沖黒の章 膽澤鎮守府
一.氷上山
目の前に碧が広がった。
草いきれに包まれた細く狭い道は急に視界が拓け、潮の香りが主役に入れ替わっていた。
海からの風が、残暑に灼けた肌に心地良いと経清は思っていたが、彼の主たる登任は違うようだった。
三月以上もかけて、陸奥国の南半分を周ってきたにも関わらず、彼の期待するような成果は上がっていなかった。
国府への下向途上で見た逢隈川沿いや名取川沿いに広がる沃野の様子から、さぞや多くの実入りが有るものと心躍らせていたが、北上するに従って山勝ちとなり、産物といえば栗や桑、漆ばかりであった。その上、都を発つ前から何度も心に描いていた小田保の黄金は、今では殆ど採り尽くされて、保司が献じたのは小さな巾着袋一つだけだった。
掌の上にちょこなんと置かれた小袋を見つめて、登任は暫くの間身動ぎもしなかったのだが、それを見た永衡は吹き出すのを堪えるのに難渋したものだった。
馬上から登任は言った。
「栗原や玉造の郡は、見事な馬が多く、郡司もよく尽くしてくれた。だが、肝心の小田保があの通りとは。暑さで気が遠くなりそうじゃ。」
先頭を行く経清は振り返り、励ました。
「この海道を暫く行けば、気仙郡でございます。今や『黄金花咲く』のは、この気仙と磐井の二郡と聞き及んでおりますれば、どうかご機嫌をお直し下さいませ。」
そう言って、登任の後ろを行く永衡に目配せした。
いつまでも駄々っ子の様に愚痴る主人に、露骨に嫌な顔をしていた永衡は頷いて、真顔に戻った。
「ほう、ほう、それは楽しみじゃ。何故それを早く言わぬ。そうでなくてはのう。」
途端に気を持ち直して登任は、大分扱いに慣れてきた残雪の脚を、早めさせた。
「お待ち下さい。これより先は、伊勢志摩の如く険しい道となります。くれぐれも心置かれますように。」
経清は、自分を追い越しそうになる登任に、慌てて声をかけた。
矢作川沿いに進み、今泉川(気仙川)を渡ると、やがて周囲よりも小高い丘が見えてきた。
気仙郡家は、相当大きなものであった。
掘立柱建物が幾棟も立ち並び、柵と堀に囲まれていた。
堀の周りには竪穴住居が建ち並び、目の前の河口には、幾つもの舟が停泊した大きな湊が広がっていた。
各戸からは、白い煙が立ち昇っていた。
予想外の活気溢れる街並みに、国守一行は言葉を失い、その場で歩みを止めたままでいた。
暫くして、目の前に日に焼けて赤銅色をした肌の、大柄で目の細い漢が現れた。
漢は跪き、俯いて言上した。
「陸奥守様、遠路お越し頂きまして恐悦至極にございます。気仙郡司の金為時と申します。本来であれば、境迎えすべきところ、採金作業に忙しく、大変失礼いたしました。」
最後の一言を聞いて登任は、相好を崩しかぶりを振った。
「何を言われる為時殿、採金は大事な仕事。こうして、出迎えて貰えただけで十分じゃ。」
今にも下馬して、手を取らんばかりの勢いであった。
隣で肩を竦めようとする永衡を、経清は肩肘で制した。
郡衙を兼ねる母屋は、庇こそ付いていないものの、他の建物を圧倒する壮大なものだった。
特に目を引いたのは、内装や調度に施されている金の装飾であった。
国守館はもとより、多賀国府をも見劣りし兼ねない豪華さに、都育ちとは言え、大納言家でしか見た覚えのない綺羅びやかさに、登任は圧倒されていた。
「先ずは旅装を解かれまして、ごゆるりとお寛ぎ下さいませ。間もなく、宴の用意が整いますゆえ。」
細い目を、伏し目がちに話す為時の表情は判りづらいが、声音は穏やかである。
「お気遣い痛み入る。ところで、採金の様子を是非見てみたいのだが、如何だろうか?」
「本来であれば、他所の方にお見せすることは出来ないのですが、他ならぬ国守様の仰せとあらば、致し方ございません。幸い、館の側を流れます小泉川でも砂金が僅かばかり採れますので、その様子をご覧頂きましょう。」
単純な好奇心というよりは、執着に近いものを隠さない色白の老人に、それでも為時は顔色を変えることはなかった。
川辺には二十人程の人夫がおり、あるものは水中に入って川底の砂利を掘りとって木の箱にすくい入れ、またあるものは川辺の砂利をやはり掘りとって木の箱にすくい入れて、石を取り去り、箱を揺すって泥を水中に流していた。
残った砂を、今度は黒漆塗りの皿の中に盛り、またそれを水中で揺すって泥を流す作業を繰り返すと、黒い皿の底に輝る粒が現れた。
その輝る粒を見せられた登任は、思わず息を呑んだ。
--黄金であった。
「ほう。」
人差し指と親指でそれをつまんで、眼前に持ってくると、ため息を付いた。
『辺境の川底の泥中から、この様な綺羅びやかな物が採れるとは。しかも、いとも簡単に樹下の栗を拾うかのごとく。』
「陸奥守様、本日この場所で採れた分でございます。」
そう言って、為時は小袋を登任の掌上に載せた。
「一両ございます。」
「何、一日でこの量をこれだけの人数で採れるのか?」
『先日の小田保で納めさせた量など、一月もかからずに集まるではないか。』
それは、人を惑わせる耀りでもあった。
宴は盛大に行われた。
参集者には金屋・仁土呂志・宇曽利といった、北方の地より来仙した者も多く居た。名を安倍富忠と云い、陸奥の北の果ての東半分を領しているという。
宴が始まる前に、彼が持参した品々を検分した登任は、機嫌がすこぶる良かった。
「これは、何の獣皮じゃ?」
「独犴でございます。海中におります狗でございます。」
「なんと。蝦夷には海中に狗が居るのか?つくづく不可思議な処よ。」
「海獺とも呼び、大変柔らかで肌理の細かい毛をしております。」
そう言われた登任は目を丸くし、いつまでもその毛を撫でていた。
気仙郡での検注は、順調そのものであった。穀類の採集量はそれほどでもなかったが、北方からの物産に加え、馬や羽と言った特産物、それと何と言っても黄金であった。
気仙郡だけで一月に、千百両もの金が採取出来るという。
ただしこの時、為時は五百両であると登任に告げた。他の物産は正確な数を告げたのに、金だけは大分少ない量を、下を向いたまま顔を見せずに口にした。
それでも陸奥国を巡ってこの方、今までにない物産の多さに、登任の心持ちは天に登りかけており、為時の偽りに気づくことはなかった。
「経清、如何であるか?このような物見たことはあるか?」
と、甲高い声で聞いた。
「いえ、都においても見聞した覚えもございません。」
経清は、控えたまま頭を下げた。
「永衡はどうか?」
と首をめぐらせ、登任は続けて聞いた。
「わたくし如きが、手にすることが叶うものではございません。」
永衡も頭を低くした。
登任は満足気に頷くと、突然驚くべきことを言い出した。
「確か経清は曰理の出、永衡は海道に縁があると聞く。どうであろう?前例のあまりないことではあるが、国府に帰着したのち、それぞれ曰理郡と伊具郡を治めてくはくれないか?」
正式な政務を始める前の、出先での主からの申し出に、二人は絶句した。
