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30.ツンデレお兄さま、登場!(2)

 久しぶりに出会った兄のロイの足元の黒い物体がモソモソと動いて、私に向かって「わん」と鳴いた。


「……え、ワン?」

「……隠しても仕方ないな」


 観念したようにため息をつくと、ロイは眼鏡を直しながら立ち上がる。足元から、真っ黒いモフモフの物体が顔を覗かせた。こちらを見る金色の目がキラキラしている。


「……犬、ですかね」

「一見モップっぽいけど犬だ。夏に遠乗りしているときに、オルスティン山の麓でひどい怪我をして死にかけているところを見つけて、保護したんだ。まだ仔犬だとは思う」

「そうだったんですか。……わあ、かわいいですね」


 私がおいで、と手を広げると、黒い犬はまっすぐにこちらに向かってやってきた。ロイの言う通りモップのように縮れた黒い毛を持つ犬は、すぐに私の足元にやってくると短い尻尾をブンブンと振りながらコロリと寝転がってお腹を見せ始め、ロイは複雑そうな顔をする。


「なんだよ、やけにエリナには懐くな。俺には最初噛みまくったくせに」

「そうだったんですか? きっと、ロイお兄さまが優しくしてくださったから、人間を信頼し始めたんですよ」

「そう……なのか?」


 私の言葉に、ロイは一瞬はにかむような笑みを浮かべたが、すぐにわざとらしく咳ばらいをして笑顔を引っ込め、私に向かって睨むような、威厳のある顔をしてみせた。


「……ここにいたことは誰にも言うなよ」

「腑に落ちないのですが、こんなにこそこそしなくてもいいじゃないですか。堂々とこの子を飼えば良いと思うのですけれど」

「そりゃあ、コイツを飼ってやりたい気もするが、俺の乳母が動物嫌いなんだ。コイツを見せたらたぶん、失神する。それに、父上、母上も東棟に動物を持ち込めばいい顔をしないだろうし……」

「ああ、なるほど」


 私は、アイゼンテール家の晩餐会で会ったあの陰鬱そうなロイの乳母を思い出して頷く。確かに動物が好きなタイプではなさそうだった。それに、あの神経質そうな両親ときたらなおさらだ。

 ロイが肩に下げたカバンから、ミルクや肉の類を取り出し始める。


「ほら、餌だぞ」


 黒い犬は私の足元から渋々といった様子で立ち上がり、ロイのもとに戻ると、与えられた餌をガツガツ食べ始める。その間に、ロイは慣れた様子で呪文を唱えた。埃っぽい倉庫が明るくなる。回復魔法だ。


「あ、楽の魔法……?」


 ポーリが使う魔法と同じ魔力を感じた私は、思わずつぶやく。楽の魔法は、傷を癒したり、体力を回復させたりするのに適した魔法だとポーリにこの前習ったばかりだ。ロイは苦い顔をした。


「なんだ、これが楽の魔法だって知っているのか。そういえばポーリがレッスンを始めたって言ってたな」

「あれ? ポーリのこと、知ってらっしゃるんですか?」

「知ってるも何も、ポーリはアイゼンテール家お抱えの魔法講師だからな。……あと、俺が楽の魔法が使えるって誰にも言うなよ」


 俯いたままでロイはボソリと言った。私は首をかしげる。


「哀の魔法もロイお兄さまは使えるのですよね? それに加えて楽の魔法まで使えるなんて、素晴らしいことじゃないですか」

「……楽の魔法は、コントロールできないんだよ。到底胸を張って使える、と言えるレベルではない」

「ポーリは知っているんですか?」

「ああ。でも、他の奴らには黙ってくれている。楽の魔法の訓練も、無理強いしてこないしな。身分は低いが、ポーリはきっちり約束を守るヤツだ。信用できる」


 どうやらロイはポーリのことはかなり高く買って信頼しているようだった。確かにポーリは生徒思いの良い講師だし、ロイのポーリへの評価は当然のように思える。

 ロイから与えられた餌を食べ終えた黒い犬が、再び私の足元にすり寄ってきた。ゴワゴワの毛並みを撫でると、嬉しそうに甲高い声でクンクン鳴く。どうやらかなり私に懐いてくれたようだ。元の世界ではなぜかとにかく生き物に嫌われるたちだったので、かなり嬉しい。

