94.夢の狭間の会合
「ここって、もしかしないでも、『時間と夢の狭間』じゃない……?」
私は白い空間で呟く。相変わらず、真っ白すぎてどちらが床で天上なのかよく分からない空間だ。自分が立っているのか、浮いているのかすら分からない。
「……ってことは、来るわよね、あの子が……」
私に無茶難題を押し付けた当の本人は、予想通り、軽くポン、と音をたてながら現れた。銀髪の長い髪と、深い湖のような翡翠色の瞳。人形のような整いすぎた面差し。エリナ・アイゼンテールだ。
「でたわよ……」
「私と久しぶりに会ったというのに、挨拶もなしにその言い草? 相変わらず失礼な人ね」
エリナは表情のない、冷たい瞳でじろじろと私を見つめた。中身が違うからか、いつも鏡でみているエリナとは全然違う。本物のエリナは、どこか冷めた顔をしている。
「あれから体調を崩すことはなかったみたいだけど、どうしてこんなに魔力を消耗してるのかしら? それに、私の身体が夜の国にあるんだけど、どういうことですの?」
「ええっと……」
「まったく、ちゃんと世界を救う気はおありなの? もちろん、回答次第では八つ裂きにさせてもらいますから、そのつもりで」
「それはそのぉ……。色々ありまして……」
エリナからの怒涛の質問攻めに、私は言い訳がましくそう答えつつ、自分の太ももをこっそりつねった。目が覚めてしまえばこっちのものだ。しかし、この夢から目を覚ますことはない。私は内心舌打ちした。
「私から逃げようとしても無駄。魔法が解けるまで、アナタは目覚めない」
私のやろうとしていたことはあっさりエリナにバレたようだった。完全にお手上げだ。私は一つ深呼吸をした。
「あー、怒らずにこれから話すことを聞いてほしいんだけど……」
私はそう前置きをすると、意を決して話し始める。自分の魔法の属性を知るために、首都に向かったこと。魔法の師匠や友達ができたこと。ブルスターナでローラハム公の逆鱗に触れ、ひょんなことから夜の国で生活せざるを得ない状況に陥ったことまで。
「――というわけで、私は夜の国の女王になろうとしている感じなんだけど……」
私の説明を聞いて、エリナの無表情な顔からはなにも読み取れなかった。しかし、私が話をしている途中で、一切相槌を打たなくなったので、確実に怒っているはずだ。
その証拠に、虚の魔法で維持しているはずのこの白い空間が、怪しく灰色に染まっている。エリナの胸の中の感情が魔力の邪魔をしているのだ。
私はエリナがなにか言う前に、口を開いた。
「あの、八つ裂きはしないわよね……?」
怯えた私の言葉を聞いたエリナは、深いため息をつく。
「……意味が分からないわ。一体全体、どうやったらそんなめちゃくちゃなことになるのかしら」
「ひとつ質問なんだけど、エリナは自分が魔王の娘だって、気づいてた?」
「薄々は。一般的な人より魔力が強すぎるもの。アカデミーの先生方の魔法なんて弱っちょろいくらいだったわ」
「そうだよねぇ…」
「第一、アナタには魔力の半分しか与えてないのよ。それでも十分でしょう」
「十分すぎるくらいよ」
私は苦笑した。
むしろ自分の魔法の威力が強すぎて、怖いくらいなのだ。これでも与えられた魔力はエリナが本来持っている半分程度なのだから恐ろしい。一体全体、本来のエリナ・アイゼンテールは、あの華奢な身体にどれほどの魔力を秘めていたのだろう。
(そう言えば昔、『私は最強の魔法使い!』って名乗って山賊を脅したことがあったけど、本当に最強の魔法使いだったのね……)
瓢箪から駒が出る、とはまさにこのことだ。
私は咳払いをして、取ってつけたようにニッコリ笑う。
