105.最強の魔法
走馬灯のように、全てがスローモーションで視えた。私の横に立つシルヴァは、広い背中で私を隠すように立つと、剣を構えた。
目の前には、私たちの命を狙うローラハム公の手下たちがどんどん迫ってきている。その眼は獰猛で、ギラギラしていた。さながら獲物を狙う肉食獣のようだ。
まさに、私は今大ピンチという状況のはず。なのに、――なのになぜ、こんなに心が凪いだように落ち着いているんだろう。
(ん、待てよ……。この展開、どこかで……)
私は考えを巡らせた。ふと脳裏によみがえったのは、過去大ピンチになった時の思い出だ。
(えーっと、崖崩れに巻き込まれかけた時と、ブルスターナに向かう途中で山賊に襲われた時に似てる気がするのよね。デジャヴっていうのかしら、これ。あの時はどうしたっけ……)
そこまで思い至った時、ハッとした。
「ああ、こういう時に魔法使えばいいんだわ!」
ポン、と手を叩くと、私は一歩前に出て手を伸ばす。自ら敵に近づいていった私にシルヴァはぎょっとした顔をした。だけど、今は詳しく状況を説明している場合ではない。
なんせ、敵は目前。絶体絶命のピンチに違いないのだから。
(こうなったら自棄よ。どこまでやれるか分からないけど、ありったけの魔力を使っちゃうんだから!)
身体中の血が沸騰したように熱く、ビリビリと震える。身体の中のありったけの魔力が、今まさに私の身体から放たれようとしていた。
手のひらに強大な魔力が集まってくる。本能的に、これをぶっ放せば絶対勝てるという確信が私の中にあった。
(忘れていたけれど、そう言えば私、並大抵の人より強いのよね)
何たったって、悪役令嬢の妹のくせに、世界を一瞬で破滅させられる力を持つ魔王と、時を操る魔女の子なのだ。弱いはずがない。
むしろ、人間の中では間違いなく最強といっても過言ではないはずだ。
私は祈った。せめて、私が大好きな人たちだけはこの魔法に巻き込まれないように、と。
「どっせ――いっ!!」
私の間の抜けた掛け声とともに、眩しい光の渦が眼前に広がった。そして、遅れて轟音が響き渡る。身体中の力がどんどん抜けていく。
(やばい、意識が朦朧と……)
薄れゆく意識の中、急に誰かが私の名前を呼びながら肩を掴んだ。私を支える手は限りなく優しい。もう大丈夫だ。
「最初から魔法ぶっ放しとけばよかったぁ……」
最後にそれだけいうと、私はついに意識を手放した。
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「いやあ、しかし派手にやったよなあ……。森が吹き飛ぶくらいの魔法なんて、聞いたことないぞ」
苦笑交じりの野太い声で、私は目が覚めた。身体がとんでもなく重い。ズキズキと痛む頭を振りながら半身を起こすと、私は周りを見渡す。
「こ、ここは……」
「あら、あらあら! やあん、この国の大英雄がお目覚めになったわよ!」
「アンジェリカさん!?」
私は驚いて目を丸くする。そこにいたのは、アッシュブロンドの髪をポニーテールにした、第一騎士団の女騎士、アンジェリカだった。
当のアンジェリカは妖艶な笑みを浮かべ、両手を広げると、ぎゅうぎゅうと抱き着いてくる。
「もう、怖かったわよね。ここは、第一騎士団のキャンプの中だからもう大丈夫。安心して。……一応ざっと見たところ、怪我はないようだけど、どこか痛いところはない? お姉さんがお手当してあ・げ・る!」
「あ、アンジェリカさん、苦しい……。胸を押し当てないでください……」
「あら、うふふ、ごめんなさい!」
おもむろに私から離れたアンジェリカは、私の頬をそっと撫でて蠱惑的な笑みを浮かべる。
アンジェリカの後ろから、現れた第一騎士団のそばかすの騎士、フィンが呆れた顔で私からアンジェリカを引きはがす。
「おい、アンジェリカ、人の婚約者にまで手を出すなよ! ――シルヴァの婚約者のお嬢さん、アンジェリカがすまないな。水を飲むか? さすがに喉が渇いてるだろ?」
フィンはコップを差し出す。
確かに喉が渇いていたため、ありがたくコップを大人しく受け取ろうと腕を伸ばした私は、途中でハッとした。自分の手の大きさが、思っていたよりかなり小さい。
(寝ている間に元の姿に戻ったんだわ!)