「いやなに、都を出てからの二人の働きに報いたいと、前々より考えていたのじゃ。良い機会でもあるので、ここで言っておこうと思ってな。」
上機嫌の登任は、更に続けた。
「これからも助けてもらわねばならぬ折も多々あることであろうし、何よりも儂だけが陸奥国の恵みを受けるのは、申し訳ないことではないか?」
更に頭を低くして平伏した二人を交互に眺めて、登任は満足そうに頷いた。
夜半、為時の館に訪れるものが居た。
漢が戸口の前に立っていると、静かに扉が開いて中へと招き入れた。
--僅かな灯りの中、四人の漢が居た。
正面に並んで座っているのは、金為時と安倍良照。両脇には、藤原経清と平永衡が座ってこちらを見上げていた。
漢が為時の前に腰を下ろすと、良照が口を開いた。
「遠路ご苦労。」
漢は頭を下げた。
「為行殿、兄上は何か仰っていたか?」
と、良照は目元に笑みを残したまま尋ねた。
「白い袋は口も大きいが、古いゆえ底が抜けておる。くれぐれも程々に与えねば、限がない、と仰せでした。」
兄為時同様に大柄ではあったが、色白で、良照と似たどこか親しみのある笑みを、細い目元に湛えて、為行は言った。
「しかもその白い袋は、皺だらけであるゆえ、幾らでも伸び膨らんで黄金を溜め込めるようでもあるな。」
と、良照は為時を見やりながら言った。
「そのようでございますな。ですから、こちらの懐が寂しくならないように”程々”の採取量を言上しました。」
と、為時は涼しい顔で言った。
「さすがは兄上、それで如何程と?」
為行が嗤いながら言った。
「月に五百両。」
ぼそりと、為時が答える。
「なんと、半分も上申したのですか?勿体無い。」
為行は細い目を、大袈裟に見開いて言った。
「大きな声を出すな。仕方がないではないか、曲がりなりにも相手は国守であるぞ。それなりの物を与えねば、格好がつかぬであろう。」
表情を険しくして、為時は言った。
「己の春秋も最早終わりに近づいているというのに、他人の土地にやって来て、お飾りに納まるだけでなく、浅ましく金よ毛皮よと欲する俗物に、そのような好意は全く塵溜めに捨てるようなものではないですか。」
と、まくし立てる為行に、傍らの経清と永衡は顔を見合わせて苦笑していた。
「次はお前のところであろう、あまり無碍には扱うなよ。老いても朝廷より任じられた国守様、後々面倒なことになりかねぬぞ。」
と、為時は為行の目を見つめて念を押した。
ニ.牟婁峯山
気仙郡衙を出て一旦南下すると、郡境まで為時の見送りを受けた。
実りある気仙郡をあとにした国守一行は、桃生郡へと一旦戻った。そこから西へと馬の鼻を転じ、右手に牟婁峯山(室根山)を観ながら磐井郡へと入っていった。
牟婁峯山は元は鬼首山とも呼ばれていたが、養老二年(七一八年)に勅命により紀州牟婁郡熊野より御神霊を勧請し、時の鎮守府将軍大野東人がその神輿を出迎えた地に瀬織津姫神社(舞根神社)を、山頂に熊野本宮社を創建して以来、牟婁峯山をと呼ばれるようになったという。
--季節は秋であった。
目の前を蛇行する大河の両岸には湿地が広がり、黄金色をした稲穂が頭を垂れていた。
稲穂の色から、金を連想した登任は、高揚感を抑えつつ河崎柵へと馬を進めた。
河崎柵は日高見川と興田川(砂鐵川)に挟まれた丘の上に在った。
二つの川を天然の外堀として、その内側の岸辺沿いに木柵を幾重にも巡らせ、柵の間には川から引き入れた内堀を幾筋にも持った堅固な砦であった。
登任らは、興田川の手前まで来て、柵の入り口の木戸が開くのを待った。
---しかし、暫くしても一向に開く気配が無かった。
物見櫓からは、国守の一団が柵へ近づいてくるのが見えていたはずである。
「開門。陸奥国守、藤原主殿頭登任様である。」
と、経清が川向うに大声で告げると、ようやく背丈の倍はある木戸が開いた。
川を渡り柵内に入ると、両側に槍を持った兵が並んで出迎えた。
兵士の列の間を進み、内堀に渡された木橋を何度か渡り、丘の麓に至ると、曲がりくねった緩やかな坂道を登って行く。
やがて冠木門が見えてきた。
門前には気仙郡家で見た為時に似た、大柄な漢が控えていた。
「陸奥守様、遠路お越し頂きまして恐悦至極にございます。磐井郡をお預かりしております、金為行と申します。兄為時より先触れが着いてはおりましたのですが、存外にお早いお着き。本来であれば、境迎えすべきところ大変失礼いたしました。刈入れの準備に忙しくしておりました故、何卒ご容赦下さいますようお願い申し上げ奉ります。」
と慇懃に頭を下げたが、為行の切れ長の目には柔らかさが無かった。
「大層な出迎え、痛み入る。気仙郡司殿には、良くしていただいた。為行殿におかれても、宜しく頼みまするぞ。」
見下ろす登任の顏は憮然としていて、無表情であった。
「では、宴の用意も整っておりますので、こちらへ。」
と聞き流して、為行は登任らを門内へと誘った。
冠木門をくぐると、目前には堅牢な造りの巨大な館が建っていた。
四方には物見櫓が配され、見るものを圧倒した。
中に入ると、気仙郡衙に引けを取らない調度に満ちていたが、その装飾の基調は黒漆と金彩であり、豪華さと威厳が同居していた。
宴は静かに始まった。
出されるものはやはり山海の珍味であったが、傍らで爪弾かれる琵琶の音が場を和ませるどころか、かえって陰鬱なものとしている。
女人の数も少ない。立ち働くのは兵卒のほうが多かった。
「この様な鄙びた辺境の地ゆえ、都のような華やぎがなく恐縮至極にございます。」
相変わらず憮然としている登任に、為行は心がこもらぬ声で言った。
「まあ良い。明日からの検注が滞りなく進めてもらえれば、何も申すことはない。聞けば、当地も気仙郡に劣らず金が産するということ。楽しみにしているぞ。」
努めて威厳を前面に押し出した態度ながら、その言葉は私欲を露わにするもので、自身はそのちぐはぐさに気づいていないようだった。
「当郡は起伏に富み、大河と小沢が入り組んで、所々の往来も容易には進みません。ついては、国守様になるべくお手を煩わせない様、取り計らわせて頂く所存にございます。」
為行はわざとらしさを隠しもせず、恐縮した体で頭を低くした。
登任の待ちに待った検注は、彼の思惑とは大きく外れたものとなった。
饗応を受けた館とは別棟で、周りを兵士に囲まれて(為行曰く、『国守様をお護りするため。』)の居合検注であった。
郡内に産する穀類や獣類の一覧と産出量、興田川(砂鐵川)で採れる砂鉄の量の報告の後、いよいよ金の産出量を知らされた。
「月に三百両でございます。」
為行は白い顔の表情を変えること無くさらりと言った。
「ぬ。気仙郡より少ないではないか。」
登任はこめかみを震わせながら声を絞り出した。
「はい。山(金山)も気仙に比べれば少なく、何より往来が難しい場所に有りますれば。これでも、月当たりにしてみれば、精一杯でございます。」
為行は顔を伏せ、辞を低くした。
「ほう。では明日にでも案内してもらおうかの。」
登任は為行を見下ろして言った。
