95.夜中の敵襲
「――ハッ!」
私はベッドの上で目を覚まし、勢いよく体を起こす。それから、身体中あちこちを触って、大きなため息をついた。
(良かった、八つ裂きは何とか避けられたっぽい……)
背中が嫌な汗でベタベタしている。
いくら約束してるとはいえ、聖なる夜にこの身体の持ち主と夢の中で会うのは、どうしても変に緊張をしてしまう。
なんせ、この身体の持ち主は性格があまりよろしくないのだ。いつ機嫌を損ねて八つ裂きにされるか、わかったものではない。
(しかも、アイドルの追っかけになって、私の大事な貯金を勝手に使ってたし……)
私は一つため息をついて、ベッドから降りた。窓の外を見ると、まだ夜明け前だ。星々が静かに輝いている。
ふと足元のクッションを見ると、定位置にオスカーがいなかった。いつもなら、寝る時は私の足元のクッションに仔犬の姿になって丸まっているのだ。どうやら、シルヴァをカウカシアに送ったまま、まだ帰ってきていないらしい。
(どれくらい、遠回りしたんだろう……)
オスカーは二度とこの屋敷にたどり着けないように、わざと複雑なルートを通ってカウカシアに向かったはずだ。
シルヴァは私に関する記憶がある限り、また夜の国に迎えに来ると言ってくれた。でも、きっとそれは難しい。夜の国の森は一度来たくらいでは覚えられないほど複雑なのだ。それに、ヤツェクやオスカーがそれを許さないだろう。
(……私は、ここで永遠に生きていくのかもしれない)
夜の国を護り、魔物たちと共に。
それも、悪くはない気がした。魔物たちは親切だ。住むのにも困らない。人間のように腹の底を探り合う必要もない。そもそも、この国は私を必要としていた。
何度もそう思うのに、それでも、カウカシアが恋しい。大好きな人たちのことを思うと、悲しみで胸が潰れそうになる。
目元がだんだん潤んでいくのに気づいて、私は乱暴に目元をこすった。
「あー、もう! いろいろ考えるのは今はやめておこうっと。どうしようもないもの」
私はひとり言を言って、さっさと浴室に向かった。今はとにかく、早いところ汗を流して再びベッドに入るのが先決だ。夜に色々考えても、際限なく考えが沈むだけなのだから。
浴室に向かおうと部屋を出たとき、ふいに屋敷に響き渡るような激しい爆発音がした。屋敷中が揺れ、私はバランスを崩れてしりもちをつく。
「……えっ、なに!?」
状況がすぐにつかめず、私はとりあえず廊下の灯りをつけようとする。しかし、滑るようにやってきた黒い影がそれを阻んだ。
「エリナ、灯りをつけてはいけない。居場所がバレてしまう」
「お父さま!」
「この屋敷が何者かに襲われている。……まあ、この私の屋敷を狙う奴なんて、おおかた予想はつくけどね」
「……もしかして、ローラハム公ですか?」
「そうだ。あの忌々しい男め。……エリナ、この屋敷はもう、安全ではなくなった。とりあえずここを出るぞ」
再び屋敷が揺れる。何かが焦げたような臭いがする。
ヤツェクは私を軽々抱くと、屋敷の窓から裏の山にある高台に飛び出す。
「酷い……」
ヤツェクの腕から下ろされた私は、高台から燃え盛る屋敷を見下ろして、思わずつぶやいた。先ほどまでいた屋敷は、今や赤々と燃えていた。私のつくった泥人形たちが、屋敷の外に散り散りに逃げていく。
異変に気付いた風妖精たちが、私たちの周りに集まってきた。
「みんな、怪我してない? ……大丈夫そうね。ああ、私たちを心配してここに来てくれたの? ありがとう。できれば、水妖精を呼んできてくれる? 火を消さないと、森に燃え広がってしまうわ」
私の指示に、風妖精たちが頷いて一斉に四方に飛んでいく。
ヤツェクは、何も言わずにただ燃える屋敷を見ていた。マントが熱風ではためいている。完璧な顔貌はどこまでも無表情なのに、纏っている空気が禍々しいほどだ。
「エリナ、わかったね? これだから、人間は信用ならないんだ」
「……お父さまは、シルヴァ様がローラハム公に告げ口したと、言いたいのですね?」