どうやら、いつの間にか変身の魔法がとけてしまったらしい。
未だにぼんやりする頭で何とか記憶の糸たぐると、大勢の強兵を相手に魔法を放ったところまでは覚えていた。
「……はっ! それより、シルヴァ様は!? ローラハム公はどこに!?」
私はうけとった水をグイッと一気に飲んで、慌てて硬いベッドから飛び降りる。そして、アンジェリカたちが止めるのも聞かず、ふらつく足で外に出た。
そこに広がっていたのは、見慣れないだだっ広い荒野だった。
「え、ここ、どこ……?」
私は呟く。
キョロキョロとあたりを見渡すと、広大な荒野の他に、意気消沈して連行される傭兵崩れの男たち、そしてきびきびとその男たちを縛り上げる第一騎士団の騎士たちの姿も確認した。異様な光景だ。
「こ、これはいったい……」
「やだ、覚えてないの?」
「えっ? な、なにを……?」
困惑する私に、アンジェリカとフィンは首を傾げた。
「シルヴァから聞いたぞ。お嬢ちゃん、シルヴァと一緒に、愛の魔法を使ったんだろ? それで、あんまりにも強力な魔法だったからこのあたり一帯の森がふきとんだっていう……」
「えっ、あ、あああああ、愛の魔法で森をふきとばした!?」
私の声が裏返る。
当然だった。愛の魔法とは、カウカシア王国に伝わるどんな魔法よりも強力な魔法だと言われている。エタ☆ラブでは、主人公と愛情度が最大値になったメインキャラクターしか使えないとっておきの魔法だ。
もちろん、そんなもの使った覚えはない。使ったのは自前の魔力だけのはず。
驚く私の反応を見たフィンは、眉毛をひょいっとあげる。
「おいおい、とぼけても無駄だぞ! ローラハム公に追い詰められたシルヴァとエリナ嬢は、『愛の魔法』で悪党を一網打尽にしたんだろう! さすがだなぁ」
「へ、へええ!?」
知らないうちにそんな話になっていたらしい。しかし、ここで否定すると後々面倒なことになる。
私は否定も肯定もせずに引きつった笑みを浮かべた。
「あ、えっと、ごめんなさい、私、ちょっと記憶が曖昧で……」
「ああ、そりゃそうだよな。実の父親から裏切られたんだ。ショックも大きいはずだ。それにしても、ローラハム公も酷いことするよなあ……」
アンジェリカとフィンは、私に同情の目を向けたあと、あれこれ教えてくれた。
二人によると、ローラハム公が私たちを強襲したとオスカーからの知らせを受け、第一騎士団が私たちのもとについた時には、すでに全ての決着がついていたらしい。
森だった一帯はすっかり荒野になっており、ローラハム公とその手下たちは恐れをなして気絶したり、その場にへたり込んだりしていた。
そして、荒野の真ん中にシルヴァが気を失った私を抱えて呆然と立っていたという。シルヴァは、騎士団長に「愛の魔法」を使った、と説明したという。
私は内心頭を抱えた。
(シルヴァ様ったら適当なことを……! 確かにあんなに強力な魔法、愛の魔法を使ったとしか言い訳できないかもしれないけれど。でも、それではまるで、私たちが恋人同士みたいな……)
そこまで考えて、私は一人真っ赤になる。
しかし、よくよく考えてみれば私とシルヴァはれっきとした両想いであり、そうなると必然的に恋人同士、という関係になるはずだ。いまだに少し信じられないけれど、おそらく正しい認識ということで間違いない。
一人赤面する私の頬を、アンジェリカはぷにぷにと人差し指でつついた。
「まあ、シルヴァとアイゼンテール家のお嬢ちゃんが惹かれあっていたことに、私はとっくの昔に気づいていたわよ。でもね、まさか愛の魔法まで使えるほど深い愛なんて……」
