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110.社畜の日々カムバック

「――ハッ!」


 私はベッドの上で目を覚まし、勢いよく体を起こす。携帯のアラームの音が狭い部屋に響き渡っている。

 唸りながら携帯を見ると、そこには銀髪の少女ではなく、見慣れた姿が画面にうつっていた。佐藤恵里菜、26歳、しがないOLだ。


「や、やったー! 元の世界に戻ってる!」


 私は信じられない気持ちであたりを見た。そして、呟く。


「ここ、どこ?」


 確かに、間取りは私の部屋だ。9畳の1LDKであることは間違いない。しかし、明らかに違うのは――……


「いや、アイドルにハマったって言ってたけど、限度ってものがあるでしょ!!」


 アイドルグッズに溢れた部屋の真ん中で、私は叫んだ。

 壁には隙間なく眩しい笑みを浮かべたアイドルのポスターが張られ、作り付けの本棚にはこれでもか、というくらいに色とりどりのアイドルグッズが並んでいる。ぎっちり並べられ過ぎて、眼がチカチカするほどだ。

 私は眩暈がした。


「こんだけグッズを集めるのに、どんだけ貯金使ったのよ!? しかもここ賃貸マンションよ!? 画鋲で壁に穴開けたら、敷金が戻ってこないかもしれないじゃない!」


 私はとりあえず壁に貼ってあるポスターを剥がそうと手を伸ばす。しかし、携帯のアラームが再び鳴ったため、携帯の画面で時間を確認し、さっと青ざめた。

 時刻は七時半。どう考えても遅刻ギリギリだ。


「帰ってきたら、まとめて捨ててやるから……」


 私は壁に貼られたアイドルのポスターにそう宣言し、適当に化粧をし、朝ごはんを食べることなくドタバタと会社に向かった。


(はあ、久しぶりの会社かあ……)


 なんとなく気が重い。別世界でも「仕事中毒」と散々揶揄されるほど働き詰めだったのは認めるけれど、それはひとえに楽しかったからだ。現代社会の仕事とはまた質が違う。


(領主業とかは、けっこう自由度が高かったもんなあ……)


 社会人という社会の歯車に戻った今、カウカシアにいた時のように好き勝手することはさすがにできない。やることはと言えば、ドライな人間関係と常に何かの締め切りに追われる殺伐とした空気の中、マニュアル通りに仕事を進めていくだけだ。


「気は重いけれど、やるしかないわよね」


 私は軽く深呼吸すると、覚悟をして一歩踏み出した。

 しかし、出勤した私を待ち受けていたのは驚きの事実の数々だった。

 まず驚いたのは、今まで話したこともないような会社の人たちがにこやかに、そして若干生温かい目で私に挨拶してきたことだ。

 交流のない他の部門の先輩、派遣社員の若いガテン系のお兄さん、はてまた警備の人まで皆私をみると片手をあげて気軽に話しかけてくる。


「やあ、恵里菜ちゃん、今日は迷わずに会社にこれたかい?」

「今日は早いじゃないか、偉いなあ」


 私はあいまいな笑みを浮かべながら適当に挨拶をかわし、自分の席に着く。


(会社に来ただけですごい褒められるんだけど、どんだけエリナはやらかしてきたのよ……)


 前会った時に、「パソコンとかいう四角い箱が嫌い」と言っていたけれど、かなり苦戦したのは確かなようだ。私の机の上には、「初心者向けのパソコン」という本が分かりやすい位置に置いてある。私は黙ってその本を机の引き出しの中にしまう。

 私はだんだん頭が痛くなってきた。確かに多少の私の記憶があるとはいえ、あの性格最悪の難ありお嬢様が、まともに仕事できるわけがなかったのだ。

 その証拠に、私の机の上には書類が山積みだった。提出期限が明らかに切れた書類もある。

 内心大きなため息をつくと、エリナが溜まりに溜めた仕事を猛然と片付け始めたものの、途中で徐々になにか様子がおかしいことに気づく。


「恵里菜ちゃん、いったいどうしちゃったんだ」

「頭でも打ったんじゃないかしら……」


 等々、当たり前のことをしているだけなのに皆がとてつもなく私のことを心配してくる。

 しまいには、今まで喋ったこともないような同僚が、寄ってたかって私の仕事を手伝ってくれたため、定時内ですべての仕事が片付いた。


「え、なんで……」


 定時で上がれると思っていなかった私はデスクの前で呆然とした。


(おかしい、なにかがおかしい……)


