金龍の章 一森山
一.阿津賀志山
道が少し緩くなった所で立ち止まり、右手後方を振り返った。
木立の間から、銀色に輝く細い線が見えた。
銀の線は薄い緑の大地に緩やかに畝って、横たわる龍の様にも見えた。
まださほど暖かい季節ではないというのに、額からは止めどなく汗が滴って顎へと伝い落ちる。
それを忙しく手の甲で拭いながら、ただひたすら俯いて、蝸牛のように延々と坂を登ってきたのだった。
都より随従してきた2人は彼の半分ほどの歳であるためか、さほど疲れを見せずに黙々と付いてくる。
白河郡で阿倍陸奥臣が付けてくれた従者は、生まれてこの方汗などかいたことなど無いかの如く、軽やかな足取りで影の様に無言で後を付いてくる。
「あの河は白河郡から陸奥国に入って以来、常に傍にあったというのに、何ゆえに舟を使わなんだのじゃ?」
藤原登任は幾度となく繰り返した問を、もう一度先を行く阿倍信夫臣に向けた。
その声は力なく、ため息混じりで独り言のようにも聞こえた。
阿倍信夫臣は一々戻り寄り、恭しく身を屈めると、抑揚のない声で何度目かの同じ答えを言上した。
「前の陸奥守、源忠重様以来二十余年、此の地は宰る方も御わさず、我ら夷俘の者共で何とか国を平らかにし、御上に貢租して参りました。然るに、未だ河神を鎮め水路を整える術を得ておりません。何卒、国府において政を御開きになりましたら、此の逢隈川(阿武隈川)のみならず、古の田村麻呂公に倣い、彼の地の大河、日高見川(北上川)をもお治め下さいますよう、心からお願い申し上げます。」
言上の最後には、後ろに控えていた下毛野静戸公と共に膝を曲げ、頭を下げた。
登任の従者~阿倍照良と名乗った~は、そんな三人を傍らで静かに見つめていた。
登任は深い溜息をつき、左手から前方に迫る山肌を見上げた。
すると、俯いてばかりで気が付かなかったが、緑の葉が殆ど無い木々の中に、薄桜色の灯りが所々に灯っているのが見えた。
朝晩は未だ凍えるほどの寒さであった陸奥路にも、ようやく春が追いついてきたようだった。
遠く離れた都の匂いが、そこから漂い降りてくる気がして、幾分心持ちが軽やかになり、歩みを進め始めた。
傍らの尾根を左に廻り込むと、前方に横一列になって頭を垂れる一団が見えた。
阿倍信夫臣が存外に明るい声を上げた。
「やあ、上毛野鍬山公。わざわざの御出迎え痛み入ります。」
「何を仰せじゃ阿倍信夫臣殿。折角の、新しい陸奥守様の御下向というのに、私ごときが御出迎えしないわけにはいきませぬではないですか。」
登任は聞こえぬ素振りで、出迎えた縦よりも、横に大きな体躯の漢に向かって言った。
「上毛野鍬山公、大儀であった。ところで、何ゆえに此のような山中での出迎えであるのか?」
上毛野鍬山公は短い躯を更に縮めて頭を下げた。
「もう暫らくすれば篤借の駅へ降る道となります。大伴刈田臣の司るところとなります故、此の峰の舘にて境を担う卑官が、一時の御休息を饗したいと思いお待ちしておりました。」
舘へと続く道は幾重にも折れ、丸太で造られた強固な柵が何重にも張り巡らされていた。
峰の頂きは平場となっており、数重の土塁と空堀で囲まれた大きな舘が建っていた。
舘の後ろは緩やかな起伏の牧場が広がり、普段は余り見かけることのない馬が百頭余、草を喰んでいた。
中に入ると奥の上座に案内され、腰をおろす。
阿倍照良も部屋の入口に近い隅の方に座った。
簡素な造りの舘に比して、そこかしこに置かれた調度は、各地の司を務めた齢い六十になる登任も見たことのない、異国の産物で埋められていた。
登任は、辺境の一俘囚がこれほどの調度を保持していることに対する違和感よりも、五年前(寛徳ニ年(一〇四五年))の年末に申文を上申した時の高揚感を思い出していた。
大納言藤原公任に仕えていた頃、生前の権中納言藤原定頼から、陸奥出羽按察使であった父に、陸奥の様々な産物が届けられ、特に見事な毛皮や黄金の豊かさには、目を見張るものがあったと、度々聞かされていた。
「主殿頭、知っておるか?陸奥には山には黄金が花咲き、野には珍奇な獣が満ちておるそうじゃ。だが、俘囚の者共はその価値を知らず、殆ど捨て置くのみということじゃ。」
