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20.婚約パーティーの前日

 私の婚約パーティーの前日、アイゼンテール家が治めるカウカシア王国の最北の領土、オルスタはにわかに騒がしかった。『夜の国』との国境付近でどうやらひと悶着あったらしいのだ。その関係で、婚約者のシルヴァは忙しい一日を送っていた。

 私たちがそのことを知ったのは昼食後のことだった。珍しく東棟に知らない顔のメイドが訪れ、私の部屋の扉をノックして言付けを伝える。


「お嬢様、どうやらシルヴァ様がお仕事の関係で、こちらに来られるのが遅くなる予定だそうですよ~」

「そうなの? シルヴァ様とは明日のことで事前にいろいろ打ち合わせておきたかったんだけど……」

「んもう、お嬢様は本当に心配性なんですから! 大丈夫です!!」


 パーティーの前日は何が何でも婚約者のシルヴァと親睦を深めるための時間に充てるように、とゾーイから口酸っぱく言われていたため、今日の午後はシルヴァのために空けてあったのだ。自室でシルヴァの到着を待っていた私たちは、急に手持ち無沙汰になってしまった。


「ゾーイは最終確認で城中を駆けまわってるんだし、私も手伝おうかしら」

「ゾーイ様のことも心配しなくても大丈夫ですよ〜! お嬢様はゆっくりしましょう!」


 ミミィは嬉しそうに紅茶を淹れて、私に笑いかける。この一月、ゆったりお茶をする時間すらなかったので、正直この時間はありがたい。

 私はふかふかの椅子に座ってため息をついた。瞼の奥がずしりと重い。完全に疲れているが、明日を乗り切ればまた平穏な日々がやってくるだろう。

 明日の社交デビューと婚約パーティーへの緊張はもちろんあるものの、それ以上にこの忙しい日々が終わるのであればさっさと終わらせてしまいたい、という気持ちも強い。


「ミミィも疲れているでしょう」

「私は正直そこまででもないですよ。姉がちょこちょこ手伝ってくれていましたから」

「え、お姉さんがいるの?」

「はい。私の姉はいつもはルルリア様付きのメイドなんですけど、私一人では今月ちょっと手いっぱいで日々のお仕事がまわせなかったので、ちょこちょこ手伝ってもらってました。さっき部屋に来たんですけど、紹介すればよかったですね」

「ええ、今度紹介してちょうだいね。お礼を言わないと」


 私は頷いて、机の上にあった紙の束に手を伸ばす。ミミィがちょっと眉毛を下げて、そっとその書類を遠ざけた。


「お嬢様、午後は何が何でもお休みしてもらいますよ」

「明日のゲストの名前、覚えなくちゃ」

「大丈夫です。お嬢様は一昨日の段階で完璧に覚えてらっしゃったじゃないですか」

「うーん、何かしてないと不安で……」

「完全に仕事中毒(ワーカーホリック)ですねぇ……。重症のようですので、お昼寝なさってくださいな」


 ミミィが苦笑してベッドを指さしたその時、バーンと扉が開いた。


「エーリーナー!! ここにいるんでしょ??」


 驚いて振り向くと、そこにはおなじみエタ☆ラブの悪役令嬢にして私の姉、ルルリアがメイドたちを引き連れて仁王立ちしていた。今日もきらめく縦カールの金髪に、輝くような碧眼が眩しい。うっすら後光すら見える。


「聞いたわよ!!今日のシルヴァ様の到着は遅くなるそうね!! つまり、あなた、今は暇ってことね!?」

「……さすがお姉さま、情報が早いですね」

「ええ、もちろんよ! さあ、行くわよ」

「……は?」


 どこに? と聞く間もなく、私はルルリアの後ろに控えていたメイドたちに捕縛され、あっという間に私は東棟のルルリアの部屋に半ば強引に連行される。

 あまりの一瞬の出来事だったため、呆気にとられ、ポカンとした顔のミミィだけが、私の部屋に取り残された。


□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇


「エリナったら、全然空いている時間がないのだもの。だから、今日シルヴァ様の到着が遅れると聞いたとき、これはチャンスだと思ったわ」

「……どうしてお姉さまが私のスケジュールを把握してらっしゃるんですか?」

「それはもちろん、シシィから聞いたの」

「シシィ…?」

「あら、知らなかったの? あなたのメイドのミミィの姉よ。しばらくそちらのお仕事もしてたでしょう?」

「ああー、なるほどぉ」


 ミミィの姉、シシィはミミィから私の部屋の仕事を任せられていたと、先ほどミミィから聞いたばかりだ。つまり、ルルリアは知らぬ間に私に労働力を貸す対価に私の情報を仕入れていたというわけだ。何気にこういうことをサラッとするところ、悪役令嬢の素質がチラチラとあらわれている気がする。