「申し上げましたように、山までは我らでも落命しかねない山路をゆかねばなりませぬ。大変心苦しゅうございますが、この度は何卒ご断念下さいますよう。」
為行は平伏したまま低く抑揚のない声で、全てを拒絶するように応えた。
「ぬう。」
登任は拳を握り立ち上がると、足音をたてながら己に充てがわれた建物に立ち去ってしまった。
「舅殿もお人が悪い。もう少し柔らかく接して差し上げれば良いものを。」
奥から巨体が現れた。
「やめてくだされ、貞任殿。幾らも齢は違わぬのに、舅呼ばわりは尻のあたりがこそばゆい。」
慌てて向き直ると、為行は上座を譲った。
「それにしても月三百両とは、少々控えめ過ぎはしませぬか?」
大きな目を更に大きくして、口元に笑みを湛えたまま貞任は言った。
「なあに、元々これらは我らのもの。都から来た強欲老狐に、おいそれと全て渡すいわれはありませぬ。」
為行はことさら真面目な顔をして言った。
「まあ良い。次はいよいよ衣川へお出でになろう。そして最後に膽澤へと・・・。」
そう言うと貞任は立上り、音も立てずに巨躯はその場から消え去った。
三.磐座山
国守一行は河崎柵を出ると、日高見川を渡り西行した。
五百を越える兵士に囲まれて柵を出たのであるが、その物々しさに戸惑う間もなく、渡河する際には馬を乗せられる舟が出され、悠々(ゆうゆう)と渡航出来たのには登任も流石に驚いた。
『都からはるか離れた辺境の地で、一郡司如きが持ちうる力がこれほどとは・・・。」
戸惑いの混じった陰鬱とした気持ちのまま再び馬に揺られ、やがて磐井川が蛇行しその支流久保川に囲まれた柵が見えてきた。
小松柵である。
河崎の柵ほどではないが、囲む久保川よりは数段高い位置に大きな舘が在り、東西南北に高さ二丈ほどの物見櫓が建っていた。
久保川に渡された桟橋の前まで来て、経清は柵内に向かって号んだ。
「陸奥国守、藤原主殿頭登任様のご到来である。」
すると門を開けずに櫓上から応える者がいた。黒漆の光る鎧を纏った若武者であった。
「遠路ご苦労様でございます。当小松柵をお預りします安倍頼良が弟良照は、過日鎮守府へと向かいました。私は留守居を任されました、良照が子(養子)家任にございます。申し訳ございませぬが、主不在のため国守様をご饗応すること叶いませぬゆえ、先へ向かわれますようお願い申し上げます。」
にべもない対応に唖然とした一行は、反駁する気も失せて、仕方無く馬首を北へと向けた。
磐井川を渡河し暫く進むと、東西に連なるやや高さのある山が見えた。
地元では磐座山と呼ばれ、山頂には配志和(火石輪)神が祀られていたのだが、そうとも知らずに山を迂回して、右手に日高見川を望みながら先へと進んだ。
四.金鶏山
太田川の小さな流れを渡ると、のちに奥州の都となる衣関山の見下ろす段丘、平泉邑を越えた。
衣関山には慈覚大師開基の中尊寺があるが、この頃には荒廃していた。
衣関山の麓を回り込むと目前に衣川が現れた。
川沿いに路を西行し、戸河内川の合わさる所で衣川関に至った。
蛇行する衣川と、合流する戸河内川に複雑に囲まれた関は天然の要害であり、磐井郡と膽澤郡の境を成し、これを越えれば鎮守府の管轄。言い換えれば俘囚の長、安倍氏の本拠であった。
戸河内川の北岸は断崖絶壁であり、南からの侵入を拒むかのようである。
一方、衣川の南岸は見下ろすかたちの斜面であり、川は深く広いため北進して来た者は一旦留まらずを得ない。
元々北伐の征夷ために造られた関でありながら、その有り様はまるで逆方向(南)を向いていたのであった。
衣川の北岸側には、川と堀に囲まれ柵をめぐらせた大きな館が点在し、小さな家々が周囲に建ち並んでいるのが見えた。
戸河内川の北岸側は柵と物見櫓が在るのは判るが、見上げる形のためその全体像は窺い知れなかった。
合流部に関内へと続く下り坂の路と桟橋が在り、川向うに関門が見えた。
桟橋の手前まで来ると、槍を持った兵士に遮られた。
「陸奥国守、藤原主殿頭登任様でございますね。お待ちしておりました。」
平時とは思えない重装備の衛兵であった。
「如何にも、膽澤郡の検注のため国守様は参られた。関門を開けてもらおう。」
経清は一歩前へ出て、よく通る声で威厳を正して応えた。
「分かりました。ただし、何人も関に入られる時は下馬して頂きます。また、ひと方ずつ門を通られるように。」
そう言って、少しも畏れる様子もなく兵士は路を開けた。
登任は残雪から下馬すると、憮然とした顔を見せながら徒歩で関門をくぐった。経清は自分の馬と共に残雪を引いて、表情を変えずに登任の後に続いた。それを見た他の者も馬を引いて従った。
両側を柵に囲まれた狭隘な坂道を、門内で待ち構えていた別の兵士に案内されて緩やかに登っていくと、やがて視界が開ける手前で、左手に神社の参道が現れた。
--案内の兵士が立ち止まった。
「これは慈覚大師様ご勧請の月山権現でございます。関内に入られるからには、拝される必要がございます。」
登任は虚を突かれて思わず経清の顔を見た。
すると経清は黙って目で頷いた。
登任は首を振ると、渋々参道を登りはじめた。参道は曲がりくねった急な坂道で、山頂に至るまでに登任は息を切らせた。経清に支えられて、漸く鳥居の前までたどり着くと両手を膝に当てて腰を屈め上を見上げた。
社殿はごく普通のものであった。ただし、その前に横たわる一丈四方もある巨岩が異彩を放っていた。
兵士は厳かな顔を一行に向けて、念を押す様に言った。
「この磐座はアラハバキの神におわします。奥六郡をお治めになるからには、かならず併せて拝されますように。」
まだ十代前半と思われる兵士のただならぬ威厳の有り様に、思わず登任は後じさった。
「そなたは・・・。」
兵士は片膝をついて控えると、言上した。
「申し遅れました。安倍頼良が末子、安倍則任にございます。館にて兄貞任並びに宗任がお待ちしております。館は暫く先にございますれば、神拝の後は馬にてお進み下さい。」
則任はこの時まだ十四手前であったが身の丈すでに五尺を越え、身のこなしは敏捷で、牡鹿の様な気高さを備えていた。
参道を降りると、先は路の両側の柵があいかわらず続いていたが、左側の柵の向こうには廣々(ひろびろ)とした牧場が広がっていた。
登任は牧場を見慣れているわけではなかったが、目に飛び込んできた異様な光景に思わず立ち竦んだ。
宏大な牧場には数百頭の馬群が、悠々(ゆうゆう)と屯していたのだった。
そしてその向こうには真新しい豪壮な館が数棟の掘立柱建物と共に佇んでいた。
北側と東側を小さな川に、全体を二重三重の柵で囲まれており、容易に近づけない造りになっていた。
しかし、館が近づいても則任は立ち寄る気配を見せなかった。そのまま館の東側を素通りし、小川を渡ると西へ折れ、牧場の真中をしばらく進み、やがて再び衣川沿いに北上した。
蛇行する衣川を遥か右手に見下ろしながら山裾の路を進むと、やがて南股川と北股川が合わさる場所へと至った。
川には桟橋が架けられておらず、馬にて浅瀬を渡った。