「中納言様、それはぜひ帝に奉るべきではないでしょうか?いや、せめてひと目見てみたいものでございます。」
永らく空席となっていた陸奥守を申文で上申したのは、人生の最期にもう一花咲かせて子々孫々への置き土産を残したいと考えたからであった。
翌年(永承元年(一〇四六年))の春の除目で認められ宣下がくだされた時には、すっかり禿げ上がった頭を掌で叩いて喜んだ。
そして今年(永承五年(一〇五〇年))、弥生、大分暖かくなってきて御所の桜が咲き始めた頃、逸る心を隠しもせず登任は北へ向かって出立したのだった。
相対して上毛野、下毛野両氏と共に並んで下座に控えた阿倍信夫臣は、平伏して言上した。
「陸奥守様におかれましては、長旅お疲れ様でございました。陸奥国に入られまして、白河、磐瀬、安積、安達、信夫、伊達と幾多の郡を経て参られましたが、この阿津賀志山で丁度半ばとなります。つきましては、今宵一晩ゆるりとこの舘で躯を休まれまして、明朝国府へ向けてご出立なされますのが良いかと愚考いたします。」
相変わらずの迂遠さと慇懃さである。
確かに老躯にはこたえる旅程ではあった。
「御厚情、痛み入る。では、言葉に甘えさせて頂くとしよう。」
その言葉を合図に、女の下人達が酒肴を運び入れ、登任の面前にたちどころに並べた。
「先触れは既に出しております故、明日は大伴刈田臣殿が案内のため迎えに来られます。」
酒を注ぎながら、阿倍信夫臣が頭を下げた。
酒は都で飲むものよりも芳醇で濃厚であり、肴も都では食することも出来ない海産物が多く出された。
肴に箸をのばしては、一々唸る登任を見て上毛野鍬山公は得意気に言った。
「多賀の国府は、鹽竈の浦の側にあります故、これから心置きなく食されることが出来まする。本日食された物は曰理郡鳥海浦で採れたものでございますがな。」
それを見た下毛野静戸公は、慌てて身を乗り出し目の端にのみ笑みを浮かべて取り繕った。
「手前共のような夷俘にとってはいつものありふれた肴で、陸奥守様のような都人の御口に合いますかどうか。」
登任は我に返ったように箸を止め、気まずそうに姿勢を正して酒をあおった。
するとすかさず、下毛野静戸公が酒を注ぐのだった。
阿倍信夫臣はそのようなやり取りを、黙って酒盃を舐めながら眺めていた。
阿倍照良はいつの間にか姿が見えなくなっていた。
◇ ◇ ◇
ニ.高館山
翌朝、明るくなると阿倍信夫臣が言ったとおり、大伴刈田臣が数十人の供の者を従えて到着した。しかも、毛並みの良い黒鹿毛の馬を十頭引いてきた。
大伴刈田臣は登任の前に腰をかがめ一礼すると、言上した。
「陸奥守様、遠路御下向頂きまして恐悦至極にございます。これより、刈田郡をご案内させて頂きます、大伴刈田臣と申します。途中、篤借の駅で大伴柴田臣と合流し、柴田郡境まで御一緒させて頂きます。」
そう言って後ろに指図し、一頭の見事な芦毛の馬を引かせてきた。
「陸奥守様におかれましては、長旅でさぞやお疲れのことと存じます。辺境の駄馬ではございますが、名を『残雪』と申します。どうかご遠慮なくお使いになられますよう。お供の方も馬をお使い下さい。」
「なんと温かなお気遣い、しかもかように素晴らしい馬を使わせて頂けるとは、礼のしようもないとはこのことじゃ。」
思ってもみなかった手配に、阿倍信夫臣と同種の抑揚のない慇懃な言上に気づくこと無く、手放しで顔をほころばせた。
篤借の駅で大伴柴田臣と合流し、十五頭の馬と共に上機嫌で馬上の人となった登任一行は、柴田郡境まで来て停止した。
右手には廣瀬川(白石川)が流れ、前方で遠刈田川(松川)が合流している。
遠刈田川の川向うには、やはり騎馬を含む一団が待ち構えており、先頭の馬から一人の人物が下馬して、登任に向かって一礼した。
大伴刈田臣が進み出て告げた。
「あれなるは柴田郡司、安倍柴田臣でございます。ここからは彼の者が案内致しますが、近くに丁度蔵王権現様をお参りできる拝殿がございます。今しばらく時を頂戴して、是非とも御参拝頂ければ幸いにございます。」
そう言って、大伴柴田臣ともども頭を下げた。
すっかり気の大きくなった登任は、何も考えずに鷹揚に頷いた。
