6話-血の繋がりのない時、人はやはり他人である-
周りに人がいないことを確認し、『立ち入り禁止』と書かれたテープを上手く掻い潜り裏にある隙間からこの家に侵入する。
侵入すると最初に見る景色は寝室だ。床に大きな布団が二つ、その布団の間に二つ小さな布団が敷いてある。小さな布団の枕元には絵本が一冊、もう誰からも読まれることのないその本はただ悲しそうに途中のページを開いたまま置いてある――
「うっ…くっさいな…」
寝室から廊下に出ると、ツーンとした生ゴミの様な臭いが鼻腔を刺激した。
俺が続さんのもとを訪れるようになって一ヶ月近く経つ。
この一ヶ月の間、俺以外この家に入る者はいなくリビングに付いている血はこの一ヶ月で腐り、強烈な臭いを発するようになっていた。
警察が来ないおかげで続さんはここに居られる訳だけど流石にそろそろ掃除しに来て欲しいものだ。
俺は右手で口と鼻を覆いながら左手で鞄の外ポケットからマスクを取り出し、それを装着する。このマスクには事前にファブリーズをかけまくっておいたのでとってもフローラルな香りがする。というか香り過ぎて逆に臭い…次はもう少し弱めの香りにしよう。
そんなことを考えながら俺は廊下を歩き、右手側にあるリビングへのドアをガチャリと開ける。
「こんにちは〜続さん」
俺がリビングに入ると続さんは腕に包帯を巻いている最中だった。
「おー歩くん、いらっしゃ〜い」
「ん?続さんって腕の怪我もう完璧に治ってなかったでしたっけ?包帯いります?」
「あー…いや完璧に治ったんだけどさ、こうやって腕に包帯つけるとカッコいいかな〜と思って」
そう言うと続さんはソファの上に立ち、包帯が巻いてある右腕を天高く上げ、叫んだ。
「我が右腕に眠りし龍よ!今こそその長き眠りから目覚め、我に大魔王アユムを倒し、この闇に照らされた世界を救う力を!!」
そう言い終わると続さんは「さぁ歩くんの番だよ!」と言っているようなキラキラした瞳を向けてくる。
「…………………」
ここに一ヶ月で大分『続さん』という人物について分かってきた。
まずこの人、思ったより子供っぽい。最初の一週間こそ真面目な大人という雰囲気ではあったが、それ以降は今みたいに包帯を腕に巻いて遊んだり、二階の書斎から持ってきた大量の本を積み重ねその上に寝そべり「どう?ラスボスっぽくない?」とか言ってきたりする痛いおっさんになってしまった。
「はいはい、まぁとりあえず座って良い子にしてましょうねぇ」
流石にこんなことに付き合ってもいられないので続さんの肩を掴みソファに座らせる。
「はぁ…やってくれないなんて歩くんは随分とつまらない人間だねぇ、ガッカリだよ…ま、歩くんじゃ僕のレベルにはついてこれないし逃げるが勝ちってやつか」
続さんはニヤニヤとした意地悪そうな笑みを向けながらそう言う。
くっそめんどくせぇ、というのが本音だがここで逃げるわけにはいかない。男にはやらねばならない時があるという、きっとそれが今だ。
「いいでしょう、その挑発乗ってやりますよ」
俺がそう言うと続さんは「やったー流石歩くん!」と喜び、またソファの上に登りさっきと同じ言葉を声高らかに叫んだ。
「我が右腕に眠りし龍よ!今こそその長き眠りから目覚め、我に大魔王アユムを倒し、この闇に照らされた世界を救う力を!!」
そしてさっきと同じ様にキラキラした瞳をこちらに向けてくる。
俺はすぅーっと深く息を吸い心を鎮める。
こういう事は中学の頃公園で「唸れ!我が魔眼、その憎悪で全てを焼き払え!」と言いながら自分で作った砂の城を手で壊していたら隣にいた幼女に「かっこ悪い」と言われた事をきっかけにもうやっていない。