渡り終えると目の前には柵と門があり、更にその奥には、いく段かの段丘が舌状に張り出した地形を巧みに活かして、柵が何重にも張り巡らされていた。
迷路のような柵の間を通り抜けると、眼前に高さ三十丈ほどの峰が堀と柵に囲まれて現れた。
「あれが衣川の館でございます。」
先導する則任が振り返り、言った。
丘の上には国守館をしのぐ大きさと思われる、庇の付いた館が見える。
近づくと、館の西方奥には物見櫓を備えた舘も控えているのが判った。
周囲には幾つもの掘立柱建物も建ち並んでいる。
『これは・・・、一俘囚の住まう館ではない。一国の主が住まう館と言っても過言ではない。どうしてこのような・・・。』
まさしく城塞というべき威容に登任は言葉を失っていた。
のちに安倍舘とも呼ばれる巨大な館は、別名舞鶴舘あるいは落合舘とも称された。
西方の奥羽の山々から蜿蜒と続く尾根が東に凹型に突き出し、階段状になっている。北、東、南の三方を衣川に落ち合わさる南股川と北股川に囲まれ、まさに鶴が東を向いて舞い降りたかの様な地勢をしていた。
高さニ丈は優にある巨大な櫓門を見上げていると、中から緋色の装飾の入った直垂を着た、見覚えのある若者が現れた。
身の丈五尺五寸ほどのすらりとした体躯を登任の前に軽やかに運び、腰をかがめ一礼すると言上した。
「陸奥国守藤原主殿頭登任様、遠路遥々のご到来、恐悦至極にございます。安倍頼良が五男、安倍正任、多賀国府入府以来の無沙汰、大変失礼致しておりました。兄宗任も久方ぶりのご尊顔を拝せると心待ちにしておりました由、どうぞ奥へお進み下さい。馬は弟則任にお預け下さい。」
そう言って、則任に目配せした。
「則任、頼むぞ。」
登任は、顔見知りのしかも内心お気に入りの正任の出現に、すっかり上機嫌となり残雪から下馬すると、声音を高くして言った。
「おうおう、ほんに久方ぶりであったの。息災であったか?」
登任は目尻を下げた。
「お陰様を持ちまして、父頼良より黒沢尻の柵を任され、赤子の顔を見る暇もないほどの毎日忙しい日々を送っております。」
正任は先を進みながら言った。
「宗任も健勝か?」
続けて尋ねた。
「兄も常には鳥海柵を任され、日々精進しております。」
正任は前を向いたまま応えた。
「左様であるか、健勝で何より。入府の折には世話をかけた。この機会に礼を言わねばならぬな。」
登任は何度も頷いて正任の後を進んだ。
幅十間奥行き五間の、四面に庇の付いた豪壮な館であった。
周りを取り囲むように建っている掘立柱建物の西向こうには、母屋とそう大して変わらぬ大きさの舘がやはり、周囲に幾棟もの掘立柱建物を従えて見えている。
西の空が橙色から紫色に染まり、辺りは夕闇が迫りはじめていた。
室内は既に昏く、 高灯台が灯されている。
--漢が二人並んで平伏していた。
登任らを案内してきた正任が左側の漢の隣に腰を下ろし同じように平伏すると、やや遅れて入って来た則任が右側の漢の隣に平伏した。
左側の漢が厳かに言上した。
「陸奥守様、此度は衣川柵までの遠路遥々、恙無くご到着あそばされまして、心よりお慶び申し上げます。この安倍宗任、久方ぶりのご尊顔を拝し奉り、恐悦至極にございます。また、四男眞任並びに、五男正任、末子則任、うち揃ってご対応させて頂きますれば、宜しくお引き回しのほどを。今宵は、僅かばかりでございますが、ご饗応させて頂きますので、どうかごゆるりとされて、旅の疲れを癒やされますようお願い申し上げ奉ります。」
そう言って上げた顔の目元は、懐かしい柔らかさを湛えていた。
「宗任、まさに久方ぶりであったの。健勝そうで何よりである。また入府の折には大層世話になった。改めて礼を申すぞ。」
登任も破顔し明るく応えた。
この時、登任本人は気づいていなかったが、経清はその違和感に小さな戦慄を抱いていた。
館に入って正面に宗任らが並んで平伏して居たということは、主客が逆なのである。
本来国守たる登任が主であるのだから、上座(室の奥側)に下座(室の入口側)を向いて座るべきであり、対面時の有り様は全く有り得ない状態であった。
--宴は陰鬱ではなかったが、静かに進んだ。
女人の数は少ない訳では無いようであったが、奥の方で立ち働いており、登任らの側近くで働くのは専ら家人の方が多かった。従って自然と、良く云えば爽やかな、悪く云えば艶気の無い宴であった。
それでもどちらかと言えばお気に入りの部類である、宗任や正任らが相手であったためか、登任の機嫌は損なうことはなかった。
今度は流石に登任が上座に座している。
宴席には鴨の醤焼きや鮭の笹焼きといった鴨や鮭の料理が並んだ。
あわびを酒蒸したものや、うなぎの白蒸しなども有り、一見豪華であった。
「時に、本来衣川柵の主たる頼良や貞任がここに居らぬのはどういうことか?」
暫くすると、登任はふと気がついて宗任に尋ねた。
「仰せごもっともなれど、先に国府にてお迎えした折に、兄貞任が言上つかまつりました通り、父頼良は将軍不在の鎮守府におきまして、俘囚の長として奥六郡の民心を鎮め、賦貢が滞らぬよう腐心しております。また次兄貞任も常には、北方鎮護のため厨川柵において勤めを果たしております故、当柵にはおりません。願わくは、ご寛恕のほど奉りたく。」
と、宗任は爽やかに応じた。
あまりにさらりと応えられたためか、酒も入り丁度よい加減になり始めていた登任も、それ以上は言い募ることはなかった。
翌日より検注が始まった---が、直ぐに終わった。
登任の前に安倍の兄弟達が居並び、宗任が畏まって差し出したのは検注帳であった。
そしてあろうことか宗任が、あの良く通る腹の底に響く様な声で検注の終了を宣したのである。
「そ、そのようなこと。」
予想だにしていなかった展開に登任が口を開きかけると、宗任が面を上げ、父親に似た龍眼で登任の瞳を静かに見据えてそれを制した。
「膽澤郡の物産は全てこれに網羅してございます。これ以上のご詮索は不要でございましょう。それ(検注帳)をお納めくださいまして、鎮守府へ向けてご出立のご準備をお願い申し上げ奉ります。」
龍眼の奥の耀きが更に強さを増した。
登任の顔面は蒼白となり、小刻みに震え始め直ぐにでも卒倒するかの様であった。
だが、安倍兄弟等から発する気配に圧倒され、為す術が無かった。
ことここに至り、経清と永衡には安倍氏の思惑が解り始めていた。
あくまでも奥六郡を実際に取り仕切るのは俘囚の長たる安倍氏であり、朝廷から任じられた国守といえども手を伸ばし入れることが出来ない範疇が存在するということである。
最後の鎮守府将軍源頼信および陸奥守源忠重以来数十年あまりの間、この地を治めてきた矜持と自負がそうさせていたのであったとも言える。
ただ、安倍氏の保つその『矜持』と『自負』そして『威厳』のでどころを突き詰めた時、厳密には俘囚の出ではない経清ら二人には、彼らがまだ感得し得ていない何ものか(根拠)が、存在するということが解ってはいなかった。
