番外編 ある騎士の独白(2)
今回も引き続き、婚約パーティーの前日のシルヴァ目線になります。
俺は早朝の春の冷たい夜の空気に向かって重いため息をついた。愛馬である白馬が心配そうに嘶く。
「どうすればいいんだよ、全く」
俺のため息に反応して、俺の前で栗色の馬を走らせていた同僚のフィンが振り向いた。最近の見張りや見回りはもっぱらこのそばかすの騎士と組むことが多い。
俺たちは朝の巡回中だ。今日も特に変わった様子はなく、オルスティン山の深い森は静けさに包まれていた。
「お、なんだよ。シルヴァにしちゃ珍しいため息じゃないか。悩みごとか?」
「俺だって悩むときは悩むさ」
「さては、婚約者のことで悩んでるんだろ?」
ニヤニヤと笑うフィンに一発で当てられてしまい、俺は思わず苦笑いをする。
そう、俺の目下の悩みはある一人の少女のことだ。アイゼンテール家の末娘であり、俺の婚約者となった銀髪の不思議な少女、エリナ・アイゼンテール。
フィンは酒臭い吐息を白いモヤにして、森の澄んだ空気に流す。
「まあ、あの妖精嬢も、ちゃんと実在したし、その上人間だったんだろ、少なくとも」
「……人間じゃないほうがまだ扱いやすかっただろうな」
「お前がそこまで言うならよっぽどなんだな。お前の婚約パーティーは明日だが、もしかして土壇場でお前との婚約を嫌がってるとか?」
まさかなぁ、と気づかわしげにこちらを見てくるフィンに、俺は悩みながら頭を振った。
「彼女は婚約パーティーにはかなり前向きだし、おそらく、嫌がっているわけではないと思う……」
「なんでそんなに自信がなさそうなんだ?」
不可解な顔をする相手に、明確な説明ができず俺はすっきりしない顔をしてみせた。
結果から言ってしまえば、子供の意志は全く考慮されることなく、婚約話は親同士で締結した。エリナ・アイゼンテールがもしこの婚約を嫌がったとしても、彼女の意見は無視されたことだろう。親が婚約話を勝手に決めることはよくあることだし、俺としても願ったりかなったりの話だ。
こうして、エリナ・アイゼンテールとは晴れて婚約者同士となった。
しかし、親から決められた婚約者という立場に簡単に甘んじて油断する俺ではない。万が一他の男に熱を上げられて困るのはこちらだ。俺は新しくできた婚約者との関係をつなぎとめるために、言い方は悪いが、誑しこもうとした。
(まあ、年の差はあるとはいえ、相手はしょせん世間知らずの貴族令嬢だ。気に入られるのくらい簡単だろう)
そう高をくくって、いつも通り、いや、それ以上に婚約者には気をつかってきたつもりだ。貴族令嬢たちへは、甘ったるい言葉をかけ、適時微笑み、聞き手役にまわり、相手が望んだ通りの言葉をかければそれで良い。
……はずだったのだが、俺の行動はことごとく裏目に出た。
気に入られようと口にした美麗秀句はさらりとかわされ、距離を詰めればすぐに逃げられる。その上、情けないことに、いまだ次に会う約束一つ取り付けられたことがない。
年下の少女にここまで苦戦するとは、騎士団一のプレイボーイと呼び声高いこちらの面子は形無しだ。こんなにも思い通りにいかない令嬢と遭遇したのは生まれて初めてだった。
挙句の果てに、ある夕方の会合で、正式に婚約者になった彼女から一方的に告げられたのだ。
『私にずっと一途であれとは言いません。誠実なお付き合いであれば、私以外の恋人を作ろうが、私は気にしません。あくまでこの婚約は見せかけのもの。
私のような子供には、気障なセリフも、歯の浮くような誉め言葉もいりません。私は、人として付き合うのであれば、嘘偽りなしの態度で接してほしいのです』
俺の態度が演技であることに、敏い彼女はとっくに気づいていた。完全敗北、という言葉が俺の頭の中に浮かぶ。
(おいおい、冗談じゃないぞ)
8歳も年下の少女は、まっすぐ俺を見ていた。大きな窓から差し込んだ夕日の赤色が銀髪を染め上げ、その瞳は、力強い意志をたたえてきらきら光っていた。