「なるほど、役行者が開いたという蔵王権現は此の地におわしたのか。金剛蔵王菩薩は霊験あらたかと聞く、是非とも参拝しようではないか。」
蔵王権現あるいは刈田嶺神社は、奥州安倍氏の氏神にして奥州藤原氏の庇護も受けることになるが、山体そのものが御神体と言っていい。
その神を拝するということは、何を意味するのか?本来であれば此の地を治める者として、地神を鎮める心持ちで参らなければならなかった。この時の登任には、そのような心情は微塵も無かったことは確かである。
参拝を終えると、登任は大伴刈田臣らと別れ、浅瀬を選んで慎重にそろりそろりと、騎馬のまま遠刈田川を渡った。
阿倍照良も大伴刈田臣の連れてきた青毛の馬に乗って、平地を往くが如く軽やかに登任に続いて川を渡った。
郎従の2人、藤原経清と平永衡は主人と違って以外に馬の扱いに慣れているようだった。
ようやく渡りきった所に、安倍柴田臣は微動だにせず静かに登任らを待っていた。
連れている騎馬の数はやはり十頭ほどだった。
安倍柴田臣は腰をかがめ一礼すると、やや高いがよく通る声で言上した。歳はまだ若い。
「安倍柴田臣でございます。お待ち申し上げておりました。此処より柴田、玉前の駅までご案内させて頂きます。なお、只今蔵王権現様を拝したところではありますが、途中、金ケ瀬におわします大高山神にも御参拝頂けますでしょうか?」
国府が近づいて逸る気持ちは高まるものの、先刻彼らの目前で、大伴刈田臣の願いを機嫌よく聞き入れた手前無下にも出来ず、頷いた。
すると、後ろに控えている阿倍照良の目が、僅かばかり細くなった。
廣瀬川沿いにしばらく下ると、槻木入間野に至った。
ここで右岸側から来た逢隈川に合わさり、川幅は一気に広大になった。
ほどなく玉前の駅であった。
右手には優に幅五百間はある逢隈川、左手には高さ六十丈ほどの千貫松山が見える。
またしても待ち構えている一団があった。
草生した小塚の前の祠を背に、馬から降りて一礼したのは二人だった。
「上毛野名取朝臣と申します。こちらは、湯坐曰理連殿でございます。此処より名取郡をご案内させて頂きます。」
「昨夜の肴は如何でございましたでしょう?お気に召されまして、これからもご所望とあればいつでもお納めさせて頂きますので、お申し付け下さいませ。」
登任はやや鼻白んで、鷹揚に頷いた。
二人の背後の小塚を挟んで向こう側に広がる平地に控えていたのは、五十頭以上の騎馬と百人以上の徒歩の一団であった。
「当地は東山道と東海道の交わる要地であり、郡境でもあります。従いまして、常より備え怠らず治めましております。」
山間の鄙びた邑々(むらむら)を長閑な旅を続けてきた登任には、目の前に茫漠と廣がる平野と玄々とした人馬の塊の様子に、一瞬空が昏くなった様に感じた。
虚空を眺める登任に、上毛野名取朝臣が言上した。
「武隈の松は当地より直ぐではございますが、平孝義公以来既に絶えて久しく、此処で境迎いたしたくお待ちしておりました。」
登任は我に返り、上毛野名取朝臣に目を転じた。
「そうであったか。そう言えば、法師(能因法師)や左近衛中将(藤原実方)も歌を詠んだと聞く。儂も一首詠じよう。」
湯坐曰理連と別れ、逢隈川から離れた一行は北へと向かった。
左手に山地が連なり、右手には広大な平野が広がっている。
周囲には先程千貫松山に在ったような小塚や大塚が無数に点在していた。
やがて指賀郷を通り笠島に至った。
登任はふと思い至って、上毛野名取朝臣へ向かって言った。
「そういえば、笠島には実方左近衛中将ゆかりの神がおわしたと思ったが?」
それを聞いた上毛野名取朝臣は、直ちに下馬し平伏すると、言上した。
「如何にも仰せの通り、あれに見えます丘の上に道祖神、その向こうに佐具叡神がおわします。是非とも御参拝頂ければ、神心、民心共に平らかになると存じます。」
「相理解った。総社宮に御挨拶する前に、こちらの二柱にも拝しておかねばなるまい。儂も勅をお受けして下向し未だ任を全うせずに落馬はしたくはない。」
そう言って参道の前で下馬すると、道沿いに立ち並ぶ寺院の脇を登っていった。
参拝の後、暫くして上毛野名取朝臣が言上した。
