過去
その頃オズルは、庭でフロウにもらった笛の万年筆で魔法紙に絵を描いていました。
描いていたのは、庭にある勿忘草です。
「ねえ!すごいよ、フィリー!みて!このペン、色が勝手に変わるよ!」
「にゃーお!」
そばにいるフィリーにオズルは楽しそうに語りかけます。フィリーの鳴き声も、どこか楽しそうに聞こえます。
今オズルは、勿忘草の花の部分を描いていたのですが、この間黒いインクだったはずの万年筆からは、青い線が紡ぎ出されていたのです。そしてそれは美しい勿忘草を描いていました。オズル自身は気付いていないようですが、オズルは絵を描くのが得意なようです。
不意に風が吹いて、オズルの髪を揺らしました。魔法紙も端がひらひらと動きます。
オズルはふと、思いついたことを口にします。
「ねえ、フィリー。風の精霊さんっていると思う?」
「にゃ?」
「いたらきっと、遠くのことをたくさん教えてくれそうだよね」
「にゃーお」
オズルは楽しそうに話し続けます。フィリーもなんだか楽しそうです。
「いろんな精霊さんとお友達になれたらな。いろんなお話をしてくれると思うし、いろんなお手伝いもしてくれるかもしれないよ」
そう言いながらオズルは数日前、言葉の精霊に手伝ってもらったことを思い出しました。
そしてオズルは、不意に悲しそうな顔になり、ゆるりと首を振ります。
「——ううん、僕はお友達になってもらえるだけでもいいや。だって今まで僕には友達はいなかったんだから。今は言葉の精霊さんのお友達もいるけど……冷たいように見えてもなんだかんだで優しくしてくれるフロウもいるけど……その前は、1人だったんだ。フィリー、君に出会ったのも家を追い出されてからすぐのことだった。だからね……友達ができるだけでも嬉しいんだ。お友達と仲良くできるだけでもね」
「にゃ……」
静かなオズルの微笑みに、悲しそうな、諦めたような微笑みに、フィリーもなんと答えていいか分からないようでした。
『なんだか悲しいこと言うじゃない?……それだけ辛かった過去があるってことよね』
優しげなその声。
オズルには聞き覚えがありました。
「勿忘草に住む……精霊さん?」
『そうよ。私は記憶の精霊。前にも会ったわよね』
記憶の精霊は、くるりと宙返りするかのように周り、凛とした女の子の姿になりました。
「わあ!姿が変えられるの?」
『知らなかったの?当たり前よ!私たちは自由自在に姿を変えられるの』
私を誰だと思ってるの?と言うように、誇らしげに記憶の精霊は笑いました。
「確か記憶の精霊さんって……記憶の魔法を使う時に助けてくれる精霊さん、だったよね?」
『そうよ。——って貴方、人間じゃない!』
記憶の精霊はオズルが人間であることに気付き、思わず叫んでいました。
「そうだよ。どうして?」
精霊は誰にでも見えるものだと思い込んでいるオズルは、首を傾げます。記憶の精霊は呆れたように言いました。
『あのねえ、知らないの?人間って普通、私たちのことが見えないし、声も聞くことが出来ないのよ?』
「えっ⁉︎」
オズルは目を大きく見開きます。
「知らなかった……!」
『……で、なんでそんなに悲しいことを言っているの?』
記憶の精霊はそう言って首を傾げます。
「……母さんと父さんに、お前はいらないって言われて、家を追い出されて……それまで家の外に出たことがないから、友達もいなくて。たまたまフィリーには会えたけど、言葉の精霊さんとも友達になれたけど、でも……」
オズルはうつむきます。何が言いたいのか分かりません。話すのをやめて考え直そうとしても、頭の中も心の中もますますぐしゃぐしゃになってしまいました。なので仕方なく、こう締めます。
「……だからね、友達ができるだけでも嬉しいんだ。それだけでもいいんだ」
『貴方のことを大切に思ってくれている人は意外にいるのよ。ここの家の主人さんとか、そこの黒猫ちゃんとか、あと、毛長の黒猫ちゃんもね』
毛長の黒猫ちゃん。それはルイーザのことだと、オズルは少し考えて気づきました。
『それから、貴方のお母さん』
「……えっ?」
オズルはその言葉を聞いたとき、まるで雷に打たれたかのような、そんな思いになりました。
(母さんが、僕を……大切に思っている? そんな馬鹿な)
大切にしていたら、あんなにひどいことはしないはずです。
『貴方には忘れてしまった過去がありそうね』
記憶の精霊は、そっとオズルの頭を撫でました。
そこには優しく笑う、記憶の精霊がいました。
『過去ってね、いつでも、無意識でも、忘れてしまっていても、頭の中に、心の中に残っているものなのよ。思い出せないだけで』
オズルとってはその言葉は難しすぎて、よく分かりません。でも、何か大切なことを言われているのだと感じました。
『忘れてしまった過去に縛り付けられてしまう時もあるし、救われる時もある。もし貴方が過去に縛り付けられているなら思い出して受け入れることで成長できるし、救われたのなら見つけてお礼を言ってあげたいわよね?』
記憶の精霊の眼は青く、どこまでも透き通って見えました。
『もし自分が忘れてしまった記憶を思い出したいと願うなら、手伝うわ。——私の名を教えてあげる』
「——僕の名前は、オズル。
オズル・アイーネって言うんだ」
それが、オズルの返事でした。
『私はメリー。メリー・アクトよ。
オズル、よろしくね』
「よろしくね、メリー」
二人は微笑みを交わし、そして"友の契約"を結んだのでした。




