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104.ピンチピンチの大ピンチ

 最初の威勢はどこに行ってしまったのか、すっかりローラハム公は戦意喪失した様子だった。いつもの威厳は微塵も感じられない。ローラハム公が引き連れてきた大勢の手下たちは、混乱した様子でただこちらの様子を眺めていた。

 ため息をついたあと、シルヴァは腕を組んだ。


「これで一件落着か。このままこの大罪人は、第一騎士団に引き渡す。手下たちは、まあ勝手に退散するだろう」

「え、ええ……」


 私はとりあえず頷きながら、ローラハム公をちらりと見た。

 相変わらず、ローラハム公は地に膝をつき、ぶつぶつと何かを呟いてうなだれている。あまりに情けない姿に、私は憐憫すら感じてしまう。


(なんか、ここまでくるとちょっと哀れになってきちゃった……)


 ローラハム公のことは未だに許せそうもないけれど、かと言って大の大人が泣いているのを放っておくのも気が咎める。

 五体投地せんばかりの勢いで嘆き悲しむローラハム公に、私は恐る恐る近づいた。


「あの……、大丈夫?」

「……グスッ、もう、終わりだ……。ソフィアに嫌われては、もうおしまいだ……。生きている意味なんて、ない……。グスッ、……す、すべては、ソフィアのためだったのに……」

「ほら、人生長いし、多少嫌われた程度でそんなに落ち込まなくても……。難しいかもしれないけど、改心すればいずれ挽回できるかもしれないじゃない?」


 かつて父親だと思っていた男の背中を、私はそっとさすってやる。

 ローラハム公ははじかれたように顔を上げると、信じられないものを見るような顔でこちらを見た。


「う、嘘だろう……?」

「嘘って、なにが?」

「……ソフィアが、私を気遣うなんて」

「えっ、そりゃあ、普通落ち込んでいる人を見たら、多少気遣うくらいはすると思うけど……」


 私はうっかり素のままで答えてしまった。

 ローラハム公は私の顔をじっと凝視したあと、なにかを確信したような、いびつな笑みを浮かべてよろよろと立ち上がる。


「そうか、そういうことだったのか……」


 ローラハム公はくっく、と低く笑う。そして、呆然とする私を前に、ローラハム公は前触れもなく高笑いを始めた。

 私は驚いて硬直する。


「えっ、急に笑い出してどうしちゃったの? ついにおかしくなった!?」

「……わかったぞ、わかったぞ。よく似ているが、お前はソフィアではないな?」 

「!」


 突然の一言に、私は驚いて口をパクパクさせる。


「……えっ、な、なにを言ってるの!? 私はソフィア・アイゼンテール、貴方の妻よ!」

「フン、今の言葉で確信したわ。吾輩の知っているソフィアは、どんな状況であっても吾輩に慰めの言葉をかけるなど絶対しないし、吾輩の妻である名乗ることもない。なんせ婚儀を結んだ次の日から幾度となく何度も離縁の申し出をされているのだからな!」

「えっ、うそでしょ!? 結婚して即離縁の申し出!? どんだけ嫌われてるのよ!」


 どうやら私が把握していたよりずっとこの二人の夫婦仲は悪かったらしい。

 ローラハム公から話を聞いている限り、ソフィアはローラハム公のことを心底嫌っていることは容易に想像がつく。そのせいで、私が偽物だとバレてしまった。


(ああ、最悪……。せっかく計画がうまくいっていたのに、私が最後に余計な同情をしちゃったばっかりに全部台無し!)


 私はなかなかどうして、いつも最後の詰めが甘いのだ。

 額に青筋を浮かべたローラハム公は、私をねめつけた。碧眼は憎悪で爛々と光っている。


「美しいソフィアの姿を真似た愚か者め! 吾輩は、最初からおかしいと思っていたのだ。ソフィアの動向は全て把握している。しかもソフィアが城の外に出たときには、魔術具を通して吾輩の耳に届くようになっている。しかし、ソフィアについては何の知らせもなかったからな!」

「げえ、なによそれ、気持ち悪い! ずっと監視してたってこと!? 束縛ヤバすぎて、もはやストーカーじゃない! だから嫌われるのよ!」


 私の一言は、どうやら図星だったらしく、ローラハム公はみるみる真っ赤になっていく。


「えええい、うるさい、うるさい! 黙れ! お前たち、密書を奪え!」

「残念、私たちの密書は白紙なの」


 私は胸ポケットから出した手紙を広げて見せる。


「な、なにぃ!? まさか、おとり……!」

「ええ。地上の伝令たちはみーんな囮よ! 今に密書をもったドラゴンが首都に出発するはず」


 そう言った途端、キュオーン、という鳴き声が上からして、私たちの上を黒い竜が悠然と旋回する。足首には、密書の入った大きなカバンが括りつけられているのが見えた。


(よかった、計画通りだわ!)


