102.この感情の名前は
激甘回です
「そういえば、シルヴァ様が歌っている姿を見たことがない気がします。でも、ローラハム公だって四六時中聞いているわけではないと思いますよ」
「そう願いたいものだ。本当に俺の歌は酷いからな」
「いつか聞いてみたいものです」
「いつかな。今日のところは遠慮しておこう。どこで誰かが聞いているか、わかったもんじゃないからな。……しかし、こうやって、二人水入らずで雑談できるのもしみじみ嬉しいな」
シルヴァは私をまっすぐ見つめた。
「本当に、こうやってまた会えてよかった。」
「……ご心配をおかけしました」
「いいんだ。複雑な事情があったようだし。さっきは言い忘れたが、大変だっただろう。一人でいろいろ悩んで、頑張ったんだな」
優しく、大きな手で私の頭を撫でたあと、シルヴァが急に眉毛をハの字にした。
「お、おい、大丈夫か? なんで泣いてるんだ?」
「えっ、泣いて……? あっ、本当だ……!」
私は慌てて目をこすったけれど、無駄だった。一度泣き出してしまうと、涙は止まらない。悲しいわけでも、苦しいわけでもないのに。
そんな私を、シルヴァはそっと抱きしめた。
「よしよし。よっぽどローラハム公に命を狙われたことが怖かったな? それとも、夜の国はそんなに嫌だったか? 体調が悪いわけではないよな?」
すべての事情を知るよしもないシルヴァは、私にあれこれ心配そうに尋ねる。
私は首を振った。
「大丈夫、です。……すっ、すぐ、……泣き止みます……」
「無理するな。好きなだけ泣けばいい」
「……ありがとうございます。…………本当に、……また、会えて良かった……」
一度失ってしまった温もりを再び取り戻せた実感が、緊張で張り詰めていた心を溶かし、涙となって溢れていく。
しゃくりを上げて子供のように泣く私に、シルヴァは子供をあやすように背中をトントンと叩いてくれた。
(きっと、私が『シルヴァ様の命を救うために、自分に剣を突き刺すような真似をしました』、なんて正直に言ったら、激怒するだろうなあ……)
内心苦笑しつつ、私はシルヴァの胸に頭をすりよせる。
こうやって、シルヴァとまだ一緒にいられて心の奥底から嬉しかった。私を抱きしめる温かい腕の温度が、愛おしい。
(もう二度と、この温もりを失いたくない)
過去に戻る魔法を使えるのは一度きり。もう失敗することはできない。
身体が再び緊張で強張りかけたとき、シルヴァが身体を離して私の顔を覗き込む。
「あまり一人で抱え込もうとしないでくれ」
「!」
心が読まれていたかのようなタイミングでシルヴァがそう言ったので、私は少し目を見開いた。
シルヴァは苦笑する。
「その反応を見ると、図星だったな?」
「いえ、あの……」
私がしどろもどろになっていると、シルヴァはトントン、と私の背中を叩いた。
「事情は複雑だ。俺たちが越えていかなければいけない問題も山ほどある。でも、それでも一緒にいたいんだよ」
「シルヴァ様……」
「まあ、大丈夫だ。いざとなったらこの身一つでもなんとかなるさ」
シルヴァは朗らかに笑った。その笑みに、嘘偽りの影は全く感じない。眩しさすら感じてしまうほどに。
(出会った時は権力目当てのチャラい人だとばかり思ってたけど、今は違う……)
気付けば、シルヴァはこの世界で出会った、かけがえのない人になっていた。
これほどまでに、特別だと思える人に、私は会ったことがない。イチかバチかの賭けに出て、命にかかわる怪我を負ってまで、この人のことを失いたくなかったのだ。
しばらくして、ようやく涙が止まった。私は急に気恥ずかしくなってさりげなく俯いた。夕方の涼しい風が、私の火照る頬を撫でる。
「落ち着いたか?」
シルヴァが低くささやくような声で私に訊ねる。私の胸の鼓動が跳ねた。
見つめられると恥ずかしいほどに頬が火照るのに、どうしようもなくこの人の隣にいると安心してしまうから不思議だ。
恋愛経験が著しく乏しいので、はっきりと確信は持てないけれど、この不思議な感覚が、おそらく恋なのだろう。そういえば、いつからかこのアンビバレンスな感情を、私はシルヴァに抱いていた。