「当たり前だ。あの男以外、この場所を知っている人間がどこにいる! あの男は、私との約束を反故にしたんだ。相応の罰は覚悟の上だと言ったな? それならば、相応の罰を与えるとしよう」
そう言って、ヤツェクが禍々しい咆哮をあげた。鋭い魔力が放たれたその時、三度目の爆発音が森中に轟いた。私たちははじかれたように振り向く。どうやら、三回目の爆発で屋敷の骨組みが耐えられなくなったらしく、ついに屋敷が崩れ落ちている。
下卑た歓声が、森の中に響き渡った。
「ついに、魔王ヤツェクを倒したぞ!」
「金目の物を探せ! 森もついでに燃やしつくしちまえ!」
崩れた屋敷の向こうから、歓声をあげる人間の一団が姿を現す。皆、傭兵崩れと言った風采だ。ローラハム公が腕に覚えがあるものを集めたのだろう。静かな森には、彼らの声は騒がしすぎた。かれらは、屋敷の焼け跡を漁り、いたずらに無抵抗な泥人形たちを攻撃して笑っている
ヤツェクは不快そうに顔を歪める。
「ローラハム公め……」
「お父さま……」
「あの欲深いローラハム・アイゼンテールは、密猟だけでは飽き足らず、この国を蹂躙せんと考えるらしい。私を殺して、この国を支配してやろうと」
ふいに、高笑いのあと、森の奥から立派な青毛の馬に乗ったローラハム公の姿が姿を現したのが見えた。
その顔には、残忍な笑みが浮かんでいる。敵陣の本拠地を燃やし尽くしたことで、相手を倒した気になっているのだ。
(あの勝ち誇った顔、今すぐにでも一発殴りつけてやりたいわ)
そんな衝動に駆られ、反射的に飛び出しそうになるのを私はなんとかこらえる。しかし、すぐに私は飛び出さざるをえなくなった。
「ローラハム・アイゼンテール!」
ヤツェクは怒気を帯びた口調で怒鳴り、ヤツェクが弾丸のような速さでローラハム公に迫る。まわりの木々が不自然にグニャリと曲がった。
「!?」
ハッと気付いた時には、ヤツェクはローラハム公の首をギリギリと締めていた。このままではローラハム公の命が危ない。私は慌てて地面を蹴って高台から飛び降りる。風妖精たちが、私の背中を強く押す。
「お父さま、駄目です!」
私は風妖精たちの力を借りて、猛スピードで走りながら叫んだ。
心の中の黒い影が、「ローラハム公なんて助けてやる必要はない」と囁く。相手は私を散々冷遇してきた挙句、命まで狙った男だ。
しかし、その考えを振り切るように首を振り、燃え盛る屋敷を一足飛びに飛び越え、私はヤツェクとローラハム公の前に躍り出る。ローラハム公の引き連れてきた男たちが、急に現れた私を見て、驚いたように息を飲んだ。
私はなるだけ落ち着いた声で言う。
「お父さま、その手を離して。そんな汚らわしい男の血で、お父さまの手を汚すことはないわ」
「……しかし、エリナ。この男はどうしても私は許せない。過去、我ら夜の国の魔物は人間たちを襲ってきた事実が確かにある。だから、密猟に気づいた時、ある程度は看過しようと思った」
「…………」
「しかし、それに付け込んで、この男は夜の国の民を狩りつくした……。そして、まるで道具のように扱い、命を、奪ったんだ……。大事な我が民の命を……」
グググ、とヤツェクの手に力が入る。ローラハム公は、苦しそうに暴れた。
私は、ローラハム公の首元を掴むヤツェクの腕をそっと触る。
「お父さま、お願いです。私に、処罰はお任せください」
ヤツェクは私の顔を見て、少し考えるような顔をした。翡翠色の、怒りに燃えた目が私を見つめる。私はじっとその眼を見つめ返した。
やがて、ヤツェクは長い吐息を吐くと、乱暴にローラハム公を投げ捨てる。
「確かに、一番ひどい目に遭ったのはエリナだ。獲物は譲ろう。好きにすればいい」
ローラハム公は、地面に突っ伏して、激しく咳き込む。いつも乱れ一つない金髪はグシャグシャで、服も泥だらけだ。
もはや威厳の欠片もない、かつて、父だと思っていた男を私は見下ろした。
「では、好きにさせてもらいますわ」
私はそう言って、パチン、と指を鳴らした。