 一方ロイは、私に懐きまくる黒い仔犬に、憮然とした顔をしていた。この黒い犬は不思議なことに私には一瞬で懐いたけれど、ロイにはよっぽど懐かなかったのだろう。


(そういえば、エタ☆ラブでは、ロイ・アイゼンテールは哀の魔法と楽の魔法が両方使える魔法使いだったわね)


 私は急にエタ☆ラブのロイの攻略ルートを思い出した。

 攻略本で見ただけだったのですっかり忘れていたけれど、ロイを攻略していくと、だんだん彼は哀の魔法と楽の魔法が使えることが明らかになる。完璧主義者のロイは、楽の魔法を満足に使えないことがコンプレックスで、楽の魔法を使えるという事実を頑なに隠し通していたのだ。

 しかし、うまく楽の魔法をうまくコントロールできないといいつつも、今足元で嬉しそうにはしゃいでいる黒い犬はすっかり回復しているように見えた。現に、ひどい傷を負って瀕死だったというわりには元気だし、どこを撫でても怪我どころか傷跡さえ見つからない。


「お兄さまは楽の魔法をうまく使えない、と言いますけれど、そんなことはないと思います。この子は怪我だってすっかり治って、傷跡もないですし……」

「……そう、か」

「私みたいな若輩者からすれば、お兄さまはすでに二つの属性を立派に使いこなせていると思うんです。それって、すごいことだと思います。もっと自信を持ってもいいというか……」


(あ、しまった! 偉そうだったかな?)


 怒らせてしまったかもしれない、と慌ててちらりと見たロイは、予想に反して泣きそうな顔をしていた。眼鏡の奥のキレイな碧眼が、涙を湛えてきらめいている。私は面食らって黒い仔犬のフワフワの毛並みを堪能していた手をとめた。

 やっちまった、と思った私は慌てて言葉をつないだ。

 

「ごめんなさい、あまり話たくない内容でしたよね! 私、差し出がましいごとをペラペラとしゃべってしまいました!」

「いや、そんな……」

「本当にごめんなさい! でも、すごいって思ったのは本心ですから!」


 私なんて未だに属性すらわからない上に、手元を照らすことが精いっぱいなのだ。

 それに比べたらロイの使う魔法はとてもつなく優秀な部類に入る。まあ、へっぽこが偉そうに何かを言ったとして、ロイのような優秀な人にとっては嬉しくもなんともないのかもしれないけれど。

