~小鏑山~ 5
そして、我に返った登任は、慌てて全軍に命じた。
「追え、追うのじゃ。生かして逃してはならぬ。」
小馬鹿にしたように翻弄された挙句、こつ然と姿を消した正任に、わずかでも哀れみの気持ちを持った自分に、腹が立っていた。
『あのような小僧、初めから情けをかけるべきではなかった。甘やかせば増長するのが道理。許さん。』
再び荒雄川の河畔に降りた登任軍は、川沿いに遡り、岩渕山を迂回しようとした。
ここも因縁の狭隘部である。
案の定、弓兵の待ち伏せに会い兵を減らしたが、前方で野次を飛ばして囃し立て、誘う正任を追って、先へと進んだ。
やがて見手野原に至った時、またも正任の伏兵に会い、兵力は三千五百ほどとなっていた。
「鬼追いの追われる側も飽きたなあ。」
正任が、追いすがる登任軍を見やって言った。
「ではそろそろ、追う側の鬼に替わりましょうか?」
いつの間にか傍らを並走する、照井太郎が微笑いながら応えた。
正任が同じように微笑いながら頷くと、周囲に合図をする。
するとまたしても忽然と、登任軍の視界から正任の騎馬部隊が姿を消したのだった。
翌朝、則任は兄の貞任に呼ばれた。
「八郎、汝は久保田と沢口に陣をつくり、久保田に待機せよ。儂は頃合いを見て、沢口へ入る。」
「分かりました。」
則任は叩首し、手勢を率いて繁成に悟られぬように若神子原の陣を出た。
「今日は少し多めにくれてやれ。」
貞任は、陣内を見回りながら仕掛けの具合を確かめ、弓兵らには休まず矢を撃ち込むように命じた。
対する繁成軍は、いつもより激しい攻撃に浮足立ち、より一層激しく射返し始めたのだった。
「まさか攻め込んでくるつもりではないとは思うが・・・。」
そんないつになく激しい攻防を眺めながら、繁成はつぶやいた。
「兵気に弛れが生じております。あちらも同じでしょう。緊張感のなさは負けに繋がります。少し気合を入れ直したのではないですか?」
貞成は聞かれたわけでもないのに、率直に答えるのであった。
「ところで、叔父上から連絡は?」
繁成がそれには応えず、一番の心配事を口にした。
「ありませぬ。おそらく伝令が、途中で俘囚どもに捕えられてしまっているのだと思われます。」
傍らの武官が、申し訳なさそうに答えた。
「連携が取れねばなんとも動き様がないのだが・・・。仕方あるまい、近くまで至ればなんとかなるであろう。」
繁成はそう言って、首を振った。
その頃登任軍は、ようやく鬼切部の鳥羽口まで来ていた。
久瀬---のちに荒雄川神の嶽宮が遷られる地に陣を築き始めた。
ちょうど、禿岳に源を発する大沢川が荒雄川に合流する南岸側の段丘の上である。
川からは十丈ほどの高さがあった。
柵は北西向き、大沢川に面して幾重にも並べてられていく。
ここまでずっと、正任の軍を追ってきたのである。
敵は前方に隠れているものと思っていた。
つまり、来た方向---南東方向の梨木方面には陣を一重に囲む柵が作られたのみであった。
「繁成とは繋ぎが取れたのか?」
陣を整え終えると、登任は傍らの武官に尋ねた。
「いえ、申し訳ございませぬ。俘囚らの主将、貞任の陣が厚く、未だに城介様の陣まで伝令が届いておりません。」
そう言って武官は頭を下げた。
登任は、大沢川の方へと歩み寄り、柵越しに川向こうに遥かに広がる鬼切部の原野を眺め見た。
左手にそびえる禿岳から、なだらかに右手に向かって斜面と段丘が、幾筋もの沢を抱えて連なっている。
そのなだらかな斜面の麓には、荒雄川がそれらの沢を集めて奔流となってこちら側へと流れ下っていた。
荒雄川を挟んで右手奥には、荒雄岳が屹立している。
手前には、高日向山。
屏風のように連なる山々と、河川によって取り囲まれた、起伏の多い緩斜面の馬蹄形の高原地帯、それが鬼切部である。
ちょうど、馬蹄形の円弧の部分を上にして置いた時に、その両端に当たる場所に、両軍の陣が集結する格好となっていた。
やがて西方の山々の上に頭を出している、神室山のうしろへと日が沈んでいく。
いつの間にか、矢の撃ち合いは止んでいた。
---ついに、決戦の時が近づいていた。
時折聞こえる馬の嘶きと、炊事の竈から立ちのぼる白い煙が、それぞれの陣の存在を静かに表していた。