「とにかく、魔王ヤツェクのそばにいれば、万が一ヤツェクがカウカシアを滅亡させようとしてもすぐ止められるでしょ? 結果的には、命令通り世界を救ってるじゃない! だから、私の身体を返してほしいくらいよ」
私は少しおどけて肩をすくめてみせたけれど、エリナの機嫌を損ねただけだった。
「夜の国の女王になるなんて、絶対お断りですわ! この身体は絶対返しません!」
ピシャリとエリナは言い放つ。
「第一、あの浮気者のシルヴァ・ニーアマンの命と引き換えに夜の国の女王になれだなんて、本当に信じられません。アナタ、あの男の外面の良さに騙されているのよ。あれほど気をつけろと言ったのに」
「言うほど浮気者でもないよ。本当は、優しくて真面目な人なんだから。何度も助けてくれたし。だから、次は私が助ける番だったのよ」
「呆れた。騎士には守ってもらうだけでいいのに、まったくお人よし過ぎるわ」
不遜にそう言い放ったエリナは、小さくため息をついた。
「まったく、ローラハム公にすっかり嫌われて、アイゼンテール家を追放されたも同然なんて……。考えうる限り、最悪じゃない。アカデミーにも行けないし、お姉さまにも、もう会えない……」
「それについてはごめん……。でも、夜の国の生活も意外と悪くはないし――」
「だまらっしゃい! せっかく、時を戻してジル・ピピンを排除したのに……」
エリナがぽつりとつぶやいた独り言に、私は聞き逃さなかった。
「待って、ジル・ピピンを排除したってどういうこと!?」
「あっ……」
エリナは自分の口を押えた。どうやら、うっかり口を滑らせたようだ。
私は困惑する。
「ええっと、ジルは将来、世界を救うのは知っているわよね? 逆に言えば、ジルがいないとカウカシアは滅亡してしまうのよ?」
「……こちらだって、色々ありますの」
「色々ってなに? 滅亡するカウカシアを救うことより、大事なことなんてある?」
私の質問に、エリナは少し考えて、拗ねたような口調で答えた。
「……だって、ジル・ピピンがアカデミーに入学したら、ルルリアお姉さまの邪魔ばかりするから」
「ええ、それだけ!?」
「それだけとはなんですの!? ルルリアお姉さまがあの女のせいで嫌われたり、婚約破棄されたりするんですのよ」
「ルルリアのあれは、自業自得じゃないの!」
エタ☆ラブのストーリーの中で、婚約者のラーウム王子と親しくなっていくジルが気に入らなかったルルリアは、数々の嫌がらせをやったのだ。その嫌がらせ行為はついに白日の下に晒され、結果的に、ルルリアは婚約者のラーウム王子との婚約を破棄されてしまう。自らの行いで身を滅ぼしたのだ。
しかし、ルルリアが身を滅ぼす原因となったジルは、エリナから排除されたという。
「ああ、もう! やっと分かったわ……」
私は呟く。
(ずっと、ジルが世界滅亡エンドにつながるアベル王子を攻略対象として選んだから、カウカシアが滅んだのかと思っていた! でも、そもそもの前提が違ったんだ! ジルはエタ☆ラブの主人公にならなかった。だから、世界が滅んだんだわ)
そこまで考えが及んだ時、私はふと思いつくことがあった。嫌な予感がする。
「ねえ……、エリナは時を戻す魔法を使えたわよね? 今思いついたんだけど、もしかして、あのジルがいた孤児院の教会を焼いたのは……」
「ええ、私よ。過去に戻って、こっそり教会に火をつけたの。ピピン伯爵夫婦があの孤児院でジルと出会わなければ、ジルはピピン家の養子になることはないもの」
「放火したってこと!? 最低!!」
「何とでも言いなさい。ルルリアお姉さまは私のすべてなのよ!?」
エリナは珍しく怒りをあらわにして私を睨みつける。白い空間の天蓋に、ピシ、と音をたててヒビが入った。
「お姉さまはアカデミーに入ってもずっと一人だった私を、気にかけてくださったのよ? それに、本当はずっとお城で疎まれていた私を心配してたって……。お姉さまがいなければ、私、ずっと一人ぼっちだった」
