92.真名
しばらく二人でひとしきり照れたあと、私は咳払いをして話を元に戻す。
「――とりあえず、私はいわば魔物と人間の混血児なのです。私も、最近になって自分の正体を知りました。結果的に、今までずっと騙すようなことになってしまって、ごめんな……」
「おっと、もう謝るな。仕方がないことだ。一人でそういう複雑な事情を抱えていたのは、つらかっただろう」
「……シルヴァ様は私のこと、怖くないんですか?」
「怖い? まさか。エリナはエリナだ。しかし、ようやく合点がいったよ。エリナの魔法のことは、ずっと変だと思っていたんだ」
「えっ、嘘!?」
「魔力が強すぎるのも引っ掛かったが、それ以上に、属性魔法がおかしかった。なんせ、楽の魔法と怒の魔法の二属性の魔法が使えると言っておきながら、喜の魔法も哀の魔法も、平気で使っていたからな」
「気をつけていたんですが、バレてましたか……」
私は額を人差し指でおさえる。しかし、考えてもみれば、シルヴァの前で魔法を使いまくっていた自分があまりに迂闊だったとしか言いようがない。
シルヴァは苦笑する。
「そんなに気にすることはない。気づいたのは俺くらいだろう。――それで、一応確認するが、ローラハム公はこのことを把握しているのか?」
「ええ。ローラハム公も、おそらく私の正体に気づいていると思います。私だけ、あからさまに冷遇されていましたから」
「そうか……。ずっと不思議だったんだ。アイゼンテール家は3人の子供がいるはずなのに、ずっとエリナだけ表舞台に出てこなかった。そういう事情があったなら、得心が行く」
「ローラハム公が実の子でもない私をなぜ養育したのかはわかりませんが……。おおよそ手駒は多い方が良いと判断したのでしょう」
私は自嘲する。
有力な貴族たちにとって、自らの子供は婚姻関係を結び、権力の足掛かりになる便利な道具でしかない。ローラハム公も、手駒となる子供は多く必要だと考えたのだろう。
「手駒だと思っていた娘に反旗を翻されたのですから、皮肉なものですね」
「エリナの判断は正しかった。あのまま放っておけば、魔王の怒りを買い、下手をすればカウカシアが一瞬で荒れ地になるところだったんだぞ。エリナの判断は結果的に国を救ったかもしれないんだ。だから、堂々としていればいい」
「……あの密告で、ローラハム公は失脚するでしょうか」
「おそらくな。あの件が皇帝の耳に入れば、確実にローラハム公は罪に問われる。今のままというわけにはいかない」
「アイゼンテール家はどうなるんですか? 財産を没収され、貴族の位をはく奪されるのでは? そしたら、お兄さまや、お姉さま、それにお母さまは路頭に迷って……」
「そのあたりは心配するな。アイゼンテール家が貴族であることは変わらない。事の当事者であるローラハム公は当主から退けられ、アイゼンテール家は多少格落ちするだろうが、オルスタの領土は広い。問題ないだろう」
「では、次のアイゼンテール家の当主は、ロイお兄さまになるんですか?」
「それが妥当だろうな」
シルヴァは腕を組んで軽く頷く。私は心底ほっとした。あの生真面目で性根が優しいロイであれば、当主として問題なくやっていけるはずだ。今後、夜の国を脅かすこともないだろう。
安堵する私をしり目に、シルヴァは少し遠くを見やると、急になにか言いたそうな様子で口をモゴモゴさせた。
「……その、関係ない話をするが、いいか?」
「え? 何か気になっていることでも?」
「いや、大したことではないんだが……、その……、……エリナの横にいたあの長身の男のことが気になっていてな。いや、浮気を疑っているわけではないんだぞ? しかし、あの男、廃墟の教会でも、エリナの隣にいたよな?」
「ああ、あれはオスカーですよ」
私がこともなげに答えたその時、バーンとドアを開けた。髪をふり乱し、息を切らして、勢いよくオスカーが入ってくる。どうやら、私たちの話声に気付いたようだ。
「おい、アイツ、目が覚めたか?!」
「オスカーおはよう。シルヴァ様なら、起きているわ」
