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26.予期せぬ再会(2)

「な、なにここ……」


 目を開けた私は思わずうめくように呟いた。真っ白な空間に私はただ突っ立っているはずなのだが、いかんせんあまりに真っ白な世界にいるため、上下の感覚すらわからないありさまだ。地面を踏みしめている感触も不思議としない。

 いつも見るような悪夢ではないことに気づいて、私は顔をしかめた。


(これは、デジャビュというやつ……)


 私は眉間を抑える。


「起きまして?」


 澄んだ声が響いた後、目の前に銀髪の少女が軽くポン、と音をたてながら現れた。銀髪の長い髪と、深い湖のような翡翠色の瞳。人形のような整いすぎた面差し。


「エリナ・アイゼンテール……」


 いつも鏡で見ている姿が目の前にいるのは不思議な感覚だ。私は自分の手元をみて、この身体が元いた世界の私自身、つまり「佐藤恵里菜」のものであることに気づく。

 ここは、エリナ・アイゼンテールが作り出し、「時間と夢の狭間」と呼ぶ、不思議な空間だ。

 エリナは私に向かってコトン、と首を傾げた。


「まだ約束していた聖なる夜(オーリーニヒト)ではないけれど、(わたくし)の身体が死にかけていたから様子を見にきました。なにごとですか」

「……死にかけたっていうか、風邪ひいたら、こじらせちゃったみたい」

「私の身体は、アナタの身体ほど頑丈にできていないのよ。繊細にあつかってちょうだい」


 エリナの淡々とした口調には私を責めるような棘があった。私は肩をすくませる。身体が軽い。長い間風邪で寝込んでいたため、ここまで身体が軽いのは久しぶりだった。


「こっちだって、身体がこんなに弱いとは思ってなかったわよ」

「なぜここまで弱ってしまったの? 調子に乗って魔法を使いすぎたのかしら。……あら、特に魔力は減っていないようだけれど」

「婚約パーティーの準備を一月(ひとつき)でしろってローラハム公に言われたから、ガンガンやったら、こうなっちゃって……」

「……は?」


 あまり表情のないエリナが、一瞬虚を突かれたような不思議な顔になった。


「……理解ができないわ。一から説明してちょうだい」


 私はこの数か月の、大まかな話をかいつまんで説明した。奇妙な晩餐会、シルヴァとの出会い、そして婚約パーティーの準備から本番の話まで。


「……ということで、婚約パーティーは無事に終了したけれど、無理がたたって倒れちゃったって感じよ」

「……はあ」

「理解ができないって顔してるけど、ゾーイとミミィだけじゃ人手が足りなかったから、自分で動くしかなかったのよ。不可抗力ってやつだからね」


 シルヴァからも指摘されたが、貴族令嬢たるもの自分で自分の婚約パーティーを手伝ったりはしないものらしい。エリナが理解できないのも仕方がないことかもしれない。

 エリナはしばらく口を閉ざしていたが、やがて小さな口を開けて、軽く吐息をついた。


「……私の人生、あなたのせいで既に少し変わっているようだわ」

「え!? どこらへんが!?」

「私が社交デビューして、婚約パーティーをしたのは14歳の時。シルヴァ様に会ったのは12歳の時で、婚約パーティーの準備だって、1年余裕があった」

「そんなに!?」


 私は驚きすぎて素っ頓狂な声をあげた。1年もあれば、余裕で準備もできたことだろう。私もここまで風邪を拗らすこともなかったはずだ。私の努力はいったい、と私はヘナヘナと崩れ落ちる。

 それに対して、エリナは他人事(ひとごと)のように冷静だった。


「まあ、それでもどうせ婚約者はシルヴァ様なのだから、大筋は変わらないわ。少し前倒しになってしまっただけ。アナタの言うとおり、全てにおいて問題ないのなら大目に見ましょう」

「ええ……」

「前にも言いましたけれど、アナタが変な気を起こしたり、同じようなヘマをしたりするようであれば、状況確認しだいアナタの身体を八つ裂きにしますからね」

「八つ裂きは絶対イヤ!」


 私の叫びに、エリナは平然とした顔で、「当たり前の処罰です」と頷いた。


(この、妙に上から目線でたまに過激なところ、本当にあの悪役令嬢とそっくりね)


 ルルリアとエリナは、姿かたちにおいては全く似ていないけれど、言葉の端々で血のつながりをとてつもなく感じる。

 ただ、ルルリアよりエリナのほうがだいぶたちが悪い。

 ルルリアは一度身内と認めた人間は何かと気遣いや配慮を惜しまない。対して、エリナは他人に対する思いやりが全くないタイプだった。おそらく、孤独な幼少期を送ったため、人との関わり方を知らず、自己中心的な性格になってしまったのだろう。

 エリナ・アイゼンテールとして数か月生きているだけで、それくらい容易に想像がついた。幼いエリナはたった一人で、あの理不尽な孤独と向かい合ってきたのだ。私は人生二回目という特殊な事情があったからこそなんとか乗り越えられたけど、人生一回目の純粋無垢な女の子があの状況を打破しようったって無理な話だ。


