番外編 ある騎士の独白(3)
今回も婚約者のシルヴァ目線となります。
魔王ヤツェクとの遭遇の知らせは、オルスティン山に遠征していた騎士団に並々ならぬ緊張を走らせた。
上長である騎士団長は最終確認として俺からあらかたの話を聞いたあと、重いため息をつく。
「まさかこの時期に魔王自らが姿を現すとはな。しかし、お前の話を聞くに、全くあやつの意図がつかめん。本当に、お前の名前を聞いただけだったのか」
「はい、その通りです。真名までは答えていません」
「まあ、真名まで答えてしまったら、お前は確実に今殺されてるわな。それにしても、わからんなぁ」
しきりに顎髭をいじる騎士団長は、俺の書いた報告書をパラパラと読み返す。
「まあ、お前も明日は大事な日だっていうのに、とんだ災難だったな。とにもかくにも、無事で何よりだ。将来有望な騎士を失わずにすんだことだけは僥倖だったと言えよう」
「面目次第もありません。……俺は、剣を折られ、その上一撃を報いることもなりませんでした」
「お前もまだまだ思い上がった若造だな。魔王に一人で立ち向かえる騎士なんてこの国はおりゃせん。魔王と対峙して、命があるだけで上出来だ」
ガッハッハ、と豪快に笑う騎士団長に、俺は唇を噛む。設営地は珍しく待機している騎士たちはおらず、ガランとしていたため、騎士団長の笑い声がやけに響いた。騎士たちは皆出払っている。魔王ヤツェクの探索に出かけているのだ。
魔王が出現した後の、騎士団の動きは迅速だった。魔王出現の速報を伝える伝令は朝のうちに設営地を出発している。第二報も騎士団長が持つ報告書を携えて近々出立する予定だ。
「明日は婚約パーティーだろ。準備もあるだろうし、お前は切り上げろ」
「……いえ、俺ももう少し探索に……」
「阿呆、お前ができることはもう何もねぇよ。今も再探索は念のためさせているが、どうせあやつはでてきやせん。なに、どうせ魔王は気まぐれを起こしたのさ。数十年前の出現も、その前も、姿を見せたとして特に深い意図はなかったからな。あまり知られてはいないが、魔王に殺された人間は記録上では存在しない。あやつは、意外と平和主義者なのかもしれん」
「……」
「ま、しばらくは厳戒態勢をしくが、魔王の意図がつかめない以上、探索は今日のうちに打ちきりだ。明日の婚約パーティーは騎士団一同、何としてでも行くからな。なんたったって大切な仲間の大事な門出なんだ。盛大に祝ってやらにゃいかん。ほれ、さっさと行け」
苦笑しながらしっし、と手を振る騎士団長に、俺は悔しさを胸に抱いたまま、敬礼をして踵を返した。
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アイゼンテール家の城についたのは、結局夜遅くになってからだった。
すぐにでも婚約者の元に向かい、昼間会う約束をすっぽかしてしまった非礼を謝りたかったが、俺はまず、持ってきた荷物を預けると、この城の主に事の次第を告げに行く。
執事に用向きを伝えると、すぐに部屋に通される。その部屋は広い書斎になっており、いつもよりくつろいだ格好のローラハム公が重厚な椅子の上で足を組んで座っていた。彼はかなり疲れた顔をしている。俺は夜分の突然の訪問をしたことへの非礼を詫び、魔王遭遇の簡単な報告を済ませた。
話は先に伝令から伝えられていたらしく、ローラハム公は事の次第をすでに子細まで把握していた。
「……して、そなたら騎士団は一日探索したが魔王は現れなかったんだな」
「はい。我々騎士団が血眼になって森中を探索しましたが、痕跡ひとつのこっていませんでした。魔王の意図がつかめない以上、探索は今日中に打ち切りになるかと」
「……魔王とは、直接会ったのだな。名前を尋ねられたと聞いておる」
「はい、その通りです」
「その、それ以外は、何か聞かれなかったのか?」
「いえ、特に何も聞かれておりません」
「……そうか」
頷いたローラハム公の横顔はいつもより重々しく、顔色が悪そうだった。自らの娘と婚約させてまで、手元に置こうとしている騎士が、将来対峙せんとする敵陣の長に、反撃の一つもできずのこのこ尻尾を巻いて逃げ帰ってきたのだ。ローラハム公が失望するのも当然のことのように思われる。最悪、婚約解消も覚悟の上だ。
しかし、ローラハム公からかけられた言葉は 叱責の一つでも食らうかと覚悟した俺にとってかなり意外なものだった。
「……今後、精進せよ。シルヴァ・ニーアマン、お主はまだ若い」
「……ッ!! 寛大な処遇、痛み入ります。ですが……」
「もう良い。これ以上話すことはない。下がれ」
目元を揉みながら、ローラハム公は重々しく告げ、その言葉に反応した執事がさっと扉を開いた。すぐにでも下がれ、ということなのだろう。
「……明日はよろしくお願いいたします」
俺はただ一礼して大人しくひきさがることしかできなかった。部屋を出てすぐに重々しい扉が閉まる。この部屋に入ってから出るまで、ローラハム公は一度もこちらを見ることはなかった。
