番外編 ある騎士の独白(1)
物語を少し遡らせて、今回はエリナの婚約者、シルヴァ目線となります。
――遡って季節は春の始め。
春先のオルスティン山はまだ寒さが残り、夜になると真冬のような寒さになる。俺は、騎士団が作った臨時設営所を出て少し身震いしたあと、見張り台に上った。もう少しで夜の見張りの交代の時間だ。
見張り台の頂上には、二人の騎士が座っていた。俺は二人に声をかける。
「お疲れ様です。見張り、交代しましょう」
「おう、シルヴァ。悪いな。夜の見張りはどうも夜目が利かなくて苦手なんだ。変わってもらって助かるよ」
「いえ、明日は一日休みもらったんで、その代わりです」
「若いのに熱心なこった。そういえば、明日は例の婚約者に会いに行くんだったな」
ベテランで大柄の騎士がニヤッと笑う。急遽決まった話だったものの、どこからか噂が漏れたらしい。俺は苦笑した。隣にいた若いそばかすのあるフィンという名前の騎士は知らなかったようで、目を丸くする。
「えっ、嘘だろ! あの色男のシルヴァが婚約!? 相手は誰だ? お前に熱をあげてる令嬢たちなんて心当たりがありすぎるが、結局いったいどこのお嬢さんに決めたんだ?」
「アイゼンテール家のお嬢さんだって聞いたぞ。お前、やるなぁ」
「よりにもよってアイゼンテール家かよ! すげぇじゃねぇか! 将来約束されたようなもんだ」
バシバシと俺の背中を叩く先輩騎士に、そうでもないですよ、と謙遜したものの、客観的に言うとアイゼンテール家の令嬢との婚約は、伯爵家の三男としてはこれ以上ないほどの「大抜擢」だった。
アイゼンテール家はカウカシア王国一大きな領土であるオルスタの領主だ。この国の貴族であれば誰でも、アイゼンテール家とかかわりを持っておきたいだろう。なにしろ、オルスタという地域は、その広大な土地に、資産、資源そして豊富な魔力を抱える領土なのだ。現在、王国内にオルスタに資産面、資源面、魔力面すべてにおいて拮抗できる領土は存在しない。国王に次ぐ呼び名である、「大公」という位で名乗るのを許されているのは、オルスタを治めるアイゼンテール家の領主のみだった。
それに対して、俺、シルヴァ・ニーアマンは伯爵家の三男として生まれたしがない貴族の端くれだ。兄たちを無理やり退けてまで家督を継ごうとも思っていなかったため、必然的に貴族階級として生き残る道は、限定される。家督を継げない貴族階級の男たちに残された道は、せいぜい医師、弁護士、騎士のどれかだ。
幸いなことに剣技と魔法に才能があった俺は、魔法騎士として順調に経歴を積み、騎士の花形である騎士団の第一部隊に配属された。そして、俺の所属している第一部隊は、最前線の夜の国とカウカシア王国の国境の偵察と称して遠征をおこなっている。季節が冬から春に変わり、天然の要塞となるオルスティン山の氷が溶け始めると、異形のモノたちの活動がにわかに活発になる傾向があるのだ。
ベテランの騎士が見張り台から降り、俺はさっそく暗闇に目を凝らす。夜の国は今日も静かだった。残ったそばかすの騎士、フィンは、すっかり油断して俺の横で胡坐をかいて温めたワインを飲んでいる。俺よりも年上だが、階級は下だ。しかし、年が近いのもあって仲がいい。
二人きりになった気安さも手伝って、フィンはこれ見よがしに軽くため息をついて俺の肩を組んだ。かなり深酒しているのか、フィンの吐息はかなり酒臭い。
「なかなか相手を一人に定めずにフラフラしてた騎士団の出世頭のお前が、ついに婚約かぁ。いろんな令嬢たちが泣くぜ」
「やめろよ、人を浮気者みたいに言うのは」
「騎士団一、いや王国一のプレイボーイ様がよく言うよ」
ケッ、と暗闇に向かって唾を吐くフィンに俺は苦い笑顔を向ける。思い当たる節は多くあるため、あまり突っ込んだ話はしたくはない。幸いなことにすぐにフィンは話題を変えた。
「今思い出したんだけど、アイゼンテール家の娘って、もしかして妖精嬢か?」
「ん? ああ、エリナ様のあだ名か」
「そうだよ。誰も姿を見たことがない、伝説の妖精嬢ってある意味有名だぜ? アイゼンテール家のルルリア嬢といえば、社交界ではかなり有名だけど、それに対して妹のほうは全く表に出てこないだろ?」