「今日は徹底的にやるからね」


 ルルリアはギラリと怪しい微笑みを浮かべた。


 ……というわけで、結果的に言うと、私は夕方までみっちりきっかり全身をルルリアのメイドたちに磨き上げられた。足の爪の先から、頭のてっぺんまで、あらゆる美容液という美容液を塗りたくられ、あるところはがっちり揉まれ、あるところは丁寧にやすりで磨かれたのだ。

 といっても、私は途中からあまりの気持ちよさに眠りこけてしまい、すっきりした気持ちで目覚めたときにはもう夕時になっていた。最後の仕上げとばかりにテキパキと私のつま先から頭の先までせっせといい匂いのするオイルを塗りこむメイドたちの後ろで、ルルリアが満足そうに微笑む。


「さすが(わたくし)の妹よ。すごく磨きがいがあったわ」

「何から何までありがとうございます」

「別に、あなたのためだけじゃないんだから! 明日の婚約パーティーの主役がみすぼらしかったら、アイゼンテール家の名に泥を塗ることになるのよ!」


 さすが悪役令嬢、典型的なツンデレのセリフも臆面なく放ってくる。私は少し苦笑して頷いた。


「そういえば、今夜はラーウム王子はこちらに泊まられないんですか?」

「いいえ。弟のアベル王子が初めてのオルスタへの外遊になるから、いろいろなところにお寄りになっているようなの。今日はお隣のムゲスコ子爵の領土を視察して、そのままそちらにお泊りになるそうよ。まあ、外遊は王子のお仕事だし……」


 ルルリアは少し諦めたように、寂しそうに笑った。早く婚約者に会いたいのだろう。

 冬の間、この城は雪で閉ざされてしまうため、もしかしたらルルリアとラーウム王子が会うのは数か月ぶりかもしれない。

 この城に大勢の来客があるのも、おそらく久方ぶりだ。使用人たちも、パーティーの日が近づくにつれ、慌ただしくも少し浮足立っていた。


「いよいよ、明日が本番ですね」

「ええ、あなたの社交デビュー、すごく楽しみにしているわ! ……不安に思って当然だとは思うけれど、あなたが頑張っていたのは、私が誰よりも知っています」

「……」

「あれだけ頑張ったのだから、きっと大丈夫よ」


 ルルリアの手が私の肩をポンポン、と叩く。不意打ちのルルリアの優しさに、この一か月のことをいろいろ思い出して泣きそうになった。でも、ここで泣いてしまっては、顔に塗った高そうなオイルがあっという間に流れてしまいそうなので、目頭にぐっと力をこめて、なんとか耐える。

 疲れているときって、どうしても涙腺が弱くなるから駄目だ。


□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇


「……俺の婚約者殿は、起きてるか?」


 控えめに自室のドアが開いたとき、私はソファの上でうとうとしていた。どうやらシルヴァを待っているうちに、いつの間にかうたた寝してしまっていたらしい。ミミィは一応私のそばにいてくれたものの、ゾーイはすでに自室に戻っていた。

 私は慌てて立ち上がると、シルヴァに席を勧める。シルヴァは迷わず私が座っていたソファにどっかり腰を下ろし、重いため息をつく。

 いつも通り人目を引くような美男(イケメン)であることに違いないが、シルヴァは見るからに疲れていた。騎士団の仕事を終え、そのままの姿で来たらしく、いつもピシッと着こなしている服も少し埃っぽい。


「夕飯は食べられました?」

「いや、まだだ。できるだけ早く来ようと思ったら食べる暇もなくて……」

「ミミィ、調理場から何か食べるものをもらってきてくれる?」


 私の依頼にミミィは頷いて、足早に部屋を去った。

 部屋に一瞬の沈黙が下りた。私はとりあえずこわごわとシルヴァの隣に座る。手紙のやり取りはしていたものの、こうして対面すると、やはり気まずい。何たったって私は前回の面会で結構キツことを言った自覚もあった。その上、いつも会話が途切れると助け舟を出してくれるゾーイもミミィもいないのだ。


(こういうときって、男の人とどんな会話をすればいいの……?)


