名前のない怪物1
神谷悠は憂鬱としていた。捜査一課・第八強行犯捜査一係に配属されたばかりの新米刑事だからという理由で探偵に事件捜査の協力を依頼しに行かなければならないのだ。
探偵事務所は都会の喧騒から少し離れた穏やかなところにある。上司から住所と紅探偵事務所の名前を教えられスマホの地図アプリを頼りにそれらしき二階建ての建物までやってきた。
しかし、建物の周りを確認しても看板らしきものはでておらず、中を覗いてみても暗い。営業しているのか、それともただの住居なのか判断ができないで困っていた。
アプリの地図をどれほど拡大をしてもやはり目的地と現在位置のアイコンが重なっている。
意を決してドアに手をかけたが、しまっていた。
言われた場所に来たが人がいないらしいと悠は仕方なく上司に電話を掛けようとした。
「あの、何か御用でしょうか?」
「あ」
誰もいないと思っていた建物から声を掛けられ、悠は取り出していたスマホを落としてしまった。
「あ、落としましたよ」
悠が振り向くとそこには白い髪をしてキャスケットを被った少年がドアから顔を出していた。
「あぁ、ありがとう。ちょっと聞きたいんだけどいいかな?」
「はい、何でしょうか?」
少年は以前としてドアから顔だけだしたままで悠に言った。
「ここって紅探偵事務所で合ってる?」
「はい、そうですが。もしかして警察の方でしょうか?」
「よくわかったね。それで、ここは今やっているのかな?」
「はい、やっていますよ。どうぞ中にお入りください」
探偵事務所の中にはソファーと机があるだけだった。おおよそ来客を歓迎しようという気はこの部屋からは感じられない。ただ話をするだけの部屋そういった印象だと悠は感じた。
「こちらにおかけになって少々お待ちください」
少年はそのままドアから奥へと入って行った。
少年の身長はおおよそ140前後であることから小学生か背の低い中学生ぐらいだろうと悠は感じた。
この部屋の家具はソファーと机のみだ。悠はソファーに腰を降ろした瞬間驚いた。この部屋には似合わないほどにすわり心地がよかったのだ。おそらくは高級品なのだろうと思うほどに。
部屋から行き来できるドアが三つ。一つは悠が入ってきた外とつながるドア、一つがちょうどその向かいにある少年が入って行ったドア、もう一つがそのドアと同じ壁の端の方にある小さいドアだ。
悠は上司から探偵がどんな人物なのか聞いていなかった。聞いても教えてくれなかったというのが正しいだろう。どんな人物が探偵なのかドキドキとしながらふかふかのソファーに腰を降ろして待っていた。
突然少年が入って行ったドアの奥のほうからバタンという大きなものが倒れるような物音が聞こえてきた。悠が思わず立ち上がり様子を見に行こうとドアの前に立つとドアが開いてきた。
「なんじゃ? そんなところに?」
ドアから現れたのは長く黒い艶やかな髪をして着物のようなドレスに身を包んだ女だった。
「大きな物音が聞こえたもので」
「すいません。いつものことなのであの音に関しては気にしないでください。どうぞそちらにお座りください。ほら、華蓮さんも座って下さい。あ、自己紹介が遅れました。僕の名前は満と言います」
「ふあー、此方は安らかなる眠りに浸っていたというに。ん? どこかであったか?」
「いえ、自分はここに来たのが初めてですので、初対面かと」
「ふむ、そうか」
華蓮はあくびをしながら気だるげにソファーに座ってそのまま目を閉じた。
悠は上からお前まで降りている情報ならすべて話しても構わないと言われている。それほどまでに言われている人物だと緊張をしてここまで来たが拍子抜けで、むしろ話も聞かずに眠るような人で大丈夫なのかと不安になりながら悠はソファーに座った。
「本日はどのようなご依頼で? と言ってもうちに刑事さんが来ているのですから事件捜査の協力ですよね?」
少年が華蓮の隣に立ち悠に聞いた。
「ええ、よくご存知で。いつもお世話になっているようですので当然と言えば当然ですか」
「本日もやっぱり僕らよりの案件ということでしょうか?」
紅事務所には警察が何度か捜査協力を頼んだことがある。そういった事件は過去全て怪奇的な事件だった。
今回もそういった事件なのだろうと華蓮、満は知っていた。
「ええ、そちらがらみの意味についてはわかりませんが、おそらく以前にも協力していただいたような案件かと」
「そうですか。わかりました。どういった内容かはご存知で?」
「事件の概要自体は聞いていると言いますか、現場を見ているんですけど、自分は刑事課の方へ配属されたばかりなので、こちらの紅探偵事務所について知っていることがないと言いますか、なんなら何も聞かされずにこちらに来るようにだけ伝えられたと言いますか」
「くどい。簡潔に申せ」
ソファーに座り目を瞑っていた華蓮がややいらだたしげに悠に言った。悠は華蓮がこの部屋に入って来た時はそのドレスに気を取られ顔をしっかりと見ていなかったが、この時顔をちゃんと見た。悠は不謹慎にも華蓮の瞳の妖しげな魅力があると思ってしまった。
「すいません。えと、自分は事件の概要以外は詳しいことを知りません」
