~烏兎ヶ森山~3
金為行は、すこぶる機嫌が良かった。
興田川(砂鐵川)を挟んで、河崎柵を遠望した経清と永衡は、その物々しさに圧倒された。
物見櫓や取り囲む柵の入り口、吊橋などといった要所には兵が配置されており、日高見川と興田川の合流部付近の桟橋には、無数の筏や小舟が係留されていた。
その物々しさとはうらはらに、思いのほかすんなりと舘へ招き入れられた二人は、待ちかまえていた為行に酒肴とともに歓待された。
「それにしても、お二人が安倍方に加勢していただけるとは、心強い。」
為行は、経清の杯に酒を注ぎたしながら嬉しそうに言った。
既に仔細は、為時より伝わっているようであった。
「すでに準備は、すっかり整っておられるようですな。」
永衡も、周りを見回しながら嬉しげに言った。
「まだ表立って動くわけにゆきませんので、くれぐれも開戦までは内密に願いたい。」
経清はそう言って頭をさげる。
「分かっておる。で、その時までお二人は河崎柵に留まられるおつもりか?」
細い目の端を下げ、どこか楽しげに、為行は尋ねる。
「いや、このまま頼良殿のところまで伺って、仔細をお伝えに参ろうかと考えておる。」
経清は右手を振るとそう告げた。
「そうか。まあ、すでにあの方は全てを把握しておられると思うがな。せっかくの機会であるし、それもよかろう。」
為行はうなずいて言った。
「なんと、もう全て分かっておいでと?」
こともなげな為行の言葉に、経清と永衡の二人は目を丸くした。
「当たり前ではないか。何のために、国府内の南北大路にあのような館を構えておると思っておられる?」
為行は、なにを今更、という顔をした。
それを聞いて、二人は顔を見合わせた。
多賀国府の南北大路にある安倍氏の館には、常に貞任ら安倍兄弟が詰めているわけではなかった、当然在府の家人たちの中には国府で働く官人もおり、国守の動向は逐一、鎮守府の頼良のもとに伝えられていた。
登任もそこまで無能ではないので、計画が漏れないように気をつけてはいたが、陸奥国の隅々にまで張り巡らされていた安倍氏の情報網にかからないはずはなかった。
まして、貞任の舅である為行はいうに及ばず、深い姻戚関係にある清原氏からも秋田城介繁成の動向はすでに伝えられていた。
ここで、現時点での清原氏と安倍氏の関係を整理しておくと、出羽国俘囚主清原光頼の叔母(父光方の兄妹)は、陸奥国俘囚長安倍頼良の義理の母(父忠良の妻で良照の母)。
光頼の妹は、頼良の妻で良宗・宗任・正任・家任・則任らの母。
光頼の弟武則の妻は、頼良の娘(有加らの姉)で武貞の母。
つまり現当主をはさんで三代にわたって、姻戚関係をすでに結んでいたのである。
ちなみに安倍良宗(別名井殿)は嫡男であったが、盲目なため、実質的な跡取りは貞任であり、彼の母親は安倍氏の娘であった。(この安倍氏は陸奥六郡の北方を治める、安倍富忠の可能性が高いが、はっきりしない。)彼女は有加ら四姉妹と重任、官照(入道し別名境講師、四男眞任)の母でもあった。
経清は、ここまで随従してきた家人に文を持たせ、国府の登任のもとへと、『金氏動かず。ただし河崎柵には、兵満。』の報を届けさせた。
そして二人のみで、河崎柵をあとにした。