登任が経清と永衡に支えられ室から出ると、陽は中天にあり外はまだ明るかった。
右手を額にかざし、よろけながら客室に戻る間、晩秋というよりは初冬とも言うべき陸奥の空気は、より一層登任には肌寒く感じられたのだった。
五.国見山
舞鶴舘を後にした一行は大集団となった。
先導を正任、国守の周りに眞任、後方を則任が率いる騎馬兵それぞれ五十騎、総勢百五十騎が囲んだ。
律令制下における軍事組織は軍団と呼ばれ、通常軍団の所在地名を前に付けて、『名取団』などと呼称される。
国家が人民から兵士を徴兵し組織したものであるが、その規模は二百人から千人の間程度で百人単位で組織された。
千人の軍団(大団)は、大毅1名と少毅2名に率いられ、六百人以上の軍団(中団)は、大毅1名と少毅1名に率いられた。五百人以下の軍団(小団)になると、毅1名に率いられた。
小団とも言うべき規模の大集団は、北股川を渡り幾段かの段丘を登り北進した。小高い丘を越え、白鳥川を渡河すると、目の前には沃野が廣がった。
東縁を南流する日高見川へ向かって、階段状に右肩下がりで段丘平野が彼方まで続いている。
鳥の目をもってすれば、駒嶽(焼石駒ヶ岳)に源を発する膽澤川が東流し、扇型の扇状地形を形造っているのが見て取れるはずである。
一団は広げた扇の右端から左端へと、弧を描く様に段丘と日高見川沿いの沖積平野の境を北上した。
やがて膽澤川が日高見川に合流する手前で、目の前に北へと真っ直ぐに延びる幅四丈を越える大路が出現した。
南大路である。
遥か北方を見晴かすと、彼方に国見山が望まれた。
国見山は、坂上田村麻呂が延暦二十一年に北方鎮護のためこの地に膽澤城を築き、翌年さらに北の征討のため斯波城を日高見川と雫石川の合流地近くに造営した頃より、国家鎮護の仏教の一大拠点として興隆し、平泉よりも前に繁栄した神聖な山であった。当然安倍氏もこれを厚く信奉した。
大路の左右には方格地割の小路が整然と整備され、小さな掘立柱建物が建ち並んでいた。
「陸奥国守藤原主殿頭登任様、御来府~」
正任が良く通る張りのある声で宣した。
人々は路傍に平伏し、そして幅八間奥行四間という巨大な外郭南門が前方に立ち上がるのが見える頃、路の両側には槍を持った兵が並んだ。
膽澤城の外郭南門は、五 間一戸 の瓦葺重層構造の十二脚門 という、多賀国府のそれと遜色のない壮麗なもので ある。
城の外郭は一辺約六町(六百七十五米)あり、高さニ間一尺ほどの築地(土塀)と幅二間、深さ一間の堀で囲まれていた。
ここで全員が下馬し、堀を渡り門をくぐると、宏大な敷地の中に、右手に厨屋や官衙の建物が見えた。左手にも幾つかの建物が建ち並んでいる。
後方の則任が率いる五十騎は、門外に留まり、兵士の並ぶ大路をさらに進んだ。
幅六間奥行三間の殿門に至ると、眞任の兵が留まった。
門をくぐり、政庁の南門を前に正任の兵は左右に分かれそこに留まると、先導する正任と共に登任らは門内の政庁へと足を踏み入れた。
文武の官吏が左右に平伏する中、政庁正殿前へと進むと、登任と経清、永衡の三人のみが殿上へと正任に誘われた。
「従四位下蔵人頭陸奥守藤原登任様の御成」
登任が入殿すると国守の来庁が高らかに告げられた。
正殿は幅十間奥行六間四尺の堂々たるもので、登任の目の前には南面して平伏する四人の漢が並んでいた。
正任も直ぐに左端に並び、同じように平伏した。
中央の漢を挟んで左側には僧形の、どこか見覚えのあるような顔立ちの漢が並び、右側にはあの忘れもしない巨躯の貞任が居並んでいた。また、貞任の右隣には正任と同じくらい年若い者が平伏していた。
真中の漢は貞任と遜色ない上背があろうかという大柄な躯で、面を伏せているため顔ははっきりとは判らない。
「此度は膽澤鎮守府への御来府、御礼申し上げ奉ります。また陸奥国府への御着任改めて心よりお慶び申し上げます。初めてお目見え致します、従五位下安太夫安倍頼良でございます。微才ながら俘囚の長として、将軍不在の当鎮守府におきまして、奥六郡の民心を鎮め、賦貢が滞らぬよう諸々差配させていただいております。国府御入府の折、本来であれば卑官自らご饗応すべきところ、政務多忙のため名代貞任に対応させましたこと、この場を借りてお詫び致しますとともに、願わくは、ご寛恕のほどお願い申し上げ奉ります。」
そう言上して、五人は更に頭を低くした。
形式は国守たる登任に対して、郡司たる頼良が謙るものであったが、ここでも衣川の館での主客逆転の様と同じ常道を外れたものであった。
--なぜなら、頼良達が南面するのはおかしい。
主が従へ対するのと同じで、国守の登任が南面し、頼良等は北面しなければならない。
だがここでも、登任本人は気づかなかった。
ここまで、あまりに自然に事が運ばれていたことも理由であるが、明らかにここでの主は頼良であり、周囲の者共も其のように振る舞っていたからであろう。
そして--何より。
目の前に平伏する頼良は、全身から貞任と同じか或いはそれ以上の、周囲を圧倒する気配を発していたのである。
ただ、その気配は深山幽谷の様な佇まいであり、貞任の気配が圧し潰すようなものであるならば、頼良のそれは全てを呑み込んでしまうような、底知れぬ深さを持っていた。
つまり、登任はこの時すでに、頼良の内にある深淵に呑み込まていたのである。
「--な、なるほど。安太夫殿、鎮守府の差配大儀であった。ところで、厨川次郎(貞任)と黒沢尻五郎(正任)は見知っておるが?」
登任は目の前の頼良の頭を見つめたまま、身動きできずにいたが、ややあって漸く我に返ると、一度咳払いをして頼良の左側に目を転じて言った。
「申し遅れました。これなるは入道し僧籍にありますが、我が実弟の良照。貞任の隣に控えますは、我が六男重任にございます。以後お見知りおきをお願い致します。」
そう言われて、改めて良照を見やった登任は、僧形のその漢が阿津賀志山まで伴をしたあの照良であるとはやはり、気づかないのであった。
「蔵人頭様、草深く険しき山路、さぞやお疲れでございましょう。今宵は、ささやかながらご饗応の用意を致しております。何卒宜しくお受け頂きますようお願い申し上げ奉ります。ますは一度、室にてお寛ぎ頂きまして、のちほどお迎えに参上いたします。」
頼良はほんの僅か顔を上げて、その深い耀きを湛えた龍眼で登任の両眼を見つめた。
「ご、ご配慮痛み入る。では一先ず失礼するとしようぞ。」
登任は射すくめられたかのように首を縮め固まっていたが、なんとか吃りながらも声を絞り出すと、膝から下が力の入らぬため、経清らに支えられて正殿を後にした。
正殿の前庭には、中央の敷石畳の四方を囲んで炬火が灯され、異形の人影が、明明と照らし出されていた。
頼良と並んで正殿の中央に南面して座した登任は、楽に合わせて舞う舞手を呆然と見つめていた。
舞手は龍頭の舞楽面を着け、金色の桴を持った両手を広げ、片脚を上げ勇壮に舞っている。
「あれは・・・。中納言様と四天王寺詣のおりに観た、聖霊会の舞楽に似ているような・・・。」