「実は俺も会ったことがない。彼女は社交デビューもまだだからな。身体が弱くて社交デビューが遅れているとは聞いている」
ローラハム・アイゼンテールから急に婚約話を持ち掛けられた時、俺は父親の許可も待たず、一も二もなく飛びついた。肝心の婚約相手はどうであれ、アイゼンテール家とはかかわりを持っておきたい。アイゼンテール家の権力はそれほどまでに魅力的だった。
フィンは人の悪い笑みを浮かべる。
「果たして妖精嬢は実在するのか? 実はアイゼンテール家の次女は疑似人間だって噂もあるしな」
「ははは、どうだろう。明日のお楽しみだな」
俺は軽く笑ってフィンをいなした。
(ま、疑似人間だろうと妖精だろうと、どうせうまくやれるさ)
そんなことを思いながら。
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翌日の午後、約束通り俺と父親であるニーアマン伯爵はアイゼンテール家の豪華絢爛でどこか薄暗い印象のある城に招かれていた。
目の前で足を組むローラハム・アイゼンテールは、陰鬱で神経質そうな顔をした紳士だ。金髪のオールバックに一切の乱れはなく、明るい緑色の目に光はない。
「貴公には、娘の婿となり、オルスタを守る騎士となってほしい」
ローラハム公は俺の目を見て、開口一番重々しくそう言い放った。
(なるほど。騎士団の騎士を身内に取り入れておきたいってことか)
ありていに言えば、ローラハム公は手元に優秀な戦力を置きたがっているのだ。
オルスタという領土は夜の国と隣接する国境付近の領土である。夜の国とカウカシア王国は、つばぜり合いを繰り返しながら、この200年は戦争を起こしていない。しかし、いつ夜の国の異形のモノたちが攻めてくるかわからない不安から、ローラハム公は領土を自らの手で守るために兵力が必要なのだ、と俺に告げた。
俺はローラハム公の言葉にただ頷く。察しの悪い父親が不思議そうな顔で俺とローラハム公の顔を交互に見つめてきたが、この際無視することにした。
(たぶん、ローラハム公の言っている言葉は、半分嘘で、半分本当だろうな)
ローラハム公は前々から野心があるとささやかれているのを俺は知っている。夜の国からの領土の防衛というのはおそらく建前で、本心としては夜の国を攻め、自らの領土を拡大したがっているのだ。
俺はその、ローラハム公手中の兵力増強のための一つ目の布石。
そして、俺とアイゼンテール家の末娘の婚約の目的が明らかになった以上、婚約の話はほぼ締結されたも同然だ。
(ああ、なんだ。楽勝だな)
将来的にアイゼンテール家のお抱え騎士として、重要なポジションにつくことになるのだろう。未来はほぼ約束されたようなものだ。顔がニヤつくのを抑え、俺は淡々と述べられるローラハム公の言葉に重々しく頷いてみせた。
そのうちに、廊下がにわかに騒がしくなり、執事が待ち人の到来を告げる。
「待たせたな。ようやく娘の準備が整ったようだ」
ローラハム公の一言で、執事は頷くと、重厚なつくりの扉を重々しく開く。
扉の向こうから現れた人の姿に、俺は思わず息をのんだ。
(妖精のようだ……)
そこに現れたのは、さんさんと客間に降り注ぐ光を一身にあびて、今にも光の中に溶けてしまいそうなほど色素の薄い少女だった。眩しいのか、少し目を細めている。
銀髪に白い肌。淡い不思議な色の瞳。人形のように整った顔立ち。十歳と聞いているが、同じ年頃の子供たちと比べるとずいぶん小柄だ。その少女は、安易に触れてしまうとすぐに手折れる繊細な一輪の花を連想させた。
「こんにちは、初めまして。シルヴァ・ニーアマンです」
「初めまして、シルヴァ様。お待たせして申し訳ございません。エリナ・アイゼンテールです」
礼に則って年長者である俺から先に挨拶をすると、鈴を転がすような声で、妖精のような少女は応え、王国流の膝を折り、ドレスの裾を持ち上げる公式の礼を返した。
それが、俺と婚約者となるエリナ・アイゼンテールとの最初の出会いだった。
もうちょっと続きます!