 必死で頭を下げる私に、ロイは「もういい」と軽くかぶりを振った。どうやら許してくれたようだ。私はほっとして頭をあげた。

 ロイは恥ずかしそうにあからさまに顔を背け、黒い犬の背をガシガシと撫でた。撫で方が嫌だったのか、黒い犬は迷惑そうに私の方に身を寄せる。


「……その、お前がすっかり元気そうで言い忘れてたが、身体は大丈夫なのか。春から夏にかけて、寝込んだんだろう」

「えっ? ああ、もうすっかり大丈夫ですよ」


 私が微笑んで握りこぶしをつくる動作をして見せると、ロイは気まずそうに顔をそらした後、ふいに私の手を握った。私は驚いて硬直する。


「……大人しくしてろよ」


 それだけ言うと、ロイが小さな声で呪文を唱えた。あたりがパッと明るくなる。

 指先が温かくなり、それから、身体中にポカポカした心地よい温かさが巡る。ふわりと肩が軽くなるのを感じた。


「お兄さま、今のは……?」

「気休めだが、回復魔法だよ。ちょっとは体力もマシになるはずだ。まあ、気休め程度だからそこまで過信はするなよ」

「あ、ありがとうございます! すごい、身体が軽くなりました!」

「これはお前のためにやったんじゃない、あくまで口止め料だ。いいな! 誰にも言うなよ! もちろん、ルルリアにも言ったら承知しないからな!」


 強い口調でロイは私に命令してきたものの、悪い気はしない。お決まりのツンデレ台詞であることはエタ☆ラブで分かっている。このインテリ眼鏡はツンデレ担当なのだ。

 しばらく撫でる手を止めていたからか、ふいに黒い犬が不満げに、撫でろと言わんばかりにグイグイ身体をおしつけてきた。かなり力が強い。


(……こんなに力が余っているってことは、きっとこの狭い倉庫に押し込められて相当ストレスなんじゃないかしら)


 私はぐるっとあたりを見渡した。

 倉庫の暗闇に目が慣れてきて、倉庫のそこかしこがボロボロになっているのがわかった。恐らく、この黒い犬が噛んだり暴れたりしているのが原因だろう。冷静に考えれば、こんな狭いところに押し込められているのだから当然だ。ストレスもたまるに違いない。

 このままここで飼い続けるのには無理があるだろう。


「あの、この子をこのままずっとを倉庫で育てるのにも限界があると思います。たぶん、この子まだ大きくなりますよね? この倉庫もボロボロにされちゃってますし」

「……うっ、そうなんだよな」


 言葉に詰まったロイが困った顔をした。この倉庫で飼い続けるのは無理があるということは薄々理解していたらしい。

 それで提案なんですけど、と私は一呼吸置く。


「私がこの子を飼ってもいいですか? 西棟であればきっと一匹くらい犬を飼っても、そんなに問題ないと思います」

「えっ、いいのか?」


 ロイが驚いた顔をして私を見つめる。私は頷いた。

 おそらく、西棟の私の部屋であれば動物嫌いのロイの乳母も両親も訪れることはない。ゾーイとミミィは、話せばわかってくれるだろう。

 なにより、私が犬を飼ってみたかったのだ。元いた世界では、ずっとペット禁止のマンション暮らしだったので、ペットがいる生活にとにかく強い憧れがあった。この世界で、そんなささやかな私の夢をかなえたってきっと(バチ)は当たらないだろう。


「責任もって私が面倒をみますから、安心してくださいね」

「……なあ、たまにはコイツの様子を見に行っていいか?」

「もちろんです!……で、あの、ずっと気になっていたんですが、この子の名前はなんていうんですか?」

「あんまり愛着がわくといけないから、そんなに凝った名前じゃないんだが……」


 ロイは少し恥じ入るように俯いた。


「オスカー・フーノエル・レビヤンカ・バーバヤガ・アイガンベッシュ・デリンエル・デンジャー号って呼んでるんだ」

「……そうですかぁ!」


 思わぬ方向性の(クセが強い)名前が飛び出し、私は一瞬黙ったものの、かろうじて笑顔で頷いた。しかも凝った名前じゃない、といいつつめちゃくちゃ長い名前を付けている。ロイは嬉しそうに言葉をつないだ。


「いや、もっとかっこいい候補もあったんだ! でも、シンプルなものにしてみたんだ!」

「……今のままでも、すごくかっこいい名前だと思います。私、どうしても覚えられないのでオスカーって呼びますね!」

「短くなってないか?」

「お兄さまと違って、私どうしても忘れっぽくて!」


 なおも名前について言及しようとするロイを笑顔であしらいつつ、オスカーと名付けられた黒い犬を抱き上げる。

 

「オスカー、これからよろしくね」


 オスカーは安心したように私の肩に頭をのせ、「フー」と息をはいた。

いつも読んでいただき、ありがとうございます。

先日初めて誤字報告もしていただきました! 誤字は都度直しているつもりなんですが、見落としてる個所も多く……!非常に助かります!ありがとうございました。

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