名前のない怪物4
警察署に着くと予想通りと言うか当然のごとく、視線が三人に向けられた。何一つとしてやましいことはない、いやこの時間に少年を連れまわしているのはあまり健全ではないかもしれない。
花蓮と満はこのような好奇の視線には慣れている。花蓮はその整った容姿に綺麗なブロンドヘアー、モデル顔負けの体型と男女問わず彼女を見てしまうというのは無理もないだろう。その隣を歩いている満も普段からキャスケットを被っているとはい光で髪の毛が銀に反射する。おしゃれ盛りな年代ではなく身長140前後の小学生程度にしか見えない満がそのような髪色をしていたら気になってしまうものだろう。
歩く三人のうち一人この視線になれない人物もいる。神谷悠だ。
そこまでおしゃれに前衛的ではなく少しかっこいいかもしれない程度の容姿を持つ悠には歩いているだけで注目されるという経験はイベントの出し物で仮想や舞台の上に立つ意外では経験がなかった。ほかの二人はそんな視線など気にしないかのように堂々歩いているが、一人だけ心なしか縮こまって歩いていれば逆に目立ってしまうことだろう。そんな風に悠を先頭に歩いているものだから夜で昼間より人の少なくなる署内で廊下に出ている人がみなこちらをみてくるのも仕方がない。
「しゃきっとせんか」
「何であなたたちはこの好奇の視線に対して何も思わないんですかね」
「美しきものを観る権利はみな等しくあるからの」
花蓮はモデルのウォーキングよろしく廊下を進み始めた。満が悠に苦笑いであははと返しながら歩く速度が落ちた悠に近寄ってきた。
「この容姿で格好ですから慣れているんですよ花蓮さんは特に」
「まあこの服というか衣装をあのあたりで見たりしたら仮装かなんかだと思いますからね普通」
「花蓮さんは日本の着物が好きですからね。それ風のものを着たいんですよ。でも着物を綺麗に着るには、その、いろいろと邪魔になるようで」
満の言葉につられて悠は前を歩く花蓮の後姿を見た。悠はくびれをより際立たせている上下の動くふくらみを見てなるほどでかいなと小さくつぶやいた。男の子との会話中に不謹慎だったかとわれに返り、緩んだ頬を戻して満のほうを向き直った。
「そういえば花蓮さんが先頭になっているけど場所は知っているんですか?」
「何度かこちらに来ていますし、それに花蓮さんは記憶力がいいですからね、覚えていると思いますよ」
「そういえば前にどういった事件に協力したんですか? 新人の自分に教えもせずに名ばかりの引継ぎになりましたから。過去の事件の資料を見ては見たんですけど、二人のことはどうやら伏せられているらしく、よく知らなくて申し訳ないです」
「たびたび僕たちのようなのに協力を依頼していると公開するとあまり印象がよくないでしょうし、例外的なことと思いますから」
「ああ、そうですよね。って言うのもおかしいんですけど、お二人に対してうちの課が思いのほかゆるいので、てっきり資料くらいは残っていると思っていましたから」
「僕たちも初めのころは大変でしたからこういう関係になるまでは半分勝手に協力しているというような状況でしたし」
「あ、そうだったんですか」
そうこう話をしながら長くもない廊下を歩いていると花蓮が立ち止まり扉に手をかけた。
入るぞ。花蓮は一言だけで刑事である悠の許可を取らずに中に入って行った。花蓮の後ろに悠と満が続く。
死体安置所はひんやりとしていて、スーツを着ている悠にも肌寒く感じるほどだ。そんな室温のなか、なかなかの露出度になる花蓮を見て悠は自分のジャケットをかすべきかどうかと悩んだ。
そんな悠からの心配など関係がないように花蓮がさらに部屋へと入って行った。
「例の女が眠るのはここか?」
すると花蓮は身元不明の女性が眠る保冷庫の前へ行きとってに手をかけた。
悠はデバイスで確認をしてから花蓮にその保冷庫の中に身元不明の一人が入っていることを伝えた。
「女子が裸体で入って折るのじゃ、其方は出ておれ」
「ええ、でも」
花蓮から満と悠の二人とも死体安置所から一時的に出ろといわれると悠は軽くうろたえたように言った。いくらしたいが女性だとはいえ、一応刑事でもない花蓮を一人でここに残せるわけがない。それで何かあったりしたらまず間違いなく悠が疑われ首が勢いよく飛ぶだろう。
それと同時に満に女性の裸の死体を見せるというのはどうなのだろうかという疑問を持っているのも確かだ。
