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 ミリアが小学二年生になって間もなくの頃、「運動会のお知らせ」というプリントを持って帰って来たのは、即座に参加しますに丸を付けミリアを大喜びさせてやったのだから、しっかりとリョウの記憶に刻まれていた。しかしそれから一か月以上も経ったある夜、突然知らぬ番号から携帯に電話があったのと、その件とはさすがに即座には結びつかなかった。

 それは半額になっていたブリの照り焼きと、ミリアを喜ばせるべく花形に切ってやったハムを乗せたサラダの夕飯を取り終えた後、ミリアが風呂に入っている間、居間でギターを弾いていた時であった。

 「黒崎ミリアさんのお父様の携帯でよろしいでしょうか。」

 父だろうが兄だろうが大した違いはないだろう、というのがリョウの自論である。

 「はい、そうです。」訝しく思いつつも即答する。

 「突然のお電話申し訳ございません。私、ミリアさんの同じクラスでお世話になっております、畑岡瑤子の父でございます。」

 にわかにリョウは眉間に皺を寄せた。何か、ミリアとその子の間にトラブルがあったのかと疑ったためである。しかしミリアには最近変わった様子もなかったし、ましてや学校で何か嫌なことがあったなぞ、素振りさえ見せたことはなかった。

 「な、何で、しょうか……。」

 「恐れ入ります。あの、実は、先日保護者会の時に、担任の先生から運動会の参加者名簿を頂きまして、その中に黒崎さんのお名前があったものですから……。」

 リョウはそこでようやく安堵の溜め息を吐いて、「ああ。運動会、行きますよ。」と明るく答えた。「行きます行きます。ミリア……、あ、うちの娘との約束なんで。」

 「実はその件でお願いがありまして。」

 「運動会でですか? 何ですか?」ミリアに関わることで、自分のできることであるならば何でもやってやろうと思っている。だから運動会にも、ミリアの好きな卵をたくさん入れた弁当を作ろうと思案していた矢先なのである。

 「実はですね、運動会の競技に保護者リレーというものがありまして。」

 「はあ。」

 「それがですね、子供たちのクラスごとに保護者チームを作って、クラス対抗リレーという形式になっているのですよ。それでですね、是非と黒崎さんに我がクラスのリレー選手として出て頂けないか、と思いまして。」

 「リレー選手ですか。」

 「そうです。リレーです。」次第に畑岡の言葉は熱を帯びてくる。「八人で、グラウンド二周。つまり、一人百メートルを走って頂く、という競技でして、ここでですね、優勝できたら子供たちを大喜びさせることは必定! 是非とも子供たちのため、親として一肌脱ごうではございませんか!」

 「まあ、……いいですけど。」

 「本当ですか!」

リョウは思わずその耳をつんざく大声に顔を顰める。

「……だって、百メートルだけでしょう?」

「そうです、たったの、たったの百メートルなんですよ! 出て下さいますか、やあ、良かった良かった!」畑岡はほとんど涙声で繰り返した。「実は隣のクラスのお父さんにインターハイ出場経験のある方がおりましてねえ、それを聞いた時、もうダメかと思ったんですよ。でも、何とかして娘のために優勝を勝ち取りたいと思い、娘に情報収集をさせましてねえ。そうしましたら、どうにもミリアちゃんのお父様が大層お若い方らしいというのを聞き及んで参りまして。それで、どうしても黒崎さんに出て頂きたいと、そう、念じていたんですよ。いやあ、出て下さいますか、良かった良かった!」

 「……はあ。」

「では当日、よろしくお願いいたします! もうこれで八名揃いましたので、担任の先生を通じてエントリーをさせて頂きますから! どうぞ当日まで体調にお気をつけられて! いえ、本当に、恩に切ります! それでは!」

電話は切れた。

「誰とお話してたのよう?」ミリアが濡れた髪をバスタオルで包み上げながら、リビングに戻ってくる。「お友達?」

「否……。」先程の話を反芻し、ミリアに秘めておくべき内容でもないなと思い至る。「あのな、お前のクラスメイトに畑岡さんっているだろ?」

「いる! いるの! ヨウコちゃん!」ミリアは思いがけなくも学校の友人の名前がリョウの口から出てきたことに、ぴょんぴょん飛び跳ねる。「ヨウコちゃん掃除の班一緒! 今日も一緒に廊下掃除したの!」

「そう、そのヨウコちゃんのお父さんからな、運動会の保護者リレーに出てくれって電話。」

「ええー!」ミリアはバスタオルがほどけるのも構わずリョウの胸元に飛び込んだ。「リョウ、リレー出るの? 運動会走るの?」

「ま、ま、まあな。だって百メートルだけだっつうしよお。俺この前20キロぐれえハーフマラソン走ったしな。それと比べりゃ余裕だろ。」

「よゆう!」ミリアはきゃーと叫んで、「リョウが学校の校庭走んの? ミリアがいつも走ってる所だよ? 本当に本当に、すってきー!」リョウの膝に転がった。

何が素敵なのかはリョウにはさっぱりわからない。「まあ、全員で八人も走るっつうしよお、まあ、学校には色々世話んなってるし、そんぐれえ別に大したことじゃあねえかんな。」

「ミリアいっぱい応援するね! おっきな声で応援したげる!」

 まあ、筋トレも欠かさぬし、マラソンだってちょくちょく走ってはいるのである。親父どもと百メートル走るなんざ大したことはあるまい。リョウはそう思いつつ、きゃあきゃあ言いながら自分の膝に寝そべり返ったミリアの頭を撫でてやった。しかしそれよりもどんな弁当を作ってやったらいいかと、そちらの方が重要な気もしていた。

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