Chapter 1. 少年、入学する -7
それでアルテリオンソードはシャンの手には大人しく握られるのだった。
まったく、涙が出るほど情けない話だ。伝説の名剣を腰に下げていても使えないのだから。それでも父親はためらいなく渡してくれた。一度ぐらいは役に立つであろうと。一度、その一度のために父親はすべてを放棄した。
それでも盗まれることはまずないだろうという事実だけは気を楽にしてくれた。誰かが盗みでもすれば、その泥棒は消し炭になるだろうから。
シャンはそう思いながら自分をなぐさめつつ剣を腰に下げた。背よりも少し長い感じではあったが、それでも本当に美しい剣だった。シャンは剣を抜いて構えた。
銀色の剣身の上を朝の日差しが滑っていく。
シャンはボーッとそれを眺めていたが、やがて剣を収めた。
今日、旅立つのだ。
7.
シャンが出発すると三男アルゴがついてきた。長男リオと次男エロンは丸3日父親と楽しく(?)遊ぶことにした。ずるいぞ、シャンを独り占めするのか、という2人の絶叫をアルゴはサクッと無視して朝から馬車を手配した。
メイド建ちがシャンの荷物を運んでいた。荷物とはいっても万が一に備えた薬材の類いだった。それに火傷の薬、切り傷の薬、打撲の薬など、すべてシャンの体質を考慮して作った応急薬が入っていた。アルゴが言った。
「都市までは馬車で行って、そっからはマナ列車に乗ってくんや」
「マナ列車? 本では読んだことあるけどどういう仕組で動くの?」
「ああ、マナエンジンを使い魔法使いの魔力で動く列車なんやが、その目で見ればきっと驚くで」
シャンはうなずいた。
シャンの旅立ちの日、本家だけでなく分家の人たちまで総出でシャンを見送った。だが皆シャンを心配する表情だった。シャンの不運は有名だったから。それでもシャンは明るく笑って皆に手を振りながら馬車に乗り込んだ。
初めて邸宅の外へ出たシャンにとって、あらゆるものが珍しかった。アルゴはここぞとばかりに捲し立てた。リオやエロンとは違いアルゴは昔からシャンと出掛けることをずっと望んでいた。ふいに家を出て大陸間をつなぐ大商団を運営していることもあったし、元々何かに縛られることを嫌っていた。広いこの世から学ぶことは多かった。
アルゴはシャンに金色のカードを渡した。
「急用のときはこれを使え。ええか? 変にケチったりすんなや」
カードにはアルゴが運営する商団の印章が刻まれていた。シャンはカードが象徴する意味も分からぬままウサギのようにうなずいた。
カイはシャンの肩に座って居眠りを始めた。カイは大きくならず相変わらずの体躯だった。アルゴはあの大きなヤギをペロリと平らげたくせに全然育たないと愚痴を言った。
横に座っていた学者が言った。
「竜が成長するのは脱皮のときだけです。ふむ、大きさからすると入学した後でやっと1次脱皮をするでしょうな」
『大きさだって? 全然大きくなってなさそうなのに』
シャンの頬が赤くなると学者は豪快に笑った。
「長らく竜を暮らしたことがないと、なかなか見分けがつかないことなんじゃよ」
『また顔に出てたのかな』
シャンは頬をこすった。
俗にいうポーカーフェイスというものは、シャンとは100万年ほども縁のない話かもしれない。アルゴがシャンの頭をなでた。
「お前ぐらいの歳なら、それぐらいでちょうどええよ」
「ほんと?」
「もちろん」
シャンの表情が少し明るくなった。そのとき学者が咳払いをしてアルゴに何かを耳打ちした。アルゴが首を振った。
「まあ、子供同士やし自分たちで何とかするっしょ」
「これはそう簡単に片付けられることでは……」
「今から心配したって解決できるわけでもないんやし」
何の話だろうか?