「花蓮さんがああいってますし、仕方がありませんから僕らは廊下で待ってましょうか」
「何もおかしなことはしないでくださいね」
「もちろんおかしなことは何もせんよ」
有無を言わせぬ雰囲気を纏う花蓮に対して軽い注意をすることしかできなかった。
花蓮から締め出される形で部屋を出た二人はこれといって何かできるわけでも近くに座れる場所があるわけでもなく立っていた。
数十分経ったころ悠は不安になり死体安置所の扉に手をかけると悠の手のひらを制止するように満の小さな手が乗っかった。
「怒られてしまいますよ?」
「場合によってはね」
満は花蓮にという意味で言っていたが、悠にとっては花蓮が何かしていたら自分が上からという意味になる。悠が扉を開けて中に入ろうと手に力を入れるが、扉は開かない。中から鍵かけるというほどやましいことをしているのであれば見過ごすわけにはいかない。
悠はそう思い鍵を使って死体安置所の鍵を回すとガチャリと鍵がかけられた音がした。再度鍵を回して扉を開けようとしたがびくともしない。扉を開ける障害になりそうなものは満が手を当てて押さえているだけだ。
いくら抑えられているとはいえ少年に抑えられたぐらいでは成人男性である悠をとめきることはできないだろう。
「僕力には自信があるんですよ」
満がにこりとこちらをみながら言った。悠はこの状況は公務執行妨害に当たるのかということを考えてみたが、残念ながらわからない。見た目では少年が扉に手を添えているだけでわかりやすく脅迫や腕を押さえられているわけではない。それでは一時的に満にどいてもらう説得材料にはならないだろう。
悠がもう一度、今度は思いきり扉を開けるつもりで扉に手をかけた。最初に少し動く気配はあったものの満が力を入れたのかすぐにその気配すら消えた。
「その手をどけてもらえませんかね?」
「怒られてしまいますよ?」
「いや、自分も上の人たちから怒られてしまう可能性があるんですが」
「そちらについては大丈夫です。花蓮さんはそこまでのことはしませんから」
「そこまでのことって、何をしてるかわかるなら教えてもらえます?」
「全身くまなく見たりしていると思いますよ。まあ、女性の裸なので同姓として見られるのがあまり気持ちのいいものではないのかと」
「なるほど、自分はデリカシーに欠けていたというわけですか。それでも一人でというのは刑事として見過ごせないものがッ」
突然満が扉から手を離したせいで今まで強い力をこめていた分勢いよく扉が開いた。突然のことに悠はバランスを崩してしまいそのまま扉と一緒に体が斜めになっていき床に倒れた。
「何じゃ? このようなところに寝転がって」
「いや、これは、ちガッ」
花蓮の声がし悠が何かの弁明をしようと花蓮のほうを向いた。倒れた状態から花蓮を見上げるように見たためスカートの中が見えたような角度だ。
その直後のことだった視界が黒くなり顔面に強烈な痛みが襲ってきたのは。
今この現場を見る人がいるのなら、少年の前でスーツを着た男性が花魁衣装のようなものをきた女性に顔を踏まれているというとてもじゃないが少年に見せたくないプレイという状況に見えることだろう。
「花蓮さんそのぐらいで許してあげてくださいよ。彼も花蓮さんのスカートの中を見たくて床に寝そべって待機していたわけじゃないんですから」
悠の顔面にかけられていた力が少しずつ弱められていった。また同じことを繰りかえさないように夕は反対の方向に体を回してから立ち上がった。
「それで、何かわかったことはありましたか?」
両手でパンパンとスーツについたほこりを払い何事もなかったかのように花蓮に背を向けたまま言った。
「背は汚れたままじゃぞ」
気をきかせたのか満が丁寧に悠のスーツについた埃を払った。
「あ、ありがとうございます」
悠が緊張しながらそう言いながら二人のほうを振り向くと自分の目の前に満が立っていた。
どこか残念そうに言葉が尻すぼみになっていった。その顔には踏まれていたことによる赤い痕が残っている。
「其方がおとなしく床で寝ながら待っておったおかげでスムーズに調べることができたぞ」
悠が新たな情報があるのかと期待しながら花蓮を見てもその続きの言葉はなかった。
「ん? それだけじゃが」
「何もわからなかったということですか?」
「そういうことじゃな」
「では、事務所まで送りますので」
悠は花蓮が死体を一通り見ただろうから後は帰るだけなのだと思い声を掛けた。