登任は呟いた。
緋色の紗地に窠紋の刺繍をした袍を着て、その上に毛縁の裲襠 と呼ばれる袖の無い貫頭衣を羽織り、金帯を締めた綺羅びやかな装束である。
「蘭陵王。」
頼良が前を見たまま言った。
登任は傍らの漢の顔を目を見開いて凝視し、右手に持った盃を落としそうになった。
「慈覚大師様が当地に伝えられた舞でございます。」
頼良は登任の様子に少しも動ずること無く、一礼した。
蘭陵王とは陵王とも呼ばれ、一人舞で、龍面を被る勇壮な走り舞である。
大陸の北斉の蘭陵武王高長恭の逸話にちなんだもので、眉目秀麗な名将蘭陵王が、その美貌を仮面に隠して戦に望み、見事大勝した事績を讃えて歌われたものが由来とされている。
武人の勇壮さと、美貌の主蘭陵王を偲ばせる優雅さを併せ持つ舞である。
舞手が足を踏み降ろし、四股を踏む様な動作をした。
『記憶が確かであれば、古の北周が洛陽を包囲した時、高長恭が援軍を率いてきたものの、城内の人々は敵の謀と疑い、門を開けなかったという。そこで、高長恭は兜を脱いで常に着けていた仮面を取り去り、顔を晒した。その類いまれな美貌で、あの有名な高長恭本人であると悟った門兵が扉を開き、無事に囲みを破って洛陽の解放を成したという。』
登任は魅入られたように、舞手の動きを目で追った。
桴を持った右手を振りかざした。
『国府が囲まれることはよもや無いとは思うが、果たして儂には蘭陵王がおるのだろうか?』
登任の持った酒盃が、知らず慄えていた。
舞手は桴を高く掲げ、楽が止むと舞は終わった。
「だいぶお疲れのご様子。次は巫女舞などご披露致しますれば、お気を楽になされませ。そののちに、お開きと致しましょう。」
頼良が柔らかな声音で、登任を見やって言った。
異形の将軍が去ると、目の前に見目麗しい三人の巫女が現れた。
白地の平絹袴の上に、朱色の地に小鳥を散らした紗の袍着て、それが尻長になっており、両の手には銅拍子(小さいシンバル様のもの)を持っている。
足には脚伴の形をした鳥足(高下駄)をつけて絲鞋(絹製の沓)を履き、背と胸に、紅や緑青で羽を描いた、紙(和紙)で出来た翼と胸当てをつけている。
頭には金色の唐草模様の宝冠をつけて、二本の藤袴の枝をはさみ、髪は角髪に結っていた。
「迦陵頻か。」
登任が独り言ちた。
その昔、唐より伝えられたと云われる舞で、元来は童子の四人舞である。
極楽浄土に住むという人面鳥身で美声を持つ霊鳥迦陵頻伽に由来し、巫女が舞う場合も多い。
鳥が翼を広げるように、三人は同時に両手をひろげた。
「鄙にも稀なとは、このことであろうのう。」
ようやく柔らかな表情を見せた登任が言った。
「かたじけなきことにございます。あれらは我が娘、名を有加、中加、一加と申します。」
頼良は緩りと頭を下げた。
「左様であったか、今宵は良いものを観せてもらった。」
登任も目を細めて頷いた。
炬火に照らされた薄明かりの中、楽に合わせて、頭上の藤袴が揺れている。
この時、長女有加一乃末陪は十二歳、次女中加一乃末陪は十一歳、末娘一加一乃末倍は十歳であった。
あの光源氏の想い人、夕顔の忘れ形見玉鬘に、嫡男夕霧から差し出されたのが藤袴の花枝であった。
彼女らの運命も、玉鬘に劣らず数奇な道を辿ることになろうとは、父である頼良も、ましてや登任にも想像だにし得ないことであった。
経清と永衡が良い具合に酔った登任を宿舎となった室へ送り届け、ほとんど明かりのない府内を歩いていると、建物を二つほど挟んだ向こう側から、突然、女の短い悲鳴が聞こえた。
二人は一瞬顔を見合わせると、すぐさま走り出した。
「お止めなさい。このような狼藉、許されると思ってのことか?」
年若い娘が三人、一人の男と対峙していた。
男は経清達に背を向けており人相は判らなかったが、着ている物から自分たちと一緒に登任に付いて来た在庁官人の一人であることが推察された。
「夜はまだ浅いゆえ、いま少し酒の相手をせよと、言っているだけではないか。なにをいきり立っておる。」
背後から近づく二人には気づいていないようだった。
年長の娘が地べたに両脚を斜めに投げ出して、両手をついてへたり込んでおり、もう少し年下の娘が、その前にまわって右手に持った短刀を掲げて庇うように立ちはだかっていた。
そして、一番幼そうな娘はへたり込む娘の背後にしゃがみこんで、身を隠すようにしているようであった。
正殿前の通路に灯された台燈籠の灯りが、短刀を掲げる娘の皓い横顔を僅かに照らし出していた。
時折短刀に当たった灯りがきらめくのは、持ったその手がかすかに慄えているからであろう。
男が前へ一歩踏み出そうとした時、横合いから見慣れた顔がぬっと、目の前に現れた。
「やあ、ここにおられたのですか。国守様も休まれまれましたし、呑み直しますか?」
永衡が男の肩に手をまわして、強引に横を向かせた。
「こ、これは永衡殿、もう戻られたのですか。」
男は明らかに狼狽した様子を隠しもせず、目を見開いて言った。
「少々手こずりましたが、なんとか寝かしつけてきました。」
永衡は少し歯を見せて哂うと、そのまま男の背を押して自分たちの室へと歩き出した。
一方、その間に男に悟られずに娘達に近づいた経清は、短刀を掲げたまま呆然と立ち尽くしている娘の後ろにまわり、片膝を着くと、へたり込む年長の娘の手をとった。
「ささ、今のうちに。」
経清はそう言って、娘が立ち上がるのを手伝った。
すると、その後ろでしゃがみこんでいた娘もつられて立ち上がり、それを見た経清は、その娘にも微笑みを向けた。
「もう大丈夫です、まずは灯りの下へ参りましょう。貴方も、そのような物騒なものは早くお仕舞いになり、こちらへおいでなさい。」
経清は年長の娘の手を引いて、台燈籠の処へと誘った。
一番幼そうな娘は、年長の娘の着物の裾を掴んだまま、あとを付いて来る。
短刀を持った娘もようやく我に返り、慌てて懐に刀を仕舞うと、三人のあとを追ってきた。
「一体どういうことですか?貴方様はどなたですか?」
追いすがりながら、矢継ぎ早に問を投げかける。
台燈籠の灯りの下にたどり着くと、お互いの顔が判別できるようになった。
三人娘は先程巫女舞を舞った、頼良の娘達であった。
「貴方様は確か国守様とご一緒の・・・・。」
経清の顔を見上げ見て、初めて気がついたのか、有加が口に手をあてて呟いた。
「藤原経清と申します。先ほどのたおやかな舞、とても素晴らしゅうございました。」
そう言って、経清は有加に一礼した。
「都の舞に比べれば、私どもの舞なぞ、ほんに拙い舞で、恥ずかしゅうございます。」
有加は目元に恥じらいを載せ、少しはにかんだ。
「いやいや、宮中でもあなた方の様な舞を舞える者はそうはいないでしょう。」
経清は左手を左右に振って、真顔で答えた。
「経清様、いつまで姉の手を握っているおつもりですか?」
中加が二人の間を割るようにして、言った。
「あっ。」
「あ、これは失礼いたしました。」
二人は同時に、熱いものに触れたかのように互いの手を離した。
