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3.カウカシアという国

 と、まあこんな突拍子もない流れで私はこのカウカシアという国にやってきた。

 下手をすればあっちの世界の(佐藤恵里奈)の身体が八つ裂きにされてしまうので、早い所なんとかうまくこの世界を救わなければいけない。


(とりあえず、状況を整理しなくちゃ)


 乳母のゾーイは私の髪を丁寧に整え、慣れた手つきで藍色のふんわりとしたドレスに着替えさせた後、少し待つように伝え、いそいそと別室に向かってしまった。

 豪奢な部屋に、豪奢な服を着た私ひとりきり。

 手持ち無沙汰なので、私は遠慮なくちょろちょろ歩き回り、周りを観察し始める。あいかわらず、窓の外は吹雪いていた。おそらく、季節はちょうど真冬なのだろう。暖炉には赤々と火が燃え盛っていて、寒さは感じない。


「なんていうか、これぞ金持ちの部屋、って感じね」


 落ち着いた水色をベースにしたこの部屋は、控え目ながらも豪奢な調度品ばかりだった。天蓋付きの大きなベッドに、立派な書斎机、分厚い本が並ぶ本棚。ただ、子供部屋というには少し片付きすぎている気もする。

 この身体の持ち主の記憶によれば、エリナ・アイゼンテールは10歳になったばかりの少女だった。ただ、華奢な体つきのせいでかなり幼く見える。


(まあ、見た目幼いのもあるけど、これくらいの歳であれば、オモチャの類が多少もっとあっても良い気もするんだけど……)


 この部屋は全体的に、幼い女の子向けの部屋ではないような気がした。どことなく、違和感があるのだ。この部屋は、子供部屋というより客室に近い。

 子供向けのラインナップとはいいがたい本が揃った本棚から、私は何気なく背表紙の赤い一冊の本を手に取った。


「カウカシア王国のち、ず……」


 挿絵からして、この本おそらくカウカシア王国の地図だ。文字は一応読めるが、所々読めない単語があるのは、おそらく10歳のエリナがまだわからない単語が混じっているからだろう。年端の行かない女の子の部屋にはふさわしくない本だ。

 私は汚れやシミひとつない絨毯に座って地図を広げた。


(それにしても、カウカシアってどっかで聞いたことあるのよねー)


 私が元いた世界の地図には少なくとも載っていなかったはずだ。

 うーむ、どうしても思い出せない、と頬っぺたに手を当てたところで、ゾーイが別室から戻ってきた。先程の地味なメイド服から一変し、華美ではないけれど上品な装いだ。深緑色のドレスは優しい顔立ちのゾーイによく似合う。豊かな茶色の髪も綺麗に一つに結わえていて、なんとも上品だった。


(あれ、今日は家族で夕ご飯を食べるとは聞いているけど、パーティーの日かなにかなのかな)


 不思議に思った私が質問するより先に、ゾーイは驚いたような声を上げた。


「あら、本を読んでいらっしゃるの?」

「うん。ゾーイ、少し教えてほしいことがあるのだけど、良いかしら」


 用心深くあの白い空間で出会ったあの白髪の少女の口調を真似しながら、私はゾーイに向かって首を傾げてみせた。途端に、ゾーイはその大きな鳶色の目をさらに大きくする。


「あら、あらあらあら、エリナ様が私に、質問ですって!光栄なことですわ。なんでも聞いてくださいな。私が知っていることであれば、お答えします」


 ニコニコと嬉しそうにゾーイは私のとなりに寄り添うように座った。いい匂いがする。その上、私の乳母はどうやら明るくておしゃべり好きな人物らしい。とっつきやすくてありがたい。


「あ、あの、次の聖なる夜って、いつ?」

「あら、やだ、昨日の聖なる夜(オーリーニヒト)はご不満でした?確かに、どうしてもこのお城にいると首都ほど盛大にお祝いはできませんけれど、ささやかながらお祝いにケーキを食べたじゃないですか」


(げ、聖なる夜(オーリーニヒト)って昨日だったの!?)