「まだ僕は確認していませんので」
「いや、でもそれはやっぱりあまりよくないんじゃ」
悠は先ほど悠と満を死体安置所の前の廊下に追い出した保護者のような立ち位置であろう花蓮に同意を求め視線を向けた。
「別段問題なかろう」
「やっぱり倫理的に子供に死体を見せるなんて」
それでもくどくどとしている悠に対して花蓮は小さく苛立った
「此方にしてみれば整えられた人間の死体よりも道路に打ち捨てられている動物の死体のほうがよっぽど惨く見えるがの」
車などに撥ねられて道路上に放置されている動物の死体と比べれば、死体安置所に保管されている死体の状態は一部の欠損を除けば状態がいいものであるといえるだろう。そういう観点で視れば車に撥ねられ、回収されるまでの時間無残に放置されたものと死体と発見されてから後に調べることを前提とされ保存された死体では後者のほうが嫌悪感は少なくなるかもしれない。だが、人と同じ形をしていない動物の死体と人と同じ形をしている人間の死体では潜在的に感じる恐怖感は違う。
そんなことを抜きにしても子供に動物であれ人間であれ死体を見せるということに悠はためらいを感じていた。
「別に僕のことは気にしなくても大丈夫ですよ。自分から調べたいといっている上慣れていますから。強い腐敗臭でもしない限りは」
「わしが一通り先に確認をしていたが臭いについて問題なかろう。時期は悪いが時間はよかったといったところじゃな」
夏場の強い日差しに当てられていたのであれば腐敗はどんどん進んでいきものの数時間で息をするだけで気持ちが悪くなるような悪臭を放つようになる。今回はいずれも真夜中に捨てられ日が本格的に強く照り始める朝までの間にいずれも発見されているためそこまで酷い臭いを放っているわけではない。発見されずに何日も放置されウジが湧いた死体や急激に腐敗が進んだような死体に比べればだが。
「ということらしいので」
満が一応の断りをいれて扉に手をかけた。悠には先ほどの満とのやり取りで最悪力で押されてしまえば止めることができないのを知らされていたからかそのまま無言でいた。
何のアクションも起こさない悠をみて満はそれを無言の肯定とみなして死体安置所内へ入った。死体の出し入れがあったからか先ほどよりも臭いが少し強くなった部屋で一瞬満が顔をしかめた。
「出しますよ」
悠が一人ずつ死体を出し花蓮と満に渡した情報と照らし合わせながらの説明をしていく。
三人目の説明をしている途中満が何か気づいたように言葉を発した。
「切断された手足は司法解剖の際、更に切ったりしてないですよね」
「ええ。おそらく」
悠の言葉を確認すると満は顔を寝かせられている死体に近づけた。
保存状態は比較的いいと言っても、死後何日と経っている死体だ。常人が不快感で耐え切れなくなるには充分な酷い臭いになっている。
満は顔を少ししかめながら何かを確認するようにじっと死体を見ていた。
「何か、見つけましたか?」
「これと特定できるようなものではないですが、臭いが気になるといいますか。腐臭とは別で似たような臭いがします。おそらくは消毒液のようなものかと。解剖に使う器具も消毒がされているというか無菌で保管されているでしょうから、確実なことは言えませんが、被害者の三人は事件に会う直前医療機関に行っていた可能性があります」
悠も臭いを嗅いでみようと顔を近づけてみた。
だが人が腐った臭いに慣れていない悠は吐き気を催した。
「やめたほうがいいですよ」
「だ、大丈夫です。もう遅いので」
「これはまだ綺麗な方じゃ、この先盗られる部位によってはもっとむごいことになるやもしれん。このままでは先が思いやられるの」
そうは言うが、悠はこれが初めて自分の関わる案件になるのだ。初めての案件で腕や足を切り落とされた死体に出会うことになるのだからそのような反応になってしまうのも無理はない。
「すいません。うかつでした。確認は済みましたか?」
「うむ。ここで得るべき情報は得た」
「はい、僕もこれ以上はちょっと」
「そうですよね。ここに長い時間いてもいい気はしませんよね。では事務所の方までお送りしますので」
満も悠も匂いがつらいからという理由ではあったがその原因は器具などから出る人工的な匂い、死体から発せられる腐臭と互いに違っていた。
帰りも三人は好奇の目にさらされたが、行きと違い悠は精神的な疲れからかさほど気にならなくなっていた。