39.迂回ルート
迂回ルートを進み始めて三日が過ぎようとしている。すれ違う馬車の数は少ないものの、道も悪くないようだ。先ほどの昼の休憩で、思ったよりスムーズに旅程は進んでいると御者からは報告されたばかりだ。
のんびりした昼下がりの馬車の中で、私はうーん、と身体をのばす。足元にいたオスカーも大きなあくびをする。馬車の旅ももう少しの辛抱だ。
「やっぱりブルスターナへの到着も早いみたいだし、この道を選んで正解だったわね」
「窓からの眺めは相変わらず淡々としていますけどね……」
「そうね。ここ数日、窓から見えるのは森ばっかりだものね」
再び馬車の中の生活に飽きてげっそりした顔をし始めたミミィに、私は笑いかける。
「ブルスターナまでもう少しの我慢よ。あと2,3日で着くみたいだから、当初の予定からすればかなり早いわ。ブルスターナについたら少しゆっくりできるでしょうし」
「それはそうなんですけどぉ……。あの川沿いの道さえ通行止めになってなければ、今頃街道沿いの市場で買い物したり、大道芸を見たり、できてたかもしれないって思っちゃうんです……」
頬を膨らませてミミィは残念そうに呟く。私は少し苦笑した。ミミィはこれまで故郷であるオルスタから出たことがなく、大きな街に出るのを心待ちにしていたのだ。
「ごめんね、ミミィ。ブルスターナから帰り道はあちらのルートを通るから、その時まで我慢してね」
「あっ、違うんです! お嬢様に謝ってほしかったわけではありません! 街沿いの道を通れなくて残念だったとは思いますけれど、買い食いできなかったのに未練がありますけど、デイ伯爵家にも、もうちょっとご厄介になってもいいと思ったんですけど、えーっと、えーっと、とにかくごめんなさい……」
ミミィはしゅんとして肩を落とす。ゾーイは少し困った顔をしてやんわりとミミィを咎めた。
「ミミィ、あなたの気持ちはわかりますけれど、エリナ様の選択は間違っておりませんよ。ブルスターナでのスケジュールはすでにいっぱいですし、再調整すると必ず後々面倒なことが起こりますからね。なにより、到着して早々、ローラハム公との用事が入れられてしまったのが厄介でしたね」
「ああ、そうだったわね。憂鬱だわ……」
私はゾーイの言葉に重いため息をつく。
実は、旅路の途中の街でローラハム公から一報が届けられたのだ。内容は、「用事があるので空けておくこと」という簡易的なもので、「用事」の内容は明らかにされていなかったものの、日付はもちろん、時間帯さえきっちり決められていた。
そして指定された日付が、なんと到着予定の日からわずか1日間後のことだったのだ。いくらなんでも急すぎる。街沿いの道の開通を待ち、エナのデイ伯爵家のもとに戻っていればローラハム公の約束は確実に反故になっていただろう。
「街沿いの道が通れないから、なんて言い訳してもローラハム公は納得されなかったでしょうから、迂回ルートを選ばれたエリナ様の選択は正しかったのですよ」
「まあ、私としてはローラハム公の約束なんて無視したかったけどね」
「エリナ様、お父上と会うのは半年ぶりになるのですよ。そうめったにない機会なのですから、もっと喜んでくださいまし」
「春に倒れたときすら、一度も私の部屋に見舞いすらこなかった人に会うのに? 喜ぶなんて土台無理な話よ」
私の辛辣な物言いに、ゾーイとミミィは気まずそうに言葉を詰まらせる。二人ともローラハム公からの私に対する扱いは、少なからず思うところがあるのだ。
(私とは血が繋がっているかどうかも怪しいわけだし、この扱いは当然なのかもしれないけれど、それにしても非道いわ)
末娘の私はローラハム公にあからさまに冷遇されており、正直申し出を拒否したい気持ちもある。だけど、私がアイゼンテール家の末娘である以上、悔しいけれどアイゼンテール家の家長であるローラハム公には従わざるをえない。この世界では家長の権限は絶対権力に近しい。時には娘の私の意見や事情なんて丸っと無視されてしまうくらいに。
「それにしても、ローラハム公の用事って何かしらね。こっちだって準備もあるし、それくらい前もって教えてくれてもいいのに」
「そうですねぇ。前々回にローラハム公に会われた際には、急にほとんど決まっている婚約の話をされましたしね」
「ああ、シルヴァ様を初めて紹介された日ね。あれ、本当にいきなりだったからびっくりしたわよね」
「前日まで、婚約者の来訪も何も知らされていなかったんですよ? 驚いて当然です」
「今回はそこまでびっくりするようなことが起こらないといいんだけど」
