4.奇妙な晩餐会
ゾーイに導かれ、広い広い迷路のような豪華な城を歩き、無事食堂についたは良いものの、初っ端からアイゼンテール家の食堂は異様な空気だった。アットホームとはいいがたい、ピリピリした雰囲気。
天井の高い広い部屋に、食卓となるのだろう、しわ一つない深紅のテーブルクロスがかかった長い長い机があり、ちょうど食堂の入り口から向かい合った席に、金髪の男性がすでに座っていた。私の中の記憶が、エリナの父、ローラハム・アイゼンテールだと告げている。カウカシア王国オルスタ大公領を収める領主だ。
(通称、ローラハム公……)
ローラハム公は冷たい目でこちらを見ていた。金髪碧眼に鷲鼻。年齢を感じさせない肌に、厳しい表情が張り付いている。神経質に撫でつけられたオールバックの金髪は、一切の乱れもない。この晩餐会の異様な雰囲気はおそらく彼が纏う空気がそうさせているのだろう。
「大公様におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
私が気後れしてなにもしゃべらないでいると、ゾーイが私の後ろから少し緊張した声音であいさつをした。慌てて私も少し頭を下げる。ローラハム公はそれに答えず、ただ頷いただけだった。愛想のない人だ。
「お嬢様は、いつも通りになされば良いのですからね」
少し緊張したゾーイは私の耳元でそう呟くと、私を席に座らせると、音もなく後ろに立った。口を開いてはいけない雰囲気だ、というのはわかりすぎるほどわかる。私はどうしてもこういう雰囲気が苦手だ。
重苦しい雰囲気にソワソワし始めたとき、食堂のドアがぱっと開き、少年と少女がメイドを引き連れて現れた。
(今入ってきた二人は、エリナのお兄さんと、お姉さんね)
兄は、ロイ。姉はルルリアという名前のはずだ。二人は、先に席についていた私に見向きもせず、父親であるローラハムに優雅に頭を下げて席につく。ロイとルルリアの後ろにも、二人の乳母と思わしい妙齢の女性がゾーイと同じく、上品な格好をして背筋を伸ばして待機している。
私はこっそり隣に座るロイとルルリアを眺めた。
(まー、絵になる美少年と美少女だこと。ロイもルルリアも、エリナに全く似てないのね)
二人とも、金髪碧眼で、わかりやすい美少年と美少女だ。同じアイゼンテール家であるはずなのに、エリナとは全く系統の違う顔をしている。二人の顔は、一つ一つのパーツが整っていて全てのパーツが自己主張をしている。キラキラした明るく澄んだ青い目も、きちんと通った鼻筋も、上品だけど少し生意気にツンと閉じられた紅色の唇も全部派手だ。
ロイは銀縁の眼鏡をかけている。歳はエリナの2つ上で、現在12歳のはずだ。輝くような金髪の下の、整っているがどこか神経質な顔立ちは父親譲りのようだ。ただ、頬の輪郭は年相応の愛らしい丸みを帯びており、それがどこか守ってあげたい可愛さを醸し出している。成長すればこのかわいらしさはあっという間に消えて、美青年になることは想像に難くない。
それに対して、ルルリアは将来さぞかし美女になること間違いなしであることには違いないのだけど、とにかくキツい顔立ちをしている。歳はエリナより1つ年上で11歳のはずだが、すでに貴族としての気位の高さがにじみ出ていた。きらめく美しく縦カールした金髪は複雑にハーフアップにされており、着ている服はド派手な赤色なのに顔立ちが顔立ちなのでとにかくよく似合ってしまっている。この美少女、おそらくただ立っているだけで、どこにいても目立つ。
(私、この派手な二人どこかで……)
金髪碧眼の兄妹……、金髪眼鏡と、金髪縦ロール……、
「あっ、わかったわ!」
私はポン、と手を打った。
この、一度会ったらなかなか忘れられないほど派手顔の二人。
(エターナル☆ラブストーリー~魔法少女は世界破滅の夢をみる~、略して『エタ☆ラブ』の攻略対象の一人、ロイ・アイゼンテールと、その妹の悪役令嬢、ルルリア・アイゼンテールに似てるんだわ!というか、名前も一致してるし!)
