~小鏑山~ 8
翌暁闇、大沢川を渡河して貞任の陣を撃つべく準備万端整えた登任の軍は、ほど良い緊張感と安堵感から、つかの間の安眠に浸っていた。
辺りはまだ暗い。
時折、馬の嘶きが遠くから聞こえる。
----嘶きだけではない。
馬蹄の低い音が次第に大きくなってくる。
刹那、幾筋もの光の円弧が、暗闇に描かれた。
陣内に火の手が上がる。
光の筋は、火矢であった。
大沢川を挟んだ対岸の、敵陣のことばかり気にしていた登任軍は、暗闇の中突然背後から迫ってきた騎馬隊の攻撃に大混乱となった。
登任は、すぐ側で燃え上がった火矢の炎に仰天し、寝床から飛び出すと、鎧も満足に着け終わらないままに、大沢川の方へと駆け出した。
周囲の武官も、国守を守るように囲みながら、ともに西へと走る。
次第にあたりが明るくなってくると、梨木の方から責め立てる騎馬軍団の全容が浮かび上がってくる。
火矢の炎よりも朱い一団、正任の赤備えである。
「ほらほら、ほらほら、ぐずぐずしていると燃えてしまうぞ!」
正任が矢を射かけながら、声を放つ。
登任軍は満足に応戦も出来ぬまま、大沢川を渡っていく。
「あまりに一方的過ぎて、鬼追いという感じではありませんなあ。」
正任の傍らで、照井太郎がぼやき気味につぶやく。
「このまま突っ切るぞ!」
正任は、いささか緊張感の欠けた照井太郎とは反対に、目を綺羅綺羅と輝かせ、馬に鞭を入れた。
「お待ちくだされ!」
照井太郎は慌てて、他の騎馬とともに正任のあとを追いかけた。
朱い軍団は、三千以上を誇る登任の陣の真ん中を一直線に駆け抜けていく。
混乱の中、登任軍は自らの意思にかかわらず、その大半が大沢川を渡り終えていた。
戦う意思のないものは追い立てられるように、戦意のあるものは駆け抜ける正任の部隊のあとを追って。
それでも正任の部隊が走り去ったあと、三杉道で態勢を整えた登任軍は、改めて貞任の陣と則任の陣を攻めるべく、二千強に減った兵を分けた。




