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番外編 ある騎士の独白(5)

シルヴァ編、本編で終わります!長くなりましたが、最後までお付き合いください!

 壇上から降りた瞬間、婚約パーティーの主賓たる俺たちに、貴族たちは一斉に群がった。ゴシップに飢えているのだ。表向き、彼らは婚約の謝辞を述べに来ているように見せかけて、実はデビューしたての謎の「深窓の妖精嬢」に興味深々だった。隙あらば名家アイゼンテール家の粗を探してやろうという魂胆だろう。

 今回のパーティーで社交デビューした俺の婚約者、エリナ・アイゼンテールはそれまでほとんど貴族との交流がないはずだ。俺はいささか心配していたものの、すぐに杞憂だったことに気づいた。


「婚約おめでとうございます。いやあ、なかなかエリナ様は社交デビューをされないものですから、どのようなお嬢さんか、我々案じておりました。しかしまあ、たいそう美しいお嬢さんで……」

「ええ、ありがとうございます。おかげさまで皆様にお会いする機会を得ましたわ」


 エリナは話しかけてきた伯爵に笑顔で無難な返答をする。貴族たちの情報も事前に頭の中に入れてきたらしく、話題の選出も絶妙だ。

 結論から言えば、エリナは社交デビューしたての貴族令嬢にしては、全てにおいてかなり上出来な部類だった。出過ぎず、かといって無口なわけではない。人当たりの良さと、当たり障りのない言葉選びは好感が持て、貴族たちからの反応からして、エリナ・アイゼンテールへの印象はとりあえず上々というところだろう。

 中には、俺への嫉心ゆえにエリナに対して言葉の棘を隠そうとしない令嬢や、あからさまにベタベタしてくる困ったご婦人もいないでもなかった。しかし、エリナの顔色を窺っても、疲れの表情こそあるものの、全く気にしていないようだった。

 俺は感心すると同時に軽く眩暈を感じる。


(本当に、俺に何の関心もないんだな)


 どうやら、「私に一途である必要はない」と俺に言い放った言葉は本心からのものだったらしい。俺にどんな令嬢たちが言い寄ろうが、エリナにとってはさして重要なことではないのだ。

 

(もし、横にいたのが俺ではなくアベル王子なら、また事情が変わってくるんだろうか……)


 エリナ・アイゼンテールは、人並みに嫉妬するのだろうか、とふと思う。そして、益体もない考えに自己嫌悪に陥る。この年下の婚約者に、いつの間にからしくもない執着を抱いていたらしい。そんな情けない自分には気づきたくなかった。

 そんな内心の葛藤をよそに、俺は半ば機械的に押し合いへし合いする令嬢たちを次々にあしらっていく。とりあえず、この令嬢たちに囲まれていれば、いくらあの王子二人とはいえ、近寄れないはずだ。

 しかし、しばらくして俺の思惑は完全に外れた。前触れもなく、隣で大人しく相槌を打っていたエリナが俺の方に笑顔を向ける。


「あの、シルヴァ様、そろそろ4曲目が始まりますわ。せっかくですから、そろそろご婦人方のダンスの相手をされてはいかがかしら?」

「え、ちょ……」


 まずい、と思った時にはもう、ダンスの相手を請う令嬢たちがこちらに向かって押し寄せていた。エリナの華奢な手を掴もうとしたものの、結局俺の手は虚しく空を掻く。俺の隣でえらく大人しくしていると思ったが、どうやら限界がきていたらしい。

 令嬢たちの群れをうまくかわしながら、エリナはあっという間に見えなくなった。


(クソ、完全に油断した! 俺をうまく囮にしやがったな!?)


 令嬢たちの輪の中に取り残された俺は、押し寄せる令嬢たちから逃れることができない。俺は舌打ちするのをこらえ、とりあえず、手始めに近くにいた金髪の令嬢にダンスを申し込む。ほかの令嬢たちが悲鳴のような抗議の声をあげたが、こうなれば自棄だ。

 適当に何曲かやり過ごそう、と決め、適当に選んだ令嬢の腕を取り、舞踏場(ボールルーム)に足を向ける。


「では、踊りましょうか」

「……ええ」


 いつものように笑みを浮かべると、目の前にいた令嬢が顔を赤らめた。この反応も慣れたものだが、これがエリナからの反応であれば、俺の今の心象はどんなに楽だっただろう。内心ため息をつきながら、俺は慣れたステップを踏みはじめる。