いやぁ、歌音に「お兄ちゃん気持ち悪い…」とかクラスメイトに「頭おかしいよあいつ」とか言われても全く気にならなかったのにあの幼女の「かっこ悪い」は効いたなぁ――と、そんなこと考えてる場合じゃないか。
「龍?そんな物でこの私に適うと思うとわな…憐れみを通り越し慈悲すら感じるぞ、人間。その程度で私のまえに立った事を後悔するといい、ここが貴様の墓場となる…喰らうがいい!ギムネマ・シルベスタァ!!」
俺は数ある『AYUMUインデックス』の中から1番世話になった技名を叫びながら続さんの腹にそっと拳を当てる。
「ぐはあぁ、さ…流石と言うべきか…。我の龍の力を持ってしても傷一つ付けることが出来んとわ……だが我には守るべき人達がいる。その者達のためにも…ここで朽ち果てる訳にはいかんのだぁぁ!!」
「フッ…つくづく人間というのは愚かな生き物よ。絶望を前にしてまだ足掻こうとするとはな……だがその心意気は褒めてやる。さぁ、来るがいい!貴様のちっぽけな光など私の混沌で沈めてやろうぞ!!」
こうして俺と続さんの闘いの火蓋は切って落とされた――
×××
あの後俺達の闘いは宇宙にまで広がり、これ以上の闘いは宇宙の法則が乱れるという事で両者和解する形で終わった。
「いやぁ、疲れたぁ…歩くんがこんなついてくるなんて思いもしなかったよ」
続さんはズシンとソファに腰掛けとても満足気な表情でそう言った。
「まぁ俺にかかればこのぐらいの事は造作もない事ですよ」
額に手を当てくっくっと笑いながら続さんの隣に腰を下ろす。どうやらまださっきまでの事が尾を引いてしまってるらしい。
「そういえば歩くん、今日のサムゲタンくれないかい?」
ソファでぐでーっとしていた続さんは急に立ち上がると俺にそう言ってきた。
この一ヶ月間でわかったこと其のニ、続という人物はとても偏食家である。最初俺が持ってきたサムゲタンが相当お気に召したらしく、そればかりを俺に注文してくる。
たまには違うのも食べさせないと、と思いグリーンカレーなどをたまに持ってきたりしてみたが駄々をこねて拒まれた。まぁちゃんと俺にお金を持たせてくれてるし注文と違う物を持ってきた俺が悪いと言えば悪いのだが。
「えーっと、実は今日は持ってきてないんですよ」
俺がそう言うと続さんは「えっ!?」と素っ頓狂な声をあげ、顔がみるみる青くなっていく。
「いやいや、ちゃんと理由があって持ってきてないんですよ!今日は続さんをウチに招待しようと思って」
「僕を、歩くんの家に、招待?」
俺の言ったことが信じられないのか続さんは途切れ途切れで俺の言った事を復唱する。
「そうですそうです、続さんの怪我も良くなったみたいなのでウチで『続さん治ったねおめでとうパーティー』でも開こうかと思って。もう一ヶ月も経ちましたしこの家から出ても例の少年に見つかる可能性も低いと思いますし」
「僕の、怪我が、良くなった?」
いや復唱すべきはそこじゃない。俺はビシッと心の中で続さんにツッコミを入れた。
「で、どうですか?」
俺がそう問いかけると続さんはうーんと小首を傾げ少し考えんだあと、ニタァっと笑い「もちろん行かせてもらうよ」と答えた。
×××
「あぅぅ、お…お兄ちゃんの隣に人がいる様に見える。さっき飲んだ胃薬の副作用で幻覚が見えるのかな…」
玄関で俺を出迎えた歌音はそう言うとふらふらと壁にもたれ掛かった。
「いや胃薬にそんな副作用は多分ないぞ…この人は幻覚なんかじゃなくちゃんとここに存在してる。この人は雪村 続さん、俺の――なんだろ、友達?だと思われる人だ」