(……なんだったんだ、あの態度は)
俺に失望しているのかと思いきや、そうでもない様子だった。どちらかといえば、心ここにあらずといった感じで、全く違うことに心を悩ませているようにも見える。
とにもかくにも、恐れていた婚約解消は免れた。俺は安堵のため息をついた。この城に来るまでの道中悩みすぎて胃が痛いほどだったのだ。おかげさまで夕餉は全く口にできていない。
俺はヘトヘトだったが、今日のミッションはこれだけでは終わらない。最後はあの難解な婚約者だ。
(怒ってるだろうなぁ……)
本音を言えば、今すぐにでも寝てしまいたい。
昼間の約束をすっぽかされたことで、あの幼い婚約者はどうせ拗ねるか怒っているに違いない。いくら仕事のことで仕方なかったとは言え、仕事は貴族令嬢たちに対しての言い訳にはならないのだ。対処法といえば謝り倒すしかないのだが、正直なところ面倒くささが先立つ。
(さすがにもう夜更けも近いし、もしかしたら寝てるかもしれないな)
俺の淡い期待も空しく婚約者の部屋の明かりは消えてはいなかった。どうやら律儀に婚約者の訪問を待っているらしい。思わず舌打ちしそうになるのをこらえる。
俺は覚悟して、言い訳を胸にいくつか用意しながら、ドアの前に立つ。ひとしきり責められれば、あとは寝るだけだ。泣かれた場合が厄介だが、とにかくどうにかしてなだめれば、今日という長い一日がようやく終わる。
「……俺の婚約者殿は、起きてるか?」
ノックをしてエリナ・アイゼンテールの部屋の扉を開けると、赤茶色の髪のメイドが驚いた様子で俺を迎えた。居心地のよさそうなソファに座っていた例の婚約者も慌てて立ち上がる。
いつもより俺の制服が汚れていることに気づいたらしく、彼女は気づかわしげにこちらを見て首をかしげる。長い絹糸のような髪がさらさらと薄い肩からこぼれた。
「どうやらだいぶお疲れのようですが、座りますか?」
俺の顔を見たエリナ・アイゼンテールは、心配そうにこちらを見て尋ねた。俺が予想していたように怒った様子も拗ねた様子もない。心底心配そうにこちらを見ていた。こちらを責める様子もない。
結局、最初から最後まで用意していた言い訳の言葉たちは無用だった。それどころか、段階を踏まず、『理想的な騎士』の姿を取り繕うことをいきなりやめた俺に対して、何の違和感なくいつも通りの態度で接してくる。奇妙な居心地の良さすら感じた。
(ああ、そうか。俺の婚約者は普通の貴族令嬢ではなかったな)
俺は拍子抜けしたとともに、頓悟する。やはり、俺はこの銀髪の少女のことをなにもわかっちゃいないのだ、と。
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翌日の朝、俺は慌てて目を覚ました。うっかり婚約者の膝で寝込んでしまったようだ。婚約者も大人しく俺を膝にのせたまま、ソファの上で安らかに寝息を立てていた。
(あの乳母とメイドが来る前に目が覚めてよかったな)
バレたら面倒くさいことになっていただろう。俺はゆっくり起き上がり、熟睡している婚約者を抱き上げる。抱き上げた身体は小さく、羽のように軽かった。
(こうして見ると、普通の子供なんだけどなぁ……)
俺の取り繕った貴族令嬢向けの仮面を引っぺがし、大人顔負けの書類を書きあげ、婚約パーティーすら仕切ってしまう少女にはとても見えない。
安らかな寝顔をしげしげと観察しながら、俺は幼い少女をふかふかのベッドの上に移動させる。
(……結局、取り繕うことをやめても、普通に受け入れたな)
以前のおもねるような態度をやめ、同僚のフィンに話すような一番粗暴で荒々しいしゃべり方をしたのにも関わらず、このおかしな婚約者は普通に俺を受け入れた。それどころか、やっとこちらに気を許してくれたような気さえする。
エリナ・アイゼンテールはやはり変わっている、と思う。
しかし、前のような困惑はもはやない。それどころか、この変わった婚約者の隣にいると、奇妙な居心地の良さすら感じ始めている。
(不思議なもんだよなぁ……)
もう少し寝顔を見ておきたい気もしたものの、エリナの乳母とメイドと鉢合わせするのを恐れて、俺はそそくさと隣の部屋に退散した。俺のために用意されたという部屋は、必要最低限の家具と、机の上に俺が運んだ荷物が鎮座している。
カーテンを開け、少し外を眺めると、ちょうどオルスティン山に朝日が昇っていた。婚約パーティーが始まるのは夕刻だ。
「んー、もうちょっと寝るか」
俺は少し伸びをすると、清潔なベッドの中にもぐりこんだ。
長くなってすみません!シルヴァ編、次で終わります!
ブクマ・評価いつもありがとうございます!
7.22日追記
次で終わるといいましたが大ウソです。思ったより長くなってまだ終わりません。
すみません……!!!早くエリナ 日常編に戻りたいです……