「エリナも大変だったのよね」

「……なによ、いきなり」

「あのね、悪いけど、出生の噂……っていうか、エリナがローラハム公の子供じゃないかもしれないってこと、使用人の子から聞いたよ」


 ごめん、と謝ると、エリナは押し黙った。怒っているのか、それとも驚いているのか、エリナの表情からはまったく読み取れない。

 私はかまわず言葉を続ける。


「出生については謎だらけだし、家族はギスギスしていて冷たいし、友達もいない。その上、あんな何もない部屋に10年も閉じ込められて、寂しかったと思う。しんどかったよね」

「……」

「まったく、モブキャラのくせに、設定重すぎなのよ」


 私の言葉にエリナは少しうつむいた。なんとなく、泣きそうな顔をしている気もする。

 不思議な白い空間に沈黙が流れた。明るい白い背景のあちこちがじわじわと灰色に侵食され始めているのが見えて、私はそれをなんとなくじっと見ていた。


「モブキャラってどういうこと?」

「え、何、そこ?」

「モブキャラという言葉の意味は、アナタの知識から理解しているわ。ただ、私みたいな、優秀な魔法使いがモブキャラってことが納得いかないって意味よ」


 エリナが人形のような相貌を崩し、少し赤い顔をしながら、膨れ面をしてそっぽを向く。初めて見せる顔を前にして、私は面食らった。年相応の少女らしい顔もできるらしい。


「あのね、エリナ、信じてくれないかもしれないけれど、私の部屋のタンスの奥にエタ☆ラブってゲームがあるはずよ。エリナはそのゲームの世界でモブ……じゃなくて、脇役として登場するの。私、すでにエタ☆ラブに登場する主要キャラクターにも何人か会っているからほぼ間違いないと思うんだけど……」

「この私は、活躍しないのよね」

「ええ、まあ」

「じゃあ、そのゲームとやらに興味はないわ」


 そう言い放ったエリナは再び頬を膨らます。白い部屋が一瞬にしてたくさんの照明を落としたように暗くなった。これは、身に覚えがある。この部屋がもう少しで消える合図だ。

 次にエリナにこうして会えるのは、おそらく2年後の聖なる夜(オーリーニヒト)


(ああ、ヤバい。この部屋が消える前に、エリナからはなるだけ情報を仕入れておきたいところなんだけど……!)


 完全にご機嫌斜めになってしまったエリナをどうにかなだめるために、私は慌てて話題を変えた。


「そうだ、聞きたいことがあったんだけど、ジル・ピピンって知ってる? さっきのゲーム(エタ☆ラブ)の主人公なんだけど」

「……ジル・ピピン」


 思い当たる節があったらしく、エリナはジルの名前を復唱したあと、居心地悪そうに身じろぎした。私は再び地雷を踏んだらしく、あたりが一層暗くなる。この部屋はどうやらエリナの機嫌とも関係があるらしい。とにかく、エリナとこうやって話す時間はもう長くはない。

 エリナは、やがて気まずそうな顔をして口を開いた。


「……アナタの目から見て、シルヴァ様は、どう?」

「急に話題変えてきたわね。えーっと、あの人はまあ、モテそうだなって感じ」

「え、ええ、そうなの!……最初は良い人だと思ってたの。すごい素敵な人だって。だけど、最初の印象を信じてはだめ。あの人が狙ってるのはあくまでアイゼンテール家の権力だし、本当はいろいろなところで浮気しているから、気を付けたほうが良いわ!」


 急に感情をあらわにして流れるように話だしたエリナに、でしょうね、という言葉を飲み込んで、私は頷いた。エリナもどうやらシルヴァの外面の良さに騙されていた貴族令嬢(ひがいしゃ)の一人らしい。


「シルヴァ様の甘い言葉には、絶対騙されないでちょうだい」

「はいはい。それより、あっちの世界のほうはどうなの? 仕事は?」


 私の質問に、エリナは少し首を傾げた。


「……パソコンだったかしら? あの箱、嫌いだわ」

「は? どういうこと?」


 私の質問を無視して、エリナは少し目を閉じた後、ほう、とため息をつく。そして、流れるような仕草で手をクルリ、と振る。そのとたん、急に前触れなく目の前が真っ暗になった。


「ねえ、これってまさか……」

「残念。今回はここまでよ。何度も言わせてもらうけど、私の身体は繊細なんだから、くれぐれも気を付けて」

「嘘でしょ!? ジルのこととか、もうちょっと話しておきたいことがあるんだけ……」


 急に心臓にフワッとした浮遊感を感じ、私はそのまま果てのない真っ暗な闇の中を落ち始める。


「またこれ!? ねえ、だから、私、フリーフォール系のジェットコースター苦手なんだけどぉおおおおおお!!」


 ――また聖なる夜(オーリーニヒト)に会いましょう。


 私の絶叫を無視して、耳元で涼しげな澄んだ声がそっと囁いた。


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