106.妄執の果てに
一連の流れを黙って見ていた騎士団長が、私たちの肩を抱くと豪快に笑った。
「いやあ、おアツいなあ。俺もうちの嫁とそんな時期があった気がせんでもないが、遠い昔のことすぎて忘れたな!」
笑いながら、団長はシルヴァの背中を遠慮なくバシバシ叩く。
シルヴァは苦笑した。
「口ではそう言いますが、団長は今でも立派な愛妻家ですよ。奥方への手紙を毎日書く筆まめな一面があるの、俺はちゃんと知っていますからね」
「がはは、目ざといヤツめ。――さて、雑談はここまでだ。人払いもすんだことだし、コイツの今後について話すとしよう」
真面目な顔をした騎士団長はふと声をひそめ、親指で後ろをグイッと指さした。そこには、一人の痩せた神経質そうな男が立っている。
私は首を傾げた。
「えっ、誰……って、ローラハム公!?」
あまりにいつもの姿と違うため、一瞬で目の前の人物がローラハム公だと分からなかった。
騎士団長に連行されてきたローラハム公は、逃げないようにロープでグルグル巻きにされており、何やら様子がおかしい。
いつも乱れのないオールバックは乱れっぱなしで、服はあちこちほつれ、靴は片方はいていない。それに、いつも鋭い眼光も虚ろだ。なにか小声でぶつぶつとしゃべっている。
「ローラハム公は、どうしてしまったのですか……? 魔法の影響……?」
「ああ、どうやら例の魔法は人間の身体は傷つけないが、その代わり敵愾心や気力を失わせるものだったらしい。しかも、敵意が強ければ強いほど、精神に干渉する類のな」
「はあ……」
「結果として、こちらに強い敵意を持っていたローラハム公はこのザマだ。まともに会話も成り立たないときもある」
騎士団長は軽くローラハム公を小突いた。しかし、ローラハム公は相変わらず小声で何かを呟いている。
「まあ、怪我人を一人も出さずここまでやれるとは、すごい魔法を使ったもんだ。崖や森までふきとばしたのは、ちとやりすぎな気もするが……」
「あはは……」
私は苦い笑みを浮かべる。正直、自分がどんな魔法を使ったか、記憶が定かではない。恐らく、同じ魔法は二度と使えないだろう。
騎士団長は私をじっと見据えた。
「しかしまあ、よくできた魔法だな、――預言者エミィよ」
「!?」
私は驚いて騎士団長を見上げた。その反応を見て、騎士団長は難しい顔をしたあと、大きな息を吐く。
「カマをかけたつもりだったが、当たりだな」
「あっ……」
「気づいているのは俺だけだと思うから安心しろ。なんせ俺は多少勘がいい。おかげで、この年まで生きながらえることができたんだ。それに、預言者エミィの正体は、最初からうすうす気づいていた」
「最初から!? な、なぜですか!? 姿は変えていたはず……」
「多少考えればわかる。夜の国の住民が、難なく文字を読み、あれほど訛りのない公用語を流ちょうに喋るのはなぜか? 預言者エミィが忽然と姿を消し、その代わりに消えたはずの妖精嬢が現れた理由は? それに加え、ローラハム公の呟きだ。最初は聞くに堪えない妄言かと思っていたが、根気強く聞けばお前さんは実の子でないと言っているじゃないか。……まあそれらを加味すると、おのずと答えは出てくるわな」
「そ、そんな……!」
「そう警戒してくれるな。別に、俺はお前さん出自や魔法のことについての秘密は他言するつもりはないさ。人の家のゴタゴタに首を突っ込むほど、俺も暇じゃないんでな」
そう言うと、騎士団長は太い腕をゆっくりと組んだ。
「お前さんについての真実を知っているのは、限られた人間のみ。それに加えて、ローラハム公は、魂が傷ついたことにより、多少妄言がひどくなっている。これから先、コイツがいうことに耳を傾けてやるモノ好きはいないだろう。まあ、こいつは俺が適当に処分しておくさ」
騎士団長の言葉を信頼していいか迷った私は、シルヴァをちらりと見る。シルヴァは大きく頷き、「この人は、信頼しても大丈夫だ」と断言した。
私は安堵の息を吐くと、改めて騎士団長に丁寧に頭を下げる。
「何から何までありがとうございました」
「まったく、お前さんも難儀な星の下に産まれたようだな。これから大変になるぞ」
「……ええ、わかっています」
私はしっかり頷いた。
領主であるローラハム公はほどなくして失脚するだろう。アイゼンテール家はしばらくてんやわんやの大騒ぎになるはずだ。
それに、夜の国のこともある。もう二度と夜の国の住民たちが、カウカシアの人間によって密猟されないように計らわなければ。再びヤツェクを怒らせてしまえば、あっさりカウカシアは滅ぶ可能性も否定できない。
とにもかくにも、解決しないといけない問題は山ほどある。騎士団長の言うように、これから私は大変になるだろう。
それでも、私はにっこり微笑んだ。
「でも、私は一人じゃありません。シルヴァ様がいますから」
私の一言に、シルヴァががっしりと私の肩を抱いて、胸を叩いた。
「そうです。何があっても、俺はエリナの味方ですから」
「エリナ、だと!?」
ふいに、私の名前を聞いたローラハム公が、甲高い声をあげ、はじかれたように顔を上げた。そして、焦点の合わぬ目で私をねめつけると、ヨロヨロと私に近づいてくる。
「飼育してやった恩を忘れたか、この怪物! 夜の国へ帰れ!」
もはや、私への憎しみだけを動力にして、虚ろな目で私を罵倒するローラハム公は、一周まわって滑稽だった。
かつて父だと思っていた男は、果て亡き欲望を追求し、権力への妄執の果てに身を滅ぼした。
愛されたいと思っていた人には愛されず、子供たちにも距離をとられたまま。
(うーん、ここまでくると、ローラハム公がなんかちょっとかわいそうな気もしないでも――……)
「おい、聞いているのか! この汚らわしい泥漿から生まれた悪魔――」
こめかみから、「ビキッ」と血管が切れるような音がした。脳裏に走馬灯のように今までのローラハム公とのろくでもない思い出がよみがえる。
今まで散々私を冷遇し、夜の国の魔物たちに酷い目にあわせてきたローラハム公に、悪魔なんて呼ばれたくない。
さすがに我慢の限界だ。
「黙って聞いてれば最後の最後まで言ってくれるわね!? アンタだけには言われたくないっつーーの!!!!」
私が叫んだ途端、身体中から魔力がほとばしり、雷が二、三発落ち、ローラハム公の目と鼻の先に大穴があく。
ローラハム公は「ヴ」とも「ギャ」ともつかない情けない声をあげながら、怯えた顔で地面に情けなくへたりこんだ。
「おいおい、エリナ、流石にやりすぎだ!」
「お前さん自分の魔法のこと隠す気あるのか!?」
シルヴァと騎士団長が、肩で息をする私と泣き出しそうな顔をしたローラハム公の間に入る。
私はハッとして手で頰を抑える。
「やだ、私ったら……」
怒りで我を失ったとはいえ、少々やりすぎた。
ブルブルと震えるローラハム公を引きずり、私から引き離すと、騎士団長は引きつった顔でシルヴァを指差す。
「おい、シルヴァ 、お前は今後絶対婚約者のお嬢様を怒らせるなよ。こりゃ第一騎士団が束になっても敵わんぞ」
「肝に命じておきますよ」
シルヴァは肩をすくめて苦笑すると、コクリと頷いた。