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10.婚約者、来襲(1)

 窓の外の一面真っ白だった大地に少しずつ力強い新緑が芽吹くようになったころ。

 私は相変わらず週に2,3回家庭教師から学び、厨房に遊びに行き、最近たまたま発見した図書館に足しげく通い、それなりに充実した日々を送っていた。


(なんというか、家族は別の棟に住んでいるから一切会わないんだけれど、それはそれで平和っていうか)


 実は初日の晩餐会以来、一切家族と顔を合わせていない。

 私が家族から冷遇されているのはさすがにすぐに察した。だからと言って別に寂しいと思うことはない。

 私はどちらかというとメイドや調理人たちが多く住まう東棟に住んでおり、東棟には厨房、図書館、自室、家庭教師と勉強をする眺めの良いサンルームも完備されている。東棟ですべてが事足りてしまっているのだ。だから、家族が住んでいる別棟に寄り付こうとは思わなかった。

 日々ウロチョロしているせいで、少しずつこの城のいろいろな人と顔見知りになってきた。今ではすっかり東棟は私の庭状態だ。


 と、いうことで、私は今日も今日とて厨房でガウスたちと一緒に「あーでもない」「こーでもない」と言いながら、クッキーづくりに興じていた。実は、前回のクッキーづくりはなぜか失敗してしまって、カチコチになってしまったのだ。

 私がどうしても美味しいクッキーが食べたかったので、今日は2度目の試作日。


「お、いい感じなんじゃないかこれ」

「そうね! 前回よりは生地が柔らかいから、これならいけそう」


 最近私の一番弟子と名乗り始めたガウスと頷きあったところで、急に息を切らしたメイドのミミィが厨房に転がるように入ってくる。なぜだかとてつもなく嫌な予感がした。


「ミミィ、どうしたの?」

「お、お嬢様!!! やっぱりここにいましたか!!! 一大事、いや、もう二大事くらいです!! 至急、お部屋に戻りましょう!!」

「え、何? 今じゃないとだめ?」

「ローラハム公がエリナ様をお呼びなんです!」


 私はぎょっとして手に持っていた綿棒を落とし、それを横にいたガウスが「おっと」と言いながら床に落ちる寸前で拾う。

 確かに一大事だったので、すぐにでも自室に戻りたいところだけど、私はクッキーを綿棒で伸ばしていたところだったので、手が打ち粉だらけだった。慌てて手を洗い始める。


「妖精嬢が領主様に呼ばれるって、けっこう珍しいな」

「そうね。もう2か月は会ってないと思うんだけど」

「うへー、マジか? 領主様、たいてい首都の別宅にいるけど、たまにこの城には戻ってきてるぞ」

「へえ、そうなんだ。知らなかった。別に会おうとは思わないけどね」

「おいおい、一応父親だろ……」

 

 ガウスとしゃべっていると、ミミィが「早く、早く」と後ろでぴょんぴょん跳ねたので、私はテキパキとガウスが差し出したタオルで手を拭く。


「じゃ、クッキー焼くの、よろしくね。全部食べないで、ちゃんと残しておいてね!」

「はいよー。いってらっしゃい」


 ひらひらとガウスと調理人のひとたちが手を振るのをしっかり確認し、私は走ってミミィと自室への最短ルートを進んだ。

 息を切らして自室にたどり着くと、慌てた様子のゾーイがすぐに私を着替えさせ始める。用意してあったドレスは、初めて見た薄桃色の桜のような華美なドレスだ。


「ゾーイ、ローラハム公(おとうさま)はなんでいきなり呼び出しを?」

「エリナ様、よく聞いてくださいまし。どうやら婚約者の方がいらっしゃったみたいで」

「は? 婚約者?」

 

(婚約者なんていたの? 初耳なんだけど!)


 アベル王子攻略ルート計画に、早くも暗雲がたちこめはじめている。

 私が面食らっていると、私の気持ちを代弁するように後ろでリボンを編み上げていたミミィが素っ頓狂な声を上げる。


「お嬢様に! 婚約者! すごく急な話ですね!」

「これ、ミミィ、大きな声出さないの! 正式な婚約ではないのですよ」

「ええ、どういうことですか?」

「婚約者候補の方、と言えばいいのかしら」


 婚約者候補、と聞いて私はほっとする。

 それにしても、私の感覚からすればこの歳で婚約者というのは、かなり早い気がする。カウカシアでは常識なのかもしれないけれど。

 とにかく、珍しく慌てたように話すゾーイの話を要約すると、どうやら、メイド長を通じて、先ほど急に私の婚約者(仮)の訪問を告げられたようだ。ゾーイもミミィも寝耳に水だったらしく、二人ともかなり慌てている様子だった。


(こんな予告なしに急に婚約者なんて会わすかなぁ? テキトーすぎない? こっちにも準備とかあるっての)


 私は少し呆れた気持になった。いきなりの出来事に振り回され、慌てるゾーイやミミィには心底同情する。


 二人がかりでドレスをテキパキと着せ終わった後、ミミィは髪の毛を手早くハーフアップした。ゾーイは、私の銀髪によく似合うしゃらしゃらとした淡い色の小さな花のついたかんざしを髪に留める。


「はあ、本当に時間があればもっと髪の毛はしっかり結ったのですが……」


 ゾーイは名残惜しい様子で私の頭を撫で、私を立たせる。あまり時間はない。

 婚約者(仮)を待たせているという中棟の第一客間に、私たちは速足で向かう。廊下を歩きながら、ゾーイは不安げに私をチラチラみやった。


「ああ、このドレスで本当によかったかしら。髪の毛も、もっとやりようがあったんじゃ……」

「今日もお嬢様はかわいいじゃないですか! 大丈夫ですよ」

「そうなんだけど、これから未来の夫となるかもしれない方に会われるのよ? やっぱり今思うと、緑色のドレスの方がエリナ様に似合われた気がして。髪の毛ももっとゆっくりアレンジしたかったし、やっぱりこの来訪は急すぎますわ!」

「んもう、ゾーイ様、心配しすぎです! お嬢様はこーんなに可愛らしい方なんですから、どんなお姿でも一目惚れされること間違いなしですって」

「ミミィ、今回ばかりはあなたのその楽観的なところがうらやましいわ」


 ゾーイがはあ、と重いため息をつき、ミミィは「たぶん褒められた~」と笑う。

 いつも通りのゾーイとミミィのやり取りを聞きながら、私は微笑んだ。


「今回はローラハム公(おとうさま)から事前通達がなかったし、完全に非公式な訪問なわけでしょう。あいさつ程度なんじゃないかしら。別に肩ひじ張ったものじゃないだろうし、緊張しなくても良いと思うわ」

「エリナ様……」

「うまくやるから、大丈夫よ」


 二人を落ち着かせるように言ってみたものの、これはにわかに緊張しはじめた私のために発した言葉でもあった。


(大丈夫、大丈夫よ……)


 晩餐会と同じ轍は踏まない。とりあえず私の役割は、大人しく、しゃべらず、ニコニコしているだけ。

 ローラハム公が待っているという客間の前では、白髪の執事が待ち構えたように立っていた。ゾーイに促され、一つ大きく頷くと、私たちは重厚なつくりの客間のドアをくぐる。


 そこには、少し青みがかった黒髪の、美しい青年が立っていた。


「こんにちは、初めまして。シルヴァ・ニーアマンです」


 シルヴァと名乗った青年は、ニッコリと私に笑いかけた。

10話目でようやく婚約者登場しました!そして長くなるので分けます!

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