99.時を操る魔女
「私がライブ用の応援うちわを一生懸命作っている最中に、何事ですか?」
戸惑ったような、それでも若干抑揚のない見慣れた声が響き、エリナ・アイゼンテールがポン、と音をたてながら現れた。
場所はおなじみの白い部屋。この部屋を作り出した張本人が、「時間と夢の狭間」と呼ぶ、不思議な空間だ。この空間に来るには、二つの方法がある。
約束している聖なる夜まで待つか、死にかけるか。
目の前に佇む無表情な銀髪の美少女をみて、私はホッとため息をついた。
「エリナ……!」
「約束していた聖なる夜はまだまだ先ですわよ。というか、先ほど会ったばかりなのに……」
「ああ、よかったぁ……。エリナに会えたってことは、即死はまぬがれた感じね……」
「即死をまぬがれ……?」
エリナは一瞬不思議そうな顔をした後、すぐに顔を強張らせた。
「信じられない。アナタ、私の身体に傷をつけて、わざと死にかけましたわね!?」
「うん。どうしてもエリナにお願いしたいことがあって」
エリナは怒ったような顔をしたものの、私はそれどころではない。とりあえず、安堵のあまりその場にへたりこんだ。情けないことに膝が震えている。
(風邪をこじらせて死にかけたときもこの部屋に来たから、死にかければエリナに会えるとは思っていたけど、あれは一か八かの賭けだった。でも、なんとか成功したんだわ……)
自分に剣を突き刺すことは怖かった。
しかも、適度に気を失い、死にかける程度のちょうどいい大怪我を負う必要があり、その上、うっかりやりすぎて即死してしまう可能性もある。かつてないほど不安だったのも確かだ。
しかし、とにもかくにも、この空間でエリナに会えたということは、大丈夫だったようだ。――いや、身体のほうは出血多量で死にかけているし、まったく大丈夫じゃないのだけれど。
エリナは状況を把握し、だいぶ戸惑ったような顔をしている。
「時代劇で見たハラキリじゃない……。この前、テレビで見たわよ……」
「切腹したのは謝るわよ。ちょっとのっぴきならない事情があって」
「言い訳は聞きたくないわ」
エリナが珍しくはっきりと怒った調子でピシャリと言い放つ。その途端、白い空間が一瞬不安定に揺れた。
ようやくわかってきたけれど、この空間はエリナの「虚の魔法」で成り立っているので、エリナ自身の感情が揺れ動くと、不安定になってしまうのだ。
つまり、それだけエリナも動揺したということだ。
(それもそうよね。今まで一応従順だった私が、まさかいきなり自分の身体を傷つけるようなことをするなんて、エリナは考えてもみなかっただろうし)
震える足を励まして、私は何とか立ち上がり、改めてエリナを真正面から見据えた。
エリナを呼び出しに成功したからといって、安心していいわけではない。これは序の口なのだ。
私は口を開いた。
「手短に言わせて。私が時を操る魔法を使えるようにしてほしいの。これは、お願いじゃなくて命令なんだけど」
「は、はあ? なによ、偉そうに……」
「そんなこと言っちゃっていいの? 私、考えたんだけど、私の身体が人質に取られているのと同じで、私もエリナの身体を人質にしてるのよ」
わざと神経を逆なでするような調子で言うと、エリナの顔がみるみる真っ赤になっていく。白い空間がチカチカと点滅した。
エリナは焦ったような、ヒステリックな声で言い放った。
「そ、それでもッ、アナタに時を操る魔法なんて、渡すわけがなくてよ! この魔法を渡したら、アナタが過去に戻って、私の人生を好き勝手する可能性だってあるじゃない。そうはさせないわ」
「でも、そもそも私、この身体を傷つけちゃったわけだし、時を戻さないとどちらにしろ出血多量で――」
「うっ……」
「ほら、早くして。私だって忙しいの。それに、この空間もあんまり長くはもたないでしょ?」
「アナタ、初めからこうやって私を脅すためにあんな馬鹿な真似をしたのね。卑怯よ!」
「卑怯なのはお互いさま。今までエリナだって散々『八つ裂きにするわよ』って脅してきたじゃない。私も同じ手で脅してるだけ」
私の言葉に、エリナは悔しそうな顔をして唇を噛んだ。
(怒ってる怒ってる……)
予想通りの反応に、私は内心ほっとした。人は怒ってくれた方が、コントロールしやすいのだ。つまり、怒れば怒るほど、エリナは私の術中にハマることになる。
こうやって人を怒らせて自分の交渉に有利になるように進めようとするやり方は正直気が進まなかったけれど、今はとにかく有事だ。手段は選んでいられなかった。
もう一息、とばかりに、私は両手を広げて肩をすくめてみせる。
「うーん、まあそこまでイヤって言うんだったら、一回だけ時を操る魔法を使えるようにしてくれるだけでもいいのよ?」
「えっ」