「もうしばらくで、高舘に到着いたします。麓を流れます名取川を越えれば、遂に宮城郡に入ります。つきましては今宵もう一晩舘にて御休息頂き、明朝いよいよ国府へ入られますようお願い致します。」
見上げると柵が山肌を囲み、櫓が点在し、山頂の舘の在るとおぼしき付近より煙が数条立ち上っていた。
登任は国司として赴任の途上であるにもかかわらず、言われるままに連れまわされているような、違和感を次第に抱き始めていた。
高舘は、阿津賀志山に劣らず威容を見せていた。
舘へ至る道筋には幾重もの堀が廻らされ、囲う柵も十重二十重。しかもあちらには無かった物見の櫓が点在していた。
道幅も馬が三頭並んで進めるほど広かった。
舘の門前には若い漢が平伏していた。
「陸奥守様、陸奥の地まで遠路遥々、御下向頂きまして恐悦至極にございます。陸奥六郡に於いて、俘囚の長として朝廷の御威光を賜り、微力ながらお務めさせて頂いております、安倍頼良が三男、安倍宗任にございます。父頼良の命を受け、本日は陸奥守様をお迎えし、明日多賀国府へ御案内するよう当舘にてお待ちしておりました。どうかごゆるりと御身体を休まれますよう。」
良く通る腹の底に響く様な声で、宗任は口上を述べた。
まだ二十歳前後と見える若さでありながら、体躯は獣のような俊敏性と堅牢さを持ちあわせ、それでいて何処か雅味を匂わせていた。
その嫌味のない爽やかな立ち居振る舞いに、登任は身体から少し力を抜いて答えた。
「音に聞く安倍頼良殿のご子息か、わざわざの出迎えご苦労であった。御厚情に甘え今宵は当舘で世話になるとしよう。」
阿津賀志山の舘の倍はある広さの大広間に、これまた倍の数の女の下人達が立ち働き、酒肴を並べ立てた。
そして、楽を奏する楽師が入り雅な曲を奏ではじめる。
調度は、御所のものと遜色ないものが並んでいた。
登任を上座に、下座には宗任、上毛野名取朝臣が並んだ。
宗任は酌をしながら言った。
「道中御不便はございませんでしたでしたでしょうか?白河の阿倍陸奥臣殿には、従者を御付けするように頼んでおいたのですが。」
山海の珍味が、都風の味付けで料理されているのに驚いていた登任は、慌てて答えた。
「おお、照良か。良く気の付く者であったぞ。そうか、宗任殿のご配慮か、これまた痛み入る。」
「左様ですか、明日よりは供の者も十分お付けすることが出来ます故、彼の者は本日で役を免じさせて頂きます。」
登任は頷きながら、しばらく前より感じていたことを尋ねた。
「左様か。そう言えばあの者は、随従の藤原経清とは知己の間であったか?」
宗任は、涼しげに答えた。
「ご存知ありませんでしたか?経清殿は曰理郡の出であったはず。若いころに知遇を得られていたのでしょう。」
登任は漸く思い出したのか、膝を叩いた。
「経清が何も申さないので、気が付かなんだわ。道理で、経清も陸奥に明るい訳だ。」
宗任は目元に薄く笑みを浮かべ、頭を下げた。
「かく言う私も、父より曰理郡を任されて鳥海に居ります故、経清殿のことは聞き及んでおりました。」
「成程、今宵の肴が見事なのも合点がいったわ。それにしても、都から遠く離れた地でこのような夜を過ごせるとは思いもしなんだ。礼をいたす。」
俘囚とは思えない雰囲気を醸すこの若者に、登任は少なからず好意を抱き始めていた。
「藤原登任、齢だけは立派に重ねているが、経歴が示すほど能吏とは言えなさそうだな。物産と黄金にしか心が動かぬようだ。」
控えの間で数人の漢達が、座って酒を酌み交わしながら話していた。
上座から経清に向かって落ち着いた声音を発したのは、照良であった。
「流石に照良、いや良照様。お分かりになりましたか。もうすぐ破瓜に達する齢いだというのに、除目され、しかも暫らくは誰も赴任したがらない陸奥の地に下向するとは、思惑が”言わずもがな”でございましょう。」
嘲笑いを堪えながら、経清は安倍良照~安倍家頭領頼良の弟~に一礼した。
「南家の方とはいえ、藤原公任様の家人でもあったのに、舘に宿す度に一々調度を観ては溜息をつき、肴を食しては箸が止まらず。浅ましくて、あれでは公卿にもなれぬ筈だ。」
経清の隣に座った永衡は、斜め下を見ながら酒を舐めた。
「なんだ、公家というからさぞかし立派な人が来るのかと思えば、単に金に目が眩んだだけの強欲爺か。」