(シルヴァ様は、どうなんだろう……)
そう言えば、私のことをどう思っているのか聞いたことがない気がする。私はハッとして、それからガバっと顔を上げた。
「あ、あの、急ですが、質問していいですか?!」
「ん、どうした?」
「えっと、私は、――あのっ、シルヴァ様のことお慕い申し上げておりましゅ!」
見事に大切なセリフを噛んで、私は真っ赤になって両手で顔を覆う。
「……ッ!」
「……ましゅ?」
「イヤァアアア、大事なところで噛んじゃったんです!」
「いや、それは別にどうでもいい! それで、質問っていうのは……」
「シルヴァ様、さっきの発言は忘れてください!」」
「いや、待て、忘れるわけないだろ! それより、質問……」
「…………」
しばらく、奇妙な沈黙が二人の間に流れた。
私はシルヴァの熱い視線から逃れるように明後日の方向を向いたけれど、沈黙に耐えられなくなり、重い口を開く。
「……あの、私のことどう思っているのか、聞こうと思って……」
私の質問に、シルヴァは一瞬ポカンとしたあと、天を仰いだ。
「鈍感か?」
「えっ……」
「こういう時も、いつも通りの律儀さを発揮するんだな」
そう言うと、シルヴァはガリガリと頭をかく。
「好きでもない相手のために、命をかけて危険な目に遭うと思うか? 今だって、弱小貴族の嫡男でもない貴族の端くれの俺が、あの有力貴族であるローラハム公に歯向かおうとしてるんだぞ。下手したら俺は死刑になるか、二度とカウカシアの地を踏めなくなる」
「あっ……」
言われてみれば、確かにその通りだ。それに、今までシルヴァは幾度となく命を懸けて私を助けてくれた。
それに、とシルヴァはこともなげに言葉をつなぐ。
「成長したらこんな俺好みの美女になるんだぞ? 絶対手放してやるもんか」
シルヴァはそう言って、私の手にキスをする。あまりの甘い仕草に、頭がくらくらした。口づけられた手の甲が燃えるように熱い。
「……あのっ、れ、恋愛的な意味で、好きってことですよね……?」
「当然だろ。……それにしても、言わなくてもわかるだろうとあえて言ってこなかったが、定期的に好きだと言うべきだったな……。まさかこんなに鈍感だとは」
「あの、じゃっ、じゃあ、両想いって、ことですよね……」
何と言っていいかわからず、間の抜けた返事をしてしまった私に、シルヴァは微笑んで私を再び抱きしめる。
「好きだよ、エリナ」
耳元でそっと囁かれた一言に、再び顔が熱くなる。今の私の額に水を入れたやかんを置いたら、きっと一瞬で沸騰するかもしれない。
(や、やばい、幸せ過ぎてこのまま死ぬ……)
そう思った瞬間、ガサっと音がした。
「おい、二人とも!」
私たちは、はじけるように離れる。そのせいで、オスカーが目にしたのは、河原に不自然にしりもちをつく私と同じく不自然な格好でかたまるシルヴァだった。
オスカーは首を傾げる。
「なにしてるんだ……?」
「あ、いや、その……」
「あっ、そんなことより、こちらに足音が近づいているぞ! しかも大勢だ! 気をつけろ!」
私たちは顔を見合わせる。どうやらロマンティックな雰囲気に浸るには早すぎたようだ。
剣を抜きつつ、シルヴァは鋭く舌打ちした。
「――まったく、間が悪い。珍しくいい雰囲気だったのに。おい、毛むくじゃら、足音はどっちからだ」
「毛むくじゃらって呼ぶな! 足音は西の方からだ」
「崖側か。……やはり、森を抜けて、俺たちを待ち伏せしていたんだな。さて、どうするエミィ?」
シルヴァは私に目を向ける。私は、大きく頷いた。
「もちろん、こちらから出向きますよ」
「さすが俺の婚約者。そう来なくっちゃな」
「さあ、反撃開始です」
私はマントを改めて深く被り直し、まだ少し赤い頬を隠すと、大股で歩き出した。
ブックマーク、評価ありがとうございます!定期的に読みに来てくださる方も感謝です。
本当に書くモチベーションに繋がっています。
あと10話以内におわらせたいです(願望形ですみません……)