 ダンスを申し込んだ令嬢は、王宮で何度か話したことがあった。確か、伯爵家の息女だったはずだ。熱心な手紙も何通か受け取った覚えもある。


「まさかエリナ様ご本人が、シルヴァ様に私たちのダンスのお相手をするように言われるなんて、思ってもいませんでしたわ。こちらとしては願ってもない配慮ですけれど」


 腕の中でうっとりと微笑みながら、金髪の令嬢は猫なで声で俺に語り掛けた。しなだれかかるように踊るので、やや支えるのに難儀(なんぎ)する上に、香水の匂いでむせ返りそうだ。


「彼女と俺はかなり体格差がありますからね。このような場では見栄えが悪くて、まだ踊れませんよ。一緒に踊れるのはまだ先のことでしょう」

「ええ、そうですわね。シルヴァ様もおかわいそう。エリナ様のお家柄は確かに良いけれど、あんなに幼い人と婚約させられるなんて」


(俺はお前のような陰湿な女と結婚させられる殿方のほうが、よっぽどかわいそうだと思うがな)


 そう思いつつ、俺は令嬢の棘のある言葉にあいまいな返事をしながら、さりげなくフロアの中央に躍り出た。


(エリナはどこだ?)


 顔だけはにこやかに微笑み、令嬢の言葉に適度に頷き、お決まりの甘ったるい言葉を答えながら、俺は広いこの城の大広間からエリナを探す。適時ターンできる曲で本当に良かった。人探しにはぴったりだ。


(いた!)


 白いドレスはそこそこ目立つものの、エリナは目立たない場所をちゃっかり陣取り、亜麻色の髪の令嬢と楽しげにしゃべっていた。どうやら年の近い知り合いができたらしい。

 俺は心底ほっとする。もしアベル王子と話しているようなことがあれば、ダンスを途中でやめてでもそちらに向かう気でいたが、この様子だとしばらくは大丈夫そうだ。


(それにしても、俺の婚約者殿は妙に顔が疲れていないか?)


 遠目からでも疲労の色が目に付くようになってきた。この一月(ひとつき)、このパーティーを成功させるためにかなり無理をしているのは知っている。疲れるのも当然のような気もするが、それにしても妙に顔が赤い。そういえば、先ほども組んでいた腕の体温が妙に高かった気もする。もしかしたら風邪でもひいたのかもしれない。


(あとで水を飲むように言うか? それか、早めに引き上げさせて休むように言ったほうがいいかもしれない)


 俺が心ここにあらず、という状態であることをつゆ知らず、相変わらず猫なで声で腕の中の金髪の令嬢はしゃべり続けている。


「シルヴァ様、今夜踊ることができて、わたくし夢のようですわ。二人きりで、もっとお話ししませんこと?」

「ぜひそうしたいですが、あなたのような美しい人を独り占めするなんてできませんよ」

「まあ、そんな……」


 夢見心地の金髪の令嬢はうっとりした顔で名残惜しそうに俺にくっついていたが、4曲目が緩やかに終わり、すぐにボールルームの外で待ち構えていた赤髪の気の強そうな令嬢に引きはがされた。

 何度も婚約者以外の同じ人物と踊ることは、マナーに反するため、金髪の令嬢は唇を噛んで悔しそうに待機していた令嬢を睨みつけると、パートナーの座を譲る。

 赤髪の令嬢が勝ち誇った顔で俺の手を取る。俺は仕方なしに微笑んでみせると、2曲目を踊り始める。今まではパーティーで令嬢たちをとっかえひっかえしながら何曲連続で踊ろうと平気だったのに、今日はおっくうで仕方ない。


「ずっと踊る機会を待っていましたの! シルヴァ様はとてもリードが上手だとお聞きしていて。私もダンスはそれなりにやっていますのよ。きっと婚約者のエリナ様より上手に踊れますわ」


 ダンス自慢の赤髪の令嬢は、興奮したように喋りまくっている。俺は適宜相槌を打つだけ良かった。姦しくはあるが、かなり楽な令嬢だ。

 しかし、5曲目が終わったころ、緊急事態が起きた。いつの間にかエリナを見失ったのだ。


(二曲も続けて踊ったんだから、そろそろいいだろう)