「それでよい。此方はくどいのが嫌いじゃ。事件の概要を申せ」
悠は満を見てこの少年にまで連続猟奇殺人事件などという気分が悪くなるような内容を言ってもいいものか悩んだ。
「僕のことを気にしているのであればかまいませんよ。そういった事件には慣れていますし、花蓮さんの助手のような役割ですので」
満は悠の視線に気がついて悠に対してそう言った。
悠はこの探偵事務所は小学生を助手として本来なら学校に通っている時間だろうこんな昼間から働かせていることに疑問を感じたが、自分の前任者からそういう形態であるならば何か事情があり特に突っ込むべきではないのだろうと考えた。
「もし気分が悪くなったとしても無理して話を聞く必要はないからね。では失礼して、今回の事件は連続猟奇殺人事件というやつです。各種報道機関への情報統制でそれらは関連性のない4件の事件として扱われていますが、最近殺人事件についての報道が多いと思っていたのであればそれが原因です。もっとも被害者はみな女性なので連続婦女殺人事件と報道している局もありますが」
「僕たちはTVなどの電気機器にあまり触れないので全然気がつきませんでした。あまり外にも出ませんし。世事に疎くて申し訳ないです」
「あ、そうだったんですか。いまどき珍しいですけど気にしないでください」
悠がちらっと事務所の中をみるとたしかにTVはなく、電化製品はポット、エアコンぐらいなものだった。
「あ、話を戻しますね。被害者4人の関係ですが、現状ではなんら性別以外の関係性が見つかっておらず遺体が見つかった場所も半径数十キロの範囲に及びます」
「それだけ範囲が広いなら女性であることだけでは連続と断定できませんよね? ということは連続性のある事件だと判断されるだけの理由があるんですよね?」
「ええ。でも・・・」
花蓮は目を閉じている。悠は再び目を閉じた花蓮を見て、このまま話を続けてもいいものかと考えた。
「花蓮さんが目を閉じていても気にしなくていいですよ」
花蓮はこの時間帯は本来起きている時間ではない。起きていられることはできるが本調子のときに比べ圧倒的に能力が落ちてしまうのだ。だからこの時間帯に依頼が来たときは基本的に満が必要であろう情報を聞き、花蓮は意識を半覚醒状態にして夢のようなものとして聞いた情報を整理している。
「この事件に連続性があると認められた理由は女性であること以外に被害者それぞれ体のある部位が切断されていたというか持ち去られていたからなんです」
「部位といいますと腕や足といった感じでしょうか? それとももっと細かい指や爪といった末端部位や髪や性器といったものでしょうか?」
「部位は今のところ大きいところで腕、大腿以下、一番細かく見ると手、足がなくなっています」
「四肢以外でなくなった部位はありますか?」
「現在司法解剖に回していますが特にそういった報告はありません」
「それで、僕たちに調べてほしいのはどちらでしょうか?」
「どちらといいますと?」
「犯人についてか、被害者についてか」
「まず被害者について調べてわかったことを元に犯人について調べるんじゃないんですか?」
「通常はそうなんでしょうけどね。聞いていませんか? 僕たちは“ある”情報さえあればそれだけで犯人を特定することができるんですよ。もっとも犯人を特定するだけになるので証拠を押さえたり捕まえるのは主に警察の仕事になりますが。そのあたりは何か聞いていませんか?」
「いえ、特には」
満は少し考え他そぶりをみせて小さくつぶやいた。
「ということは犯人を探した上で適当に証拠になりそうなものを見つけてこいってことかな?」
「わかりました。僕たちのほうでも調べますのでデータをいただけますか?」
悠は自分の持ち物から警察に配布されているデバイスを取り出して捜査情報のフォルダーを開いた。
警察は捜査情報を刑事それぞれにデバイスを渡し、警察専用の回線を用い各刑事のアカウントで見ることができるファイルを制限することによって捜査情報を管理している。これによってそれぞれが得た情報は即共有が可能になった。しいて言うならば持ち運びができる大きさの端末で後で整理されるとはいえ書類を作るというのは機械に弱い人には非常に苦労する作業ということだ。
このデータはアカウントから発行されるパスを使用すればコピー複製不可の鍵つきファイルとして閲覧が可能になる。
「こちらにパソコンかデータを保存閲覧できるような機会ってありますか?」
「ないです」
「ですよね」
「では、書面の形で捜査情報を持ってきていただけないですか? 時間は明日以降で午後八時ごろにお願いします」
「ええ、わかりました」
悠は探偵事務所を出たところで一人歩きながら満と呼ばれた少年が悠が見た目で感じるよりも遥かに大人びていると感じた。
少年の容姿は年齢を高く見積もっても中学生程度にしか見えない。それも大人びた言動がそう見せているだけで実際悠が最初に満を見た時は小学生だと感じた。
「本当はあの少年が探偵として優秀なんじゃないのか?」
誰に言うでもなくそう呟くことで少年をこんな事件の捜査に協力してもらう自分が納得できるだけの理由を探そうとした。