「へ、へんな質問してごめんなさい!あの、私、またケーキを食べたくなっちゃって……」


 とっさに誤魔化すと、ゾーイは不意をつかれたように一瞬びっくりした顔をしたが、嬉しそうに笑った。


「次の聖なる夜(オーリーニヒト)は残念ながら2年後になってしまいますわ。知ってらっしゃる通り、聖なる夜(オーリーニヒト)は変わったお祭りで、不定期なのです。迷い星は巡りが早い時と、遅い時がありますので。母なるヴィニア彗星が天空に巡る年に、聖なる夜(オーリーニヒト)のお祭りが開催されますのよ」

「そうなんだ!」

「でも、エリナ様があのケーキがお好きとおっしゃるのなら、ゾーイはいつだって喜んで作りますからね」


 形の良いぷっくらとした人差し指を唇につけ、内緒ですよ、とゾーイは目元の皺を深めて微笑んだ。何とも言えないこの色香に私は驚く。この人、昔はめちゃくちゃ美人でモテたであろうことは容易に想像がついた。

 私は一瞬ゾーイの笑顔にぽーっと見惚れたが、そんなことをしている暇はない。慌てて次の質問をする。


「まだ質問していい? 私たちは今この地図のどこにいるの?」

「まあ、領土のことに関心を持たれているのね!とても素晴らしいことです! 私たちがいるのはここ、オルスタです。このお城はオルスタのちょうど上あたり、そうですね……このあたりにあるのです」


そう言って、ゾーイは嬉しそうに地図の上辺を指差した。街のマークであろうマークもまばらで、広大な、野原だらけの領地だ。見るからに領土は広い。山々に囲まれているため、あまり利便性の良い土地ではなさそうだ。


「カウカシア王国の一番大きな街はどこ?」

「王国のちょうど真ん中の…、ほらここ、ブルスターナですわ。王国の首都になります。王様のいらっしゃるところですね」

「オルスタからブルスターナまで、遠いのね」

「ここから、私の出身地を通って、馬車で15日ほどかかります。龍であればすぐですけどね。エリナ様のお父様はここにいつもはお住まいですのよ」

「ゾーイはもともとオルスタの人ではないの?」

「ええ、私の出身地は、エナです。貧しい領土なのでお恥ずかしい限りですわ。夫のガナダ男爵と結婚してから、オルスタの少し東側の領土、ヒュガに住んでおりました。けれど、乳母としてもうオルスタには十年ほど住んでおりますし、こちらが故郷のような気もしておりますの」


 ふふふ、とゾーイは上品に私に笑ってみせた。

(この人は私の乳母だけど、れっきとした貴族でもあるんだわ)

 なるほどこの美魔女、気品が溢れるのはそのせいなのだ。こんな上品なマダム、なかなかお目にかかれそうもない。

 私は再び本に視線を落とすと、本の上で踊る、見慣れない文字たちをなぞった。エリナの記憶のおかげで、字もある程度は読める。不思議な感覚だ。


「オルスタは、山々に囲まれているのね」

「そう、その通りです。ほら、この部屋からいつも美しい山々が見えますでしょう? それがこの、オルスティン山脈です」


 そう言って指さされたオルスティン山嶺はおそらくカウカシア王国の国境だろう。オルスティン山脈から上部の地図上は空白だった。


「山の向こうは、何があるの?」


 私の何気ない質問に、先程まで微笑んでいたゾーイの顔がさっと強張る。


(あ、やばい、地雷踏んじゃった感じ?)

「……エリナ様。そこは夜の国ですわ。口に出すのも憚られるほどに恐ろしい国です。あまりこの国のことを詮索してはいけませんよ」


 ゾーイは気遣わしげに私を見つめてなにかを言いかけたが、そっと私を抱きしめた。


「地図を眺めるのは楽しゅうございますけれど、また今度にしましょうね。今日はせっかくの家族揃ってのお食事ですし、少し早いですけれど、食堂へ行きましょうか」


(夜の国って、NGワードっぽい……?)


 なにか事情があるのだろうが、それ以上私は深入りせず、大人しく頷くにとどめた。

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