揺れる電車3
もうなんだか疲れてしまった。彼に差し出された右手はとても突拍子の無いものだったからだ。
私が想像していたものは、私の格好いいセリフの後に、彼は「あんた誰?」や、「へぇ、あんたにも見えるんだ?」のようなセリフだった。
別バージョンには、「これはペットのくーちゃんです」とか、「これでしょ、めっちゃ肩こって憑かれんねん」とか、しょうもないギャグを言われたらどうしようとかも思ったりした。
もしそんなことを言われでもしたら、どうやってツッコミを入れるべきなのか、彼の後ろを追う私は真剣に考えていたのだ。
その後、私達はお互いの名前と連絡先だけ交換して別れた。
彼は私の事を何て呼んだら言いかと訪ねて来たので「好きに呼んでください」と、普通に返した。
色々聞きたい事は山ほどあったが、その空間はもう家に帰りたいという気持ちが強くなった私を止める事が出来なかったのだ。
帰りの電車の中で、少し彼とメールでやり取りをした。
少し冷静になった私は、本来の目的を思い出した。
そして、次に会えるのはいつにするかという質問をして、次の土曜日に会うことが決まった。
鎧武者の事も聞きたかったが、メールでは面倒くさくなってしまったので、会った時に聞く事にした。
電車から降りて改札を出ると、駅前には黒塗りのレクサスが異様な雰囲気を出しながら鎮座していた。
その前に立つ中年の男もまた真っ黒のスーツで都会から少し離れた小さい駅には全く似合わないものであった。
少し遅くなると連絡していたので覚悟はしていたが、私はこの車に乗るのが苦手であった。
男は私に一礼をすると、後部座席のドアを開けて私が車に乗り込むのを確認してからドアを閉めた。
小学校に上がるまで、私はこんな生活を送るようになるとは夢にも思わなかった。
当時の生活と言えば6畳一間のボロボロのアパートの一階で、私を含めた親子三人で生活をしていた。
今思えばとても貧乏な暮らしだったのだと思う。
私の家は今いる本家から忘れ去られるような程遠い親戚で、なんの繋がりも無いはずだった。
私が小学校に上がる頃、人には無い能力に目覚めると、うちの家には本家の人間が頻繁に訪れるようになっていた。
そして、数日後は「この子は普通の子です、だからお願いします」と、母が本家の人に泣きながら訴えていた。
しがみつく母に、「決まりですから」と言う市役所の職員の様な格好のおじさんは困り果てたような顔をしていたが、父に案内されたおじさんは私の目の前に来て「お嬢ちゃん。さあ行こうか」と言ったのだ。
母は大切なものを取り上げられた子供のように泣いていたが、反対に父は宝くじが当選したかのような気分だったのだろう。
別れを惜しむどころか笑顔で私を送ってくれた。
私は両親が好きだった。
いつも母と工場勤務で帰りの遅い父の帰りを待っていた時、建て付けの悪い玄関の扉をスムーズに開ける音がすると、私は「お父さんだ」とはしゃぎながら迎えに行った。
父は「ただいまの」の後に、「ちょっと待ってな」と言って仕事で汚れた手をよく洗った後、私の頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。
幼い私にはそれがとても嬉しかった事を覚えている。
私が本家に向かう日の朝、母は泣きじゃくり父は「ほなな、ええこにするんやでと」笑顔で見送ってくれた。
その異質な状況に混乱した私は何も言えないまま、ただおじさんに手を引かれて家を出たのであった。
もう両親には会えないと思ったのはその夜の事で、広い部屋を与えられた私は両親の暖かさの無い布団の中、独りぼっちで声を殺しながら泣いていた。
ただ、実際には二度と会えない事は無かった。
うちと本家は日本の西と東ほど離れていたが、手紙のやり取りや節目の年には両親が私に逢いに来てくれた。
私が本家に行って間もなく、家には大きな額のお金が入り父は本家から紹介された仕事に就いた。今では母と二人で大きな家に住んでいるらしい。
家に帰る頃には既に時間は8時を回っていた。
使用人の一人に食事が出来ている事と今日は私一人だと聞かされたので、私は軽い返事をして着替えの為に自分の部屋へ帰る。
一人で食事を済ませた後、私はお風呂に入った。
脱衣所で鏡に映った私の顔は何だか疲れていたが、眉毛に掛かってきた前髪をじっと見てそろそろ切ろうかなんて考えたりもした。
部屋を脱いで下着姿になった私は、腰まで伸ばした髪の毛でお団子を作った後、下着を脱いで浴室へと向かう。
ちなみに私は下から脱いでいくタイプだ・・・
※書籍化すると入浴シーンが追加されますw
お風呂から出てしばらく自分の部屋でくつろいでいたが、そろそろ寝ようかと思い布団に手を掛けた時だった。
携帯の着信音が私の動きを妨げた。
「日向 旭日」
携帯電話のディスプレイに表示された名前を見ると、彼と鎧武者の事を思い出した。
確か明後日の土曜日に合う約束していたけれど、都合が悪くなったのかなと思いながらメールを開く。
彼から送られてきたメールには「おやすみ」の一言とドキドキと動きを付けたハートマークの絵文字が躍り狂っていた。