「フン、あのまま一生眠り続けてもよかったのに、エリナのおかげで命拾いしたな! さあ、住処に帰らせるぞ!」
急に現れたオスカーの姿を見たシルヴァが、目をむいた。
「黄金の瞳……? こいつ、もしかしないでも、あの毛むくじゃらの仔犬か!?」
低く唸ってオスカーは歯をむき出しにした。シルヴァに仔犬呼ばわりされたことに腹を立てたのだ。
「おう、クソチャラ男! 相変わらず胡散臭い顔してやがる!」
「……なんだ、人の姿をしていても犬の時のままじゃないか。よく吼えるな。威勢がいい」
シルヴァは整った顔に薄笑いを浮かべ、すぐに煽り返した。すぐに挑発に乗ったオスカーが目を吊り上げて、シルヴァににじり寄る。
「ずっとお前のことは気に食わなかったんだ! 今すぐここで食い殺してやってもいいんだぞ」
「フン。犬っころ相手に、負ける気がしないな。二秒で片を付けてやる」
「あの銀色の棒切れがないと戦えない人間ふぜいの癖に!」
「銀色の棒切れ? ああ、剣のことか。あんなもの、仔犬相手に使わずとも勝てるさ。試してみるか?」
シルヴァとオスカーはしばらく睨みあった。私は、二人の間に無理やり割って入る。
「どうどう、二人とも落ち着いて。オスカーはそうかっかしないの。シルヴァ様も煽り返さないでくださいな」
「「エリナ!」」
言い訳がましい二人の声がハモる。
「喧嘩両成敗! どっちもどっちです!」
私が厳しい顔をしてそう言うと、オスカーは不貞腐れた顔をして顔を背け、シルヴァはばつの悪そうな顔をした。
私はプリプリしながら腕を組む。
「まったく、二人とも子供じゃないんですから。いがみ合うだけじゃなくて、多少は仲良くする努力を……」
「ふっふっふ、楽しそうだな。なによりだ。怒ったエリナを見られるなんて、ちょっと珍しいじゃないか」
ふいに笑い声が部屋に響いた。そして、急に部屋の何もなかった空間がグニャリと曲がり、シャボン玉がはじけるような音とともに、ヤツェクが現れる。
私は急に現れたヤツェクに、ぺこりと頭を下げる。
「お父さま、おはようございます」
「うん、おはよう」
私とオスカーは何もない場所からヤツェクが現れるのは日常なので、もう慣れっこになってしまったので、そう驚かない。
しかし、シルヴァはしばし唖然となっていた。
「魔王ヤツェク……!」
「いかにも」
ヤツェクは簡単に頷いて、シルヴァの顔を覗き込む。シルヴァは緊張した面持ちで、ヤツェクを見つめ返した。昨日いきなり魔法で喉を絞められたため、警戒しているのだ。
ヤツェクが苦笑する。
「招かざる客人よ、そう緊張しないでくれ。昨日は悪かったね。私も、少々短絡的な行動をとってしまった」
「…………」
「とにかく、首を見せなさい。……ふーむ、私がかけた魔法はすっかり癒えたようだ。さすがエリナだな」
ヤツェクは感心したように私の頭を撫でた。その優しい仕草に、シルヴァは意表を突かれたような顔をしたものの、すぐに顔を引き締め、深々と頭を下げた。
「魔王ヤツェクよ、今までの無礼についてはお許しを。エリナを守って下さったことに関しましては、深く感謝しよう」
「別に、お前が礼を言うことではないよ。私がしたくてやったことだ。しかし、騎士よ。お前がまさかここまでエリナを追って来るとは思っていなかった」
ヤツェクは悩ましげな低いため息をつく。
「まったく、本当に招かざる客人だよ。ここであったことを、口外されては困るんだがな……」
「俺は、ここで見聞きしたことはだれにも話さない。星々に誓おう」
「狡賢いその人間の言うことを、私が信じるとでも? 長い歴史の中で、私は繰り返し人間に裏切られてきた。本当は、今すぐにでも殺しておきたいところだが……」
ヤツェクはちらりと私を見た。私は慌てて首を振る。
「……殺してしまうと、大事なエリナが悲しむ。招かざる客人よ、ここでお前に二つの選択肢をやろう。エリナに関する記憶を全て消すか、真名を明かして私に命を委ねるか」
ヤツェクの提案に、そこにいた誰もが息を飲んだ。