 いつもなら皆が私に仕事を押し付けてきて、終わらない残業スパイラルに陥っていたのに。定時で上がれることなんてほとんどなかったのに。

 とにかくやることがない私は、呆然としたまま家路につこうとした。こんなに早く家に帰ったところで、やることがない。


(カウカシアだったら、ゾーイやミミィ、オスカー、それにお母さまがいたのに……)


 ふとそんなことを思いだして、鼻の奥がツンとした。

 カウカシアのみんなは元気だろうか。私とエリナの中身が入れ替わっても、きっといつも通り日常は続いているはずだ。エリナ・アイゼンテールはシルヴァ・ニーアマンと近々正式に婚儀をかわすだろう。優しいシルヴァのことだから、きっとエリナを幸せにしてくれるはずだ。


(……なんか、そう考えると複雑だし、ちょっと凹むなあ……)


 ため息を押し殺し、トボトボと会社の廊下を歩いていた私の肩を、誰かが叩く。


「恵里菜、なんで俺をおいていくんだ? 一緒に帰ろうぜ」

「ひゃ、ひゃあああい!? って、なんでいきなり呼び捨てなの!?」


 私は驚きすぎて固まる。目の前には、営業部の同期が立っていた。確か、名前は田中さんだったはず。

 彼はいつも定時ギリギリに仕事を投げてはダラダラと雑談していく、ちょっと苦手な人だった。だけど、近くでよくよく見れば、ちょっぴり家じゅうに貼られていたポスターのアイドルに似ている気もしなくもない。

 馴れ馴れしく話しかけてきた同期は、怪訝そうな顔をする


「おいおい、そりゃ絵里奈と俺は付き合ってるから呼び捨てくらい当たり前だろ?」

「つ、つ、つ、付き合ってるーッ!?」


 私は叫んだ。


(26年、男性とお付き合いしたことが一切なかった私が、付き合っているですって!?)


 ありえない。

 そんなこと、絶対にありえない。


(も、もう、わけが分からないよ……!?)


 私はパニックになりながら、じりじり後退すると、「ぐ、具合が悪いから、今日はお先に失礼します!」とだけ言って走り出した。


「ど、どうしたんだ!?」


 と、走り去る私の背後から困惑した声が聞こえてきた気がするけれど、私はそれを無視して会社を出る。

 そこからどうやって家にたどり着いたのかは、よく覚えていない。気付いたら、いつの間にか私は家に帰りついていた。定時で上がったし、特に大したことはしていないはずなのに、へとへとだ。

 先ほどから、携帯は鳴りっぱなしだ。どうやら、先ほどの私の恋人が心配して私にメッセージを送っているらしい。しかし、絶賛混乱している私は携帯をチェックする気にもなれなかった。

 私はフラフラとベッドの上に倒れこむ。


「ど、どーなってるのよ!?」


 私は頭を抱えた。

 私がエリナ・アイゼンテールの人生を変えたように、エリナ・アイゼンテールもまた、私の人生を変えてしまったらしい。

 その証拠に、仕事は定時で上がれるし、同期と付き合っているし、アイドルの追っかけという趣味もできている。

 無趣味で仕事ばかりに没頭し、恋人を作らなかった私とは大違いだ。エリナ・アイゼンテールは現代社会をかなり謳歌していたらしい。


「と、とにかく落ち着いて、もう一度状況を整理しなきゃ……」


 そう思った瞬間、私は大あくびをした。強い眠気が、私の意識をさらう。私は慌ててブンブンと頭を振る。寝ている場合じゃない。


「寝たらだめよ、私……。でも、五分、五分だけなら……」


 私はそう言いながら、ついに意識を手放した。

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