103.断罪の時
マントを目深に被った私とシルヴァは、猛然と決戦の地に馬を走らせた。
丘の向こうから、立派な青毛の馬に乗ったローラハム公と、傭兵崩れの男たちがこちらに向かってくるのが見え、自分にとある魔法をかける。
私は生唾を飲んだ。
(もう、これ以上の失敗はできない)
私の緊張していると敏感に気づいた馬が、不安げに嘶いてしきりにこちらを気にしている。
緊張する私の背中を、シルヴァがそっと叩いた。
「大丈夫だ。手筈通りにやれば良い」
「……はい」
「失敗しても、すぐに第一騎士団が駆けつける。オスカーが呼びに行っているんだろ? あいつが途中で居眠りしたりしてなきゃ、よっぽど大丈夫だろう」
シルヴァは、私を安心させるようにウィンクする。私は少し強張った顔のままなんとか笑みを浮かべると、シルヴァは私の頭をくしゃりと撫で、馬の手綱をひくと、ローラハム公のもとへ向かった。
「これはこれは、ローラハム公ではないですか! こんな場所で会うとは、奇遇ですねえ!」
シルヴァが大げさなまでに陽気な声で、ローラハム公に手を振った。シルヴァの存在に気づいたローラハム公が、片頬を吊り上げてニヤリと笑う。
「なんと、密書の使者はお前だったのか。これは話がはやい」
「と、いいますと?」
「シルヴァ・ニーアマンよ、賢いお前ならわかっているはずだ。その密書は吾輩の権力を脅かす可能性がある重要な情報が書かれている。皇帝に届けさせるわけにはいかぬ。さあ、密書を渡せ」
ローラハム公は顎をそらしてシルヴァに偉そうに言い放った。シルヴァは肩をすくめる。
「そうは言われましても、そう簡単に、渡すことはできません。これは仕事なんでね。……ただし、見返りしだいで検討してもいい」
「フン、この期に及んでどこまでも野心家な男よ。よかろう、望むものを言うがいい」
「そうですねえ……」
「おっと、生き残っていれば、の話だ」
そういうと、ローラハム公は後ろに控えていた手下たちを顎でしゃくって命令する。
「やれ、お前たち! 密書を奪い、あの二人を殺せ」
「おっと、そんなことして良いんですか?」
ローラハム公が手下たちに命令したのを、シルヴァは素早く牽制した。
「こちとら、そちらが手荒な真似をすれば、密書を灰にすることだって簡単にできるんだ。俺たち以外にも、密書の使者はいる」
「フン、別の使者ならすでにこちらの手の内に落ちた」
ローラハム公の一言に、私の背中に冷たい汗が流れた。しかし、シルヴァは動揺した様子をおくびにもださない。
「まあ、そんなもんだと思いましたよ。ローラハム公、貴方は抜かりない方だ。しかし、こちらの手の内は、それだけじゃない。そこにいるご婦人は……」
シルヴァは私を指さしてニヤリと笑う。
「ローラハム公、貴方の奥方であるソフィア様ですよ」
ソフィア、という名前を聞いて、ローラハム公の神経質な鉄面皮がみるみる驚きの表情に変わっていく。
「そんな馬鹿なッ!? そ、ソフィアが、そんな、まさか……」
「そのまさかですよ、ローラハム」
ここぞというタイミングで、私は馬から下りると、目深に被っていたマントをおもむろに脱いだ。隠していた長い銀髪が零れ落ちて肩にはらりとかかる。
「そ、ソフィア……」
ローラハム公がマントを脱いだ私を見て、大きく息を飲んだ。
私がローラハム公に会う寸前に自分にかけた魔法は、ソフィア・アイゼンテールに姿を変える魔法だった。
そうは言っても、成長した私とソフィアは瓜二つのため、そこまで姿を変える必要はない。やったことと言えば、多少体の線を細くし、眼の色を緑色に変えた程度だ。
しかし、それでローラハム公を騙すのには十分だった。
ローラハム公は震える声で訊ねる。
「そ、ソフィア、君が、なぜここに……ッ!?」
「なぜ? 貴方の悪事を、これ以上看過することができなかったからです」
「な、なぜだ……。ソフィア、君に知られないように、全て計画通り、水面下で進めていたはず……」
「夜の国の魔物たちを密猟していたことですか? それとも、密猟で得た資金でひそかに傭兵崩れの私軍を作り、夜の国を蹂躙し、この国の転覆をも目論んでいたこと?」
「うっ、なぜそこまで……」
私の指摘に、ローラハム公は明らかにオドオドしていた。見たこともないほどの狼狽えっぷりだ。
(よかった、ローラハム公の唯一無二の弱点は、読み通りお母さまで間違いなかった!)