 そう思い、押し寄せてくる令嬢たちを巧みにかわしながら、大股でエリナの元へ戻ろうとする俺を、突如でっぷりとした身体が阻んだ。


「シルヴァ! ほかの女たちとは踊ったのに、まさか私と踊らないとは言いませんよね?」

「ああ、ミリス伯爵夫人!」

「もう! 何度言ったらわかるの? アンナと呼んでちょうだいな」


 上目遣いでこちらを見つめてくる濁ったターコイズブルーの瞳に、俺はため息をつきたくなる。

 手ごわい相手が現れた。このご婦人は社交界ではそこそこ影響力があり、その上断ればあとあと機嫌を取るのがとにかく面倒な性格をしている。できれば穏便に過ごしたい俺は、肉付きの良い腕をとった。苦渋の決断だが、仕方ない。


「アンナ、踊ってくれますか?」

「もちろんよォ!」


 そう言い、ミリス伯爵夫人は当然のように俺の腕をとる。そして、俺の顔を見て媚を売るような微笑みを浮かべた。


「今は私だけを見てちょうだい」

「……もともと、そのつもりですが」

「嘘が下手ね。シルヴァ、アナタ今日はずっとあの小さな婚約者のことを探してたでしょう。私、ずっと見ていたんだからね」


 しわだらけの頬を膨らませるミリス夫人の言葉に、俺は言葉に詰まらせる。こういわれてしまうと、俺はこのご婦人と踊っている間、エリナをひそかに探すことができない。時々女という生き物は恐ろしいほどに勘が良いから恐ろしい。


「ちなみに、あの子なら、さっきルルリア嬢の紹介でラーウム王子とアベル王子とご挨拶をしていたわ。こういう時にもしっかり王子二人に媚を売っておくなんて、小さいけれど、なかなか抜け目ない子ね」


(アベル王子と!?)


 心臓が大きくはねた。一番避けたかった二人が出会ってしまった。

 俺は今すぐにでもダンスを中断してエリナの元に走りたくなったが、すっかり悦に入っているミリス夫人がそれを許すはずがない。

 一瞬、アベル王子とエリナが二人きりで立っている姿が見えた気がしたが、一瞬ででっぷりしたミリス夫人が視界を遮る。俺の苛立ちは増すばかりだ。そんな俺の態度が不服だったのか、急にミリス夫人が拗ねたような顔をした。


「シルヴァ、あなた。心ここにあらず、ってところね」

「……すみません。ただ、今夜ばかりは婚約者のことが気になるのです」

「あなたがあの婚約者を気にかけているのは、あの子がアイゼンテール家の娘だからでしょう? そんなに、かいがいしく子守りをすることはないわ」


 一瞬俺は押し黙る。


「……子守りだ? あなたに、俺と婚約者の何がわかるっていうんだ」


 思わず低い声でうなった俺に、ミリス夫人が驚いて言葉をなくした。俺から反抗的な言葉が飛び出ると思っていなかったのだろう。その時、ちょうど6曲目が終わり、貴族たちがざわざわとしゃべり始める。俺はかろうじて笑顔を顔に張り付ける。


「失礼、やはり婚約者が気になりますので、ここまでで切り上げさせていただきたく」

「……ええ、まあ今夜は婚約パーティーですものね。今夜は特別だものね」

 

 ミリス夫人が引きつった微笑みを浮かべる。俺はその言葉に応えることなく、今度こそ大股で婚約者のもとに向かった。


□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇


 そこから先は怒涛のように時間が過ぎていった。実を言えば、あまり覚えていない。結局、アベル王子とエリナは、あの運命的な出会いにかかわらず、なぜか仲違いをしたようだ。だが、それは些末な問題となった。

