111.ただいま!
「え、ここは……」
目を開けた私は思わずうめくように呟いた。私は白い空間にいた。見覚えがある場所だ。
「起きまして?」
このツンと澄ました声も、妙に聞き覚えがある。
「エリナ……?」
「その通りですわ」
ポン、と音がして、銀髪の人形のような顔立ちの少女が現れ、さっと長い銀髪をはらった。
「ごきげんよう。急ですけど、恵里菜にはカウカシアに戻ってもらいますわ」
急なエリナの一言に、私は面食らってしばらく呆然とする。
「えっ、じゃあ、私……」
ひとしきり困惑した後、遅れて心の中にじわじわと喜びが広がる。
「……じゃあ、私はまたシルヴァ様に、会えるってこと?」
「フン。あの人のどこがいいのか分からないけれど、好きなだけ会えばよろしいですわ」
尊大にエリナは頷いた。
しかし、肝心の理由を聞いていない。急に不安になった私は、エリナににじり寄る。
「まって、嬉しいけど、な、なんで……? もしかして、また世界が破滅に危機に瀕してるとか? またなんか過去に戻ってやらかしたの!?」
「しっ、失礼な人ね! 別にそういうわけじゃありませんわ!」
「じゃ、じゃあ、どうして? できる限りの仕事も片付けて、引き継ぎ書も作ったはずだし、人間関係も数年前よりずっといいはずよ? そもそも、ローラハム公がいなくなったことで世界はちゃんと救ったじゃない!?」
「……ええ、もちろん、その通りなのですけれど……」
エリナは口ごもる。それから、大きくため息をついた。
「端的に言えば、シルヴァ様にバレてしまったのですわ」
「し、シルヴァ様に!?」
私はぎょっとした。
エリナと私は確かに魂が入れ替わったけれど、外見は一切変わっていないはず。それなのに、シルヴァは一瞬で見抜いたというのだから驚きだ。
エリナは爪を噛む。
「ほかの人たちは騙せましたわよ? ゾーイだって、ミミィだって、私たちが入れ替わったことに気づかなかったのです。でも、一目見て、シルヴァ様には見破られましたわ。しかも、すごい剣幕でシルヴァ様に詰め寄られましたの」
「あのシルヴァ様が、すごい剣幕で?」
「ええ、『お前は誰だ、エリナを返せ』って……。本当に怖かったんですのよ」
普段は物腰柔らかなシルヴァがすごい剣幕で詰め寄るところなんて、あまり想像がつかない。だけど、エリナが怯えるほど迫力があったのだろう。
エリナは小さなため息をつく。
「それで、驚いた私は、慌ててアナタを呼び出しましたの。まあ、ちょうどいい頃合いでしたわ。カウカシアで数日過ごしただけで、私すっかりホームシックになっちゃって……」
「別に日本はエリナのホームじゃないからね。ホームって言ったらどっちかっていうとカウカシアでしょ」
私の指摘に、エリナは肩をすくめる。
「もうあっちが私の故郷みたいなものですわよ。無性にアイドルとタピオカが恋しくなるんですもの」
「うーん、さすがにアイドルもタピオカはカウカシアにはないからねえ……。それにしても、アイドルの追っかけとか、タピオカとか、すっかり現代に馴染んだのね……」
「恵里菜だって人のこと言えませんわ。カウカシアに馴染み過ぎではなくて? 城の人は何をするにしろ、私を尊敬のまなざしで私を見てくるから、やりにくいったら……。それに、やるべき仕事が多すぎるのよ! 何よあの量の仕事! 貴族令嬢らしくお花を嗜んだり、刺繍したりとか大人しくすれば良いものを!」
ビシ、とエリナは私を指さす。私は渋い顔をした。
「えー。カウカシアには確かに戻りたいけれど、貴族令嬢らしい生活がしたいわけではないからなあ。……話は変わるけど、エリナはなんで勝手に恋人なんてつくってるのよ! びっくりしたじゃない!」
「田中さんのこと? あの人、入社した時からずっと恵里菜のこと狙ってたと言ってましたわよ。なのに、どれだけアピールしても全然気づかなかったって」
「え、ええー……。そうだったっけ?」
「まあ、気づかなかったらそれでよろしくてよ。この際言っておきますけど、あの人はこの私の恋人だもの。この一週間、恵里菜に田中さんをとられた気がしてモヤモヤしていたし、ちょうど良かったと思っていますのよ。第一、私はあのチャラ男の婚約者に戻るなんて、絶対イヤですから」
