31.冬の予定
兄のロイ・アイゼンテールがオルスティン山の麓で拾ったらしい仔犬のオスカーは、思ったよりもすんなりゾーイとミミィに受け入れられた。
(ある程度説得が必要かもしれないとは思っていたけれど、まったく説得する必要もなかったなぁ)
私は苦笑して二人の様子を見る。
二人はちょうどオスカーを風呂に入れ終え、タオルで拭いてあげているところだ。当のオスカーは、先ほどまでキャンキャン鳴いている声がきこえていたが、今やすっかり怯えているのか、はしゃぐ二人の間で大人しく身を縮めていた。
「あら、洗ったらもっときれいな子になりましたね」
「お嬢様、この子、本当にかわいいですねぇ……。まん丸な目が金貨のようで、きっと幸運をもたらす存在に違いありません」
「その通りです。これもエリナ様の優しさがあってこそですわ」
ニコニコと笑いつつ、ゾーイとミミィはオスカーの縮れた黒毛を手早く櫛で整えていく。もともと縮れてゴワゴワだった毛は、今や二人の手によってすっかりフワフワになっていた。
一応、詳細はぼかしてロイから仔犬をもらい受けた、という説明はしたものの、二人とも特に疑問なくオスカーを受け入れてくれた。というより、二人ともオスカーに夢中すぎて内容が頭に入っていない可能性もある。
(そういえば、ブルスターナ行きの件、今なら許可が下りるかも)
ふとした思い付きで、私はここ二日ほど悩んでいたことを聞くことにする。
「そういえば、一つ相談があるんだけど、近々首都のブルスターナに行きたいと思っているの」
「あら、そうなんですか。良いアイディアだと思いますよ」
「……ええっ!?」
思ったよりもあっさり許可が下りたことに、私は驚いて素っ頓狂な声を出す。ゾーイはオスカーの耳の裏を撫でながらおっとり微笑んだ。
「実は、今年は冬の間、ブルスターナで過ごすのも良いとちょうど思っていたのです。この城に冬の間閉じこもるよりは、ブルスターナで冬を過ごされたほうがエリナ様の身体にとって負担がありませんからね。ローラハム公にも近々お願いしようと思っておりまして」
「そうだったんだ」
どうやら、ゾーイもブルスターナ行きのことは考えていてくれていたらしい。確かに、オルスタの冬は過酷だ。この城も氷と雪に閉ざされてしまう。それならいっそ、オルスタより確実に温暖なブルスターナに身を置いたほうが確実に私の体の負担は少ないように思えた。
(馬車の旅が心配だけど、それさえクリアすればこっちのもんよね)
タオルでフカフカにされたオスカーがようやく二人から解放され、ヨロヨロと私の足もとに寄って来る。毛並みがくるぶしにあたってくすぐったくて、私はそっとオスカーを抱き上げて、膝の上にのせた。オスカーは安心したように「フー」と鼻からため息のような音を発する。
「オスカーももちろん一緒に連れて行くけど、いいよね?」
「ええ、もちろんです。ブルスターナにあるアイゼンテール家のタウンハウスも、オスカー一匹連れていくくらいであれば問題ないと思いますよ」
「よかった」
「エリナ様のお体のことを考えれば、本当はもっと温暖な南の別荘地でも良いのですけれど、ブルスターナは婚約者のシルヴァ様もいらっしゃいますし、お嬢様もシルヴァ様に会いたいのでしょう?」
ゾーイが目元を赤らめつつ微笑んだ。ブルスターナ行きの目的を勘違いされているらしいと気づいた私は笑いながら首を振る。
「ああ、違うの。ブルスターナ行きはポーリの師匠に会いに行くのよ。ちょっと魔法のレッスンで問題があって」
「えっ! あら! 私ったら、てっきりシルヴァ様に会いに行くのだとばっかり思っていましたわ!」
「まあ、一応会うつもりではいるけれど……」
ゾーイもミミィも揃って少しガッカリした顔をする。
「相変わらず、お嬢様はシルヴァ様への対応があっさりしすぎているというか……」
「これではシルヴァ様もかわいそうですわ……」
二人が揃ってため息をつき、私は苦笑する。二人は私に一体何を期待しているのだろう。
私の膝の上にのっていたオスカーが、ふいにクチュン、とくしゃみを一つした。
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「……というわけで、お兄さま、近々オスカーを連れて、ブルスターナに行きます」
「そうなのか。許可はでたのか?」
「ええ。幸いなことに、ポーリの根回しがよかったのか、ローラハム公の許可はすぐ下りました」
オスカーの様子を見に私の部屋に来ていたロイは、あからさまに残念そうな顔をする。冬の間、オスカーに会えないのが寂しいらしい。
肝心のオスカーは、回復魔法をかけてもらったあと、ロイとさんざん遊んで疲れたのか、ふかふかのソファの上で伸びるように気持ちよさそうに寝ていた。
