Chapter 1. 少年、入学する -2
シャンの父親と長兄、2番目の兄、そして3番目の兄は夕刻遅くに帰ってきた。普通に暮らしていたジャイアントオーガが村で狼藉を働いていると聞き、父親を含む4人でコテンパンにした後で村で一番高い木に逆さ吊りにしてきた。幸いけが人が一人もいなかったから良かったものの、もし誰かにもしものことがあったなら錬金術師のギルドに二束三文で売り飛ばす腹だった。
シャンの兄たちである三兄弟はみんなが相当の美男子だった。その時、好男子系の容姿に長身の若者が自分のザラザラする顎を撫でた。長男のリオだ。
「馬鹿野郎、お前は非喫煙者だから喫煙者のつらさは知らないんだろう!」
リオの怒りにクールな印象の若者が銀縁のメガネをかけ直した。襟は刃のように鋭かったが、彼の目つきはその襟よりも更に鋭かった。次男のエロンだ。
「シャンは具合が良くないんですよ、タバコを控えてくれっていうのがそんなに酷ですか?」
「偏屈め! お前なぁ、その歳になるまで酒もタバコも嗜まないなんて、そのうち大変なことになるぞ? たまの休暇には女とも遊ぶとかして、そうして人間らしくなるもんだぜ」
「稽古と称して拳で岩を砕くような兄さんよりは、ずっと人間らしく生きてますけど」
エロンの答えを聞いて頭を掻いたリオは、三男のアルゴに訊いた。
「アルゴ、お前は事業を興すとか言っときながら、ここで遊び呆けててもいいのか?」
兄弟のうちで最も背の低い男がニコリと笑った。微笑む顔が可愛いと感じさせる若者だった。彼は明るく笑いながら中指を突き立てた。
「兄貴二人を見てっと、末っ子の人生が心配で家も空けられませんわ」
人々は三兄弟をこう呼んだ。アルテリオン家の三つの新星だと。一様に武術で一家言を持ち、自分の職業で天才的な頭角を現していた。しかし実際にはとんでもないドタバタ兄弟だった。
シャンの父親は頭が痛かった。妻がシャンを託してこの世を去り早10数年。人々はシャンをして言った。3人の兄が三つの新星なら、シャンはその前に1を付け加えた13日の新星だと。
そう。不吉な数字、13だ。
産まれたときからシャンはまるで13日の星の下に産まれたかのようだった。
裏山へ遠足に行った日、兄たちがちょっとその場を離れた隙に、よりによってクマと出くわして肋骨を折ったり、麓の村へ散歩に出た日、気ままに道を歩いていたときに、よりによって頭を植木鉢が直撃したり、石につまづいて転んだときに、その転んだ先にガラスの破片が散らばってたり、ひどいときは軽い風邪がよりによって肺炎になりかけたりもした。
家族総出で神殿に詣でたりもしたが、一向に良くならなかった。
神官様は哀れみの笑みを浮かべて言った。
『体質であります』
いっそ病なら、いや呪いでさえあったなら、治しようもあった。悪魔にでも魅入られたのか、シャンは幼い頃からこうして幾度も生死の境目を彷徨わなければならなかった。単なる悪寒だと思っていた小児麻痺で年は越せないだろうと宣告されたときなど家族全員が心の覚悟を決めたほどだった。完治した今でもシャンは剣を思うように扱えなかった。
シャンの不運はここで終わらなかった。幼い頃から事故続きだったせいか、それとも本当に不幸の神にでも取り憑かれたのか、シャンは魔力自体をその身につけることができなくなった。
今、身体は健康を取り戻したが、特有の絶対的不運はどうしようもなかった。
兄弟たちの過保護は今も続いている。他人目には心温まる光景だろうが、シャンも男子であり武人だった。同情はただひたすら惨めにするだけということに兄たちは気づいていなかった。
この兄たちのおかげでシャンは自由に出歩くことが不可能だった。シャンが外出しようとすると、また怪我しに行くのかと兄たちが出入口に寝そべって阻止するためだった。本人たちからすれば弟を心配しての行動だろうが、シャンにとっては事実上の監禁に他ならなかった。しかし心優しいシャンは兄たちに心配かけてはいけないときびすを返すのだった。
「ふう、子育てがこんなに大変とは」
そんな息子たちを見ていると、天に召された妻への想いは募るばかりだった。
***
家に着くと、どうも雰囲気がおかしい。家率たちは慌ただしいし、部屋は熱い煙で満ちていた。兄たちは家へ戻るや否や叫んだ。
「おぅい! 兄たちが戻ったぞぃ!」
「弟よ! 弟はどこだ?」
「どうも様子が変だぞ?」
部屋のドアを開けると、そこには小さな竜がシャンをしっかり掴んでいた。シャンの陶磁器人形のような白い頬が真っ赤に染まっていた。小さな竜は兄たちを見ると突然叫びながら長兄に向かって駆け出した。
「危ない!」
リオも同様だった。確信はなかったがこのモンスターはシャンの敵なのかもしれない。彼は容赦なく竜のヒナ目がけて鉄拳を振るった。
「兄さーんっ!」
シャンは身体を投げ打って竜をかばった。長兄は息をのんで拳をとめようとした。しかしオーガの頭蓋骨も粉砕するほどの拳、すでに勢いに乗っているのに、この距離、この速度で軌道を変えることは難しかった。そのとき2番目の兄・エロンが待ってましたとばかりに剣を飛ばした。
ガィン!
