~烏兎ヶ森山~1
馬上から見えてきた郡衙を囲む邑の様子は、幾筋もの白い煙が立ちのぼり、相変わらず活気にあふれていた。
湊に泊まる、舟の数も多い。
昨年の秋に訪れた時と変わらぬ様子に、経清と永衡の二人は柔らかな気持ちをおぼえていた。
「あれは・・・。」
経清が、湊に停泊する舟を見てつぶやいた。
「どうした?」
永衡が隣で聞き返す。
「あのような舟は見た覚えがない・・・。」
経清が額に手をかざし、伸び上がるようにして見ている。
舟の大きさは、せいぜい十人も乗れば満員になるほどのものであったが、その船縁に鈍く輝る黒色の板状の見慣れぬものが張りついていた。
「ん?どれのことだ?」
永衡も、つられて同じように手をかざし見る。
「おぉ・・・。もしやあれは、鐵板ではないか?」
永衡が声を上げた。
「鐵板?なぜそのようなものを船縁に、ぐるりと巻いているのだ?」
経清が振り向いて言った。
「儂も初めて見るが・・・。もしかすると、水上の戦の時に舟同士をぶつけ合ったとして、その時にあれが巻いてあれば、相手の舟を打ち負かすことが出来るかもしれんな。」
永衡は、驚くべき事を言った。
「・・・なるほど、にわかには信じられんが・・・。しかし何ゆえあの様な舟が幾艘も繋がれているのだろう・・・。」
経清は、湊へ視線を戻しつぶやいた。
「久方ぶりと言っても、朝賀のおり以来でしたな。」
とりあえずは、国守の使者殿であるからと二人に上座を勧めて、正面に座しながら為時は言った。
「ほんの二月前のことであったのに、随分と前のことのように思えますなあ。」
永衡が、打ち解けた様子で応える。
「日はまだ高こうございますが、一献かたむけながらでよろしいかな?」
為時は、相変わらず細い目の奥の、表情の変化は判りづらいが、穏やかな声であった。
金氏は、通説では左大臣阿倍倉梯麻呂の子孫で、貞観元年(八五九年)に気仙郡司として下向した安倍為勝が、貞観十三年(八七一年)に郡内で産出した金を朝廷に献上した褒美として金姓を賜ったのが始まりという。
一方で、武蔵国埼玉郡の新羅人で天平五年(七三三年)に金姓を賜った金徳師の子孫ともいわれる。
あるいは「類聚国史」によると、天長元年(八二四年)に新羅人の金貴賀ら五十四人が陸奥国に移住したとあるので、これが祖かもしれない。
おそらくは、採金の技術を持っていた渡来系の人々が土着し、同じようにさきに根付いていた鐵に関わる民に繋がる安倍氏と結びつき、その過程で出自と功績により金氏を名乗るようになったのであろう。
その勢力は安倍氏にも匹敵するものであり、奥六郡と国府との間に横たわるように厳然と存在していた。
---半月ほど前、河崎柵を預かる金為行が、気仙郡衙を訪れていた。
「やはりきたな。」
相対して座すると、為行は目の前に置かれた紙を見下ろしながら言った。
「・・・・。」
為時もまた置かれた紙を見つめ、無言であった。
為行は、朝賀の様子を兄より伝え聞き、早晩登任が動くであろうことを予測していた。
そしてその時がきたら、金氏の行く末について決断に迫られるであろうことも、心づもりとして持っていた。
三月の声を聞く前に届いた廻文を、一瞥した為行は、すぐさま気仙郡へ馬を走らせた。
「まずは、これの扱いをどうするかだが・・・。」
為行は、目の前の廻文を人差し指で叩いた。
「そもそもこれが、正式な勅によるものだと思うか?」
為時がまなざしを上げた。
「今さらながら廻文とは、いささか間が抜けているというか・・・。」
為行は、兄の目を見ずに言う。
「おそらくは、あの甥っ子にそそのかされたのであろうが、本人も相当な強欲ぶりであるからな。私戦とみて間違いなかろう。」
為時の表情が、険しさを増した。
「国守側に組するのは容易い。しかし、義も理も無い戦に組するわけにはいかぬ。」
為時は硬い表情のまま続ける。
「俺はどうであれ、利をむさぼることだけを理由にする奴らに加担する気はさらさら無い。」
為行は、吐き捨てるように言った。
「ここは静観し、双方がどう出るか確かめるのが良いと考えるが、どうか?」
弟の目を見据えて為時は聞いた。
「俺の腹は最初から決まっているが、兄者がそういうのであれば致し方ない。今しばらく待とう。」
為行は、うなずいた。