「二人とも、よっぽど好き合っていたんだなあ」
「シルヴァにとって、アイゼンテールのお嬢ちゃんはそれはそれは特別だったのね」
「それにしても、話で聞き限りだと俺はずっとシルヴァの片思いだとばっかり思ってたなあ」
にこにこと笑いながらアンジェリカとフィンは温かい視線を私にむけた。私はその視線から逃れるように俯く。
「……わ、私たちのことは、どうでも良いじゃないですか! そ、それより、話の続きを……」
私の問いに、フィンは首を軽くひねった。
「うん? あとは特に話すことはないぞ。強いて言うなら、そうだな……。あっ、そういえば、夜の国の使者がいなくなったな」
「ああ、預言者エミィとあの背の高い男ね? 本当に忽然と姿を消したらしいわよ。おしゃべりしてみたかったのに、残念。特にエミィちゃんは目深にフードを被っていて顔は見えなかったけど、絶対可愛い顔してたとおもうのよねえ……」
私は再び引きつった笑みを浮かべる。預言者エミィは私だから、忽然と消えるのも当然の話だ。オスカーはおそらく、ヤツェクに報告しに夜の国に向かったのだろう。
(帰りが遅いから、お父さまは心配してるだろうなあ……)
過保護なヤツェクはきっと私の勝手な行動に度肝を抜かれるに違いない。
こちらの事情は一切知らないフィンは、頬をかいて話を変えた。
「それにしても、大変だったなあ。長い間行方不明と聞いていたけど、ローラハム公の追手から逃れて、このあたりの森にずっと潜伏してたんだろ? たまたまこの森をシルヴァが通りかかって良かったなあ」
「あ、あはは。そ、そうですね……」
「しかし、どうやって一人で生きてきたんだ? 食料とか、寝る場所とか、大変だっただろう」
「あー、えっと、親切な方々にお世話になりまして……」
フィンからの答えにくい質問に口をモゴモゴさせていると、キャンプ近くにいた騎士たちが急にざわつき始めた。
振り返ると、騎士団長とシルヴァが並んで話しながらこちらに歩いてきている。
「シルヴァ様!」
私は思わず駆け寄った。シルヴァは顔を上げてこちらを見、輝くような眩しい笑みを浮かべた。多少疲れた顔はしているものの、怪我もなく、元気そうだ。
「エリナ!」
シルヴァは駆け寄ってきた私を、膝をつき、かたく抱擁して頭を撫でた。あまりに自然な動作だったので、私はされるがままになってしまう。
まわりから、おおっ、とどよめきが走ったけれど、シルヴァは気づいていないようだった。
「……良かった。いくら呼んでも目を覚まさないから、もう目覚めないかと……」
低くかすれた声が、火照る耳に届く。
「し、シルヴァ様、心配をおかけしたことは謝ります! ですが、皆さんの前でそれは……っ!」
「……おっと、すまない」
シルヴァはおずおずとぎこちなく身体を離す。いつもの飄々とした顔に変わりはないものの、心なしか顔が赤い。
「俺はどうやら、気持ちが昂りすぎたようだ。少し落ち着かないとな」
シルヴァはガリガリと頭を掻く。
まわりの騎士たちがからかい交じりの口笛を吹いたり、羨望の眼差しを向けたりした。アンジェリカにいたっては「見せつけてんじゃないわよ」と、ブーイングしている。
シルヴァがうざったそうに手を振った。
「おい、俺たちは見世物じゃないんだ。さあ散った散った! 仕事しろ!」
シルヴァの一言で、騎士たちは渋々といった様子で散っていった。
最初からローラハム公に魔法ぶっ放しとけばよかったんですよね~(元も子もない発言)
ブックマーク、評価等ありがとうございます!
あと3、4話+後日談で終わる予定です! 約一年半書いてきたので、本当に寂しいです……。