「まったく、油断も隙もない。お姉さまもお姉さまです。殿方に触れるなど何をお考えですか。貴方様も他家の娘に対して、あまりに馴れ馴れしくは有りませぬか?」
中加はやや吊り気味の目元を怒らせて、腰に手をあて、頬を膨らませた。
「助けていただいた方に、そのような失礼なことを言うものではありません。」
いつもは妹に勢い負けする有加が、この時は何故か反対に中加をたしなめた。
するといっそう中加は、頬を膨らませた。
「いや、有加殿。わたしが悪いのだ、ここまで来れば用が済んだというのに、すっかり失念しており申した。」
経清が自分を差し置いて、にらみ合いを始めた姉妹二人を交互に見て、慌てて手で制しようとした。
一番下の一加は、そんな姉達と狼狽する経清を、嬉しそうに傍らで見ていた。
「お姉さま方、喧嘩をすると経清さまがお困りですよ。」
しかも一加は生意気にも、年長の者たちに諭すような物言いを、咲いながらするのであった。
有加と中加は一瞬はっとして、同時に経清の方を見やり、互いの顔を見合わせ、思わず口に手のひらをあてて吹き出した。
「ほんとうにそうですね。助けていただいた方を困らせても仕方がありませんでしたね。経清様、申し訳ございませんでした。」
有加がたおやかに、少し膝を曲げて一礼した。
「わたくしだって、そのようなつもりは・・・。そ、それよりも先ずは助けていただいたお礼を申すのが先でございました。経清殿、危ないところ助けて頂き、誠に有難うございました。」
中加が急に居住まいを正して、凛とした真面目な顔で礼を言い、同じように膝を曲げて一礼した。
「まったく、いつも世話が焼けるお姉さま方。」
今度は一加が腰に手をあてて、可憐に咲った。
「ところで、お三方は何故ゆえこの様な夜更けの時分に、暗がりを歩かれていたのです?」
経清は合点がいかぬ体で、有加を見て言った。
「内神様と外神様にお供えする物を、厨から神前へと運び、母屋へと戻るところであったのです。巫女舞を奉じたあとには、供物を納めるのが習わしなのです。」
有加は両手を胸の前で組みこれを上下して、しとやかに揖をした。
「そうですか。府内とはいえ、女人だけで夜更けに歩かれるのは物騒でございます。これからはお気をつけられたほうがよろしいかと存じます。」
経清は、本心から心配であると容易に判る目をして言った。
「・・・もう一人の方はどなたですか?あの方にもお礼を申し上げなくては。」
中加が軽く咳払いをして、話を変えた。
「あ、ああ。あの者は平永衡と申し、少々調子者ですが、機転のきく良き朋でございます。」
経清は慌てたように、話を繕った。
「それにしても先程から申す通り、まだ亥の刻とはいえもう遅い。母屋までお送りいたしましょう。」
更に話を継いで、急かすように言った。
「かたじけのうございます。折角のご好意、お願いすることにいたしましょう。」
有加はそう言って素直に、経清の申し出を受けた。少し嬉しげなのが分かった。
すると中加は、何も言わず即座に皆に背を向け、先頭をきって歩きだした。
それを合図のように、何故か一加が有加と経清の間に入って来て、嬉しそうに二人の手を握った。
一加は戸惑う二人をよそに、そのまま手を繋いで、三人並んで歩き出すように二人の手を引くのであった。
歩きだした四人の影は、台燈籠の灯りを受けて、細長く石畳に伸びていた。
翌朝、青青と天高く晴れ渡った空の下、宏大な牧場に健児とほぼ同じ規模の、五十騎ほどの騎馬の集団がざっと見て二十はいた。
牛車に揺られて連れてこられた登任は、牧場の北端にしつらえられた桟敷の上から頼良と共に、その壮観な様を観ていた。
青毛の巨大な馬に跨り、黒漆に金糸の刺繍の施された鎧を身に纏うのは貞任である。
鮮やかな緋色の馬具を付けた黒鹿毛の馬に跨り、朱漆に銀糸の刺繍の施された鎧を身に纏ったのは正任。
黒漆に朱色の紐飾りをあしらった馬具と鎧で、青鹿毛の毛色の馬で疾駆する若武者は、重任と則任の二人。
生漆塗りの馬具と鎧に黒色の紐飾りをあしらい、栃栗毛の馬で落ち着いた手綱さばきの武者は眞任である。
そして、雪のように真っ白な佐目毛の見事な馬で、黒漆に緋色の紐飾りをあしらった馬具と鎧で、泰然と佇んでいるのは僧形の良照であった。
目の前の千騎を超える騎馬が、一斉に動き出した。
土埃が舞うとともに、重なる馬蹄の音が腹底に響く。
五十騎の騎馬からなる小隊を五隊で一つにまとめ、貞任の指示の下、そのそれぞれを良照、眞任、正任、重任、則任ら五人の下知によって意のままに操るさまは、五体の生き物が行き交う様であり、それらの動きを手足のごとく貞任が掌握しきっていた。
したがって五体の生き物は、全体が一つの巨大な龍となり、うごめく様子にも似ていたのだった。
起伏に富んだ牧場を、縦横無尽に進退を繰り返す騎馬軍団に、登任は只々言葉を失い、膝を震わせて見守るばかりであった。
「国守様、如何でございましょう。北の守り、これで十二分に果たせるものかと思われますが?」
頼良が魂が抜けたかのような佇まいの登任に、蹄の音にかき消されないよう、叫ぶように声をかけた。
「い、如何にも。ま、誠に心強い。」
突然かけられた大声に、登任は肩をぶるっと震わせ、しわがれ声を絞り出した。
「陸奥の馬は西の馬とは違い、凛々しく気高き馬でございます。我らは古の祖先より受け継いだ理に倣い、彼らとともに生きてまいりました。我らにとり彼らは躯の一部であり己自身でもあるのです。」
前を見据え馬群を見つめたまま語る頼良の横顔には、人ならざるものの面影を宿しているかのようであった。
かつて伊治公呰麻呂が領した此治郡、のちの栗原郡は、貊(高麗)の流民が多く移り住み、呉原が語源であったという。
また更に昔、天武天皇十四(六八五)年の浅間山の大噴火の折には、諏訪地方の辺りに住まうかつての貊の民が馬とともに移り住んだともいう。
貊の民は騎馬民族である。
貊や諏訪と似て冷涼な気候の陸奥の地は彼らにとって非常に住み良い土地であった。
やがて彼らは、先住の人々と同化していった。
以来、この陸奥の地は人々が馬とともに生き、良質な馬産地となっていったのである。
馬上で燦めくのは、兵士が持った毛抜形刀である。
刀身の長さは五尺五寸程度であり、蕨手刀の柄頭の装飾だった蕨形の飾りが廃され、透かしの入った方形が特徴的であった。
一方、安倍兄弟ら指揮者は、舞草刀を握っていた。
のちに舞草鍛冶といわれる鍛冶集団が衣川の辺りに居たのだが、その鍛冶集団で随一の腕と謳われ、別名、舞草太郎とも呼ばれた、雄安なる刀鍛冶が作刀した業物であった。
刀身は毛抜形刀より長く、まさに日本刀の原点と言える姿形を備えていた。
蕨手刀は砂鉄を用いて作られた刀であり、蝦夷が代々使ってきたものである。
今や俘囚となり陸奥六郡を支配するまでになった彼らによって、鍛え上げられたそれは舞草刀へと昇華していたのだった。
元々陸奥の地には、製鐵に関わる民が暮らしていた。
その技は安倍氏にも伝えられていた。