拳は剣面にぶつかり澄んだ音を立てた。エロンは上品な動作で優雅に剣を収めた。
「兄さん、シャンを殺す気ですか」
「阿呆! あのトカゲ野郎が突っ走ってきたからだ!」
「稽古に明け暮れたせいで脳まで筋肉になったんですか? あれは竜ですよ。しかもヒナの」
竜のヒナは長兄に向かってキャオオウ!と叫び立てた。長兄リオが眉をひそめた。
「シャン、まさかそれ、俺が以前拾ってきたタマゴの……」
シャンはうなずいた。竜のヒナは全体的にネコほどのサイズだった。クリーム色の鱗が動くたびに鏡のようにシャンの顔を映し出した。神話に登場しそうなほど格好の良いドラゴンだった。もちろんあの小憎らしい性格以外は。
リオがキッパリと言って退けた。
「捨ててこい!」
兄はもしかするとインペリアル級になるかもしれない竜を野良猫扱いしていた。シャンが首を振った。
「僕が育てる」
「病気が移るぞ!」
「やだ」
いつもは兄の言うことを良く聞き分けていたシャンだった。今まで一度も嫌だと言ったことがなかった。しかし今度ばかりは竜の命がかかっているという義務感を感じたのか、初めて兄たちの意見に反対した。
リオは口に苦味を感じた。
黙っていた学者が口を開いた。
「竜についてはすでに皇室へ連絡いたしました。御名が下されるまでは処分はまかりなりません」
「あの獣が人間様に楯突いてるのが見えないのか?」
キャオオウ!
学者が答えた。
「生まれたての竜は敏感です。どうぞお引き取り下さい」
「放せ! 放さんか! 殺すぞ!」
「兄さぁん」
次男のエロンはジッと推移を見守っていた。そして銀縁のメガネを取り、布端で拭った。長兄が理性を失った今、決断を下さねばならない。エロンが口を開いた。
「しばらく頭を冷やしてください、兄さん」
「お前、今誰に向かって……」
「状況からして、すでに刻印を済ませた竜です」
「刻印? なんだそりゃ」
話にならない。頭が痛くなってきたエロンは額を押さえた。学者は切実に彼へSOSを発信していた。長男のリオは強い。本気を出せば次男と三男が力を合わせても止めることは出来ない。単純な性格ではあるが、いつも朗らかに微笑む彼の口元が敵を前にすると如何に残忍に変貌するのかは二人とも良く知っていた。そして彼は少しでも末っ子に害を及ぼす疑いのあるものは何であろうと除去する覚悟が出来ていた。
このままではいくら国で竜を保護するといっても、皇室の返答を待つことなくあの竜のヒナの頭を粉々にする勢いだった。彼は落ち着いて口を開いた。
「さあさ、まずはここから出て話しましょう」
「あれを放っておいて出れるもんかよ!」
キャオオウ!
エロンは仕方ないと感じたのか三男のアルゴに目配せした。アルゴは肩をすくめるとリオのもう片方の腕を掴み部屋の外へ引きずって行った。
「分かったよ、ちょっと待て……。なあ? ちょっとだけ……、話するだけだから……。なあ? エロンよ、ちょっと……何も……しないからさ」
顔はニコニコしているが長兄の腕は血気で漲っていた。
「ささ、兄貴。ここら辺で気持ち落ち着かせまひょ」
そのとき部屋の外から父親の声が低く響いた。
「リオよ」
「はい、父さん」
「お前の左腕は死にたいと言っておったか?」
「それはどういう意味です? 父さん」