そこから、自分がどうふるまったのかあまり覚えていない。あまりの情けなさに笑ってしまった気もするが、彼女は俺の態度が変貌したことに対しても臆することなく、今後は手紙で連絡するように、と淡々と告げ、部屋を出て行った。
結果として、エリナ・アイゼンテールは俺の被っていた貴族令嬢向けの仮面を無理やり剥ぎ取り、ポイ、と捨てると、涼しい顔をして去っていったのだ。
俺はあの憫然たる出来事を思い出して再びため息をつく。
「情けないことだが、年下の婚約者に、ここまで振り向きもされないとは思ってなかったんだ。しかも自分に一途じゃなくて良い、これは見せかけの婚約だ、なんて言い出すときた」
「それはまぁ、ずいぶん言われたなぁ」
「……俺の将来のためにも、俺の婚約者殿には一途になってもらわないと困るんだよなぁ」
「お前、どこまでも利己的だよなぁ」
呆れたように呟く同僚に、俺は何とでも言ってくれ、とヒラヒラと片手を振る。
せっかくの手に入れたアイゼンテール家との関わりを、俺はみすみす逃す気はさらさらない。しかし、どんな手を尽くしてもこちらを振り向こうとしないエリナ・アイゼンテールの態度は、俺をどこまでも不安にさせる。
朝もやの中の森に目を細めながら、フィンは肩をすくめた。
「……押してダメなら引いてみればいいじゃないか。言われた通り、会いたがるのをやめて、手紙を最低限しかよこさない、とか」
「その作戦は実行済みだ。だが、ダメだった。これ、読んでみろよ。別に読まれて困ることは書いてないから」
俺は胸元のポケットから取り出した婚約者からの手紙をフィンに渡す。それはほんの数日前に届いたものだった。フィンは馬を止め、しげしげとその手紙を眺める。
「なになに、婚約パーティーの手筈の最終確認?……ああ、明日の婚約パーティーのことか。なんというか、これはよくできた報告書だな。まあ、少なくとも恋人同士がやりとりする手紙の類ではない」
「そうだ。これが手紙の返信だそうだ。しかも、毎回だ」
「もはや業務連絡じゃないか。それにしてもまあ、うまく書いてあるなぁ。これ、10歳の女の子が書く文章じゃないぜ」
「文官にでもなる気なのかもしれないな、俺の婚約者殿は……」
おそらくここまで立派な報告書を書き上げられるのなら、さぞ優秀な文官になれただろう。しかし、アイゼンテール家のお嬢様には不必要な能力だ。本音を言えば、もっと大人しくしてほしい。
とにかく、ここ最近は、ただ淡々と進捗の報告とパーティーの決定事項が毎回送られてくるのみで、そこから何の感情も汲み取ることはできなかった。ただ、婚約パーティーの準備が忙しいのだけはよくわかる。こちらから手を貸そうにも、完璧に自力でやってのけてしまうからもはや立つ瀬がない。よほど俺は頼りがいがない男に見えているらしい。
酒が飲みたい、と半ばやぐされる俺に、フィンは不意ににやりと笑って俺の横に無理やり馬を付けると、バシバシと背中をたたき始めた。
「あの騎士団一のプレイボーイ、シルヴァ様が今、初めての片思いをしてるわけだな?」
「馬鹿を言うな。そういうつもりは毛頭ない」
「何とでも言え。少なくとも俺から見たお前は、一人の女に翻弄されている、ただの哀れな一人の男さ」
「……」
「ああ、いつもは余裕ぶっこいて令嬢たちをたぶらかしているシルヴァが、こんなことを言い出す日がくるなんて思いもしなかったぜ。痛快だなぁ」
俺の横で、陽気なフィンが大声でゲラゲラと笑う。俺はただ頭をガリガリかいた。
婚約者になったエリナ・アイゼンテールという少女は、ただの貴族令嬢ではなかった。それどころか、今まで出会ったどの貴族令嬢より難しい女だった。気性がとびきり激しいわけでもなく、気難しいわけでもない。無口なわけでもない。それくらいだったら、俺は対応できたはずだ。
ただ、彼女は変わっているのだ。俺の貴族令嬢たちを騙し続けてきた完璧な仮面をいとも簡単に見破り、ありのままの姿で接してほしいとまっすぐな瞳で訴えかける少女。どうしようもなく、常に胸の中心に居座るようになった、俺の婚約者。
「せいぜい頑張ることだな。ま、今後はほかのお嬢様方相手をするような、あの気色悪い爽やか笑顔をはっつけて取り繕う必要もないんだろ? 楽じゃないか」