エタ☆ラブは、いわゆる「乙女ゲーム」というジャンルの、女性向け恋愛ゲームだった。 アイゼンテール兄妹。魔法に長けた一族 アイゼンテール家の、エタ☆ラブではかなり重要なポジションの二人だ。
数年前に少しプレイしたゲームを我ながらよく思い出したなぁ、と一人で感心していると不意に冷たい視線を感じた。
「……なにが、わかったのだ」
気づけばローラハム卿がこちらを見ている。背中に嫌な汗が流れた。うっかり考えていたことがそのまま声に出ていたことにいまさら気づく。
「え、えっと……」
シーンとした部屋で、誰かがいきなり話し出せば目立つのは当たり前の話だ。
取り繕うようにあいまいな笑みを浮かべると、ロイとルルリアからも冷たい目でこちらを見ていた。どうやら二人は味方になってくれそうにない。
「申し訳ございません。お嬢様は先ほどまでお昼寝をされていまして、どうやらお疲れになっているようなのです」
私の後ろで立っていたゾーイが私をかばうように慌ててフォローしてくれたが、ローラハム公は嫌味に鼻を鳴らした。
「こんな時間にまだ白昼夢をみていたというのか、エリナ。いい加減、目を覚ましたらどうなのだ」
皮肉気に片頬を釣り上げ、ローラハム公が声を張り上げる。広い食堂に、男性にしては甲高くて耳障りなローラハム公の声が響きわたった。
エリナの身体が反射的に竦む。これは私の意志ではなく、エリナの身体が怖がっているのだ。心臓がバクバクする。私がローラハム公の叱責を覚悟し、身構えた瞬間――…、
「待たせたようね」
頭上から優雅な声がして、ポン、とシャンパンがはじけたような音がしたと思うと、急に銀髪の女性がローラハム公の隣にあらわれた。
エリナの母、ソフィア・アイゼンテールだ。
腰のあたりまである波打った見事な銀髪に、淡い色の瞳は深い湖のような緑色で、長すぎるまつ毛に縁どられている。すぐに親子だとわかるほど、ソフィアとエリナによく似ている。だけど、ソフィアはエリナ以上に、ぞっとするほど表情が乏しい。まるで感情をどこかに置き去りにしてきたようだった。
「聖なる夜の明けの日だというのに、雰囲気が随分と悪いこと」
「い、いや、ソフィア……」
「食事をとるんではなかったの?」
「そうだな、それがいい。ソフィアの言うとおりだ。食事を始めよう」
ソフィアの言葉にまごついていたローラハム公が慌てて頷くと、今までまったく気配のなかった漆黒のメイド服を着たメイドたちが一斉に食事の用意を始めた。私が呆然としていると、あっという間に食卓に食事が並ぶ。
ソフィアは悠然とローラハム公の横の席についた。
(た、助かったぁ……)
全身の力が抜けていく。
助けてもらったのかどうか判断がつかず、ちらりとソフィアを盗み見ると、ソフィアの淡い色の目がこちらを見ていた。こちらに目が向いていた、が正しい表現かもしれない。こちらを見ているのにどこか私ではない何かを見ているように焦点が合っていないため、目を合わしているような気にならない。
だんだん精巧な人形に見つめられているような奇妙な感覚に陥って、私はぞっとして慌てて目線を手元に戻した。得体の知れない恐怖がぞわぞわと全身に広がり、手足が震える。
テーブルにシャンパングラスが並び、グラスを手に取るように促すと、ローラハム公が新年の言葉を口にする。
「御名において、母なる星において、美しき年を迎えられたことを喜ばしく思う。アイゼンテール家として、皆ともに今後も繁栄していけるよう、祈りを」
「「「祈りを」」」
食堂にいたメイドやコックとともにそう唱えると、テーブルについていた面々は一斉に食事を始める。そこから、アイゼンテール家の面々は一言も喋らなかった。
私はとりあえず必死でエリナの記憶を頼りに淑女たる振る舞いをしようとやっきになった。テーブルマナーは複雑怪奇で食事でこんなに頭を悩ませたのはほぼ初めてだったものの、これ以上悪目立ちはしたくない。
出された料理は、クタクタに煮込んであるか素材の味を活かしているかどちらか一択、といった味付けだった。テーブルマナーの煩雑さも相まって、まったく食が進まない。
御飯はなるだけ残さない、という私のポリシーに反するけれど、私は心の中で謝り倒しながら出された大半を食事を残した。作ってくれた人に申し訳ない。
いつの間にか先に食べ終わっていた父親のローラハム公が急に口を開いた。
「ロイの近況を教えてくれ」
(やっと家族の団らんタイムね。次はしくじらないように気を付けて話さないと)
私はにわかに緊張してぐっと拳を握る。
ただ、すぐにそれが杞憂だと気づいた。ロイは特に喋る気配はない。代わりに、ロイの後ろに控えていた、乳白色のドレスを着たふくよかな乳母が流れるように喋り始めた。
「はい、ロイ様はお勉強の覚えもよく、魔力の才能も非常にあると魔術師の先生からもお墨付きをいただいておりますわ。アカデミーでも間違いなく優秀な成績を修められるのはまず間違いないとのこと。魔術はもちろん、魔法にも長けていらっしゃるようでして……」