良照の横で生意気な口をたたいたのは、頼良の五男安倍正任であった。
正任は一昨年子が生まれ、十代ながら一人前の口を利くようになっていた。
「そのような言い方はするな。本人の前に出たら悟られてしまうぞ。」
良照は苦笑しながら、甥っ子の軽口を諌めた。
「あの方は、利に聡いだけなのです。」
諦め顔の経清であった。
◇ ◇ ◇
三.冠川
翌朝、空は高く澄み渡っていた。
高舘の峰の眼下には広大な平野が遥か向こうまで続き、その先には光る一条の線が、地面と平行に青空との境界を形作っていた。
「あれは・・・」
登任が呟いた。
「閖上濱にございます。あの濱に、元正帝の御世に御神体が現れ、当山に羽黒飛龍神としてお祀りしております。」
後ろに控えた宗任が応えた。
東山道を下ってきた登任にとって、出雲で見て以来の海であった。
『出雲の海は北海であったが、あれは東海か。』
「こころなしか廣く、明るい気がする・・・」
目を細めて、再度呟いた。
「天照る海にございますれば、この世を産み照らす、廣さ耀さがあるのでしょう。」
天から声が降りてきたような気がして、思わず振り返ると、膝を折り俯いた宗任の横顔に、厳粛な気配を観て、登任は一瞬、動けなくなった。
「さあ、本日はいよいよ国府入りでございます。国府では愚兄貞任が、陸奥守様をお待ちしております。
いざ、ご出立なされますようお願い申し上げ奉ります。」
宗任は一度明るい顔を上げると、再び平伏して、快活さを身に纏いながら、言上した。
高館山を下ると、名取川へ向かって真っ直ぐ進み、浅瀬で渡河した。
雪解けは既に終わり、水量も少なく水も温くなり始めていた。
幾つかの段丘を登り、右手の大きな舘の前を過ぎると、背後に宏大な杜を背負った社の参道に変わった。
宗任は一旦、一行の進行を停めると、下馬し登任の前で膝を折った。
「あれは多賀神またの名を大鷹宮なれば、是非お立ち寄り頂きまして御参拝賜りたいと存じます。」
登任は、宗任の頼みに素直に頷いた。
大木に囲まれた参道を進みながら、登任は何気なく尋ねた。
「大鷹といえば、柴田郡の宮も大高であったな。」
宗任の面差しが微かに鋭くなって、直ぐにいつもの爽やかさに包まれた。
「如何にも。タカの言霊は我らにとって侵すべからざるもの。陸奥守様におかれましても、多賀の国府に入られましたらご配慮賜ります様、何卒よろしくお願い奉ります。」
その声音には、爽やかさに反して有無を言わせぬ威厳があった。
大鷹宮では、大伴宮城連も加わり東へと向かった。
大半の徒歩の者は高舘に残り、名取川を渡ったのは殆どが騎馬だった。
騎馬を主体とした一団はやがて、栖屋の駅に到着し休息を取った後、国分寺と白水権現に参拝した。
「白水権現は当地の産土神なれば。」
宗任の言上に、登任は違和感を覚えた。
国分寺は聖武帝の詔により、国家鎮護のために国府近くに創建されたものであり、ある意味国府の付属寺院的意味合いがあるといえる。
七重塔は承平四年(九三四年)の落雷で消失したとはいえ、依然として陸奥国にとっては重要な寺院であり、ましてや陸奥守たる自分にとっても非常に重要であることは疑いようがない。
然るに、白水権現が霊験あらたかな御神霊であるには違いないものの、国分寺の一隅にあるいわば地主神に当然のように参拝せよとは、要領を得ないのであった。
とは言うものの、噂に聞く歌枕の地である宮城野を目前にして殊更疑義を唱えても、自らを狭量に貶すような気になり、努めて平静を装っていた。
国分寺から北へと延びる路は、見事に整備されていた。
春の宮城野はやわらかな陽射しが注ぎ、花の薫りが漂う、まさに歌枕の地に相応しい情景であった。
左手に小高い丘が見えた。丘の上には柵や櫓で囲まれた大きな舘が建っている。
ここで、新たな一団が合流した。
率いているのは、正任である。
昨夜の内にこの躑躅ヶ岡の鞭舘に戻ってきていた正任は、鮮やかな緋色の馬具を着けた騎乗の人となり宗任の後に続いた。
草深い陸奥の単調な色に飽いていた登任は、この生気溢れる若者の溌剌さも嫌いではないと思った。
或いは、都に残してきた、孫の面影を重ねていたのかもしれない。
やがて路は河にさしかかった。珍しく、河には反りのある大きな土橋が架かっている。