「気色悪くて悪かったな」
「まあ、明日の婚約パーティーが楽しみだな。この後すぐに出るんだろ? 残りは俺がやる。お前の今日の巡回はこれで終わりだ。もう行けよ」
「ああ、そうさせてもらう」
「俺たちも騎士団のメンバーも特別に参加できるんだろ? シルヴァをここまで悩ませる女に会えるのを楽しみにしてるよ」
ケラケラと他人事のように笑うそばかすの騎士に、俺は歯をむいて渋い顔をしてみせたあと、俺は鐙を蹴ってもと来た道を戻り始めた。
オルスティン山はめったに人が立ち入らない山のため、あまり整備はされておらず、かなり足場が悪い。ただ、愛馬は足の強い馬であるため、慣れた様子で軽やかに木々の間を抜けていく。
(一度設営地に荷物を取りに行かないと……)
今日は婚約パーティーの前日ということで、特別に昼間の役目を免除されている。昼には久しぶりに件の婚約者と会う予定だ。
「さーて、どんな顔して会えばいいかなぁ」
のんびり独り言ちた瞬間、乗っていた白馬が鋭く嘶いて棒立ちになった。俺は慌てて手綱を引き、ひらりと馬から降りる。
「おい、どうした」
鼻を摺り寄せて興奮する白馬をなだめ、俺は朝もやにけぶる森に目を凝らした。
不意に、かなり近くから重々しい足音が聞こえることに気づく。
「誰だッ!」
鋭く叫ぶと、森の奥からいきなり人が表れた。正しくは、人型の髪の長い何かが。俺はすぐに馬をその場から離脱させ、剣を抜いて人型の何かに対峙する。
(乙女妖精……、いや、ちがうな)
乙女妖精にしては大きすぎる。それに、威厳のある顔立ちはどう考えても男だった。俺が知っているどの乙女妖精の条件にも当てはまらない。
しかし、この男は、明らかに人間ではないと俺の勘が告げていた。不自然なほど、つるりと白い陶磁のような肌。長い艶やかな黒髪に、重々しいローブを纏っている。肌がゾワゾワするほど強い魔力を感じて俺はたじろいだ。
今まで倒してきたどの敵より強い、と俺の勘が告げている。
「その剣を下ろせ、若い騎士よ。我が名はヤツェク。夜の国を統べる魔王だ」
「ヤツェクだと!? そんな馬鹿な!!」
落ち着いた低い声で囁くようにヤツェクと名乗った男に、俺は動揺して咆哮した。
魔王、ヤツェク。この国では泣く子も黙る、夜の国を統べる王だ。だが、この数十年は人の前に姿を現していないはず。
間合いを取ろうとじりじりと下がったところで、構えていた剣が音もなく折れ、ビィン、と鋭い音をたて、後ろに吹き飛んだ。遅れて身体に強い衝撃が走る。
(―――ッ! これはマズい!)
膝をついた途端、ヤツェクは音もなく滑るような動作で間合いを詰める。反撃をしようとした瞬間、首を強く絞めつけられたような眩暈を感じ、俺の身体中の力が抜けた。立つこともままならない。魔王はただそれ以上何をすることもなく、俺を睥睨した。何もかもを見透かすような冷たい瞳が、俺を見つめている。
力の差は、歴然。俺は唇を噛む。
魔王ヤツェクは、殺そうと思えばすぐに俺を殺すことができるだろう。もはや殺されることを待つことしかできない俺には、最後の矜持を振り絞って魔王をぐっと睨みつけた。
「ほう、まだ睨みつける元気はあるようだ」
「……」
「なあ、こちらが名乗ったのだ。勇敢な騎士よ、お前の名を教えてくれないか」
「グッ……」
俺は逡巡した。嘘がつけない。それどころか、恐怖のあまり、真名すら名乗りたくなる。
「シルヴァ・ニーアマンだ」
「……」
光のない翡翠色の瞳がじっとこちらを見る。
(ん、この瞳、どこかで……)
ふと場違いな既視感を覚えたとき、ヤツェクがふいにマントを翻した。目眩が軽くなり、俺は弾けるように後ろに下がる。先ほどまでヤツェクがいた空間は急に空気や背景が委縮したように歪み、何かがはじけたような音がした。
そして完全にヤツェクの姿は見えなくなった。
(た、助かった……?)
呆気ない幕切れに、俺は呆けたようにしばらく座り込むしかできなかった。
すみません、思ったより楽しくなっちゃって…。もうちょっと続きます!!