ソフィアに変身した効果は抜群だった。
ローラハム公はすぐさま手下たちに武器をしまい、絶対こちらに手を出さないように伝えると、すぐさま馬から下りた。そして、赦しを請うようにこちらにフラフラと寄ってきて、私の手に縋りつく。
じっと見られるとバレてしまいそうだったので、私はその手を荒々しくほどくと、ツン、と明後日の方向をむく。
「その悪事に染まった手で、私に触らないで。汚らわしい」
と、棘のある口調で言い放ってやると、ローラハム公は情けなく私の足元に崩れ落ちた。私の一言は思ったよりローラハム公のハートを傷つけたらしい。
大勢の手下たちが、ローラハム公を戸惑った顔で見つめていた。こんなに情けない姿を見たことがないのだろう。数多いる手下たちのなかには、エタ☆ラブの主人公であるジルもいた。やはり、雇い主が今まで見たこともないくらい狼狽えている姿を目の当たりにして、戸惑った顔をしている。
シルヴァはニヤッと笑った。
「さて、ソフィア様、完全にこちらの情報が漏れていましたね。やはり、あのコサージュはご指摘通り、盗聴器だったらしい」
「シルヴァ・ニーアマン、貴様! い、いつからソフィアと……!」
「さあ、いつでしょうね? まあ、婚約者の母上とは仲良くなっていて損はないですから」
さらりと嘘をつくシルヴァに、すっかり騙されているローラハム公は憎しみに溢れた目線を向ける。
「裏切ったな! この報いは高くつくと思え! お前だけでなく、ニーアマン家全員がこの国にいられないようにしてやる!」
「覚悟の上だ! どんなことを言われようと、俺はお前の味方にはならない! 誰もが権力や資産に対して盲目的に服従すると思うのであれば、大間違いだからな!」
いつも穏やかで声を荒げることのないシルヴァが、珍しく怒声を上げ、ローラハム公の首根っこを掴むと、乱暴に私のそばから引きはがす。
「今まで黙ってきたが、あえて言わせてもらう。俺の大事な婚約者を危険な目に遭わせやがって!」
「な、なぬ……!? 貴様、まさか、あの悪魔の子に惚れているのか!? 信じられぬ!」
「そのまさかだよ。貴公にとっては青天の霹靂かもしれないが、エリナは俺にとって、間違いなく大事な人だ。権力や、お金よりもずっと。『エリナを殺せ』などとのうのうと命令してきたときには、一発思いっきりブン殴ってやりたいくらいだった。クソ、許されるならその横っ面を一発殴りたいくらいだ」
シルヴァは荒々しくローラハム公を突き飛ばす。ローラハム公は、しばし呆然としてその場にへたり込んだ。今まで礼儀正しく、従順だったシルヴァにまで反旗を翻されるとは思っていなかったらしい。
そんなローラハム公を、私は冷たく見下ろす。断罪の時が来た。
「ローラハム、貴方は夜の国に侵略し、密猟で資金を得て、そのお金で私軍の設営し、隠れて危険な魔術具を開発していた。今までの狼藉の数々は、許されるものではありません」
「……そ、ソフィア、これには深い理由があるんだ! 愛する君には、望むものすべて与えようと決めていた。夜の国だって、君のものになる!」
「そんなもの、欲しくない。私が欲しかったのは、大事な子供たちとの時間だけ。この際だから言っておきますが、貴方が地下牢に閉じ込めたエリナを、安全な場所へ逃げられるように手筈を整えたのは、私よ」
「な、なんだと!?」
「エリナは私の大事な娘だもの。当然のことをしたまでじゃない」
私はきっぱりと言い放つ。恐らく、ここにソフィアがいれば、全く同じことを言ったに違いなかった。
「大事な娘、だと!? そんな、まさか……! ソフィア、吾輩はエリナとお前を長らく引き離した! あの小娘は、誰とも交わらず、城の外れで惨めにコソコソと生きてきたはずだ!」
「いいえ、ローラハム。今まで権力と、お金で全てを意のままにしてきたから知らないかもしれませんが、人の心は予測不可能なものなのですよ。現に、貴方が今まで蔑ろにしてきたエリナは、貴方が思っているような、惨めな扱いを受けた少女ではありません」
「な……、なにを……」
「エリナは城中の皆に愛されていたわ。貴方は知らないでしょうけど、あの子が地下牢にいる間、ルルリアとロイはエリナのことを心配して、こまめに手紙や食料の差し入れをしていたし、庭師、メイド、それから、料理人たちまで、皆がエリナの心配をしていた」
「……い、意味が分からない。……シルヴァ・ニーアマンといい、なぜあの小娘のために、そこまでやるんだ」
ローラハム公は唸るように言うと、急に地団太を踏んで激高し始めた。
「なぜだ、なぜだなぜだ! 冷遇され、なんの決定権もない、権力のためだけに存在している娘だぞ! 政略結婚させるくらいしか、価値のない娘だ!! 多少頭が回るかもしれないが、それだけだ! あんな娘のために、なぜ!!」
「ローラハム、貴方はそのエリナの存在を軽視しすぎたのよ。貴方がエリナを冷遇したからと言って、当たり前のようにみながエリナを嫌いになるわけではない。貴方はそれに気づけなかった。……そしてそれが、身の破滅を招いた」
「……ああっ、あああああああ!」
私の辛辣な一言に、ローラハム公は頭を抱えて喚く。地に向かって狂ったように慟哭するローラハム公の背中は、痛々しいほどに憔悴し、やせ細って見えた。