を細めて意味深に微笑むギルベルトに、私は小首をかしげた。
「シルヴァ様からどういう話を聞いているのですか?」
「まあ、いろいろな。シルヴァにしては苦戦していたから、どんな女の子か気になっていたのさ。会ってみて苦戦する理由もわかったよ」
「……私の貴族令嬢らしからぬ言動がシルヴァ様を困らせているという自覚はありますよ」
「うーむ、そこまでわかっているのか。まあ、否定はしないが、さっきのシャツの一件といい、お嬢はいい意味で貴族らしくないのさ。面白いからそのままでいい」
「面白いって……」
「シルヴァも、お嬢のそういうところがほっとけないんだろ。あいつはああ見えて、世話焼きなところがあるからな」
ギルベルトはしたり顔で、うんうん、と頷く。
「あの、ギルベルト様は、シルヴァ様の昔のことをよくご存じなのですか?」
「ああ、学園時代からの友人だからな。あいつのことは何でも知っていると言っても過言ではない」
「……それでは、シルヴァ様もこれまでの女性関係も?」
「おう、アイゼンテールのお嬢は、なかなか突っ込んだことを聞いてくるな。そんなことを知ってどうする?」
「あの、こんなことを初対面のギルベルト様にお伝えするのも気が引けるのですが、シルヴァ様は何も教えて下さらなくても、その……華やかな経歴があるのは薄々気づいていて……、」
私の言葉に、ギルベルトがちょうど口に含みかけた飲み物を吹き出し、咳き込む。私はぎょっとした。
「大丈夫ですか?」
「ゲホッ、大丈夫だ。続けてくれ」
「……あの、だから、今過去の女性関係で面倒なことにならないように、対策を練っておきたいと思っているのです」
「ほう、面倒なことにならないように、対策ね。そうか、そういう理由で聞いたのか。なるほどなるほど」
ギルベルトは二、三度軽く頷くと、一瞬難しそうな顔をして見せたものの、耐えかねたように腹を抱えてゲラゲラ笑い始めた。
「面倒事をさけるために、ね。いやあ、確かにそれは聞いておく必要があるかもしれないなぁ。なんせあのシルヴァの婚約者だもんな。フフ……、ハハハハ!」
「……ギルベルト様、突拍子もない質問をしてしまった私にも非はありますけれど、あまり笑わないでくださいな」
「いや、すまない。しかしどうも、フフ……面白くてな。シルヴァの婚約者も気苦労が多くて大変だな」
再びギルベルトは笑いだす。そのうちに、困惑した顔のシルヴァが戻ってきてしまった。
「ギルベルト、お前なんでそんなに笑ってるんだ? 店の奥からでもお前の笑い声が聞こえたぞ」
「いやなに、シルヴァ、お前は過去のツケを払う時が来たんだと感慨深くてな」
「何の話だ?」
「過去の話、さ」
「……ッ! ギルベルト、お前、俺の婚約者に何を吹き込みやがった!」
掴みかかろうとするシルヴァの手をスルリと避けて、ギルベルトはさっと立ち上がり、人差し指を軽く自らの唇に押し当ててみせる。
「お嬢、さっきの話だが、シルヴァからお嬢に話さないのであれば、俺から話すことはできない。シルヴァが自分から語るのを待つんだな。俺は商人だから口は堅いのさ」
そう言って、ギルベルトは糸目をゆっくりと開いて私を見つめた。緋色の目がまっすぐこちらを見る。
「ただな、シルヴァ・ニーアマンという男は、この忌々しい色の目をした俺にも分け隔てなく接してきた優しい変わり者さ。悪い奴じゃない、とだけは断言しておこう。例え、過去にどんな華やかな経歴があろうとも、な」
「…………」
「それでは俺はこの辺で失礼する。お代は適当にカーシス商会にツケといてくれ」
「……ごちそうさまでした」
「いやいや、興味深い話をさせてもらった。まだまだ話したりない気もするが、また近いうちに会う機会もあるだろう」
「ドレスの納品の時に、アイゼンテール家に来ていただけるんですよね」
「その予定だ。それに、俺には年が離れた妹がいる。確かお嬢と同い年のはずだ。引っ込み思案で恥ずかしがり屋だが、まあ、その時にでも会ってもらうさ」
そう言って、ギルベルトは軽く手を振るとさっと踵を返して店を出て、瞬く間にブルスターナの雑踏の中に消えていった。
更新が遅れてしまい申し訳ありません!今後はなんとか週2回のペースで更新できるように頑張ります!