 騎士団長には、私たちがローラハム公と鉢合わせをした時、密書を持った竜を出発させるように伝えていた。ローラハム公たちの気を完全に逸らすためだ。

 ローラハム公は慌てて部下に密書を持った竜を打ち落とすように指示したものの、遅かった。竜は猛スピードでブルスターナの方向に飛んでいく。


「これで、密書は確実に皇帝のもとへ届くでしょう。ローラハム公、貴方の悪事は全て白日のもとに晒されるわ。観念して首を洗って待っていることね!」

「フン、最後の最後まで諦めるものか! 意地でもお前たちを殺してやる。そして、お前たちが吾輩の転覆を狙ったクーデターを仕掛けたと証言しよう。お前たちは反逆者として歴史にその名を刻むのだ」


 ローラハム公がつかみかかってきたその時、馬に乗ったシルヴァが私を掴んで馬上に引き上げた。


「さあ、囮のしての役割はもう終わりだ! 逃げるぞ! まったく、自分の身を呈して囮をやるとは、相変わらず困った婚約者だな」

「逃げるか、小癪な! 待て!」

「この状況で、待てと言われて待つお人よしはそうそういない!」


 シルヴァは素早く手綱を引くと、猛然と走り始める。私たちの背後で、ローラハム公は手下たちに命令した声が響き渡った。


「お前たち、今こそ出番だ! あの恥知らずどもを殺せ! 一番惨たらしく、残酷にな! あいつらの首を持ってきたものには、一生遊んで暮らしていけるカネを与える!」


 ローラハム公の言葉を聞いて、下品な笑い声と共に獰猛な雄たけびが、森の中に響き渡った。


「狩りの時間だ! 追え!」


 ローラハム公の掛け声を合図に、カネに眼がくらんだ男たちが、仲間うちで押し合いへし合いしながら、死に物狂いでこちらを追ってくる。

 シルヴァは巧妙に馬を操り、ローラハム公の手下たちからの猛攻をかわし、森の中を猛スピードで逃げる。

 逃げ切れば、私たちの勝ちだ。

 しかし、徐々に状況は圧倒的に不利だと私は気づいた。

 敵が多すぎてどこに逃げようにも、敵を振り切ることができない。その上、ここはローラハム公の治める領土内だ。地の利は明らかにローラハム公側にあった。

 ふいに、猛然と馬を走らせていたシルヴァが舌打ちをしてスピードを緩めた。私は驚いてシルヴァを振り向く。


「ど、どうしましたか? 早く逃げなきゃ……」

「いや、このままいくと崖があったはずだ。つまり、行き止まりってわけだ」

「そんな! なんとかして崖を避ける方法は……」

「駄目だ、敵には巧妙に挟み撃ちにされている。崖を無理やり超えたところで、回り道をしたヤツらが絶対に待ち構えているはずだ。罠にはめられたようだな……。第一騎士団が来るまで時間稼ぎができなかったか」

「……ごめんなさい。最後の最後で、私が余計なことをしたばっかりに……」

「気に病むことはない。しかし、エリナの優しさが今回ばかりは仇になってしまったな」


 シルヴァは難しい顔をして首を振った。

 そうこうしている間にも、荒々しい足音はどんどん近づいてくる。


「殺せ!」

「あいつらの首をローラハム公に差し出せ!」


 野蛮な叫び声がこちらまで聞こえた。

 シルヴァは、意を決したように短く息を吐くと、私を後ろから固く抱きしめた。


「ひゃっ……! し、シルヴァ様!?」

「エリナ、今まで幾度となくピンチを乗り越えてきたが、悪運も尽きたようだ」

「そ、そんな……」

「大丈夫だ、と見栄を張りたいところだが、あそこまで大勢の男たちを相手にするのはさすがの俺も限界がある。山賊かぶれ程度なら余裕なんだが、相手は傭兵崩れだ。俺もどうなるかわからん」


 耳元で囁かれるシルヴァのかすれた声は、緊張が滲んでいた。


「エリナは何とかして逃げるんだ」

「し、シルヴァ様は……?」

「俺はここに残って時間を稼ぐ」


 私はシルヴァの一言に息を飲む。


「そんな……。嫌です! シルヴァ様を置いていってしまったら……」

「大丈夫だ。あとで、俺もエリナのあとを追う」


 見え透いた嘘だった。いくらシルヴァが強くても、多勢に無勢だ。ここで一人シルヴァを置いていけば、きっと大勢のローラハム公の手下に囲まれ、シルヴァは消耗戦を余儀なくされ、遅かれ早かれ殺されてしまう。

 私は首を振った。


「シルヴァ様を、置いてはいけません。私もここに残ります」

「頼む、言うことを聞いてくれ。エリナ、愛する君だけには幸せに生きてほしい」

「そんな、縁起でもないこと言わないでください!」


 シルヴァは黙って首を振ると、優しく私の耳に口づける。温かい吐息が、かすかにふるえていた。

 迫りくる別れの予感に、私の心臓がバクバクと音を立て、呼吸が浅くなる。手足が冷たい。


(どうしよう、また、シルヴァ様を失ってしまう。でも、過去に戻る魔法はもう使えない!)


 私は、頭の中が真っ白になった。


☆ブクマ、評価等ありがとうございます!

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