25.予期せぬ再会(1)
(か、身体が重い……)
熱っぽい身体にうんざりしながら、私はやっとのことで上体だけ起こした。
この身体を不相応に酷使したツケが回ってきたとしか言いようがない。
私は、婚約パーティーの夜に見事にぶっ倒れ、一月ほど生死の境をさまよい、それから三月ほどしっかり寝込んだ。
さまざまな医者たちが入れ代わり立ち代わり診察にきたものの、皆一様に「まあ、休養が必要ですな」と言うだけで全く役に立たない。処方されている薬も苦いばかりで本当に効いているのか怪しいものだった。
(ああ、現代医療が恋しい……。栄養ドリンク飲んどけば治る気もするんだけどな……)
元の世界の私はちょっとやそっとでは風邪をひかない頑丈な体質をしていたため、今や全く良くならない風邪にすっかり弱気になっていた。毎晩よくわからない夢にうなされるし、身体は常に鉛のように重くて思うように動かない。
私が生死の境をさまよっている間に、あっという間に春が過ぎようとしていた。季節はすっかり夏めいてきて、窓の外のオルスティン山は冬の装いから打って変わって青々としている。空も明るく、窓から入ってくるさんさんとした日差しは薄いレースのカーテン越しでも眩しいほどだ。
私が起きているのに気づき、ゾーイが隣の部屋から顔を覗かせた。
「あら、エリナ様、起きましたか?」
「うん、なんとか」
私がガサガサの声で応えると、ゾーイは微笑んですぐに簡単な食べ物と怪しげな薬を持ってきた。私はほんのちょっとだけ食べ物と薬に手を付ける。食欲がなくて全然食べられない上に、鼻が詰まって味すらわからないありさまだ。変な色の薬すらおいしい気がする。
「ゾーイ、ごめんね。パーティーの準備であんなに忙しくさせたのに、休む暇もなく次は私の風邪でこんなにバタバタさせるなんて」
「いいえ、いいんですよ。エリナ様は少し頑張りすぎてしまったんです。お休みも必要ですよ」
「こんなに長い休み、いらない……」
「まあ、そうですねぇ。夏が来ようとしていますし……」
優しく微笑んで、ゾーイは私の額にあるすっかりぬるくなった濡れたハンカチをそっと取り変えてくれた。ゾーイやミミィのかいがいしい看病も空しく、まったく熱が下がりそうもない。
ただ、少しずつ良くなっているのか、上体を起こしてしゃべることができるくらいにはなってきた。
「婚約パーティーは、結局大丈夫だったの……?」
「まあ、またその話ですか? 熱にうなされている間も心配なさっていましたけれど、何も心配なさらないでくださいな。あのパーティーは大盛況のうちに終わりましたわ。それに、エリナ様が倒れられて、皆さん納得されましたし……」
「……? どういうこと?」
私が首をかしげると、ゾーイは少し困ったように微笑んだ。
「……エリナ様の社交デビューが遅れた理由が明白になったということですわ。実は、エリナ様に関しましては、以前からいろいろな憶測が飛び交っておりましたの。でも、あの場で倒れられたことで、エリナ様の身体が弱く、社交デビューが遅れた、ということが決定的になりましたから」
「ああ、そういうこと」
私は軽く頷いた。
確かに、私の社交デビューは姉のルルリアよりもかなり遅く、その上、以前の私は部屋に引きこもってばかりいたため、ほとんど貴族たちの前に姿を現していなかった。そして、ついたあだ名は「深窓の妖精嬢」だ。貴族たちにとっては、大いに邪推しがいがある話題だったことだろう。
しかし、身体が弱いとなると話は別だ。社交デビューが遅れる理由に大いになりえるし、その上、実際パーティーで倒れてしまったのだから、邪推していた貴族たちも、エリナ・アイゼンテールは体の弱さゆえに社交デビューが遅れた、と納得せざるを得なかったというわけだ。
結果的に言えば、エリナ・アイゼンテールの社交デビューは成功だった。その後病に臥せってしまったことを除いては。
「はあ、こんなに長く寝込むなんて……」
「春のあいだはよくお見舞いに来てくれていましたけれど、夏が来てシルヴァ様も首都に帰ってしまわれましたし、寂しい限りですね」
「まあ、ここから首都までは遠いし、仕方ないでしょう」
私はそう言って苦笑する。
春先からオルスティン山国境付近の見回りにあたっていた婚約者のシルヴァは、私がパーティーで倒れたあと、かいがいしくこの城に通い、私を見舞いに来ていたらしい。といっても、残念ながら私は高熱でうなされていたため、彼がお見舞いにきていた、という記憶がほとんどない。
そんなシルヴァも、私の回復を見届けることなく、初夏に騎士団の遠征を終え、首都に帰ってしまった。今では週に何度か手紙や首都で手に入れたという薬包や熱があるときでも飲みやすいお茶の類が届くくらいだ。
「もう少し、シルヴァ様も近くに住んでらっしゃるといいのですけれど……」
「ううん、ゾーイとミミィもいるし、ルルリアお姉さまも遊びに来てくれるし、アリッサも手紙をくれるし、少しも寂しくないわ」
「……そうですわね」
山のように枕元に積んである恋愛小説は、姉のルルリアが置いていったものだ。それに、この前のパーティーで出会ったアリッサとも時々手紙をやり取りしている。なんだかんだで病床にいてもそこまで寂しさを感じることはなかった。
ゾーイが私の汗をそっと拭った。
「元気になったら、すぐに魔法の講義を受けられますし、乗馬の訓練だって始められるはずですよ。あともう少しの辛抱ですからね」
「……うん」
瞼が重くなってきている。身体が起きた時よりもずっと重く、熱っぽい。もしかしたら、今夜はまたかなり熱が上がる日なかもしれない。
「ああ、お話ししすぎてしまいましたね……。ごゆっくりお休みくださいな」
ゾーイはそう言って、心配そうに私の髪を撫でる。私はその手に少し甘えて、うとうとしてまた長い眠りについた。
□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇
「な、なにここ……」
目を開けた私は思わずうめくように呟いた。真っ白な空間に私はただ突っ立っているはずなのだが、いかんせんあまりに真っ白な世界にいるため、上下の感覚すらわからないありさまだ。地面を踏みしめている感触が不思議としない。
いつも見るような悪夢ではないことに気づいて、私は顔をしかめた。
(これは、デジャビュというやつ……)
私は眉間を抑える。
「起きまして?」
澄んだ声が響いた後、目の前に銀髪の少女が軽くポン、と音をたてながら現れた。銀髪の長い髪と、深い湖のような翡翠色の瞳。人形のような整いすぎた面差し。
「エリナ・アイゼンテール……」
ここは、エリナ・アイゼンテールが作り出した「時間と夢の狭間」と呼ばれる不思議な空間。
そして、ここは、彼女と佐藤恵里菜が初めて出会った場所。
「まだ約束していた聖なる夜ではなけれど、わたくしの身体が死にかけていたから様子を見にきました」
エリナはそう言うと、私に向かってコトン、と首を傾げた。





