揺れる電車1
高校一年の春。
その日、課題の提出が遅れた私はいつもより遅い時間の電車に乗っていた。
満員電車ですし詰めされた私は、何でこんなに混んでんだよと思っていると、そいつは次に電車が止まった駅で乗って来た。
第一印象が驚愕だったとか仰天だったとかを覚えていたのは、扉が開く前から胸騒ぎが起きていたからだった。
――ちょっ、なんなのこいつ。
私はそいつを見て鳥肌が立った。
普通の高校生にしか見えない男の子は近くの進学校の制服を着ていた。格好は何というか「ガリ勉スタイル」で見た目は普通の高校生だったのだ通の乗客とは明らかに違っていた。
そいつの後ろには、「化け物」がいたのだ。
見た目は古い鎧武者姿だったが、全身は赤黒い血で染まり顔の所々はドクロがむき出しになっている。何故か腕が四本あり、その一本一本に錆び付いた刀が握られていた。そして、その内の一本は学生服の男の子の首元に当てられていたのだ。
電車の扉近くにいた私は彼が乗ってきた瞬間には吐き気を催し、口に手をあて「うぉぇ」と小さくえづいてしまった。幸いにもお昼に食べた焼きそばパンは出て来なかったけど、近くにいたサラリーマンは「大丈夫ですか」と声を掛けてくれた。
「大丈夫です……スミマセン」
悪阻だと思われたら最悪だ。
そう思うと顔を上げた時に目があった全員がそう思っているのではないかと思い、何とも居たたまれない気がした。
ただ、それを感じたのは決して私が悪いのではなく、そう感じさせた相手とそもそも彼らにそれをそう感じさせた社会そのものが悪いのだと思うと、なんだか無性に腹が立ってきた。次にえづいた時に広範囲にばらまけるようにするにはどの角度が良いのかとか下らない事を真剣に考えていたが、とりあえず落ち着こうと思い深呼吸をした後、目をつむりイメージする。
それは丁度電話BOXに入っている感じで、自分の回りを囲む四角い箱があると心の中で現実には存在しない物を作り上げるような作業だった。
私は「結界」と言う物を作り上げる。
先ほどの鎧武者が放つ「気」に随分当てられはしたけれど、少しは落ち着けたと思った。ただ、人混みの中で結界を張ると決して一人では収まらない。
目の前にいたサラリーマンのおっさんも、私が張った結果の中にいのだ。
例えどんな状況だとしても、例えハゲ散らかしたサラリーマンのおっさんと電話ボックスのサイズの空間で密着をしていても、それが例え酒臭いおっさんで仕方なく密着していたとしても、この状況が少しでも嫌だと感じたら結界事態が成立しなくなってしまう。
だから、平常心平常心って心の中で何度も唱えたが、私のメンタルは濡れたトイレットペーパーのように貧弱なものだった。
「うぉぇ」
その後、次の駅で降りていったサラリーマンのおっさんに心の中で手を降ったあと、少しばかり空いた車内に安堵した私は吐き気に耐えながら再び結界を張った。なぜ私がサラリーマンのおっさんと電話ボックスの中で密着していると思ったのかは分からないが、そう考えている時に意識の片隅でまたも何かの違和感を覚えた。
そう言えば今の駅で乗ってきた女の人は……
ふと目をやると鎧武者の他にも周囲とは明らかに違う者がいた。それは真っ白なワイシャツにある赤い血ような染み。そんな異質な存在だった。
明らかに憑かれていた。
見た目は30代OLのような風貌だったが、今乗車して来た女性の目の下には真っ黒な隈が出来ていてた。
彼女は何というか今にも自殺そうな顔だった。そして、その理由は私にはすぐに解った。
彼女の後ろには女がいたのだ。
もちろん知人のたぐいではなく、溺死だなと思わせるような格好の女で、衣服は濡れて海藻のように張り付いた黒い髪の毛からはぽたぽたと滴が落ちている。
ただ、普通と違うのは……
普通とは違うのは解ってはいるが、そう感じたのはブヨブヨに膨れた女の手首をグルグルと縛るように有刺鉄線の様な金属のワイヤーが何重にも巻かれていた事だ。そして、女は腕に出来た輪っかをすっぽりとOLの彼女の首に被せているような状態でおぶさっていた。女は普通の霊とは違う悪霊のような存在だったのだ。
その女は何かに怯えているようだった。
怯えているのはOLの彼女ではなく後ろの女だった。OLの彼女がこの電車に乗って来た直後から、女は彼女に隠れるようにして落ち着きの無い様子だった。男の子と言うと何事も無いように片手ではつり革を持ち、もう一方の手で参考書のような本を読んでいた。位置的には男の子がOLの彼女に背を向けて立っている状態だ。OLの彼女は、少し空いた車内に出来た椅子の隙間に無理やりお尻を捩じ込んでいるようにして俯きながら座っていた。
次に大な駅を過ぎ、立っている乗客があらかた降りた頃、男の子の方に動きがあった。
男の子の後ろにいた鎧武者の首が180°回転しOLの彼女の方を向いたのだ。「チャキ」という時代劇で刀が鳴るよう音がした瞬間、電車の中の一切の音は消えていた。まるでその音を私に聞こえさせようとしている様に、私もその空間に飲まれて行ったのだ。
相変わらず男の子の方は参考書を見ていたが、男の子の首元に当てられた鎧武者の刀が外れると、鎧武者の胴体は後ろを向いた顔の位置に戻るように回転した。そして鎧武者の背骨がミミズのようにグネリと伸びて段々とOLの彼女の方へと向かって行ったかと思うと、OLの彼女の目の前まで来きて動きを止めてじっと後ろの女を睨みつけた。
OLの彼女の後ろにいる女は、尋常じゃない位震え出してもうなんだか笑い過ぎて大きく肩が震えている人みたいだった。
そして、次の瞬間その鎧武者の四本の刀の一本がOLの彼女の体を貫いた。
「ぐふぅっ」っと、突然胸を押さえ苦しむ女性に回りの乗客の視線が集まる。
「ギャアァァァァァァァァァァーーーーー」
刀はOLの彼女に突き刺さっただけで無く、同時に後ろにいる女の体をも貫いていたのだ。OLの彼女と共に苦しむ女は、歯茎をむき出し尋常じゃないぐらいの悲鳴を上げるがその悲鳴は誰にも気付かれない。
さらに、刀を突き刺した鎧武者の手が内側に捻り上げられると、後ろの女の悲鳴は絞るようにこぼれ落ち、そのまま上に向いた刃はOLの彼女の右肩から抜け出した。後ろの女は、腹部に刀が刺さったまま高く持ち上げられていた。
男の子はその時も参考書に夢中な様子で、まるで自分がその車内には居ないような振る舞いをしていた。
突然の事で何も出来ないままの私は、目の前の出来事に男の子が気付いていないのかと思ったが、気づかれないようにしているだけだとも思った。