「こんばんは妹さん、ご紹介にあずかりました歩くんの友人、雪村 続と言います。『続く』と書いて続です。以後お見知り置きを」
続さんが軽く会釈をするとそれを受けて歌音も慌てて挨拶する。
「わ、私は二階堂 歌音です!ハミングするミュージックと書いて歌音です!ふ、不束者ですがよろしくお願いします!」
「ほほー、自分の漢字を英語で説明とは斬新だねぇ」
ふむふむと首を縦に振りながら続さんは歌音に感心している様だった。
「続さん、俺着替えてくるんで歌音と一緒にリビングの方行っててもらっていいですか?」
俺は靴を脱いで続さんにそう促す。
「あぁ、わかった。じゃあ歌音ちゃん、リビングまでエスコート頼まれてもらってもいいかい?」
「もちろんです!お任せください」
そう言うと歌音は続さんを連れリビングの方へ歩いて行った。
それを見届けたあと俺は右手側にある扉を開け自室へと入る。
×××
「お兄ちゃ〜んどうしよう…食べる物何もないんだけどぉ」
着替えを済ませリビングに入ると大きな瞳をうるうるとさせながら歌音が泣きついてきた。
「おいおい、今日は人来るからなんか用意しといてくれって言っといたじゃないか」
「冗談かと思ってたぁ、お兄ちゃんが人呼ぶなんて話信じられないもん…」
そこまで俺って落ちてると思われてたのか…お兄ちゃんけっこーショックですよ。というか家に呼ばないだけで優宇というベストフレンドがいるんだぞ。
「ペヤソグでもいいからないのか?」
「ない……そういえば切らしてたの忘れちゃってた…」
「非常用のは?」
「……この前食べちゃった…」
歌音はテヘッと舌を出しておどける。はぁ…今度からは非常用は自分で買って隠しておくか…。
「どうかしたのかい?」
俺達の様子を気にしてか続さんが席を立ち俺に声をかけてきた。
「あーなんか食べる物が何もないらしくて…」
謝罪の念を込めた表情で俺は続さんにそう告げた。
「なるほどねぇ…歩くん、少し台所漁ってみてもいいかい?」
「いいですけど、多分大したものはないと思いますよ」
俺がそう言うと「ありがとう」と続さんは言い冷蔵庫などを漁り始め、しばらくすると乾麺、トマト、ブロッコリーなどを持って帰ってきた。
「それでなに作るんですか?」
「ふっふっふ、それは出来てからのお楽しみってやつさ。すぐ出来るからテーブルに座って待っててくれよ」
俺と歌音にそう告げると続さんは材料を持ってさっさと台所へと向かい「シェイシェイ、スェンジイタオスゥ」と謎の言語を発しながら棚にあった中華鍋を使い豪快に調理を始めた。
「おぉ〜燃えてる燃えてる〜いいねぇ料理って言うくらいならやっぱ燃やしてなんぼってやつだよねぇ」
歌音はそう言いながら台所の方をうっとりとした表情で見つめている。
たしかに炒めてる方が料理してる感はあるが、今炒めてるのブロッコリーなんだけど…普通茹でて食うもんじゃなかったかあれって――
そんな俺の心配をよそに続さんはひょいひょいとトマト、麺を中華鍋に加えてかき混ぜると、五分程で作り終えそれを皿によそいテーブルの上に置いた。
「さぁ!これが僕が長年かけて編み出した究極のスパゲッティだよ!おかわりもあるし存分に食べてくれたまえよ!」
「スパ…ゲッ…ティ?これが…?」
テーブルに置かれた物体を見てさっきまでの楽しそうな表情とは打って変わり引きつった顔をしながらそう口にする。
まぁ歌音の気持ちは痛いほどわかる。この物体『自称スパゲッティ』は麺一本一本が丁寧に黒く焦げていてスパゲッティというかイカスミパスタだ。というか匂いが焦げ臭いし完全に炭だ、スミパスタだわこれ。
「これ食べて大丈夫なやつですか?ケミカルX的なやつ入れてませんよね?」