乳母は、ロイがどれほど素晴らしいか、魔法の腕は高く、性格は清廉潔癖、聖人君主のごとくくだくだとロイを褒め称えていく。歯が浮いてそのままポロポロ落ちていってしまいそうなほど大仰に褒めちぎられているのに、ロイはニコリともせずにやはり背筋を正して座っているだけだ。
(ちょっとくらい嬉しそうにしてもいいのに……)
どうやらロイの出る幕はないようだった。その後も、ロイの乳母の独壇場は続き、つらつらとロイのきらきらしい近状が語られていく。
いいかげん行き過ぎたロイ礼賛にうんざりし始めたころ、ロイの乳母の長い長い話がようやく終わった。
ローラハム公は軽く頷き、次はルルリアの方を向く。ローラハム公の反応に、ロイの乳母は少し落胆した顔をした。まあ、あれだけ頑張って話してあっさり頷かれて終了ってがっかりする気持ちも分からないでもない。
「ルルリアの近況を」
ルルリアの乳母は、真紅のドレスを着ているルルリアに合わせて、少し落ち着いた深い赤色のドレスを着ていた。ドレスの色は落ち着いているが、化粧はケバい。紫色のアイシャドウがたっぷりついた瞼をわざとらしく瞬かせ、たっぷりと間をおいてから話し始める。
「ルルリア様は最近刺繍の腕が上がっておりますの。薔薇に百合、花々の刺繍は特にお上手で、教えている私達も驚嘆するほどですわ。また、ダンスは相変わらずお上手で誰のお相手もできるほど……」
(こりゃ長いな……)
私はルルリアの乳母のルルリア自慢にあくびをかみ殺す。ロイと同じようにルルリアの乳母もやっぱり大げさなくらいルルリアを褒めている。
褒められているルルリアは、ちょっと背筋を伸ばしてうれしそうではあるけど、やはりルルリアは一言も言葉を発しない。
こんな奇妙な家族の食卓をまるでおかしいと思っていないように、ルルリアも、そしてロイもこの状況に慣れていた。居心地が悪いのはこの場では私だけなのかもしれない。この雰囲気、きっと一生かかったってリラックスして臨める気がしないけれど。
微動だにせず話を聞いていたローラハム公がふいにちらりと窓の外を見ると、ルルリアの乳母の冗長な話を急に遮った。
「バナリア夫人、近況報告ご苦労だった。ルルリアの成長の著しさは目を見張るものがある。恩賞として、バナリア子爵宛てにあとで報奨金を送っておこう」
「まあ、光栄なことでございますわ!」
バナリア夫人と呼ばれたルルリアの乳母が、ローラハム公の言葉に嬉しそうに目を輝かせた。ロイの乳母がますます肩を落としてわかりやすくどんよりとした顔をする。
(気持ちはわかるけど、そんなに顔に出しちゃっていいものなの……?)
私は状況を薄々把握し始めた。
どうやら乳母たちがほかのメイドたちと違ってドレスを着ているのは、おそらくこの「発表会」があるからなのだ。ローラハム公の前で自分の功績たる子供たちの成長を発表するため、乳母たちは着飾ってローラハム公の前に立つ。
そして、ローラハム公のお気に召す教育が施すことができたら、金一封が送られるシステム。これで乳母同士を競わせているようだ。
(この順番だと、間違いなくゾーイの番。エリナもロイやルルリアみたいにたくさん褒められるのかしら)
そろそろ話を聞くのにも飽きてきたので、できれば短めに終わらせてほしいけれど、あそこまで褒め称えられてみたい気もする。いや、褒められたとしても私の功績ではないのだけれど。
ローラハム公はさっと立ち上がって小声で執事に何事かを指示すると、メイドたちに片手をあげて見せる。メイドたちが一斉に動き始め、片付けに入った。
(あれ、雲行きが怪しい感じね……?)
私の後ろに立っているゾーイがソワソワし始めた。
「もう時間がない。今日はこれにて」
呆気にとられる私を残して、ローラハム公はあっという間に食堂を去っていく。それを追うように食堂の隅に控えていた数人の執事たちが小走りでローラハム公の後に続き、ソフィアは前触れもなく、来た時と同じようにポン、と軽い音をたてて消えた。
ロイとルルリアも音もなく優雅に立ち上がり、こちらを一瞥することもなく当たり前のように食堂を後にする。
(あれ、みなさん何か忘れてません? 私の存在、皆さん忘れてませんかー?)
エリナ・アイゼンテールはアイゼンテール家の末っ子であるのにもかかわらず、エリナの乳母、ゾーイはエリナの近状報告をすることは許されなかったのだ。
どうしても腑に落ちず、振り返ってみると、蒼い顔をしたゾーイが苦々しい顔をしていた。私の視線に気づくと、慌てた様子で取り繕ったような笑顔を浮かべる。
「エリナ様、お部屋に戻りましょうか」
ゾーイに促されて私はそっと立ち上がる。そんなに長い夕餉ではなかったはずなのに、背中が強張って痛い。よっぱど緊張して体中に力が入っていたのだろう。
(何この変な家族―――ッ!)
子供たちの発言を一切許さない神経質な父、顔の全く似ていない兄と姉。そして、遅れてやってきた人形のような母。誰もしゃべらない食卓。そして、ずいぶん粗末に扱われる末の妹。
私は惨めな気持ちのまま、ゾーイに付き添われてふらふらと食堂から撤退した。
こうして、奇妙な晩餐会はあっけなく終わったのだった。