 元いた世界で喪女だったのが悔やまれる。頭の中から必死で当たり障りのない話題を探していると、シルヴァが先に口を開いた。


「手紙はやり取りさせてもらっていたが、会うのはずいぶん久しぶりかな?」

「……そういう感じはしませんけれど。お互い、忙しくしていましたから」

「俺は、実はそうでもなかった。辺境の監視なんて意外と暇だからな。押してダメなら引いてみろ、と思って、最低限の連絡にしてみたら、俺の婚約者殿は手紙と差し入れの菓子だけ寄越して、全く会いたがらないときた」

「……ごめんなさい」

「別に、謝らなくていい」


 クックック、と低くかすれた声でシルヴァは笑う。気を害している、というよりどこか面白がっているようだった。

 今までと違って、取り繕ったような姿ではない。そういえば、会った時の仰々しい挨拶も気障な褒め言葉もなかったことから、どうやら私の意向を酌んでくれたようだった。そして、だいぶ今まで猫を被っていたらしく、口調もしぐさも前と比べればだいぶ粗野で荒々しい。だが、不思議と嫌な感じはしなかった。


「時々寄こす手紙……っていうより、あれはかなりよくできた部類の報告書だけどな、あれで忙しかったことはわかったよ。本当に、婚約者殿は人に頼るのが苦手なお人のようだな」

「そんなことないですよ。みんなに助けてもらいました」

「……助けてもらった、ね。普通な、貴族令嬢っていうのはただ座ってニコニコしてるのが仕事だ。パーティーの準備なんざ、自分で音頭をとってやったりはしなくていいもんなんだぞ。しかも、アイゼンテール家のお嬢様だろ」


 確かに、シルヴァの言う通りだ。仕方がなかったとはいえ、自分で自分の婚約パーティーの準備を積極的に手伝うなんて、貴族令嬢らしからぬことをしていた自覚はある。大ありだ。

 返す言葉がなく、思わず黙りこむと、また部屋には沈黙が下りた。シルヴァがガシガシと頭をかいて、前髪をかきあげる。


「悪い、言葉がキツくなった。疲れていると言葉が選べなくなるから、俺もダメだな」

「……今日は、なにかあったんですか?」

「まあ、いろいろな。辺境で魔王が出た。っていうより、俺が遭遇しちまった」

「魔王……?」

「夜の国を統べる王、ヤツェクのことだ」


 聞けば、魔王ヤツェクが辺境に表れたのはこの数十年で初めてのことだったらしい。シルヴァは朝の巡回を終わらせ、私に会うために急いで山を降りようとしたさなか、急に森の奥から彼の前に姿を現したという。


「最初は、大型の乙女妖精(ニンフ)か何かだと思ったけど、どうも様子が違った。まあ、髪が長いだけで明らかに顔が男だったしな。気を抜いたつもりはなかったが、ヤバい、と思った時にはあっという間に刀が折られた」


 シルヴァは掌を見つめ、悔しそうに唇を噛む。

 その後、夜の王は光のない翡翠色の目で、刀を折られて膝をついたシルヴァを冷たく睥睨し、シルヴァの名を聞いたらしい。


「とっさに嘘がつけなくて本名を名乗った。殺される、と思った瞬間、不可解なことに魔王は一瞬で消えた。……とまあ、その後は、上への報告と現場検証、報告書の作成、魔王の再捜索でてんやわんや、いつの間にか夜だった、というのが、ことの顛末だ。言い訳っぽくなるけどな」

「それは、大変でしたね」


 私が頷くと、シルヴァは複雑そうな顔をする。


「仕事に理解があって助かるが、普通、もうちょっと責めてくれても良いんだけどな」

「だって、仕方がないじゃないですか」

「……本当に、婚約者殿はお嬢様っぽさがないな」


 シルヴァが呆れたようにそうつぶやくのと同時に、ミミィが軽食を持って戻ってきた。夜食は、シチューとサンドイッチだった。ありがたい、と一言断って、さっそくシルヴァは食事に手を付ける。

 うまい、うまいと言いながら、見事な食べっぷりでシルヴァはあっという間に完食してしまった。

 最後にミミィに差し出された紅茶も一滴残さず飲み干したシルヴァは、


「ほんと、この城の料理は格別に旨いよな」


 と、満足げに笑う。

 シチューもサンドイッチも、私が考案し、ガウスやジェフが手を加え、最近メニューに加わったものだ。おいしいと言われて悪い感じはしない。私は素直に誇らしかった。

 夜もかなり遅くなっていたため、私は黙って控えていたミミィに微笑む。

 