「酷いなぁ歩くん、全然食べられるよ。普通にそこらの五つ星レストランより美味しいし、使ったのは主にトマトとブロッコリーだしとってもヘルシーなんだよ」
「トマトと…ブロッコリー…」
俺は目を皿の様にしてスパゲッティからトマトとブロッコリーを探すが炭しか見つけることができなかった。
トマトとブロッコリー何処にいったんだよ……というか“主に”という言葉がとても恐い、他に一体何が入っているのだろうか。
「まぁ迷ってても仕方ないか、ここは男らしく綺麗に散ってやる!!歌音!お前は俺に続け!」
「い、イエッサー!」
俺はフォークで大量にスパゲッティを絡め、清水の舞台から飛び降りる気持ちで勢い良くそれを口へと運んだ。
「んっ…ん?」
不思議な食感だった…
それは舌に触れた刹那パラパラと崩れ去り無数の細かな粒になり唾液と混ざり合うと、味を感じる暇もなくスルスルと唾液と共に喉の方へと送られていってしまった。
「ん〜とりあえず不味くなかったのは嬉しいんですけど、これ無味過ぎじゃないですか?料理としてはどうかと」
俺がそう抗議すると、続さんはしたり顔を浮かべ「10…9…8…」とカウントダウンを始めた。
「…2…1…0……アペティート、歩くん」
続さんがそう告げると同時に俺の胃の辺りがカーッと熱を帯び始めた。その熱は食道を伝って喉の方まで広がり、風邪をひいた時の様に喉がヒリヒリすると同時にそこで何か甘味の様なものを感じた。
「人の舌は基本味と呼ばれる旨味、甘味、苦味などを感じ取り、舌触りなどの物質的刺激と合わさり『味覚』というものを形成する」
俺が今自分の身体に起こっていることを理解出来ずにいると続さんが得意げに口を開くと説明し始めた。
「だが美味いなどと感じるのは舌じゃない、脳なんだよ。僕の料理は舌なんて情報伝達機関を頼らず、脳に直接美味いと言わせる物なのさ!」
「たしかに舌以外で味を感じられるのは凄いとは思いますけど、こんな砂糖みたいなちょっとした甘さだけじゃ美味しいと言うには程遠いですよ」
「僕の料理はコース制でね、その甘味は前菜なのさ。次はすぐに来るよ」
続さんの言う通り“次”はすぐにやってきた。
喉にあったヒリヒリとした感覚が手や足に広がると、そこでまた味を発し始めた。今度はさっきのちょっとした甘味とは違う、肉汁が凝縮された特上のハンバーグを食べている感じだ。その感覚を味わっているのは手のひらだが思わず口をもぐもぐと動かしてしまう。
「美味しいです……これ、美味しいですよ続さん!」
俺がそう言うと続さんはフフッと得意げに鼻を鳴らした。
「歩くん、人差し指から順に曲げてみな」
俺は続さんの言う通りに人差し指を曲げてみる。
「っ!?……これは!」
人差し指を曲げるとハンバーグの味にデミグラスソースが加えられ今まで以上の旨味となると、それは快感に似た様な感覚となった。
俺はその感覚を堪える事が出来ず、椅子から転げ落ちその場でうずくまる。
「ん〜流石に刺激が強すぎたか。やっぱ第二フェーズで止めとくべきだったな」
「これは…一体…どういう……」
全身を襲う快楽に必死に耐えながら続さんにそう問いかける。考えを巡らせていないとすぐに昇天してしまいそうだ…。
「僕の考案したこの『天使の賛美歌-エンジェル カンターレ-』は体中の神経をいつもとは全く違う方法で使わせるからその感覚に慣れてないと今の歩くんみたいになっちゃうんだよねぇ」
料理名が料理と全く関係ねぇ……。
――俺と続さんはその後、襲ってくる快楽に抗いながらなんとか『エンジェル カンターレ』を食したのだった――
絶賛スランプnowdeath。