エリナの口から静かに紡ぎだされた言葉は、まるで悲痛な叫びのようだった。私は思わず返事に詰まる。
確かに、ジルさえいなければ、ルルリアは普通の楽しい学校生活を送れていたはずだ。ジルへの嫉妬に身を焦がすこともなければ、それによって婚約破棄されることもなかった。
それに、ルルリアの取り巻きをしていたエリナにとっては、実の姉が平民出身の女の子に嫉妬する姿を間近で見ていて辛かったのだろう。
『ジル・ピピンさえいなければ』
そう思った経緯は十分に理解できる。私は首を振る。
「――気持ちはわかるけど、だからと言って、ジルの存在を排除して良い理由にはならないよ。現に、ジルは全然幸せそうじゃなかった!」
現に、孤児院という家を失くしてしまったジルは、私と出会った時、竜を狂化させ、王宮を襲わせるという危険な行為に手を染めていた。優しく、賢いジルがそんなことを自分の意志でやっているとは到底思えない。きっと、生きるためにあのようなことをしているのだ。
私の言葉を聞いたエリナの顔に、一瞬驚いたような、悲しそうな表情がよぎった。きっと、自分が運命を変えてしまったジルの未来がどうなったのかなんて、考えたこともなかったのだろう。
とにかく、このままでは誰も幸せになれない。
私はエリナの肩をつかんだ。
「とにかく、今すぐ、時を戻そう。ジルをピピン家の養子にしないと、またカウカシアが滅んでしまうかも……」
「それができたら、やっていますわよ。……一度変えた過去は、何人たりとも戻せないの。それに、アナタは時を戻す魔法は使えない」
エリナの返答に、私は苦い顔をする。そういえば、私はどんな魔法も使えたのに、唯一時を戻す魔法だけはどんなに練習してもダメだった。
「そうだった。……私が時を戻す魔法を使えないのは、エリナのせいね?」
「ええ、そうよ。私たちはそういう契約をしたもの」
「そんな契約無効だよ! 聞いてないんだけど!」
「迂闊に真名を教えるアナタが悪いのよ」
悪びれもなくエリナは言い放ち、ふい、と私の手から逃れると、さらりと髪をはらう。
「とにかく、私は、夜の国の女王になんて絶対ならないわ。カウカシアに戻って、平穏な生活に戻るまで、この身体は絶対に返さないから。それに、別に早く世界を救ってもらう必要はなくてよ。私、アイドルの追っかけで忙しいし」
「は、はあ?」
「本当に良いわよね、アナタの世界。スマホは便利だし、ご飯は美味しいし、家族も優しいし、なによりアイドルよ……」
エリナはうっとりとした顔で手を組んだ。
「今週末は大阪まで遠征するの! ドームツアーのチケットの争奪戦、本当に大変だったんだから!」
「ちょ、ちょっと待ってよ! そのライブのチケットとか、遠征の費用って……」
「貯金があるじゃない! 経済は回すもの、推しは推せるときに推すものよ」
「ちょっと! 現代に染まりすぎてない!? っていうか、大切な私の貯金に手を出さないでよ!」
私の一言を無視すると、エリナは目の前の邪魔なハエを払うような仕草で手をクルリ、と振った。そのとたん、急に前触れなく目の前が真っ暗になる。
「ねえ、これってまさか……」
「気分が悪いわ。それに、私は週末のライブのうちわを作らないといけないから、さよなら」
「えっ、待って! まだ話さないといけないことが……」
急に心臓にフワッとした浮遊感を感じ、私はそのまま果てのない真っ暗な闇の中を落ち始める。
「またぁ!? だから、私はこういうのはちょっと苦手なんだけどぉおおおおおお!!」
私の悲鳴が虚しく響き渡る。
――また聖なる夜に会いましょう。
私の絶叫を無視して、耳元で涼しげな澄んだ声がそっと囁いた。