 なぜなら、幼い婚約者は無理がたたったのか、婚約パーティーが終わる前に倒れてしまい、生死の境を彷徨うことになったからだ。


□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇


「……俺の婚約者殿は、起きてる?」


 いつものように西棟の部屋を覗くと、赤茶色の髪のメイドが泣きはらして真っ赤な目でこちらを見た。


「シルヴァ様……今日は、一度もお嬢様は目を覚ましていないんです」

「そうか……」

「お嬢様は社交デビューもやっと済ませたところなのに、このまま眠るように死んでしまわれたら……どうしよう……ッ!」


 感情的になって大粒の涙を流して泣くメイドに、俺はとりあえず顔を洗ってくるように告げた。メイドはぐすぐす鼻をすすりながら、部屋を出る。

 ベッドの上の幼い婚約者はまるで眠っているかのように穏やかな顔で静かに寝息を立てていた。ここ数週間、この光景は変わらない。

 しかし、顔色はかなり悪く、かなり痩せてしまったように見える。

 医者たちが入れ代わり立ち代わり診察している様子だったが、ほとんどなす術がないようだった。祈祷や薬の類も本当に効いているのかはわからない。


「まさか、こういうことになるとは。アベル王子にらしくない嫉妬なんてしてる場合ではなかったな」


 時間が巻き戻せるなら、あの婚約パーティーなんて外聞なんてものも気にせず、なんとしてでも中止するだろう。

 それはアベル王子とエリナを会わせたくないからではなく、エリナをベッドにくくりつけてでも休ませたいからだ。そうしていれば、ここまでエリナが悪化することもなかった。

 この一月、俺たちは結局言葉らしい言葉を交わしていない。いつも鈴を転がすような声で軽やかに帰ってくる返答が恋しくてたまらなかった。時間を見つけてはこの城に足を運んでいるものの、エリナの意識が戻っている間に会えることはかなり稀だ。

 俺は華奢な手を握る。いつもはぎこちなく差し出される手は、今はされるがままただにぎられている。弱弱しい脈を指先に感じつつ、俺は深いため息をついた。


「目を覚ましてくれよ。頼む……」


 祈るような気持ちで、手を握る。何度目かわからない祈りだが、しかし、祈らずにはいられない。幼いころに母を亡くしたものの、母の死についてはほとんど記憶がない俺にとって、これほどまでに死という恐怖を目の当たりにしたのは初めてだった。

 こうして死の淵にエリナが立っている今、残酷なほどに思い知らされる。死という人間に当たり前にやってくるそれは、とてつもなく決定的な「別れ」なのだ。死がふたりを分かてば、もう会うことはできない。

 たった一月前に出会った銀髪の少女と、俺はどうしても別れたくなかった。何としてでも、また会話をしたい。二人きりで話した春の始めの夜が、恋しくて仕方ない。叶うなら、もう一度二人で。

 俺の必死な祈りが通じたのか、不意に、握られた手が軽く握り返された。


「……!」

「……シルヴァ、様……?」

「……! 目を覚ましたのか!」

「……のど、かわいて……」


 咽るエリナに、俺は慌てて用意してあった水を与える。弱弱しく、しかししっかりと立て続けに2杯エリナは水を飲んだ。俺は安堵のため息をつく。


「……この一月で、俺の婚約者殿がここまで動くのを見るのは久しぶりだ。気分はどうだ?」

「最悪です……」

「だろうな」


 俺が笑うと、エリナもつられたように少し微笑んだ。ずいぶんこの微笑みを見るのも久しぶりの気がする。俺は心の奥底から安堵した。


「悪い夢を……見てて」

「どんな夢だ?」

「変な夢……。知らない国の女の子になるんですけど、家族に味方がいないんです」

「そうか……」

「一人で、……すごく寂しくて……」

「まあ、それは夢の話だから大丈夫だ。現実は一人じゃないだろ。あの赤茶色の髪のメイドもいるし、ゾーイもいる。……まあ、もうちょっとで遠征も終わってブルスターナに帰るが、俺もこっちにいるしな」

 

 俺の言葉に、エリナは安心したように微笑んだ。その微笑みに、なぜか胸がぎゅっと痛くなる。


「仕事、優先で……」

「良かった、言うことはいつも通りの婚約者殿だ」

「まあ、少しは恋しくなるか、も……」


 ほう、とため息をついてそういったエリナに、俺は固まった。


(恋しくなる?)


「おい、今のもう一回……」

「……仕事、優先」

「違う、その後!」

「……」


 ふー、とため息をつくと、エリナは俺の言葉に応えることなく、急にコトリと寝てしまった。

 夕日で染まる部屋で、俺が一人、ただ残される。何年かぶりに、俺は頬が火照るのを感じていた。


□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇


 あれから数日後、結局俺は彼女の回復を見届けぬまま、オルスタの遠征を終える。実を言えば、婚約者の回復を見届けるためにオルスタにしばらく残りたい、と何度も訴えたのだが、頑なに「仕事優先ですから」と意識朦朧としている当の本人に拒否され続けた。

 遠征を終え、渋々首都ブルスターナに帰ってきた初夏のある日、俺は王宮に招集されていた。

 この国すべての贅をつくしたような建物の中では、相変わらず貴族たちが忙しく行き来している。今日、俺が遠征から帰ってきて早々王宮に出向いた理由は、王宮の記録員である文官相手に魔王ヤツェクの報告をするためだった。魔王ヤツェクとの遭遇については報告書にすでにまとめたが、正式に記録を取る必要があるのだ。