ここのところ、ロイは時間を見つけては私の部屋に入り浸っている。最初のうちはゾーイやミミィはロイの存在に驚いて気を遣いつつも多少警戒している様子だったが、最近ではすっかり打ち解けた様子だ。今日にいたっては二人きりにしてくれている。
私は、ミミィが淹れてくれた濃いミルクティーに口をつけた。ロイはすっかりくつろいで椅子に座ってあくびをしている。
「……お兄さまは、冬の間ブルスターナには行かないのですか?」
「うーん。まあ、冬は社交シーズンではないからな。さして用事がない。冬の間は勉強と魔法の鍛錬に費やすつもりだ。それに、アカデミーに入学すればいやがおうにもブルスターナで一年の大半を過ごすことになるしな」
「そうなんですか……」
「まあ、お前が冬の間ブルスターナに行くのはいい案だと思う。ブルスターナは温暖だし、医者も多い。この際、しっかり診てもらうといい」
ロイの言葉に、私はあいまいに微笑んだ。
「私はもうすっかり良くなったとは思いますけれどね」
「あまり油断はするなよ。拗らせた病は、ぶり返すと怖いんだ」
厳しい顔をして、ロイは低く呟くように言った。私は首をかしげる。
「お兄さまは、私の風邪の話になると、きまっていつも心配性になりますね」
「……そう、なのか?」
一瞬、なぜか気まずい間があった。
「……お兄さま?」
「……ああ、すまないな。お前は何というか、妙に鋭いところがあるな」
「ごめんなさい。私、また差し出がましいことを言いましたね」
「いや、良いんだ。事実なんだろう」
ふう、とロイはため息をついて、目を伏せる。何かを思い出したように、碧眼がふいに遠い目をした。何か、昔のことを思い出しているような。
(もしかして、婚約者だったターニャのことを思い出しているのかしら)
ターニャは、去年の春に流行病で亡くなったという、ロイの婚約者だ。ターニャを亡くしてから、ロイは新たに婚約者をつくることを頑なに拒んでいると聞く。
それだけ、おそらくロイにとってターニャは大事な存在だったのだろう。そして、ターニャの死がトラウマになって、病や風邪に神経質になっているとしたら、十分納得がいく。けれど、部外者の私が、軽々しく彼女の話題を口にしてはいけない気がして、それが本当かどうか聞く術はない。
(私に今できることは、ただ隣にいることくらい)
それくらいわきまえているつもりだ。
長い長い沈黙が流れた。オスカーは相変わらず寝ていて、私はチビチビとミルクティーを飲む。遠くでは鳥がさえずる声と誰かの足音が聞こえた。
「……ん? 足音? 誰か来まし、」
「エーリーナー!! そして親愛なるロイお兄様!! ごきげんよう!! あら、噂の黒い仔犬もいるわね!!」
私が皆まで言うまでもなく、誰の足音かすぐに判明する。ドアがバーンと開くと、そこにはおなじみエタ☆ラブの悪役令嬢にして私の姉、ルルリアがメイドたちを引き連れて堂々と立っていた。今日もきらめく縦カールの金髪に、輝くような碧眼は麗しく、どこにいてもパーフェクトに目立つ強烈なオーラを放っている。
(ああ、騒がしい人が来た)
私は立ち上がって、ごきげんよう、と挨拶を返す。考え事にふけっていたロイもさすがに考え事をやめ、顔をあげた。噂の黒い仔犬と呼ばれたオスカーは、ルルリアの声で起きたのかあくびをしつつゆったりと首をもたげる。
「私をのけ者にして二人でお喋りなんてズルいですわ! それに、エリナは今度ブルスターナに行くんですって? 私になぜ相談しないの?」
ツカツカと私に近づくルルリアは、ビシィ!と私を指さした。相変わらず情報通だ。どこから情報が洩れているのだろう。
「ブルスターナにはアイゼンテール家御用達のドレスの仕立て屋があるのよ! そこに絶対行ってちょうだい! 予約はしておきますからね。それから、帽子屋さんとアクセサリー屋さんもあるから……」
急にハイテンションでしゃべるまくるルルリアに、ロイが落ち着くように言う。
「ルルリア、エリナはブルスターナにあくまで療養に行くんだ」
「何を言ってらっしゃるの、お兄様! 買い物も療養の一つですわ!」
そういうと、ルルリアは従えていたメイドたちに紙とペンを持ってこさせ、あれやこれやとメモをとらせはじめる。どうやらブルスターナで私がやるべきことをリストアップしてくれているようだった。
そんなルルリアを横目に、ロイは苦笑してみせる。
「……エリナ、いつかおまえに話したいことがあるんだ」
「ええ、ロイお兄さまが話したいと思った時に話してくださいね」
私だけにしか聞こえないくらいのロイのささやきに、私は小さな声で頷いた。
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