シャンは首を傾げたが、やがて再び窓の外の風景に熱中した。邸宅の外は珍しいものばかりだった。
都市に着くまで丸2日かかった。途中で僧侶2人が城門で門番とケンカしているところに出くわして時間が余計にかかった。浅黒い肌の全身に刺青を施した僧侶たちは本でも読んだこともない服を着ていた。
「兄さん、あれ、何?」
アルゴが顎をなでながら答えた。
「ああ、ラドゥンの信徒たちやな。南方の少数民族だ」
「何でケンカしてるんだろう」
幼い子供の質問はいつでも正鵠を射る。
「それはやな、最近南方で伝染病がはびこったんやが、支援はおろか拡散を恐れて隔離しちまったんや。ほんで南方の人たちはぎょうさん死んだ。元気だった人も病気が移って死んでいったんや」
「ええっ、同じ国の人なんでしょ?」
「同じ国やが宗教は違う。肌の色も違うし治療師はとても少ない。それに治療法すら見つかってへんのに、治療師に移りでもしたら大変やろ?」
「ああ……。でもそれは……あんまりだよ……」
シャンは目を伏せた。羽毛のように長いまつげが悩みに揺らいだ。弟の初めての苦悩をアルゴは興味深く見守った。
「ついに水も汚染され食料も底をつき、伝染病よりも餓死する人の方が多いとまで言われよったな」
シャンはさっき食べていた弁当を見つめた。家から持ってきた弁当には何一つ物足りないものはなかった。同じ国なのに、ただ少し離れているだけなのに、こんな光景が目に映るとは想像すら出来なかった。
アルゴはそんなシャンを見て笑い出した。
「分かってる、この世は不条理だらけやって。せやかて子供にゃこの世を変えられへん。変えられるのは大人だけや」
「……」
「早ぅ大人になれ。ほんなら酒も一緒に呑めるしな」
アルゴはいつも気持ちいい笑顔をたたえている。美男子の笑顔はいつも雰囲気を明るくするが、とはいえアルゴの考えまでは分からなかった。
ああいう笑顔をたたえるときはトラブルを起こすときだったので、他の兄弟はアルゴを恐れた。
馬車の外には場内へ入ろうとする信徒たちと彼らに立ちふさがる門番たちが争っていた。この中にテロリストがいると叫んだが門番たちは首を振るばかりだ。そんなハッタリで場内へ入れるわけにはいかなかった。
城門の前で検問待ちをしている行列はだんだん長くなっていった。馬車の中にいる人たちは大したことなかったが、歩いて来た人たちはただその場に座り込んで待つしかなかった。再び検問が始まったのは半日も過ぎてからだった。
それも門番がラドゥンの信徒たちに銃を撃ったからだった。もちろん上空をめがけた警告射撃だったがそれでも十分だった。ラドゥンの信徒たちは彼らを罵倒しながら姿を消した。
都市の中へ入ってやっとシャンは馬車から降りれた。アルゴは皇室から届いた新たな手紙、つまり入学証明書と家庭通信文を読み下した。
「どれどれ、制服は近くの裁縫店へ行けばええし、あとは竜につける手綱と首輪、竜のエガケ……調練用の鞍ぐらいか? シャン、迷子にならへんようついてこいや」
シャンは気が遠くなりそうだった。こんなに大勢の人間は見るのが初めてだった。アルゴが2メートルを超える長身でなかったなら早々に見失ってたかもしれないほどだ。市場では新入生たちのための雑多な品物が売られていた。
煮込んだヤギに妙なソースをかけた串焼きが売っていたが、到底人間が口に出来るような匂いではなかった。カイが翼をはためかせた。
「ママー、おいしそう!」
カイのような異種族たちが好むおやつのようだ。串は爪で掴みやすいように両端が厚くなっていた。アルゴがニヤリと笑った。
「お前が買ってやれ」
「僕が?」
「支払い方法は知ってるか? まずは財布からコインを出してやな……」
「いいよ……それぐらい分かってるよ」
そういいながら串焼きを買ってカイに渡した。生肉以外は口にもしないカイは串焼きだけは大喜びでガツガツと平らげた。