「ちょっと、チャラ男ってシルヴァ様のこと!?」
「他に誰がいるっていうの?」
「言っとくけど、本当はすごく誠実な人なのよ?」
「フン、どうだか」
私たちの間にバチバチと火花が散ったその途端、白い部屋がパッと薄暗くなる。そろそろ、この部屋も消滅する時間が来たらしい。
気を取り直すようにエリナは軽く咳払いすると、私の手をおもむろに握った。人形のように整った顔立ちの美少女のその手は、意外と温かい。
「……恵里菜には、その、……いろいろ酷いことを言ったけれど、いちおう感謝しているのよ?」
「はいはい、本当に素直じゃないわね」
「性格がひねくれているのは自分でもよくわかっていますわ」
エリナは胸に手を当てて尊大に言い放ったけれど、そこは胸を張って良いところではない。私がジトっとした目で見つめると、エリナは拗ねた顔をして、視線を背ける。
「……まあ、時々はこうやって会ってあげないこともありませんから、そのつもりで」
「えー……。別に頼んでない」
「その返事、本当に恵里菜はどこまでも小生意気ですわ! ……まあ、よろしくてよ。せいぜいうまくやることね」
「そっちこそ、パソコンはいい加減使いこなしてよ?」
「余計なお世話です!」
「図星だからってキレないでよ。……あっ、ねえ、もう少しでこの空間って消える? 一つお願いなんだけど、今日はあの落ちるヤツやめてくれない? 私本当にアレ苦手なのよ……」
「あら、それは無理な相談ですわ」
エリナはにっこり笑って、パッと握っていた手を離すと、流れるようなしぐさで指を振る。その途端、足元に闇が広がった。
「こ、これはもしや――」
私は息を飲む。急に心臓にフワッとした浮遊感を感じ、私はそのまま果てのない真っ暗な闇の中を落ち始める。
「結局いつものパターンじゃないのぉおおおおお!!!」
絶対、あの銀髪の少女は私が嫌がってるのを楽しんでいる。間違いなく。
――また、聖なる夜に会いましょう。
私の絶叫を無視して、耳元で笑いまじりの澄んだ声がそっと囁いた。
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「――エリナ、エリナ!」
誰かが必死で呼ぶ声がして、私は目を覚ます。うっすら目を開けると、そこには、会いたくてたまらなかった人がそこにいた。
少し青みがかった黒色の髪の毛を後ろで束ねた、整った顔立ちの青年だ。ひときわ目立つ鋭さのある甘い漆黒の瞳は、私を心配そうに見つめている。
「シルヴァ様……!」
カウカシア王国第一騎士団の一員にして、私の恋人。
私の顔を覗き込んで、シルヴァは安堵したように、大きな息をはいた。
「良かった。いつも通りのエリナだ。久しぶりに会ってみれば、明らかに様子が違うし、いきなり倒れるから心配したんだぞ!」
「どうして、いつもと違うって……」
「俺はエリナの恋人だ。それくらい気付くに決まってるだろ」
怒ったような口調で、シルヴァは答えた。まるで、それが至極当然だ、とでもいうように。
「まったく、少し目を離したすきにまた無茶をしたな? いったい今度は何を……」
「心配かけて、ごめんなさい……」
「……お、おい、なぜ泣いた!? どこか痛いのか?」
気が付くと、ぐしゃぐしゃに泣いていた。遅れて、安堵と私が再びシルヴァのもとに帰ってきたという実感が胸の中に押し寄せてくる。
優しい手が、オロオロと涙にぬれた私の頬を包み込む。その手は温かかった。――そして、私はこの手の温もりを、もう手放さなくていい。
「とにかく、いきなり倒れたのも心配だし、医者を呼んでくる」
「……いいんです。身体は大丈夫ですし、事情もあとでお話します。……長くなりますけれど、全部話しますから」
「しかし……」
「もう少し、このまま……」
私はシルヴァをぎゅっと抱きしめた。しばらく困惑した様子だったシルヴァも、少し苦笑して私を抱きしめ返す。私より、少しだけ強い力で。
「ただいま」
暖かな胸の中で、私は小さくつぶやいた。
物語は、あとちょっとだけ続きます。