98.真実のピース
「どうしよう、オスカー……。シルヴァ様が死んじゃった……。私のせいで……」
洞窟の中で、私のすすり泣きが響く。オスカーがオロオロしながら私の背中を不器用に撫でた。
「エリナのせいじゃない。こいつが約束を破ったのが悪いんだ」
「でも……、そもそも私を夜の国追ってこなければ、……こんなことには、ならなかったのに……!」
「エリナは、こいつに裏切られたんだぞ。自業自得だ! そんな悲しむことない」
「……私と婚約者になったばっかりに……、こんな最期なんて、あんまりだわ……」
私はそう言って、固く目を閉じているシルヴァを見つめる。
シルヴァは、相変わらず眠っているようだった。しかし、どんなに苦心して回復魔法をかけてもその体に魔力が流れることはなく、心臓の鼓動はもう聞こえない。
あの優しい眼は、私にもう向けられることはない。
私はこらえきれなくなり、シルヴァに胸にしがみつく。神様という存在はあまり信じていないけれど、それでも、祈らずにはいられない。
(神様、どうか、どうか、この人を助けて……)
ふいに、シルヴァの胸にひと房落ちた私の長い髪が何かに引っ掛かった。
私は顔を上げて、ひっかかった髪をたぐる。シルヴァの胸ポケットに、光るなにかが飛び出しており、それに引っ掛かったようだ。
「なに、これ……」
私は、シルヴァのポケットからはみ出しているものを取り出した。
シルヴァの胸ポケットには、男性が持つには相応しからぬ、華美なコサージュが入っていた。赤色の薔薇のコサージュは、花弁の中心に、きれいな琥珀色の石があしらってある。
「これ、どこかで見たことあるような……」
「それ、なんか魔力を感じるぞ。嫌な臭いだ」
「……あっ、わかった! これ、ゾーイに渡された、ローラハム公のコサージュよ! ねえ、オスカーも覚えてるでしょ? ほら、グラヴィスちゃんにバラバラにされた……」
「ああ、言われてみれば確かに!」
「――ってことは、これ、盗聴器じゃないの! こっちの話、盗み聞ぎされてるわ! 壊さなきゃ!」
私は慌ててコサージュを洞窟の壁に向かって投げつける。オスカーもすかさずコサージュに噛みついてブルブルと頭を振る。コサージュはバリン、と音をたてて粉々に砕け散った。
「……こ、これで大丈夫よね?」
「多分……。それよりエリナ、マズいぞ。外から人間の声が聞こえる。隠れるぞ」
「え、本当?」
耳をすますと、確かにオスカーが言った通り洞窟の入り口のほうから話声が聞こえてきた。私たちは慌てて入り組んだ洞窟の奥に隠れる。
男たちのだみ声が洞窟に響き渡った。
「おい、本当にシルヴァ・ニーアマンはこの洞窟にいるのか?」
「わからん。さっきまで反応していたのに、いきなり印が地図から消えたんだ。もしかしたら、シルヴァとかいう騎士は、あのコサージュを持たされている意味に気づいたのかもな。まあ、間違いなくこのあたりのはず……」
「まったく、魔物たちは暴れてるし、薄暗くて気味が悪いし、とっととこんな場所、ずらかりたいのによぉ。手間かけさせやがって」
「そうだな。さっさとシルヴァ・ニーアマンをとっ捕まえるぞ。生死問わず、らしいからな」
二人の男の下卑た笑い声は、こちらに近づいてくる。オスカーは私とシルヴァを大きな岩の裏に押し込んだ。
オスカーは声を押し殺して唸る。
「なんでこの場所までバレてる……?」
「……もしかして、さっきのコサージュ、GPS機能までついてたんじゃない?」
「ジ、……ぴーえ……?」
「えーっとね。……まあ、簡単に言えば、このコサージュを持っていたら、自分のいる場所が敵に筒抜けってこと。さっき、あの二人は地図がなんとか、とか言ってたわよね……」
「その地図を取ってくればいいな?」
察しが速いオスカーが、そう言うが早いか、ひらりと洞窟を飛び出した。すぐに、「なんだ!?」と戸惑った男たちの声が洞窟に響いたあと、鈍い音がして、あっという間に手にボロボロの紙を持ったオスカーが得意げな顔で戻ってくる。