轟の橋という。
宗任は一礼して言上した。
「この河は冠川(七北田川)といい、対岸に見えます社は志波彦神であられます。轟の橋で渡河して卯の方角へ向かえば多賀国府へと間もなく至り、子の方角へ進めばやがて奥六郡に参れます。即ち志波彦神は道祖の神であり岐神であらせられます。また冠川は即ち神降る川でもあります。願わくは国府に御登りになられます前に、禊祓なされますようお願い申し上げ奉ります。」
何時にない宗任の厳粛な様子に、登任は自然と首を縦に振っていた。
登任は冠川で禊をして、志波彦神の御前で祓を受けた。
祓を受けているあいだ、登任は何か不可視の糸で絡め取られていくような感覚に陥った。
終わって、促されるまま馬上の人となったが、現実感の無い心持ちで揺られるだけであった。
社の背後の岡の上には、鴻の館と呼ばれる舘が建っていて、一人の漢がその一部始終を、静かに見下ろしていたのだが、登任は全くそれに気づいていなかった。
国守一行が視界の中で米粒ほどになると、漢は巨大な青毛の裸馬に跨がり、官道とは別の道を国府の方角へと疾駆していった。
◇ ◇ ◇
四.多賀国府
幅ニ、三間ほどの小さな掘立柱建物の家や商家が建ち並ぶ東西大路を進み、やがて国守館に到着した。
幅九間奥行き四間の、四面に庇の付いた大きな館である。
遠の朝廷と呼ばれる府下の賑わいに驚きつつ、登任は馬から降りると、これから自らの住処となる館を見上げ、黙って中に入っていった。
建物の中は塵ひとつなく、綺麗に整えられていた。
しかし、登任はどこかに違和感を覚えていた。
陸奥の果ての館にしては、国守館に相応しい格式を備えており、十分な建物であった。
ただ・・・、何も無いのである。
いや、簡素にして格調の高い調度は一通り取り揃えられているから、無い訳ではない。それでいて、何も無いと感じるのである。
旅装を解いてようやく落ち着いた頃、経清が宗任を案内してきた。
宗任は登任の前に平伏すると、言上した。
「陸奥守様、此度は陸奥国までの遠路、遥々御下向頂きまして、改めて御礼申し上げ奉ります。また、恙無くご到着あそばされまして、心よりお慶び申し上げます。まずは、管内の主だった者共が参集いたして居ります故、今宵より三日三晩、ご饗応させて頂きますので、お受け下さいますようお願い申し上げ奉ります。」
登任は宗任に案内されるまま牛車に乗って、南北大路の前の館に招き入れられた。
館の大きさは、国守館より一間ほど幅は狭く、奥行きは同じであったものの、全体としては前者に比べて、壮大なものだった。
違いはまず、周囲に建っている掘立柱建物が遥かに大きく、それが五棟もあるということであった。さらに、館の内部の調度も金銀、漆で装飾された豪華なもので、明らかに異国のものであると分かる物産も、数多くそこかしこに見えた。
立ち働いている女の下人達でさえも、伽羅を焚きしめた瀟洒な衣を纏い、整った顔立ちをしている。
奥の上座に登任が落ち着くと、小山の様な巨躯の漢を筆頭に、狩衣を着けた者達が入室し、並んで平伏した。
全ての者が居並び終えると、巨躯の漢が言上した。
「従四位下蔵人頭陸奥守藤原登任様、此度は陸奥国への御下向、改めて御礼申し上げ奉ります。また草深き東山路、恙無くご到着あそばされまして、心よりお慶び申し上げます。安倍頼良が次男、貞任にございます。父頼良に成り代わりまして、管内の主だった者共を参集させ、陸奥守様を今宵より、ご饗応させて頂く役目を仰せつかっております。何卒宜しくお受け頂きますようお願い申し上げ奉ります。なお頼良は、先年逝去されました源頼信様以来、未だ次の将軍がお決まりにならない鎮守府において、俘囚の長として、奥六郡の民心を鎮め、賦貢が滞らぬよう腐心しております故、本日参上致しておりません。願わくは、ご寛恕のほど重ねてお願い申し上げ奉ります。」
そう言って、巨大な躯を更に低くした。
貞任の歳は三十代前半くらい、色白で、背丈は六尺超、胴回りは七尺四寸もある熊のような巨体であったが、その身のこなしは決して鈍重なものではなかった。また眼光は鷹のように鋭く、底に耀いものが潜んでいた。