(っていっても、文官に話した内容は、報告書とほとんど内容は同じだったけどな)


 魔王ヤツェクとの遭遇はそこまで長時間でもなかったためか、聞かれたこともあまり多くはなく、聞き取りは1時間もかからなかった。思ったより短時間で用事が済んでしまった俺は、王宮にある図書館で婚約者のために薬膳料理の本でも探そうかと王宮の離れにある図書館に向かう。

 俺が首都に戻ったあたりから、エリナは徐々に良くなっていったようだ。最近は手紙が届くようになり、その手紙によれば、エリナは順調に回復しているようだった。春の間、ほとんど動けなかったことをかなり残念に思っているようだったが、死にかけている姿を間近に見ている俺にとってかなり喜ばしいことだった。

 

「シルヴァ・ニーアマン」


 渡り廊下にさしかかったとき、急に年若い声が俺を呼び止めた。俺は振り返ると、慌てて踵を鳴らして最敬礼をする。俺を呼んだのは、カウカシア王国第二王子、アベル・ドン・ルガーランスその人だった。俺は婚約パーティーの苦い思い出が脳裏に浮かび、内心顔をしかめる。


「これは、アベル王子。こんなところで会うとは奇遇ですね」

「貴公も、オルスタからの遠征は終わったか」

「はい、お陰様で無事に終えることができました。これもすべて、ルガーランス王朝の星々のご加護とご威光のたまものです」


 人懐っこく、誰にでも話しかけに行ってしまうラーウム王子とはすでに旧知の仲だが、アベル王子とはそこまで親しく話す仲ではない。というより、アベル王子から目下のものにこうやって話しかけることがまず珍しいことだ。

 アベル王子はしばらくなにか言いたげにおし黙った。俺は去ることもできず、アベル王子の次の言葉を待つしかない。やがて少し顔を赤くしたアベル王子は呟くように小さな声で聞いた。


「貴君の婚約者は、その、体調が悪く、しばらく寝込んでいるらしいな」

「……ええ」

「……大丈夫なのか? 医者も匙を投げたほど、一時期はかなり悪くなったと風の噂で聞いたが……」

「はい、お陰様で回復には向かっているようですよ」


 つい口数が少なくなるのは、俺がこの年若い王子を警戒しているからに他ならない。

 俺の態度がわずかに硬化したにもかかわらず、アベル王子はなおもしゃべり続ける。


「心配していたんだ。あのパーティーの後、いきなり倒れてしまったと聞いて……」

「身に余るご配慮、痛み入ります」

「……折り入って相談があるんだ。エリナ嬢に謝っていてほしいことがある。俺はあの日、エリナ嬢を、無理にダンスに誘ってしまったんだ。……そして、断られてつい激高してしまった。言い訳になるが、体調が悪かったと知ったのも、身体が弱く、ダンスのレッスンを受けていなかったと聞いたのも激高してしまった後だったのだ。……その、申し訳なかったと伝えてほしい。俺は自分の行いを猛烈に恥じている」

「……」

「本当は、直接伝えるべきだとは思ったのだが、怖がらせてしまった手前、貴公から伝えてもらったほうが当たり障りないかと思ったのだ」

「左様で」


 俺は深く頷く。なるほど、あの婚約パーティーでなぜ、アベル王子とエリナがうまくいかなかったのか俺はようやく理解した。どうやらこの年若い王子は、自滅したのだ。

 俺はとっておきの笑みを浮かべる。


「このシルヴァ・ニーアマン、アベル王子の御伝言、責任もって、必ず、なんとしてでも伝えましょう。なに、俺の婚約者はあっさりしている人ですから、あまり気にしていないでしょう。心配ご無用ですよ」


 俺のひそかに棘をしのばせた言葉に、しかし、純粋かつ鈍感なアベル王子は途端にぱあっと笑顔になった。


「ありがたい。それでは、くれぐれもよろしく頼んだぞ」

「ええ、お任せください」


 アベル王子は晴れやかな足取りで踵を返して去っていった。どうやらかなり気にしていたらしい。しかし、俺にとっちゃ知ったこっちゃない。


(エリナには、絶対言うもんか)


 いくらこの国の王子の頼み事と言えども、ライバルに塩を送る義理はない。大人げなく心の中で舌を出しながら、俺はそう固く誓ったのだった。

長くなりましたが、シルヴァ編終わりです!お付き合いいただき、ありがとうございました

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