鐵と馬を操る最強の民。
その技と力が目の前で繰り広げられていた。
今度は一斉に、騎射が始まった。
兵士らが持つのは、都では余り見かけない中弓であった。
一方で安倍兄弟らのそれは、長弓。しかも従来の丸木弓より高い威力を求めて、木を主材にした弓の外側に竹を張り合わせた最新型の、伏竹弓であった。
中弓は長弓とは異なり、威力はそれほどでもないが、馬上での扱いは容易であった。
馬を疾駆させながら、地べたに置かれた的に次々と矢を突き刺していく。
--再び鎮守府に帰着する頃には、遥か西方の駒嶽の向こう側が茜色に染まっていた。
既に燈台の灯された正殿に、頼良と並んで座る登任は一日で十は老けたように見えた。
酒盃を持つ手も力無く、目の前で繰り広げられる舞を呆然と眺めている。
『宝亀五年(七七四年)に大伴駿河麻呂公が、光仁帝より按察使を拝して、蝦夷征討を命じられたのを始まりとして、弘仁ニ年(八八一年)に文室綿麻呂公が、陸奥出羽按察使として徳丹城を築くまでの三十八年間、朝廷の兵は相当の苦難を強いられたと聞くが、今ここ(陸奥)にある現実は、三百年の古に戻ったかのようじゃ。』
国府や鎮守府での人々の暮らしぶりや郡衙の衣食住は、都のそれとそれほど変わらないものであったが、根本的に登任の知る大倭とは異なる世界がここには在った。
その事が動かし難い事実として、登任の胸に迫ってきていた。
龍笛の音階が上がった。
突然、登任は心の臓を鷲掴みにされたような胸苦しさを覚え、立ち上がると頼良を見下ろして言葉を吐出した。
「明日、国府へと帰る。」
国守の突然の命に、伴の者も含め府内は大変な慌ただしさとなった。
夜通しで帰府の準備が整えられ、翌朝早く、一行は出立することとなった。
「あの・・・。」
厩から曳き出されてきた残雪を登任のところへ連れて行くため、轡を引いて歩き出した経清に声をかける者がいた。
経清が振り返ると、右手の建物の陰から姿を現したのは、何かを胸の前で持っている、長い黒髪が腰より下まで伸びた清楚な娘であった。
「有加殿ではありませんか。いかが致しましたか?」
経清が怪訝そうに尋ねると、有加は静々と近づき寄り、捧げるように両の手で何かを差し出した。
「これをお持ち下さい。」
経清は、轡を持っていない左手でそれを受け取った。
「これは?」
受け取った物を見て、経清は探るように有加の瞳を見つめた。
白絹の小さな匂い袋であった。
「先日のお礼でございます。お持ちいただければ幸いでございます。」
そう言って、有加は瞳を伏せた。
「この香りは・・・藤袴でございますね。」
経清が鼻の前まで袋を持ってきて、再び有加の瞳を覗き込んだ。
「はい。中加にまた、はしたないと小言を言われてしまうかもしれないとは思ったのですが、経清様にはいつまでも、膽澤の事を思い出して頂ければと・・・。」
更に俯いた有加は、消え入りそうな声で「わた・のこ・も、わす・てもら・たく・くて・・・。」
と、何ごとかをつぶやいた。
「あ、有難うございます。大切に致します。」
最後の方はよく聞き取れなかったが、経清は小袋を懐にしまうと、一礼して残雪の轡を曵いて立ち去った。
有加は胸の前で右掌を左掌で包み、経清の姿が見えなくなるまで見送っていた。
「だから昨晩言いおいたではないか、この葛籠も馬に載せておけと。」
永衡が配下の家人を大声で怒鳴りつけながら、掘立柱建物の一つから大股で出てきた。
「一加、どこまで連れて行くのです?早くお見送りの列に加わらねば父様に叱られますよ。」
中加が妹の方を振り返りながら、早足で歩いてきた。
「五郎兄様が、永衡様はこちらにおられるとおしゃっておりましたから・・・あっ。」
言い訳をしていた一加が、小さな手を口にあてて突然立ち止まった。
「きゃっ。」
「おっと。」
互いによそ見をしていたため、中加と永衡の肩が出会い頭にぶつかった。
「危ない。」
よろけて倒れそうになった中加の左手を、永衡が咄嗟に掴んで引き上げた。
「・・・・。」
勢いで、抱きすくめられるようなかたちとなり、永衡の懐の内で、中加は固まった。
「おお、すまんすまん。」
それを見た永衡が、両腕を開いて一歩退いた。
「怪我はなかったか?」
まだ固まったままの中加の瞳を覗き込んで、永衡が尋ねた。
「な、何をするのですか。」
一瞬遅れて、漢の顔が目の前近くにあることに気づいた中加は、両眼をつぶって思い切り両手を突き出した。
「何をするはなかろう。突然ぶつかってきて、倒れそうになるところを助けて差し上げたというのに。」
二、三歩よろめいたものの、なんとか持ちこたえた永衡は大きな目玉をさらに大きくして言った。
言われて更に反駁しようと目を上げて、目の前の漢を見直した中加は、その顔と声に覚えがあることに気がついた。
「もしや、な・が・ひ・ら・どの?」
それまでの勢いは消え失せ、小さな声で尋ねた。
「如何にも平永衡であるが、そなたは・・・・。」
次のひとことに身構えていた永衡は、いささか拍子抜けした体で言った。
「先夜は、わたくしたち三姉妹が難儀をしている時に、お助けいただきまして誠にありがとうございました。」
いつの間にか中加の隣に進み出ていた一加が、有加を真似たかのような、しとやかな揖をした。
「そ、そうなのです。永衡殿がご出立なされる前に、ひとことお礼をいたしたく、お探ししていたのです。」
そう言って、中加も慌てて永衡に向かって、揖をした。
すると、まだ腰まで届いていない中加の黒髪が揺れた。
「お、おう。そうであったのですか。別に大したことではありません。それこそ、無事でなによりであった。」
永衡は柏の葉のような大きな右手を振って、照れくさそうに左手で頭を掻いた。
「それにしても、いつもあのような物騒なものをお持ちなのですかな?」
永衡が、少しからかうように言った。
「左様でございます。いつも、中加姉様は、剣術では殿方に引けを取らなぬと言って、暇があるとあのような物を振り回しているのです。」
中加が反論する前に、一加が可憐な笑顔を咲かせて答えた。
「な、なにをいい加減なことを他所様に言いふらすのです。あくまで、嗜みの一つとして、基本的な技を修めようと心がけているだけです。最低限自らの身を守るのは悪いことではないでしょう?」
中加は、あまり言い訳にならない言い訳を並べ立てるのだった。
「永衡様、そろそろ刻限でございます。」
三人がやり取りをしている間に、荷物の運び出しが終わったのか、先程の家人が永衡に声をかけてきた。
「おう。では、急ぎ参るとしようか。」
姉妹の様子を、微笑いながら見ていた永衡は、家人の方を見やって言った。
「お二人とも。せっかく見知りになったところというのに、これで別れじゃ。息災でおられよ。」
そう言って永衡は、一礼すると踵を返して先を行く家人のあとを追った。
「なにとぞ、道中ご無事で。」
一加が咲って声をかけると、中加は何か言いたげな顔を一瞬したが、直ぐに同じように咲って言った。
「くれぐれも、お気をつけて。」