登任は圧倒され、目の前の巨躯を凝視したまま、一言も発せられなかった。
「ささ、杯をお取りになされませ。」
宗任の明るい声に我に返った登任は、何時の間にか采女装束の見目麗しい采女と、水干を着た目鼻立ちの整った男児に囲まれているのに気がついた。
眼前には、昨日一昨日食した酒肴などの比ではない、様々な山海の珍味が並べ立てられていた。
宴は三日三晩続いた。
登任の前には入れ替わり立ち替わり、各郡の司が座り酌をした。そして祝の品として、各地の物産を披露した。
登任はその度ににこやかに応じたが、この館に入って目に飛び込んできた綺羅びやかで豪華な品々と比較すると、幾分見劣りするものばかりであった。
三日目になると、登任の心底には鬱々とした重いものが堆積し始めていた。
沈殿したものは、まだ澱んではいなかったが、やり場のない思いが出口を求め始めてはいた。
『頼良はなぜこの場に来ない。俘囚の長などと声高に名乗っても、たかが俘夷の輩の頭目ではないか。都から遥々来てやった国司に挨拶もしないとは、増長も甚だしい。』
声にこそ出さないが、その想念は顏にはっきりと映っていた。
別棟では、経清が曰理郡の旧知の者達と再会し、杯を酌み交わして旧交を温めていた。
永衡も、磐城郡や標葉郡の者達と大いに笑い合っていた。
車座になって大声で騒いでいる者達の中に、にこやかな顔で、一人黙々と杯を重ねる漢が居た。
上背は貞任と遜色ない六尺程度、よく引き締まった鋼のような躯が、衣の内に隠されているのが外からでもはっきりと分かる。
双眸は龍眼で、笑顔の奥に深淵のような静けさを湛えていた。
「経清殿は散位に成られたと聞いたが、ということは儂より位が上になったということですな。」
頼良はそう言って、嬉しそうに経清の肩を叩き杯に酒を注いだ。
この漢こそが膽澤(胆沢)の鎮守府に居るはずの、奥六郡の実質的支配者である、安倍頼良であった。
「いや、私などには勿体無いことです。」
経清は、杯の酒を飲み干すと、頭を下げた。
「そう謙遜するな、都に登ったのは幾つの頃であったかな?すっかり見違えて、立派になったではないか。」
大笑する頼良に、傍らの永衡が言った。
「頼良様、それにしてもお久しぶりでございます。私もお会いしたのは、頼良様が磐城に来られて以来だと思います。」
永衡も頭を下げた。
「そうであったな。永衡殿も都で随分と、垢抜けして来られたようだ。」
頼良の冗談に、永衡は大袈裟に掌を左右に振って、さっきまで美味そうに嘗めていた酒を、苦そうに啜った。
「業突く張りの爺さんのお守りをするために、都へ登ったわけではないのに、とんだ御役目を仰せつかったものです。」
渋い顔をする永衡を、頼良の左側に座った良照が笑いながらなだめる。
「そう言うな、永衡殿。お陰で都の状況と、陸奥国までの道中の様子が仔細に判って、こちらとしては大いに助かったのだ。」
良照の背丈は五尺五寸、貞任や頼良ほど大柄ではないが、どこか梟を想わせる奥深さを漂わせていた。
頼良も永衡の杯に酒を注ぎながら、頷いた。
「ここ何年もの間、国府にしても鎮守府においても、西から来て居座るものは居らず、陸奥国は我ら在地の者だけで、平穏にやってきたというのに、今更どの様な輩が好きこのんで、のこのこと乗り込んでくるのかと危惧していたが、貴殿らが随行することになったと聞いて、まこと安堵しておったのだ。」
今度は、経清と永衡の両方の肩を叩いた。
二人は、同時に一礼すると顔を見合わせ、破顔した。
「大納言様にお仕えしていたのが、余程の自慢らしく、歳をとっても相変わらず気位が高く、その上最近頓に財を蓄えることに執心の様なのです。ですので、機嫌を損なわない程々の物産を献ずるのが肝要かと存じます。」
経清が、幾分真剣な面持ちで言った。
貞任は、宴の締め括りに登任を拝して言上した。
「陸奥守様、改めまして、此度は陸奥国への御下向、御礼申し上げ奉ります。なにぶん都より遠く離れた田舎の地、十分なおもてなしも出来ず、一同、大変恐縮致しております。至らぬところは、平にご容赦くださいますよう、お願い申し上げ奉ります。さて、明日は一日御休息あそばしまして、明後日は総社宮への神拝でございます。なお古法に従いまして、国府津舟戸より一度沖へ出られまして、再度千賀浦より上がられ、先ずは鹽竈神への御参拝を済まされて頂きます。その上で、総社宮の神拝をし、東門からは入府せずに南へ向かい、観音寺へ参拝ののち、南門より国府へと入られますよう、お願い申し上げ奉ります。」