私達は顔を見合わせた後、そろって重いため息をつく。ローラハム公がらみのことになると、どうも嫌な予感しかしないのだ。
「とりあえず、着いたらすぐローラハム公に挨拶して、用事の内容を聞いておきましょう。ローラハム公はブルスターナのタウンハウスにすでにいるんでしょう? 当日になって用事を知らされて慌てるのだけは避けたいわ」
私の言葉に、コクコクとゾーイとミミィが頷いた。
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ふいに嫌な予感がして、目が覚めた。いつの間にか寝てしまっていたらしい。私が冷えないように、膝にはブランケットがかけられていた。向かいに座っているミミィは、馬車の窓にもたれかかって寝ている。
「エリナ様、起きられましたね。 ……あら、どうしました? お顔が真っ青ですよ」
私の隣に座って本を読んでいたゾーイが、私の顔を覗き込むと、心配そうに私の手をとった。
手足がひんやりと冷たい。私の気持ちを察したように、馬車の床に寝そべっていたオスカーの黄金の瞳がこちらをじっと見ていた。
「ねえ、なんか嫌な予感がしない? なんかこう、胸の奥がすごくざわざわするような……」
「そうですか? 私は何も感じないのですが、もしかして風邪をひかれたのでは……。 ここ最近旅程がおして、夜遅くまで起きられていましたし」
「ううん、体調不良じゃないと思うんだけど」
私の言葉に、ゾーイが困惑した顔をする。
(この感覚どこかで……)
そう、不安でこの頭がズキズキする感覚――・・・
(あの土砂崩れの時と同じだ!)
私は慌てて車窓にかかるカーテンを開いた。馬車の狭い空間に沈みかけの弱い夕日の光が広がる。急に馬車の中が明るくなったので、ミミィが目をこすりながら目を覚ました。
「お嬢様、急にどうされました?」
「シッ、黙って!」
私は耳をすませてくまなくあたりを見渡す。あたりは黄昏時で、暗くなり始めている。周辺は森で、特に変わった様子はない。小鳥たちのさえずりがよく聞こえた。護衛のために馬車に馬を併走させていたシルヴァが、カーテンを開けた私に気が付いてこちらに近づいてくる。
私は御者に馬車を止めるように伝え、馬車を降りた。シルヴァは私が馬車から降りるのを見て、驚いた様子でひらりと馬上から降りる。
「珍しいな。急に馬を止めてどうしたんだ? もしかして急に俺としゃべりたくなった?」
「いえ、あの、悪い予感がして……」
私の言葉に、シルヴァの精悍な顔がさっと固くなる。
「悪い予感、ね。気のせいだと笑い飛ばしたいところだが、困ったことに俺の婚約者殿の勘は数日前に大当たりしてるからなぁ」
「私も気のせいだと思いたいのですが、困ったことにあの時と全く同じ感覚なのでうかつに無視できなくて」
「とりあえず礼を言おう。その判断は間違っていない。この辺りは土砂崩れを起こす崖も、氾濫する川もないからな。何か起こるとすると、闇に乗じて現れるモノか、はてまた物盗りかどちらかだ。なんにせよ、前もって警戒するに越したことはない」
ゾーイとミミィが馬車の中から不安そうにこちらを見ている。シルヴァはとりあえず私を馬車の中へ押し込んで、安心させるように私に軽く片眼をつむってみせる。
「とりあえず安全な馬車の中に入っていてくれ。俺からも御者にもここからの道は特に周りに警戒するように言っておく。なに、今回は俺一人じゃない。アイゼンテール家の御者たちは大人しそうに見えるが、多分動きからするに兵士崩れの凄腕ぞろいだ」
「……くれぐれも、気を付けてくださいね」
「そう心配そうな顔をするな。何があっても守る」
シルヴァはそう言ってひらりとまた馬に飛び乗り、リーダー格の御者の元へ向かう。
「お嬢様、大丈夫でしょうか?」
「ええ、きっと大丈夫」
「そうですよね! シルヴァ様もついていますもの」
安心したようにゾーイが微笑んだ時、ふいにあたりに大きな音が響き渡る。窓越しに強い光が閃いたのが見えた。
「キャッ!?」
驚いた馬車をひいていた馬たちが怯えたような声で嘶き、馬車がガタガタと激しく揺れる。衝撃で私は壁に背中をしたたかに打ち付け、ゾーイとミミィが甲高い悲鳴を上げた。窓の外は、煙っていてよく見えない。
「命に替えてでもお嬢様を守れ!」
御者の誰かがそう叫んだのが、遠くで聞こえた。そして、馬車は猛スピードで走り出す。
馬車の周りを取り巻いていた鈍色の煙がひいた瞬間、あたりは戦場と化していた。