「だって、エリナは私が時を操る魔法を自由に使うのはイヤなんでしょう? 一回きりなら、お腹の傷を治すためにしか使えないけど、それでも一応世界は救えないことはないかも……」
私はそう言って顎を撫でて思案げな顔をする。
先ほどまで生意気な口をきいていた私が急に態度を和らげ、譲歩の姿勢を見せたため、エリナは驚いた顔をした。
「……本気ですの?」
「うーん、でもなぁ~。本当はやっぱり一回きりじゃなくて、無制限に使えるほうがいいのよねぇ……」
「それはダメ! ちょっと待って、一回きり……、一回きりなら……」
「ほら、早くしないとこの空間が消えちゃうでしょ」
間をおかずに私が畳みかけると、エリナは慌てた様子で大きく頷いた。
「わかりましたわ! 一回だけ時を操る魔法を使えるようにしてあげましてよ!」
「はい、交渉成立! 契約しましょ!」
私はにっこり笑った。どうやら目論見通りうまくいったらしい。
対するエリナは、大きなため息をついて、渋々といった様子で私に魔法をかける。
「本当はイヤなのよ。時を操る魔法は厄介だもの。一回変えた過去は戻せないし、一回につかう魔力の消費も大きい。それから、この魔法のことはなるだけ人に話さないでね。絶対ややこしいことになるんだから。くれぐれも気を付けて……」
「大丈夫よ。私は時を操る魔法をむやみやたらに人に話さないし、悪用もしない。大事な人を救うために使うだけ。カウカシアの滅亡も食い止めてみせるわ」
「本当に?」
「ええ、本当よ」
私の答えに、エリナは心底呆れた顔をした。
「アナタ、あれだけ危機的状況に陥っておきながら、その自信はどこから来るの? ……まあ、どうでもいいけど。私、アイドルの追っかけができるんだったら、この身体のままでいても良くてよ」
「はいはい、ちゃんとこの身体は返すわよ。意地でも全部ハッピーエンドで終わらせてみせるわ。だから、あんまり貯金は使わないでね」
私が釘をさすと、エリナは思いっきりむくれた顔をすると、コバエを追い出すような仕草でにさっさと手を振った。
白い空間はあっさり霞のように消え、私は浮遊感を感じると、瞬く間に私は元の世界に戻ってきた。
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「エリナ、エリナ……ッ!」
必死で、私を呼ぶ声がする。重い瞼をこじ開けると、オスカーが強い力で私を抱きしめていた。血生ぐさい臭いが鼻につく。
「……どうしよう、エリナが、エリナが……」
「お、オスカー、苦しい……」
「エリナ!」
オスカーがパッと身体を離す。オスカーの端正な顔が、ぐしゃぐしゃになっていた。どうやら泣いていたらしい。
「エリナ、血が……。血が止まらない。俺、回復魔法使えなくて……ヤツェクのところに連れていこうにも、間に合いそうに……、ない……」
「オスカー、大丈夫……。泣かないで……」
私は震える手でオスカーの頭を撫でようとして、それから、自分の手が血まみれなことに気づく。やめておいたほうが良さそうだ。
(うわぁ、血が……)
お腹辺りに目をやると、眩暈がした。自分でやったこととはいえ、あまりに凄惨なことになっている。スプラッタ系があまり得意でない私は気が遠くなってしまいそうになるのを何とかこらえた。ここで気を失ってしまうのはまずい。
オスカーはそんな私を怒鳴りつける。
「エリナの馬鹿! あの男のあとを追いかける気だったのか!? なんでだよ! 俺じゃダメか? 一緒に生きてくれ……ッ! 絶対エリナのこと幸せにする! お願いだ、頼むから……」
私を抱きかかえ、「死なないで」と、消え入りそうな声でオスカーは呟く。
(そういえば、冷静にはたから見れば、私は婚約者の死に絶望して後追い自殺した人みたいよね……)
私は妙に冷静な気持ちで状況を分析してしまう。オスカーには多大なる心配をかけたに違いない。
それよりも、自分で切ったお腹の傷が痛い。痛いを通り越して熱いくらいだ。このままだと本当に死んでしまいかねない。
私は心を鎮め、手元に魔力を集め、たった一回しか使えない時を操る魔法を慎重に発動させる。
(よかった、心配してたけど、一応魔法が使えるわ。痛みのおかげで、感情を心から締め出すのは簡単になってるのね……)
ふいに視界が大きくゆがみ始め、くるくると回る。魔法が発動したらしく、身体中の魔力が抜けていく。
大きくゆがんだ世界で、何も知らないオスカーが私を強く抱きしめた。
「エリナ、俺はお前のことが――……」
耳元で囁かれたオスカーの言葉を最後まで聞くことなく、私はポン、と音をたてて、過去に押し出された。
秒速でフラグをへし折られる哀れなオスカー……
ちなみに、オスカーという名前はエリナやロイが勝手につけた名前なので、夜の国で使う本当の名前は別にあります。(便宜上、ヤツェクは「オスカー」と呼んでいますが…)