大きな躯を平らにする貞任に向かって、登任は酔眼を細くし、身体を揺らしながら言った。
「神拝の件は分かっておる。だが、何故総社の前に鹽竈神とやらに詣でねばならぬ?何のための総社であるのか訳が解からぬではないか。」
それを聞いた貞任は、下げた頭を上げずに、地の底から沸き上がってくるような声で応えた。
「鹽竈神は陸奥国の総氏神にして総鎮守、総産土神でもあらせられます。これをお鎮めすることがなくて、何の陸奥守でございましょうか。そこの所、何卒よくご了解頂ますよう、陸奥国の民に成り代わりまして、お願い申し上げ奉ります。」
その声音には、有無を言わせず従わせる力が宿っていた。
登任は、全身を強張らせたまま、身動きが出来なくなっていた。
その後は何を食べ、何を呑み、何を話したのか判らぬまま、時は過ぎていった。
登任が国守館に戻って、我に返った時、辺りには側女だけが残っていた。
室の中は、寒々としていた。
寝屋に入って臥しても、登任は寝付けなかった。
貞任の底光りする鷹のような眼と、地神の唸り声の様な耳鳴りだけが、頭の中を廻転していた。
『安倍貞任、なんと得体の知れない男よ。いや、この蝦夷の地こそが得体の知れない、うす気味の悪い処よ。この様な祟る神多き地を治めるなど、儂に出来るものなのだろうか?・・・「黄金花咲く」・・・そうか、余計なことを考えるのは辞めにしよう。神拝が終われば、検注だ。どれほど肥沃な土地なのか、この眼で確かめようではないか。』
登任は、頭を一振りして眠りに落ちた。
◇ ◇ ◇
五.鹽竈神
かつて国守の陸奥国入りは、海路で那珂湊を経由して鹽竈の浦に至り、国府津から上陸して入府するのが常道であったという。
しかし何時の頃からか、途中の浦々で鹿島神を信奉する人々の助力が得られなくなって、主に東山道経由の陸路を採るようになっていた。
それでも、古式を違えては神を鎮め、国を鎮めることは出来ないので、国守一行は国守館を出ると東行し国府津舟戸より鹽竈の浦へ漕ぎ出た。
直ぐに目の前に籬島が迫り、そこで取舵を切って千賀浦へと入っていく。
すると舟は奇妙な事に、鹽竈社のある右岸に着岸せず、左岸に着いた。そして、登任は渚で身を清めるように即され、目の前の小さいが古格のある社に参拝した。
この社は御釜社といい、貞観や仁和の大津浪などで、幾度となく流されては、その度に再建されてきた。鹽土老翁神が当地に降りられて、藻塩を焼いて塩を得る法を伝えたと言われている。
対岸の鹽竈社は鹽土老翁神の薨られた地として、当社と対をなすものであり、古より製塩の盛んな此の地に鎮座してきた。
もはや言われるがまま、操り人形のようになった登任は再び舟に乗せられて、対岸の参道下の四方石に上陸すると、両側から鬱蒼と木々が迫る長い坂道を、左右にくねりながら、北へ向かって登って行った。
登りきった所にある拝殿に進み、貞任をはじめ、諸郡の郡司が見守る中、参拝を始めた。
参拝の直前、貞任が耳元で囁いた。
「当社には岐神もおわします。この御神霊は、陸奥国を外夷から守護する神であらせられます。くれぐれも、真底より拝されますように。」
背後から迫る視線と、本殿から発せられる圧倒的な気配に気圧されて、登任の全身は総毛立ち、滝を浴びたように汗で濡れていた。
--柏手を打ち、一礼すると登任はその場に膝から崩れ落ちた。
貞任と宗任に両側から支えられ、登任は抱えられるようにして舟に運び込まれた。
江尻を対岸に渡り、鳥居原を国府へと帰る牛車の中で、ようやく正気に戻った登任は、牛車の中で胡座をかき、正面を見つめたまま、まだ震えが止まらない両膝を掴んで、独り言ちた。
「この蝦夷の地は、何かが違う。都とは、大和とは、地を、天を覆う別のものが御わすようだ。これは畏れ多き事。儂如きが来るべき処ではなかったのだ。」
眼を朱くしうなだれて、首を左右に振り、只々、権中納言定頼の言葉と、家持の歌をブツブツと繰り返していた。