「地図あった!」
「さすがよオスカー! 見せて」
オスカーから地図を受け取ると、私は息を飲む。
「これ、夜の国の地図じゃない!」
「しかも、魔力を感じるぞ! なあ、この印はなんだ? 動いてる!」
「ええっと、この紫の印がジルで、黄色がヘンリック、トム、ヴィージニア、それから……この赤い印は、ローラハム公……」
「なんだこりゃ?」
「この印の場所に、この名前の人たちがいるってことだわ! この地図で、多分仲間の位置がわかるのよ! シルヴァ様のものはさっき壊したからかしら? 印が薄いわ……」
私はハッとして大きく息を吸った。
「わかった、わかったわ……」
「どうしたんだ?」
「シルヴァ様はローラハム公と連絡を取る時間はほとんどなかったはずよ。そもそも、ローラハム公が屋敷に攻めてくるタイミングが早すぎるのがおかしかった……」
私の頭の中で、真実のピースをどんどん繋がっていく。
どんなに馬で急行しても、アイゼンテール家の城からヤツェクの屋敷までは半日はかかる。それに徒歩を含む、多数の人間たちを連れてきたとなれば、なおさらだ。しかも、あれだけの人数を集めるのにも時間がかかっただろう。
それなのに、ローラハム公はシルヴァがカウカシアに向かった夕方の翌朝に夜襲した。シルヴァが、ローラハム公に会って報告する時間は皆無のはずだ。
その上、シルヴァはオスカーとずっと一緒だったのだ。身体の自由も奪われていた。そして、カウカシアの地に降り立ってすぐ倒れたという。これでは、いかなる手段でも、ローラハム公と連絡することはできないだろう。
それなのに、ローラハム公はシルヴァの持つ全ての情報を知っていた。
「ローラハム公は、シルヴァ様の持っていたこのコサージュで、全部盗聴していたのよ。私たちの居場所も、話も、知らず知らずのうちにローラハム公に全部筒抜けだった……」
「じゃあ、こいつ……」
オスカーはシルヴァを指さした。私はただ必死で頷く。目頭が熱くなるのを感じた。
「さっき、地図を持った男の人が『あのコサージュを持たされている意味に気づいたのかも』って言ってたわよね。だとしたら、シルヴァ様はこのコサージュがなんなのか、わかっていなかったのよ。……だから、シルヴァ様は裏切ろうとして裏切ったわけじゃない!」
「そんな……! てっきりこの男が裏切ったとヤツェクは怒り狂って命を奪ったけれど、そもそも勘違いだったのか……!」
沈痛な面差しで、オスカーは呟く。私はただ、頷くことしかできなかった。
(シルヴァ様が、私たちを裏切ったわけじゃなかったんだわ……)
体の中から、黒い感情の波が引いていく。大事な人に裏切られたという衝撃は、大きかった。どうしようもなく苦しくて、魔法が使えなくなるほどに私の感情をかき乱した。
でも、それは違ったのだ。やはり、シルヴァは信頼に値する人だった。そのことに、心底ほっとしたとともに、どうしようもない虚無感が私を襲う。
(真実を知ったとして、もう遅すぎる……)
重すぎる事実が、私の肩にのしかかる。
奪われた命は、戻ってくることはないのだ。例え、それが間違いで奪われた命だったとしても――……
(――……本当に、そうかしら?)
涙で熱い瞼をこじ開け、私は何とか頭を持ち上げた。俯いてばかりではいられない。胸の中に打開策が一つだけある。それは、賭けに近いけれど。
私はよろよろと立ち上がって、シルヴァの腰にある剣を鞘から抜く。よく磨かれた剣は、私の手にはずっしりと重く、鈍く光っている。
オスカーが不安そうに私を見た。私は震える手で剣先を自分に向ける。オスカーが目を見張る。
「エリナ、なにを……」
「大丈夫、大丈夫よ……」
オスカーには笑って見せたけれど、私の声は情けなく震えていた。
(痛いのは嫌だけど……)
どうしても、シルヴァを喪いたくない。だから、今の私には、これしかない。
私は一つ深呼吸すると、思いっきり、自分の身体に鈍く光る剣を突き刺した。