「ミミィ、この食器を厨房に片づけたら、部屋に戻っていいからね。遅くまでありがとうね」

「お嬢様、でも……!」

「私はもう寝るだけだし、ミミィには明日も頑張ってもらうんだから、ね?」


 なおも食い下がるミミィをなだめ、私はミミィを下がらせた。


「シルヴァ様、お隣のお部屋をご使用くださいね! っていうか、今すぐ出ていただいてもいいんですよ!? ベッドの準備はできていますから」

「あー、俺はもうちょっと話すことがあるからさ」

「ちょっとだけですよ!? 話し終わったら速やかに部屋を出てください!! お嬢様に何かしたら許しませんからね!!」


 ミミィはシルヴァに歯をむいて牽制すると、しぶしぶと頭を下げ、食器を持って部屋を出る。

 私とシルヴァは再び二人きりになった。


「あの赤茶色の髪の子、良いメイドだな」

「そうですね。私は幸せものです」

「……そう言えば、明日のセバスチャンには話したけど、明日は、俺の同僚がちょいと祝いたいらしい。異例のことかもしれないが、パーティーに少しだけ参加させてもらう」

「ええ、わかりました。構いませんよ」

「あと、一応明日のことは全部把握しているつもりだから安心してくれ。何かあったらうまくやるさ」

「あの、刀は……?」


 魔王に折られたという刀は、最初に会った時に帯刀していたあの刀だろう。私の質問に、シルヴァは苦い顔をした。


「不本意だが、明日は予備を使う。折れた刀は、アカデミーに入学したころから使ってたそれなりに愛着のある刀だったから、本当はあの刀が良かったんだけどな」

「残念でしたね」

「そうだな。はあ、今日は何から何まで散々だった……」


 深いため息とともに、シルヴァはゴロンとこちらに寄りかかり、私の膝に頭をのせた。急なシルヴァの行動に動揺した私は思わず固まる。これは俗にいう膝枕というやつだ、と理解するまでに数秒かかった。

 いつもよりかなり近い場所にある整った顔が、こちらを見てニヤッと笑う。


「……ッ!!」

「今日は散々な一日だったうえに、婚約パーティーの前夜なんだ。これくらい許してくれよ、婚約者殿」

「これくらいって……!」

「じゃあ、キスの一つでもしてくれるのか?」

「キ、キ……!?」

「これでもかなり妥協しているつもりなんだがなぁ」


(このチャラ男めーーーッ!!!)


 これだから油断ならないのだ。一瞬でもこの婚約者の前で気を抜いてしまった自分が馬鹿だった、と呪いながら、何度か立とうと試みたものの、シルヴァの頭すら自力で持ち上げることができない。


「え、ちょ、思ったより重い! 重…ッ!」

「諦めておとなしく枕になってくれよ」

「なんでシルヴァ様の枕なんかにならないといけないんですか!! く、屈辱……ッ!」

「ハハハ、俺の婚約者殿はこうやってからかうと面白いな」


 しばらく試行錯誤したものの、結局無理だとわかった私は諦めるよりほかなかった。自分の非力さが恨めしい。


「いい匂いがする」

「……今日は、お姉さまのメイドたちに身体中に香油を塗ってもらいましたからね」

「違う、香油の匂いじゃない。俺の婚約殿はもともといい匂いがするからな……」

「……ちょ、ねえ、眠ろうとしてません? ここで寝ないで下さい! 隣の部屋に移動して!」

「俺は、どこでも寝られるし、風呂は明日入るから……」

「そ、そういうことじゃないんです! 困ります! 起きて! 起きてください!!」


 ジタバタする私の膝の上で、シルヴァは安らかな寝息を立て始める。こうなってしまうともう、シルヴァは私がどんなことをしても起きない。遠慮なくシルヴァに肘鉄を食らわせながら、ミミィを自室に戻らせたことをいまさら後悔する。

 シルヴァの寝顔は、いつもより幼かった。体温がじわじわと膝の上に広がっていく。


(ね、ねえ、猫被るのやめたとたんに、この人すごく扱いにくくなったんだけどーー!)


 私の心の叫びをよそに、婚約パーティー前日の夜は静かに更けていった。

いつもより糖分モリモリでお送りしました!

1話にかなり詰め込んだので、いつもより少し文字数が多くなってしまいました。


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